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1-65 尋問

 別室は宿の裏手にあった。

 普段は荷の仮置きに使う小部屋らしく、木箱と古い麻袋が積まれ、窓は小さい。光は入るが逃走には使えない。この部屋は拘束には向くが、話を引き出すには不向きだ――恐怖だけが増えるからだ。


 扉の前に護衛が二人。

 中からは荒い息と、木椅子が軋む音が聞こえた。


「……入ります」


 ノアが低い声で言い、護衛が扉を開ける。


 中にいたのは料理長と、宿の主人、それに護衛が一人。

 料理長は椅子に縛られてはいない。だが腕を背に回され、縄が緩く掛かっている。逃げればすぐ捕まえられる程度の拘束。

 ――“逃げられない”と悟らせる拘束だ。


 料理長は四十代半ば。頬はこけ、指が細い。鍋を振る腕の太さはない。

 職人肌というより、下働きから上がった管理肌の男だ。こういう男は強い者に従う癖がある。


「俺じゃない……俺じゃないんだ……!」


 料理長は入ってきたノアを見て声を荒げた。

 アシュレイではなく、明らかにノアに対して声を上げている。

 つまり彼は“公の力”を恐れている。公が動くと、自分の立場が終わると知っている。


 ノアは一礼した。謝罪ではなく、形式上の礼だ。


「ノア・シルエル。アルケディア宮廷魔法師です。

 あなたの身を守るために来ました」


 料理長が目を剥く。


「守る? 守るって……何を――」


「あなたが本当にやっていないなら、守れます。

 仮に疑いが本当であるなら、守れません」


 言い切る。

 脅しではなく、現実的な線引きだ。


 料理長の喉が鳴る。

 恐怖で萎縮した者は、選択肢が極端に少ない線引きに弱い。どちらの側に立てば生き残れるかを探し始める。


 アシュレイはその横で黙っていた。

 ここはノアの場だ。

 アシュレイが口を挟めば、料理長は“私怨”と捉えやすくなる。公の者が話すから価値がある。


 リュカはアシュレイの斜め後ろにいる。

 小さな身体が部屋の空気を少しだけ変える。

 料理長の視線が一瞬、リュカへ走った。

 それは罪悪感からくる視線ではない。――値札の視線だ。


 アシュレイの胸がすっと冷える。


 ノアはその視線を見逃さない。声をさらに落とした。


「あなたは昨夜、『赤いローブの女が』と言ったと聞きました。

 ――誰です」


 料理長が首を振る。


「知らねえ! 顔は……顔は見てない……!

