1-53 搬入口
外周の壁沿いを歩きながら、アシュレイは頭の中で地図を組み替えた。
倉庫区画は表口が見せるための入口で、裏口は荷を捌くための入口だ。荷が多いほど裏側の導線が太くなる。つまり、相手が言った「次の搬入口」は、人目が少なく、しかし荷の流れが止まらない場所にある。
リュカが半歩後ろで歩調を崩さずついてくる。
「アシュレイ」
リュカが小声で言った。
「搬入口って、どこ?」
「荷が回り込む場所だ。表が詰まった時に受ける。
蒸気穴があるなら、近くに配管の分岐があるはずだ。分岐がある場所は荷台の留め具を動かしやすい」
「事故って?」
「荷締めを切る。軸を外す。車輪を噛ませる。落ちる。潰れる。
――そういうのを“事故”と言い張るつもりだろう」
リュカの表情が引き締まった。
嫌な想像が浮かんだのだろう。だが、だからこそ目が冴える。
通りがさらに細くなる。
壁際に積まれた木箱、古い鋼材、使い終えた油布。片付けはされているが、作業風景が想像できる程には散らかっている。
やがて、遠くから金属の軋む音が聞こえた。
荷車の車輪が石に乗り上げる音。鎖が引かれる音。
荷の流れがある。
アシュレイは角の手前で足を止めず、しかし速度だけを少し落とした。
そこで止まれば目立つ。
速度を落とせば角の向こうを窺える。
男の声が二つ、短く飛び交っている。
荷役の指示だ。
その中に、さっきの灰外套の男の声が混ざっていないか探した。
いない。
まだだ。
「リュカ。角を曲がったら、先ず左の高いところを見る。
荷台の上か、壁の出っ張りか。指示はそこから出る」
「うん。左か上」
「次に右。逃げ道となる路地。
相手は“事故”を起こしたら、すぐ消える」
「右の路地」
リュカは復唱して軽く指差し、緊張を行動に変える。
アシュレイはその横顔を一瞬だけ見て、短く言った。
「今のは良い」
リュカの口元がほんの少しだけ持ち上がる。
角を曲がると、そこが搬入口だった。
倉庫の外壁に沿うように荷を下ろすための広い溝があり、荷台が横付けできる。
壁には滑車、鎖、蒸気式の簡易巻き上げ機。古いものと新しいものが混ざり、つぎはぎのように組まれている。
ここなら何かが起きても「設備の不具合」で済まされる。
荷役の男たちが木箱を運んでいた。
木箱の側面には刻印。歯車と鎖――正規のものではなく輪の数が多い。
昨夜から見てきた“ズレた印”だ。
アシュレイの視線が鋭くなる。
ここは相手の線上にある。
リュカが小さく息を吸った。
「……あれ、印、へん」
「気づいたか」
アシュレイは露骨に近づかない。
近づけば目立つ。
代わりに、搬入口の手前にある水桶と工具台のそばへ寄り、休憩する荷役に見える位置を取った。
護衛が少し離れた場所で立つ。視線だけは届くが、介入はしない距離。
この場は彼らが絡むべきではない。公の者が近づきすぎると、相手が引っ込むからだ。
アシュレイは工具台の上の古い金具を手に取るふりをしながら、視線を動かした。
左、上。荷台の上。壁の出っ張り。
――指示を出しているのは、腕章の男だ。
右。路地。
――路地は二つ。ひとつは外周へ抜け、ひとつは蒸気管の陰に消える。
そして男が遅れて現れた。
灰色の外套。袖が少し短い。右手の甲の小傷。
さっきの男が搬入口の奥――巻き上げ機の影から出てきた。
彼は荷役の輪に入らない。流れの“端”だけを触る。
荷締めの縄に指先を当て、緩みを確かめる。
滑車の鎖を見上げ、摩耗を確かめる。
そして、巻き上げ機の蒸気弁へ目をやる。
