表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/63

1-46 技術監修

 応接室の空気が、ひと息ぶんだけ緩んだ。

 机上に並ぶ布包みと記録板、印章の簡略図――それらが言葉より先に状況を語っている。


 ノア・シルエルは短くまとめた艶のある黒髪を指先で一度押さえ、姿勢を正した。宮廷魔法師としての顔に戻る切り替えの所作だ。年下の後輩らしい几帳面さがそこに出る。


「クローヴ殿。まず確認ですが、私は今、アルケディア宮廷の所属のまま、レヴァル・アーシェへ“技術監修”として駐在しております」


 丁寧な敬語。呼び方はきっちり「クローヴ殿」。

 アシュレイは妙な安心と同時に、少しのやりにくさを覚えた。昔からこの男は、敬意を包み隠さず言葉にする。


「駐在、か」


「はい。封印媒体の出納と、蒸気設備に混じる刻印運用――事故が起きれば都市間協定まで揺れます。宮廷としても放置できません」


 ノアは淡々と説明しながら、机の上の記録板に視線を落とす。


「……そして、これは“事故”ではなく、意図的な運用ですね」


「そうだ」


 アシュレイが短く頷くと、ノアは一枚の宮廷用紙を引き寄せ、羽根ペンを取った。指先が綺麗だ。魔術実技側の人間の指だが、紙仕事にも慣れている。


「今から照会を飛ばします。

 倉庫区画の封印媒体の出納、監査補の配置記録、宿の規則改定に関わった監査印――それぞれ、正規ルートで照合します」


 リュカが椅子の上で背伸びし、ノアを覗き込む。


「ノア、えらい」


「ありがとうございます。……ですが、これは普通のことを、普通にやっているだけです」


 そう言ってから、ノアは一瞬だけ口を噤んだ。

 それができない街の匂いを彼も嗅いでいる。


 アシュレイは、ここで一つだけ釘を刺す必要があった。

 公の書類は強い。だがそのぶん、相手も同じ手段で殴り返してくる。


「照会を飛ばした瞬間、相手も動く」


「承知しております。なので――こちらが先に動きます」


 ノアは顔を上げた。髪は揺れないまま、首筋だけがわずかに動く。緊張の表れだ。


「クローヴ殿。宿を移してください。……あの門番が匂います」


「同意だ。キャリッジも移す」


 ノアは頷き、手を打ち文官に合図を送った。文官は扉の外で待っていたのだろう、すぐに入ってくる。


「手配を。中庭付きの厩舎がある宿。外部者の立ち入りを制限できる場所。

 名義は私、ノア・シルエル。急ぎで」


 文官が頭を下げ、去る。

 ノアは机に戻り声を落とした。


「……ひとつ、率直に申し上げます」


「なんだ」


「お身体の具合が、良くないですね」


 アシュレイの眉が動く。誤魔化しようがない指摘だった。

 《クロノス》の負荷は、隠しても呼吸に出る。


 リュカが間髪入れず言った。


「これで倒れないって言ってる。絶対倒れるよ」


「……もう言うな」


「言う。だって、倒れたらやだもん」


 ノアは一瞬だけ目を丸くし、それから柔らかく微笑んだ。年相応の顔が出る。


「……リュカ殿、ありがとうございます。助かります」


「えへ」


 リュカは単純に照れる。

 アシュレイはその光景に助けられつつ、話を進めた。


「俺は倒れない。だが……最低限の対策はするつもりだ」


 ノアの表情がはっきりと安堵に変わる。

 その感情が露骨すぎて、アシュレイは視線を逸らしかけ、堪えた。


「ありがとうございます、クローヴ殿。では、こちらを」


 ノアは棚から小さな革袋を取り出し、机に置いた。中身は薬包のような薄い包みと、銀の留め具が付いた短い帯。


「回復用ではなく、負荷を散らす薬です。

 亜空間系の反動は、痛みとして一点に集まると危険になります。しかし散らせば少しは誤魔化せます」


「……器用だな」


「クローヴ殿が器用ではないぶん、私が器用である必要があります」


 さらりと、嫌味にならない言い方で言う。

 年下のくせに口が回る。昔と同じだ。


 リュカが腕を組んでうなずく。


「ノア、ちゃんとしてる」


「ちゃんとしていないと、宮廷魔法師は務まりません」


 ノアが笑い、すぐに真顔へ戻る。


「次です。倉庫の“吐き口”に関して――クローヴ殿は、回収役を掴むおつもりですね」


「ああ」


「危険です。ですが、必要なのも理解しています。

 そこで提案があります」


 ノアは机上の紙を一枚だけ引き寄せ、さらさらと短く線を書いた。

 地図ではない。動線だ。人の動きの線。


「クローヴ殿が表で動き、私は公で足を止めます。そして――裏側は別の者に任せます」


 アシュレイは言葉に出さずに理解した。

 別の”――リュドラ、そしてリゼットが残した仕込み。


 だが、ここで問題が出る。

 アシュレイはそれを「知っている」ことにしてはいけない。


「……別の者、か」


 ノアはその曖昧さを汲み取ったように、すぐに言い換えた。


「失礼しました。

 私の方で別の手を回します。クローヴ殿は気にしないでください。

 知らない方が安全なこともあります」


 その言い方でアシュレイの中の引っかかりがほどけた。

 そうだ。知りすぎると、相手に突かれた時に言葉が歪む。

 理詰めの男ほど、僅かな言葉の歪みで破綻する。


「分かった。気にしない。……ただし、俺の目的の邪魔はするな」


「致しません。むしろ支えます。

 ――クローヴ殿が“今”を選べるように」


 ノアはそこで一瞬だけ言葉を止めた。

 踏み込みすぎたと自覚した顔だ。

 年下の後輩のくせに、核心を刺すのがうまい。


 リュカが小さく、しかし明るく言った。


「ノア、いいこと言った」


「ありがとうございます……リュカ殿」


 文官が戻ってきた。息が少しだけ上がっている。

 手配が早い。


「ノア様。宿と厩舎、確保しました。移動は馬車二台、護衛も付けられます」


「よろしい。すぐに動きます」


 ノアは立ち上がり、髪をきちんと整え、宮廷魔法師の顔で扉へ向かった。

 その後ろ姿は細いのに、まるで頼りない感じがしない。

 公の盾としての重みがある。


 アシュレイは布包みを鞄へ戻しながら、ふと問うた。


「……ノア。俺がここに来ることは、想定していたのか」


 ノアの肩がごく僅かに揺れた。

 答え方を選んだ揺れだ。


「……いえ、確信はありませんでした。

 ただ、クローヴ殿なら公に通じる窓口を探す、と……思っていました」


 それは情報ではなく観察から出た答えだ。

 アシュレイの理屈に矛盾しない。


「そうか」


「はい。……来てくださって、正直――安心しました」


 アシュレイは返事を短くした。


「動くぞ」


「はい、クローヴ殿」


 リュカがアシュレイの袖を掴む。


「私もいる」


「ああ」


 こうして三人は宮廷の門を出た。

 表の街へ戻る。この先、視線はさらに増えるだろう。

 けれど今は、増えた視線の上に頼もしい公の名が乗っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