 ただ、赤い……赤い布が……!」


「布ですか……。では、その”布”の指示で動いたと。愚かですね」


 ノアの言葉は痛いが、正しい。

 痛い言葉は嘘の逃げ道を塞ぐ。


 料理長が唇を噛み、歯の間から言葉をこぼした。


「……倉庫だよ。倉庫の……男だ。

 帳面を持ってて……口が上手い。

 『客が増える』『宿が回る』って……!」


 主人が「そんな……」と声を漏らす。

 ノアは主人を睨み、黙らせた。


「その男の特徴を」


 料理長は震えながら続ける。


「帽子……深くかぶってた。

 優しい声だ。まるで怒ることを知らないみたいに。

 でも……目が笑ってない」


 “影の男”。

 倉庫で偽装をしていた男の型に近い。

 優しい声で混乱を避ける。目だけが冷たい。


 ノアが即座に問う。


「名は」


「知らない……! 名乗らねえんだ……!」


「名を出さないのは、名前が記録に載るのを恐れているからです」


 ノアの言葉に料理長が肩を震わせた。

 恐れている。

 つまり、彼は公の効力を知っている。教団の末端の下請けかもしれないが、相手は“公”を恐れている。


 ノアは一歩近づき、しかし威圧はしない。

 距離を詰めるが声は低いままだ。


「あなたが守りたいのは、あなた自身ですか。

 それとも――家族ですか」


 料理長の顔色が変わった。

 一瞬で“恐怖の源”が見えた。家族だ。


「……やめろ……」


 ノアは言葉を続ける。


「家族なら、こちらが保護できます。

 ただし、条件があります。

 あなたが知っている情報をすべて記録します」


 料理長の呼吸は荒くなり、目が泳ぐ。

 守りたい。だが言えば殺される。

 だが今言わなければ、公に見捨てられる。


 そこでアシュレイが初めて短く口を挟んだ。

 感情ではなく、理屈で刺す。


「言わないなら、公がお前を切る。

 言えば、雇い主がお前を黙らせにくる。

 ……その前に公が動けばお前は生き残れる」


 料理長がアシュレイを見る。

 その目に、初めて“助けを求める色”が混ざった。


「……俺は……」


 ノアはすぐに畳みかけない。

 待つ。待って、料理長が自分の口で決める瞬間を作る。

 自分で決めた者は今より少しだけ強くなる。


 料理長は呻くように言った。


「……“ユナ”は……俺が雇った。

 でも、俺が選んだんじゃない。

 そう指示された……」


「誰に」


 料理長は目を閉じ、吐き出した。


「……帳面の男だ。

 『この子を置け』って。

 『掃除もできる、客も呼べる』って。

 でも……夜に、無断で裏口から出入りしていた。

 俺は……見ないふりをした」


 ノアが静かに頷く。


「見ないふりは、共犯になります」


「分かってる……! ……だから……!」


 料理長の声が裏返る。


「家族が……! 娘が……!」


 主人が息を呑む。

 リュカがアシュレイの袖をぎゅっと掴んだ。

 “脅し”の匂いを、彼女は本能で嗅ぎ取っている。


 ノアはここでようやく“公”を前に出した。


「あなたの娘さんの居場所を教えてください。

 こちらで保護します。

 ――今日の検分の場で、あなたの証言を正式に記録します。

 その時点で、あなたは公の保護下に入る」


 料理長が泣きそうな顔で頷く。


「……家は……南区……パン屋の裏……」


 ノアが護衛へ指示する。


「今すぐ、二名を南区へ。彼の娘の安全確保。それから保護。

 ――丁重に」


 護衛が走る。


 料理長は肩で息をしながら、さらに吐き出した。


「……それと……赤いローブ……

 俺は直接見てない。

 でも、ユナが夜に会ってた相手が……赤い布の端を持ってた。

 深い赤。金の線……」


 深紅に金の幾何学。

 深律教団の赤ローブと一致する意匠。


 アシュレイの背中に、二十年前の夜が冷たく貼り付く。


 ノアの目が鋭くなる。


「金の線。幾何学模様。

 ――それは、深律教団の正装です」


 料理長は震える。


「俺は……知らなかった……! そんな……!」


「知らなかった、で済む話ではありません。

 ですが、あなたは今我々に協力した。

 それが必ずあなたを生かします」


 ノアは言い切り、最後に一つだけ問う。


「ユナは何を狙っていましたか。

 道具か、人か。どちらだと言っていましたか」


 料理長は息を整えられないまま、絞り出した。


「……『小さいの』だ。

 『小さな人形には価値がある』って……

 『動かない時があるなら、その時が“取りやすい”』と……」


 部屋の空気が凍った。


 リュカの指がアシュレイの袖を強く掴む。

 恐怖が形になる。


 アシュレイは振り返らず、声だけを落とした。


「大丈夫だ」


 リュカの返事はない。

 だが、掴む指の力が少しだけ弱まった。


 ノアは料理長へ言った。


「あなたは、今日の検分で全て話すことになります。

 そして、保護対象になります。

 ――あなたを守るのは私個人ではなく、公にある全てです」


 料理長は泣きながら頷いた。


「……話す……話すから……娘を……」


「必ず」


 ノアは短く答えた。

 短いが、嘘のない言葉だ。


 別室を出た廊下で、アシュレイはようやく深く息を吐いた。

 隠れていた線が出た。

 恐怖の源も引き出せた。

 そして、相手が狙う“本命”も出た。


 ――リュカ。


 ノアが歩きながら低い声で言う。


「クローヴ殿。

 これで検分は“宿の不法侵入者”ではなく、“教団の関与”として動きます。

 ……街が動きます」


 街が動く。

 それは味方が増えるということでもあり、敵の手段が変わるということでもある。


 アシュレイは短く答えた。


「動かせ。動いた方が、線が見やすくなる」


 リュカが小さく呟いた。


「……こわい。でも、逃げない」


「ああ」


 正午前の検分はただの調査ではなくなる。

 街の表側が、裏の仮面を一瞬だけ剥ぐ場になる。


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