『断罪スピーチを三日練習した俺、婚約者に国家運営を全部任せていた』 〜追放した翌週、財務・外交・軍事が同時にパンクしました〜【短編】
ずっと読み専だったのですが、AI自家発電が意外と面白い気がしたので投稿してみました。
「エルザ・ヴァイスハウプト! お前の悪行、もはや看過できぬ!」
言ってやった。ずっと言いたかった。
†
時間を巻き戻す。
卒業パーティーの三日前。俺は鏡の前で断罪のスピーチを練習していた。
「エルザ・ヴァイスハウプト。お前の——」
声が裏返った。ダメだ。もう一回。
「エルザ・ヴァイスハウプト! お前の悪行——」
今度は声が大きすぎた。隣の部屋の近衛兵が「殿下、どうかされましたか」と駆けつけた。
「何でもない。独り言だ」
「独り言にしては剣呑な内容でしたが……」
「いいから下がれ」
三日間練習した。鏡の前で。風呂の中で。馬に乗りながら(馬が驚いて落馬しかけた)。
リーナには言ってあった。「卒業パーティーで全てを終わらせる」と。リーナは泣いた。「アルベルト様、ありがとうございます」と。
——あの涙は本物だったのだろうか。今となっては。
†
リーナとの出会いは二年前だった。
庭園の東屋。薔薇が咲いていた。ベンチに座って一人で泣いている少女がいた。
「どうした」
「あ——殿下。申し訳ございません。お見苦しいところを」
「泣いていたのか」
「……はい。エルザ様に——お茶会で——」
今にして思えば、あの時もっと聞くべきだった。「お茶会で何をされたんだ」と。具体的に。日時を。証人を。
聞かなかった。泣いている少女の前で、追及するのは酷だと思ったから。
優しさのつもりだった。——怠慢だった。
†
パーティーの朝。衣装合わせをした。金の刺繍が入った白い礼服。鏡に映った自分は——英雄のように見えた。悪を倒す正義の王子。完璧な絵面だ。
リーナは水色のドレスだった。「アルベルト様のお隣に立つのにふさわしい色を選びました」と。
ふさわしい。その言葉を聞いて、胸の奥が熱くなった。——あのときは。
エルザはどんなドレスを着てくるだろう。いつもの黒か紺だろう。エルザは派手な色を着ない。社交の場では常に控えめな色。目立たないように。——目立たないように仕事をする人間は、服も目立たない色を選ぶ。
今ならわかる。
†
卒業パーティー当日。
大広間。シャンデリアが三十二本。天井のフレスコ画は初代国王の偉業。赤い絨毯の上に百人以上の貴族子女が並んでいる。その全員の前で、俺——第二王子アルベルト・フォン・グランツは、婚約者だったエルザを堂々と断罪した。
三年間の婚約。三年間の忍耐。エルザは冷たかった。社交の場では完璧な微笑みを見せるが、二人きりになると口数が減る。俺の話に興味を示さない。鷹狩りの話をしても「そうですか」。城下町の祭りの話をしても「左様でございますか」。感情がない。氷の女。
——リーナだ。
リーナ・フォン・メーア。男爵令嬢。清楚で優しくて、俺の話を目を輝かせて聞いてくれる。鷹狩りの話をすれば「すごいです!」。城下町の話をすれば「私も行ってみたいです!」。反応がある。温かい。人間の温度がある。
「エルザはリーナを虐げた! 舞踏会での無視、お茶会への排除、社交の場での冷遇——!」
声を張り上げた。大広間に反響する。リーナが俺の腕にしがみついて泣いている。小さな肩が震えている。
周囲の貴族がざわついている。これでいい。全員の前で宣言する。正義は行われる。
「この婚約は本日をもって破棄する! エルザ・ヴァイスハウプトには国外追放を命じる!」
拍手が——起きなかった。
ざわめきが広がった。だが拍手ではない。困惑。戸惑い。何人かは目を伏せた。何人かは隣の人間と顔を見合わせた。
おかしい。もっと歓迎されると思っていた。悪役令嬢を追い出す英雄的行為だ。拍手と歓声があるはずだ。
エルザを見た。
泣くかと思った。懇願するかと思った。「お許しください」と膝をつくかと思った。
「承知いたしました」
一礼。
背筋の伸びた、完璧な一礼。角度は三十度。タイミングは俺の宣言の余韻が消えた直後。視線は床の一点。宮廷作法の教本に載せたいくらいの——いや、載せるべき一礼。三年間の婚約で何百回と見た所作。毎回同じ角度。同じタイミング。機械のようだと思っていた。今もそう思う。
それだけだった。