その仕草の一つひとつが「事故を起こせるか」確かめるためにある。
リュカが唇をほとんど動かさずに言った。
「……準備してる」
「してるな。
事故は起きる前から“作られている”」
アシュレイは鞄の留め具に指を置いた。
中にあるのは針金と薄板と粉。
彼の道具は闘うためでなく、証拠を残すためにある。
灰外套の男が巻き上げ機の弁に手をかけた。
その瞬間、荷台の上の腕章の男が別の荷役へ指示を飛ばす。
「次は箱を二段で積め。急げ」
二段積み。
重心が上がる。揺れが増える。
事故が起きた時の被害が大きくなる――”事故防止”から”言い逃れ”の口実に変わる瞬間だ。
アシュレイの中の結論が固まった。
ここで何かが起きる。起こされる。
だから、起きる前に“形”を取る必要がある。
彼は工具台の陰で薄い紙片を一枚取り出した。
反射剤を染み込ませた紙だ。
空気に触れると乾きやすいため、使う時だけ出す。
紙片を巻き上げ機の蒸気弁の近く――床の石の継ぎ目に、指先ではなくピンセットでそっと滑り込ませる。
近づきすぎず、目立たせない。
ただ、そこに置く。
それだけでいい。
もし弁に刻印が触れていれば、反射剤が“線”を拾う。
リュカが目を見開く。
「……なにしたの?」
「線を拾う罠を張った。
相手が触れれば、相手の“指紋”が残る」
「指紋……魔法の?」
「似たようなものだ。刻印の癖は残る」
灰外套の男が蒸気弁をほんのわずか回した。
シュー、と細い音がして、蒸気の吐息が変わる。圧が上がった。
巻き上げ機の動きが微妙に速くなる。
腕章の男が満足そうに頷き、荷役に続けさせる。
現場は急ぐ。急げば、必然的に確認が甘くなる。
確認不足は事故の入口になる。
アシュレイは呼吸を整えた。
ここで止めるのは簡単だ。護衛を呼べばいい。騒ぎを起こせばいい。
だがそれでは相手は逃げる。事故はまた別の場所で起きる。
ここで逃がせば、次はもっと静かにやるだろう。
今必要なのは証拠だ。
灰外套の男が不意にこちらへ顔を向けた。
視線がアシュレイに触れる。
確認している。倉庫表口の時と同じだ。
リュカが反射的に一歩動きかけた。
アシュレイが袖を軽く引いて止める。
「動くな。目を逸らすな。
だが睨むな」
「……うん」
リュカは動きを止め、視線の角度だけを変えた。
相手を見るのではなく、相手の動線を見る角度。
それがいま一番必要な目線だ。
灰外套の男はもう一度だけこちらを見て、巻き上げ機の影へ戻った。
そして、腕章の男に小さく指を二回鳴らす。合図だ。
腕章の男が荷台の上から叫んだ。
「よし、次は門へ回せ!」
荷役が箱を抱え、荷車が動き出す。
重い荷が揺れながら搬入口の溝を越えようとする。
――ここだ。
事故が起きるなら、ここに違いない。
揺れ、段差、蒸気圧。全部が揃っている。
アシュレイは口の中で短く数えた。
一、二、三。
そして、紙片の位置を確認する。
反射剤の紙が蒸気弁の近くでわずかに光っている。
線は――まだ見えない。
だが、灰外套の男が触れたなら、次の瞬間に浮かぶ。
リュカがかすかに震える声で言った。
「……いま、落ちる?」
「落とす気だ。
だから――落ちる前に奴の手を見ろ」
荷車の車輪が段差に乗る。
箱が揺れる。二段積みの上の箱がわずかにズレた。
荷役の男が慌てて手を伸ばす。
その瞬間――巻き上げ機の鎖が、ギシ、と嫌な音を立てた。
アシュレイの視線が灰外套の男へ走る。
男は動かない。ただ、目だけが笑っている。




