愛情
毎日見る夢がある。
家族が殺された、あの日の夢だ。
――だが、今日は違った。
「あっ……はぁ、はぁ……」
荒い呼吸。
胸を押さえたまま、澪は勢いよく部屋を飛び出した。
「蓮!! 蓮!!」
廊下に声が響く。
「どうした」
顔を出した蓮を見た瞬間、
全身の力が抜けた。
「……よかった……生きてる」
「当たり前だろ」
「蓮が……死んじゃう夢、見た」
震える声。
「あ……あぁ……来ないで」
視線が揺れる。
「蓮、逃げよう」
「ん?」
「嫌だ……あいつが来る」
蓮は周囲を見渡す。
だが、異変はない。
「大丈夫だ。何もいない」
「違う……」
澪は首を振る。
「いつか絶対来る」
呼吸が浅くなる。
「目、つけられてるもん」
言葉が途切れ途切れになる。
「この前だって……黒崎さんが近くにいなかったら、私たち死んでた」
蓮は一歩、近づく。
「来たとしても――澪は逃がす」
静かに言い切る。
「大丈夫だ」
その言葉に、
澪の表情が歪んだ。
「蓮が死ぬのが嫌なの……」
声が崩れる。
「……殺せばいい。それで終わる」
「勝てっこないよ……」
即答だった。
「どれだけゲヒュールを倒しても……あいつだけは無理」
記憶が蘇る。
「逃げる時、見たの……顔は認識できなかったけど」
震える声。
「笑ってた」
間。
「……わざと逃がしたんだよ」
蓮を見上げる。
「怖がらせるために」
静かに、確信していた。
「蓮も分かってるでしょ」
沈黙。
「……だから、逃げよう」
縋るように言う。
「遠くに」
蓮は目を伏せる。
「……分かってるだろ」
低く返す。
「どれだけ逃げても無駄だ」
その一言で、
何かが切れた。
「あぁ……そっか」
力なく笑う。
「じゃあ……私たち、死ぬんだね」
「澪――」
呼びかけを遮るように、
澪は一歩踏み込んだ。
距離が消える。
唇が触れる。
一瞬。
「……好き」
息がかかる距離で囁く。
「大好き」
そのまま、強く抱きしめた。
「どうせ死ぬなら……素直になろうかなって」
腕に力がこもる。
逃げ場はない。
「前まで……こんな感情、なかったのに」
ぽつりと呟く。
「なんでだろ。不思議」
壊れたはずの心の奥で、
――奪われたはずの愛情が、芽生えていた。
「蓮からもして……」
無意識に、
影が揺れる。
絡みつくように、蓮の身体を捉える。
抵抗はできない。
導かれるように、
蓮も澪を抱きしめる。
「……嬉しい」
顔を埋める。
「同じ気持ちなんだ」
だが――
蓮は言葉を失っていた。
理解できない。
それでも、
腕だけは離れない。
「逃げてさ……子供作ってさ」
夢を見るように言う。
「一緒に、幸せになろうよ」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、
頷きそうになる。
だが、
蓮は目を閉じた。
「……逃げられない」
絞り出すように言う。
「逃がしてくれない」
そして、
はっきりと告げる。
「……殺すしかない」
「……じゃあ白崎さんとフクスに任せようよ」
必死に縋る。
「黒崎さんもいるし……」
声が震える。
「私は……敵討ちなんていらない」
抱きしめる力が強くなる。
「蓮がいれば、それでいい」
温もりを確かめるように。
「今も……あったかくて、幸せ」
崩れかける。
それでも言葉を重ねる。
「黒崎さん、すごいんだよ」
必死に言う。
「満月の夜だけだけど……あいつを追い詰めたって」
顔を上げる。
「……ねぇ」
縋る目。
「頷いてよ……お願いだから」
沈黙。
そして――
「……ごめん」
短い言葉。
それだけで、
すべてが壊れた。
「なんで……」
震える声。
「なんで、なんでなんでなんで……!!」
叫びが滲む。
蓮は目を逸らさない。
「俺のせいで、澪の両親は死んだ」
静かに言う。
「俺のことなんか、嫌いになれよ」
澪は、
泣かない。
泣けない。
悲しみは、もう無い。
「……」
沈黙。
そして、
小さく息を吐いた。
「……ごめんね」
声は、落ち着いていた。
「どうかしてた」
何事もなかったかのように、
一歩下がる。
「今日はもう寝るね」
振り返らずに言う。
「おやすみ」
そのまま、
自室へ戻っていく。
蓮は何も言えない。
ただ、
その背中を見送るしかなかった。




