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1-5 ノア・シルエル

 その頃、クローヴ魔道具店。


 鈴が鳴った瞬間、リュカはカウンターの下から飛び出した。

 さっきまで誰もいない店内でひとり、古いランプの火をいじって遊んでいたところだ。


「はーい、いらっしゃいませ!」


 扉のところに立っていたのは、濃紺のローブをまとった若い男だった。

 肩まで伸ばした髪をきちんと結び、胸元には王家紋章の入った小さなバッジが光っている。

 年齢はアシュレイよりずっと若い。二十代前半だろうか。

 きょろきょろと店内を見回したあと、彼は視線をリュカに落とした。


「あ、えっと……こちら、クローヴ魔道具店で間違いありませんか?」

「まちがってないです! 店員のリュカです!」

「店員なの……?」


 男は目を瞬かせ、それから苦笑のようなものを浮かべた。


「失礼しました。もっと……その、大きい人が出てくるかと」

「アシュレイなら、今いないよ」

「そうですか」


 男は少し残念そうに頷き、手にしていた封筒を持ち上げた。


「では、書簡のお届けだけでも。王都宮廷魔法師団より、アシュレイ・クローヴ殿宛てです」

「ふむふむ」


 リュカはカウンターに置かれた台の上にぴょんと飛び乗り、背を伸ばして封筒を覗き込む。

 そこには先ほど見た王家紋章と、もうひとつ、細かい文様が押されていた。


「差出人は――」

 男が読み上げる。

「ノア・シルエル宮廷魔法師補佐。ご存じでしょうか?」

「……」

 リュカは首をかしげた。

「のあ?」

「ええ。陛下付きの実技担当でして。まだ若いですが腕は確かですよ」

「ふーん」


 名前には聞き覚えがない。

 だが、アシュレイの口からその名前を聞いた記憶はどれだけあっただろうか。


「こちら、お渡ししておいていただけますか」

「うん、預かるね」


 リュカは両手で封筒を受け取ると、そのままじっと眺めた。

 厚手の紙。しっかりと溶かされた封蝋。

 指先でつつくと、かすかに冷たい。


「開けちゃだめ?」

「だめです」


 即答だった。

 リュカは「ちぇー」と口を尖らせながらも、封筒を大事そうに胸に抱えた。

 その仕草に、男の表情が少し和らぐ。


「……こちらの店主には、何度か学院でお世話になりまして」

「アシュレイが?」

「ええ。講義に紛れ込んで聞いたことがあります。理論の話になると誰よりも楽しそうで」

「楽しそう?」


 リュカは思わず聞き返した。

 楽しそうなアシュレイが、うまく想像できなかった。


「今は……そうでもない?」

「うん。いつも、ちょっとだけ悲しそう」


 素直な答えに男は言葉を失う。

 数秒の沈黙のあと、彼は小さく笑った。


「そうですか。……では、この書簡が、少しでもあの方の役に立てばいいのですが」

「役に立つの?」

「立つと思いますよ。送り主は――クローヴ殿を、とても慕っている人間ですから」


 リュカは目を瞬かせる。


「アシュレイのこと、好きなの?」

「ええ、とても」


 即答。

 その言葉に、胸の奥がちくりとした。

 理由は分からない。

 ただ、何かが引っかかった。


「……そっか」

 小さく呟くと、リュカは封筒をいっそうしっかり抱え込んだ。

「アシュレイが帰ったら、ちゃんと渡す。なくさないから」

「お願いします」


 男は丁寧に頭を下げ、扉へ向かう。

 鈴がまた鳴り、外気がひやりと入り込んだ。


 扉が閉まり、足音が遠ざかる。

 店内に再び静けさが戻ると、リュカはカウンターの上に腰を下ろし、封筒を見つめた。


「のあ・しるえる……」

 名前を何度か口の中で転がす。


 聞き慣れない響き。

 けれど、どこか胸に残る音。


「アシュレイのこと、好きなひと、かぁ」


 言葉にしてみると、胸の真ん中が少しなんとなく落ち着かなかった。

 手のひらで押さえると、そこには何もないはずなのに、確かに何かがうずく。


「……やだな」


 小さく、誰にも聞こえない声で呟く。

 自分でも、その「やだ」の中身が何なのか分かっていなかった。


        *


 一方その頃、リゼットの工房。


「ノアの印よ」

 リゼットは真鍮の箱に視線を落とした。

 淡い光の点滅は、さきほどよりゆっくりとしたリズムに変わっている。


「宮廷魔法師団経由の来訪を検知したときだけ、このパターンになるの」

「……勝手なものを作るな」

「勝手じゃないわよ。《アーク・プロトコル》の基本設備」


 リゼットはさらりと言いながら、机の上の鍵をくるりと回した。


「ノアに書簡を託しておいたの。アークから送られてきた研究資料の写しと、私の観測データの一部。――あの子、嬉しそうに引き受けてたわ」


「そうか」


 アシュレイの返事は短かった。

 顔には出さないようにしていたが、胸の内側では、さっきリゼットに告げられた言葉がまだ反響している。


 動かなければ、失う。

 動いても、失うかもしれない。


「ノアはね」

 リゼットが椅子の背にもたれながら、ぽつりと続けた。

「あなたのことを『自分が追いつけない背中』だと思ってるわ」

「買いかぶりだ」

「そうね。でも、そう思わせたのは事実でしょ。学院のとき、実技科の人間のくせに、理術の講義に顔出してまで、あなたのノート写してたじゃない」

「……知っていたのか」

「知ってるわよ。あんなに真剣に見てたんだもの」


 リゼットの口元に、わずかな悪戯っぽさが浮かぶ。


「だからね、アーク」

「なんだ」

「あなたが動くなら、ノアも必ず動くわ。わたしたち三人――いえ、四人ね」

「四人?」

「リュドラも入れなきゃ」


 リゼットは指を一本立てた。


「動くことは怖いわ。でも、『動きたい』って思ってるの、あなただけじゃないのよ」


 アシュレイは視線を落とした。

 自分の中で何かがゆっくりと軋みながら、別の場所へスライドしていく。


「……リュカは」

「ええ」


 リゼットは真っ直ぐに頷いた。


「あの子も、もう『止まってるだけの魂』じゃない」


 その瞬間、アシュレイの胸に浮かんだのは工房の扉の前で袖をつまんだ、あの小さな手の感触だった。


 戻るべき場所。

 守りたい声。

 失いたくない存在。


 遠くの鐘が、また二度鳴った。

 今度は、城下町のどこからでも聞こえる大きさで。



本話もお読みいただきありがとうございます!

ノア・シルエルの初登場です……!!!

クローヴ魔道具店を訪れた際に、リュカに対して自身こそが”ノア・シルエル”だと明言しなかったのには、ちゃんと理由があります(それは、少なからずアシュレイとリュカの関係性を知る者であることを意味しています……!)。

アシュレイを慕う者たちの一人として、彼の今後の活躍にも注目してみてください!


投稿時間ですが、このまま毎日18:00〜21:00頃を続けて参ります。

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筆者が逃げないためにも、どうかお力をお貸しください!

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