1-39 検問所の灯り
検問所の灯りが見えた瞬間、旧荷捌き場の闇が一段薄くなった気がした。
光がある場所は言い訳が通る場所だ。そういう場所は裏にとっては油断できない場所でもある。
アシュレイは走りながら呼吸を整えた。
《クロノス》の負荷で胃の奥がまだ揺れている。だが歩幅を乱さない。乱せばリュカが不安になる。
横にいる彼女の呼吸もまだ浅い。戦いの直後の呼吸だ。
「……大丈夫?」
リュカが走りながら聞く。
「大丈夫だ。倒れはしない」
「その言い方、信用できない」
「そうか。なら横にいてくれ」
「……わかった」
検問所の前ではレムがすでに管理員二人を引き連れていた。
帳面を抱え、息を切らしながらも目だけは鋭い。逃げてきた目ではない。証拠を抱えた強さがある。
「来たか!」
レムが叫び、管理員がこちらの背後へ視線を滑らせる。
旧荷捌き場から追ってきた男たちの影が灯りの端に引っかかった。
男たちは光の前で速度を落とした。
ここから先は表だ。
こちらを襲えば騒ぎになる。刃物を抜けば即座に捕まる。だから止まらざるを得ない。
だが止まるだけでは済まない。
裏の者は表の言葉も巧みに操る。
「おい、そこの役人! あいつらが勝手に点検口をいじったんだ!」
先頭の男が叫ぶ。声は大きいが、言葉は正当を装っている。
勝手にいじった。危険だった。だから止めようとした。
都市の制度はこういう言葉に弱い。
アシュレイは管理員へ先に言った。
「倉庫監督官代理レム・クオードが立会いだ。通行札もある。
点検は“許可の範囲内”だ」
レムがすぐに通行札を掲げ管理員に見せた。
「旧荷捌き場の管理区画へ立ち入る許可もある。
そして、こちらが本題だ。昨夜から続く紛失の件――証拠が出た」
レムの声は震えていない。
さっきまでの走りのせいで多少息は切れているが、言葉は固い。
管理員が帳面を開く。
「証拠とは」
レムは持ってきた布の下から赤い布片を少しだけ見せた。
完全に晒さない。晒せば誰かが触れる。触れば証拠が欠ける。
「点検口から吐き出された赤い布片だ。
時刻は記録した。立会いの証言もある。
さらに点検口の縄が切断された。切断面も残っている」
管理員が息を呑む。
その顔に浮かんだのは恐怖ではない。面倒事を見つけた顔だ。
制度側の人間が一番嫌うのは、こうした面倒な事案だ。
だからこそ、ここで言葉を選ぶ必要がある。
アシュレイは布で包んだ鋼線の握りを鞄から取り出した。
素手で触らず、布の上から見える程度に。
「切断に使われた鋼線の道具を奪った。
これが使用された証拠だ。個人が扱うような道具ではない。
しかも握りに金粉が付着している。封の金粉だ。
――封と切断が一体で運用されている」
管理員の目が鋼線へ吸い寄せられる。
そして男たちの方へ戻る。
視線が行ったり来たりするのは疑っている証拠だ。
男たちは焦った。焦る者ほど言葉が増える。
「そんなもん知らねえ! 俺らは荷運びだ!