泣かない。懇願しない。「なぜ」とも聞かない。
振り返りもせずに大広間を出ていく。赤い絨毯の上を。百人の視線を背中に受けて。足音は一定。ヒールの音が規則的に響く。揺れない。一度も振り返らない。
大広間の扉が閉まった。重い音。
百人の貴族が——まだ黙っている。拍手がない。歓声がない。俺の予想と違う。
隣にいた宰相のクロム卿が、小さな声で呟いた。
「殿下。あの令嬢が出ていった瞬間から、この国の時計が止まりましたぞ」
意味がわからなかった。——あの時は。
「アルベルト様、これでもう大丈夫ですわ」
リーナが顔を上げた。涙の痕。微笑み。
「ああ。もう大丈夫だ」
——大丈夫のはずだった。
†
翌週の月曜日。
執務室。朝九時。机の上に書類が山積み。いつも通りの朝——のはずだった。
ドアが叩かれた。三回。急いでいる叩き方。
「殿下。失礼します」
財務大臣のゲルハルト卿。六十代。白髪。痩せている。有能だが臆病な男。その臆病な男の顔が——真っ青だった。
「どうした、ゲルハルト卿。顔色が悪いが」
「殿下。財務報告書が出せません」
「出せない?」
「はい。今月の税収報告、四半期の貿易収支分析、来期の予算案——全て、エルザ嬢が管理していた帳簿がなければ作成できません」
「帳簿くらい誰でも——」
「エルザ嬢の帳簿は独自の略記法で記述されています。複式簿記の応用なのですが、勘定科目の分類体系がエルザ嬢独自のもので、解読に——控えめに見積もって三ヶ月」
「三ヶ月!」
「さらに、過去五年分の国家予算の再計算も、三カ国との貿易収支の分析も、全てエルザ嬢が一人で行っておりました」
「一人で? 財務省の仕事だろう」
「財務省の仕事です。エルザ嬢が代わりにやっていただけです」
頭が痛くなった。こめかみを押さえた。
「今期の徴税計画もエルザ嬢の立案です。各領の特産品と人口動態を加味した段階的課税方式で——」
「段階的課税?」
「はい。その導入以来、税収が二割増えました。財務省の誰もこの方式を理解していません。エルザ嬢だけが全体像を把握していました」
「……ゲルハルト卿。エルザの帳簿を解読できる人間は」
「三人試しました」
「結果は」
「最初の一人は三日で投げ出しました。『こんなの人間の頭で管理するものじゃない』と言って」
「二人目は」
「『これを一人で管理していたのか』と言って泣きました。文字通り泣きました。机の上で」
「三人目」
「まだ挑戦中ですが、胃潰瘍で昨日から休んでいます。医者には『ストレスが原因』と言われたそうです。帳簿の解読でストレス性胃潰瘍。前代未聞です」
泣いた。胃潰瘍。帳簿の解読で。
「リーナはどうだ。聖女候補なら——」
「簿記の知識がないそうです」
「聖女候補だろう」
「聖女候補と簿記は別の能力です」
正論だった。ぐうの音も出ない。
†
水曜日。
外務卿のルートヴィヒ伯爵が来た。五十代。銀髪。外交官特有の柔和な笑顔——が、今日はない。
「殿下。西の帝国との通商条約の更新が来月に迫っております」
「交渉の準備は」
「交渉の下準備をしていたのがエルザ嬢でして」
「……また、エルザか」
「帝国語が堪能なのは王宮内でエルザ嬢だけでした。加えて、帝国の外務大臣の三女ヘレーネ嬢とエルザ嬢が文通しておりまして——非公式な情報チャンネルが構築されていました」
「文通で外交を」
「帝国側の譲歩点を事前に把握できていたのは、この非公式チャンネルのおかげです。公式チャンネルでは帝国は強気に出ます。非公式があったから——」
「つまり今は」
「丸腰です。帝国の出方が全くわからない状態で交渉に臨むことになります。最悪の場合——」
「最悪の場合?」
「関税が三倍に跳ね上がります。この国の輸出産業が壊滅します」
ルートヴィヒ伯爵の声は冷静だったが、目が冷静ではなかった。外交官が感情を見せること自体が——事態の深刻さを物語っている。
「リーナは帝国語が——」
「あいさつ程度だそうです」
あいさつでは外交はできない。「こんにちは」と「関税三倍」は別の言語だ。
†
金曜日。
もう一人来た。近衛騎士団長のヴォルフ。四十代。大柄。無骨。この男が走ってくるのを見たのは初めてだ。
「殿下! 北部の山賊討伐の件で」
「また山賊か」
「先月エルザ嬢が立案した補給線ルートがなければ、討伐隊が出発できません」
「エルザが軍事も?」
「軍事ではなく兵站です。補給と輸送の最適化。エルザ嬢のルートのおかげで、前回の討伐費用が三割削減されました。誰もあのルートの計算式を理解していません」
財務、外交、兵站。
三つの柱が、同時に折れた。
「ヴォルフ」
「はい」
「俺は——とんでもないことをしたのか?」
ヴォルフは黙った。近衛騎士団長は嘘をつかない男だ。十年間、一度も嘘をついたことがない。その男が——黙った。
「……私からは何とも申し上げかねます。ただ——」
「ただ?」
「同じ週に財務・外交・軍事の三部門から同時に問い合わせが来た事実を、殿下がどう受け止めるかは——殿下のお考え次第です」
外交的な物言い。ヴォルフらしくない。——いや、これがヴォルフなりの優しさか。「お前は馬鹿だ」と言わないだけの。
執務室の椅子に座り込んだ。天井を見上げた。フレスコ画。初代国王の偉業。初代は——優秀な宰相がいたから偉業を成し遂げたのだと、歴史書に書いてあった。
俺は——優秀な婚約者を追い出した。
「ヴォルフ」
「はい」
「リーナに聞きたいことがある。呼んでくれ」
「何をお聞きに」
「エルザにいじめられた件の——具体的な内容を」
ヴォルフの目が一瞬だけ鋭くなった。何かを理解した目。
「承知しました」
†
リーナが来た。白いドレス。清楚。微笑み。——だが、俺の目は変わっていた。
「リーナ。エルザに何をされたか、もう一度教えてくれないか。具体的に」
「えっと……舞踏会で無視されたり……」
「いつの舞踏会だ」
「えっと……去年の」
「去年のいつだ」
「……秋、の——」
「秋の舞踏会は十月と十一月の二回あった。どちらだ」
「……」
「リーナ」
「……覚えていません」
「覚えていない」
「その——たくさんありすぎて、どれがどれだったか——」
「たくさんあったのに、一つも具体的に覚えていないのか?」
リーナの目が泳いだ。
あの日——卒業パーティーの日にも、同じ目をしていた。俺がエルザへのいじめの具体性を聞いたとき。あのとき見逃した。今は——見逃さない。
「お茶会に呼ばれなかった件は」
「はい、エルザ様のお茶会に——」
「エルザは俺の知る限り、お茶会を主催したことがない。社交は全て王宮の公式行事として出席していた。個人のお茶会は——ない」
「……」
沈黙。長い沈黙。
リーナの頬から血の気が引いていくのが見えた。
「リーナ。もう一つ聞く。聖女認定の件だが——」
「それは——」
「教会に確認した。魔力測定、神託確認、教会審議——全て未実施だ」
リーナの体が——揺れた。
「お前は——聖女なのか?」
「……わたくしは——選ばれるはずだったんです——」
「はずだった」
「教会の審査が遅くて——だから先に——」
「先に名乗った」
大広間での断罪を思い出した。百人の前でエルザを追い出した。証拠もなく。聖女認定もなく。泣かれたから。
「下がれ」
「アルベルト様——」
「下がれと言っている」
リーナが出ていった。足音が不安定だった。
一人になった執務室。天井のフレスコ画。初代国王。
「——俺は、馬鹿だ」
声に出した。誰も聞いていない。
窓の外を見た。王都の街並み。夕日に照らされた屋根の連なり。この景色が好きだった。城の窓から見る夕日は、王族の特権だ。
エルザもこの窓から夕日を見ていた。——いや、見ていなかった。エルザは窓の前を通るとき、いつも書類を持っていた。景色を見る余裕がなかったのだ。財務と外交と兵站を一人で回しながら。
思い出した。去年の秋。エルザが執務室の前を通りかかったとき、声をかけた。
「エルザ、今日の鷹狩りの話を聞いてくれないか」
「申し訳ございません。帝国への書簡の期限が明日でして」
「いつも忙しいな。たまには休んだらどうだ」
「お気遣いありがとうございます」
——冷たいと思った。あのとき。鷹狩りの話くらい聞けばいいのに。リーナなら目を輝かせて聞いてくれるのに。
違った。
エルザは忙しかったのだ。俺の国を回すために。俺が鷹狩りをしている間に。
机の引き出しを開けた。中に——エルザからの報告書が何通か残っていた。読んでいなかった。「また堅い文章か」と思って積み上げていた。
一通目を開いた。
「次期徴税計画案 概要」。七ページ。各領の人口動態と特産品の分析。段階的課税方式の提案。導入効果の試算。根拠となるデータ。結論。
——完璧だった。