あいつらが勝手に置いた縄を、危ねえから切ろうとしただけだ!」
その言い分も制度の言葉では一部成立する。
だから、制度側の言葉で叩き返す。
レムが管理員へ言った。
「この者たちの身分証を出させろ。
荷運びなら所属がある。倉庫区画の登録もあるはずだ。
夜間の旧荷捌き場に居る理由もな」
管理員が男たちへ向き直る。
「身分証と所属票を提示してください」
男たちの目が一瞬だけ揺れた。
所属票を持っていない。
仮に持っていたとしても偽造だろう。偽造なら偽造で更に制度が動く。
「……持ってねえよ。仕事なんて口約束だ。わかるだろ?」
「口約束で夜間管理区画に立ち入ったのですか」
管理員の声が冷たくなる。
制度はここでようやく刃になる。
男の一人が一歩下がり、逃げようとした。
管理員が笛を鳴らす。短い笛。巡回の合図だ。
遠くから靴音が近づく。衛兵の足音。
表の目が一気に増える。
男たちはここで強引に突破できない。
突破すれば次こそ確実に捕まる。
なら次の手は――煙に巻く。
「……違う。俺らはただ言われた通りに――」
男が言いかけて、口を噤んだ。
言ってはいけない名前がある。
その沈黙が逆に情報となる。
アシュレイはその沈黙を逃さず、冷たく言った。
「言われた通りにか。いったい誰に?」
男が睨む。
「お前には関係ねえ」
「いや、あるな。
今夜、管理区画で不法に切断道具を使ったお前たちを目撃した。
関係ないはずがないだろう」
管理員が衛兵へ短く命じた。
「拘束。事情聴取。
旧荷捌き場への夜間立ち入り、切断道具の無断所持、管理刻印汚損の疑い」
衛兵が男たちの両腕を取る。
男たちは抵抗しようとしたが、すぐにやめた。抵抗すると余計に罪が増える。
それを理解しているから、歯を食いしばって黙った。
レムが管理員へ続ける。
「北倉庫の封帯と蝋封にも二重印がある。
薬剤で反応が出た。印影の下に虚線が重なっている」
「薬剤?」
管理員が眉を寄せる。
この都市では“薬剤”という言葉が証拠にも毒にもなる。何を使ったかで責任が発生するからだ。
アシュレイが即座に補足した。
「印章検査用の反射剤だ。金粉の術式媒体を浮かせる。
封印用の素材が術式媒体として使われているなら、検査の対象になる」
管理員の表情が変わる。
制度の人間が反応する単語――「検査」「対象」「規定」――が出たからだ。
「……倉庫区画の封印素材が“規定外”に運用されている可能性がある、と」
「そうだ」
アシュレイは言い切った。
管理員がレムへ言う。
「倉庫監督官代理。あなたはこの件、文書として正式に上げなさい。
今夜の記録、証拠物、拘束者の供述――すべて添えて。
こちらは区画長へ報告する」
レムが頷く。
「すぐにやる。今夜中にまとめる」
管理員が次にアシュレイを見た。
「旅の方。あなたは……何者ですか。
制度の言葉を、ずいぶん正確に使う」
アシュレイは一拍置き、正しい答えだけを返した。
「魔道具屋だ。
制度の言葉を正確に使わないと魔道具は売れない」
嘘ではない。
だが本音の半分だけだ。
管理員はそれ以上追及しなかった。
いまは追及している場合ではない。積もった面倒事が大きすぎる。
男たちは衛兵に連行され、灯りの外へ消えていく。
去り際、道具袋の男が一瞬だけこちらを振り返った。
その目に恨みはない。ただの確認だ。
――奪われた道具が、どこへ行くか。
つまり、まだ終わっていない。
むしろこれで相手は次の手を制度の内側から打つ理由を得た。
検問所の灯りの下でリュカが小さく息を吐いた。
「……終わった?」
「一段落だ」
「一段落ってさあ、終わってないよね」
「そうだな」
アシュレイは淡々と言い、リュカの頭に手を置きかけて――止めた。
ここは甘やかす場面ではない。だが一先ず落ち着かせたい。
結局、彼は短く言う。
「よく止めてくれた」
リュカが少しだけ胸を張る。
「ふふ。得意だからね」
レムが帳面を抱え直し、苦い顔で言った。
「……明日から倉庫区画は地獄だぞ」
「地獄でもやれ。
ここで潰せないなら、次はもっと大きいものが落ちてくる」
レムが頷いた。
そしてアシュレイへ低く言った。
「礼を言う。助かった」
「礼はいらない。
俺は俺の目的で動いているだけだ」
リュカの魂。
そして、レドラの痕跡。
証拠は揃った。
道具も奪った。
拘束者も出た。
だが今夜の最大の収穫は別にある。
点検口の向こうに確かに人の手があった。
虚線の先に回収役がいるという事実。
次はその回収役の顔を拝む番だ。