読んだことがなかった。三年間。一度も。
二通目。「帝国通商条約 更新に向けた論点整理」。十二ページ。帝国側の交渉姿勢の分析。過去の譲歩パターン。ヘレーネ嬢との文通から得た非公式情報。推奨交渉戦略。
三年間分の報告書が、引き出しの中に——読まれないまま、積まれていた。
手が震えた。
エルザは——報告書を出していた。毎月。欠かさず。読まれないと知りながら。
「……俺は、馬鹿だ」
二回目。今度は——もっと深い場所から出た声だった。
報告書を全部引き出しから出した。三年分。四十七通。全て未開封。
一通ずつ開けた。読んだ。
一通目。入省初年度の報告。文体が硬い。「殿下のご判断を仰ぎたく存じます」。丁寧すぎる。距離がある。
十通目。二年目。文体が少し変わっている。「ご参考までに」。距離が縮まった——のではなく、諦めたのかもしれない。読まれないとわかったから、形式を崩した。
三十通目。三年目。文体がさらに変わった。「以下、要点のみ」。もはや読まれることを期待していない。でも書いている。毎月。
最後の一通。卒業パーティーの一週間前。封筒が他と違う。少し厚い。
開けた。
「殿下へ」
報告書ではなかった。手紙だった。
「三年間の婚約、ありがとうございました。私は殿下のお役に立てなかったかもしれませんが、この国のためにできることはしたつもりです。帳簿は引き出しの二段目にあります。鍵はゲルハルト卿に預けました。帝国との交渉についてはルートヴィヒ伯爵に口頭でお伝えしました。補給線のデータはヴォルフ団長に——」
引き継ぎだった。
断罪の一週間前に。エルザは——引き継ぎ書を書いていた。
知っていたのだ。自分が追放されることを。
「ゲルハルト卿!」
走った。王子が廊下を走るのは作法に反する。知ったことか。
「ゲルハルト卿! エルザから鍵を預かっていないか!」
「鍵? ——ああ、はい。パーティーの三日前に。『殿下にお渡しください』と」
「なぜ俺に渡さなかった!」
「お渡ししました。殿下のデスクの上に。——お気づきになりませんでしたか?」
デスクの上。書類の山。鍵。——気づかなかった。三日前から断罪のスピーチの練習に夢中で、デスクの書類なんか見ていなかった。
デスクに戻った。書類の山をひっくり返した。
あった。小さな鍵。銀色。タグに「帳簿用」とだけ書いてある。エルザの字。丸みのない、几帳面な字。
鍵を握りしめた。
エルザは——全部準備していた。追放されることを見越して。引き継ぎ書を書いて。鍵を預けて。報告書を全部まとめて。
それなのに俺は——スピーチの練習をしていた。風呂の中で。馬の上で。
「……最低だ」
三回目。声が出なかった。口が動いただけだった。
窓の外は暗くなっていた。夕日が沈んだ。王都の灯りがぽつぽつと点き始めている。
エルザはこの街を——もう見ることがないのだ。俺が追い出したから。
手紙の最後の一行を読んだ。
「お身体にお気をつけて。——エルザ」
たったそれだけ。恨み言も、未練も、皮肉もない。
お身体にお気をつけて。
——この女は、最後まで俺を心配していたのか。
報告書を読まない王子を。鷹狩りばかりの王子を。泣く女の言葉を鵜呑みにする王子を。
鍵を握る手が震えた。
月曜日。ゲルハルト卿が来る。水曜日。ルートヴィヒ伯爵が来る。金曜日。ヴォルフが来る。
全部——エルザがいなくなったせいだ。いや、エルザがいなくなったのは俺のせいだ。
どうすればいい。
——どうすればいいんだ。
手紙をもう一度読んだ。三度読んだ。四度読んだ。
「お身体にお気をつけて」
七文字。三年間の婚約の最後の言葉が、七文字。
恨まないのか。怒らないのか。俺を。
——怒ってくれた方が楽だった。恨んでくれた方が。「あなたは馬鹿です」と言ってくれた方が。
エルザは言わなかった。何も。承知しましたと一礼して、引き継ぎ書を残して、去った。最後まで——完璧に。
完璧な婚約者。完璧な官僚。完璧な退場。
その完璧さに、俺は三年間気づかなかった。
鍵を引き出しにしまった。明日からこの鍵で帳簿を開ける。ゲルハルト卿と一緒に。解読に三ヶ月かかるとしても。
やるしかない。エルザがいない世界で。エルザを追い出した俺が。
灯りを消した。暗い執務室。窓の外に星が見える。
エルザも——同じ星を見ているだろうか。辺境の空から。
聞けない。もう聞けない。




