表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/61

1-30 尾行切り

 表通りの秩序は追う側にも追われる側にも平等に作用する。

 ここは人、音、視線が多い。

 だからこそ違和感はすぐに目立つ。そして目立つ者から損をする。都市が作った公平はそういう形で成立している。


 アシュレイはそれを武器として使うことにした。


 追跡の気配は二つ。

 ひとつは印務所の若い役人。歩幅が一定で視線の位置が安定している。訓練を受けた追跡だ。

 もうひとつは少し遅れる影。役人ではない。歩き方が柔らかい。商人か、あるいは市警の便衣兵か。


「後ろ、さっきより近い」


 リュカが小声で言う。

 声は震えていないが、どこか緊張している。


「ああ。……視線は前。背中で感じろ」


「それ、むずかしい」


「そのうち慣れる」


 アシュレイは表情を変えずに雑貨屋の前で立ち止まり、あえて棚の品を眺めるふりをした。

 真鍮のボタン、歯車のチャーム、魔術符の貼られた油差し。旅人が足を止めるのにちょうどいい品揃えだ。


 止まった瞬間、背後の気配が一瞬濃くなる。

 追う側が距離を詰める。近づけば近づくほど、こちらは見つけやすくなる。


 アシュレイは何事もない顔で銅貨を一枚置き、ボタンを二つ買った。

 買う必要はない。だが普通の行動が追跡側の思考を鈍らせる。追う者は逃げる者の動きにだけ反応する。逃げる意図のない動きは読みづらい。


 店を出て今度は人の流れに紛れて歩く。

 歩調は一定。振り返らない。立ち止まらない。

 そのまま表通りの交差点へ向かった。


 交差点の中央には巡回の衛兵がいる。

 都市の交通整理の役目も兼ねているのだろう。荷車の列、歩行者、屋台の客。混ざり合う流れを手旗で整えている。


 アシュレイはそこへわざと近づいた。

 追跡がいる状態で衛兵に近づくのは一見危険に見える。だが危険なのは“裏の手”であり、“表の手”は衛兵の目を嫌う。衛兵の目がある場所で、顔の知れた者の追跡は余計な動きをしづらい。


 案の定、背後の影が少し距離を取った。


 リュカが小さく言う。


「……離れた」


「表の目が増えたからだ」


「ありがたいね」


「使い方次第だ」


 アシュレイは交差点を渡り、向かいの建物――市政庁舎とは別系統の管理局――の前へ立った。

 看板には歯車と鎖の紋。蒸気管路の管理を担う部署だろう。


 彼がここへ向かう理由は二つ。

 一つは北倉庫の所在地と管理者の名を正規の手順で知るため。

 もう一つは――追跡を“表の手続き”へ巻き込むためだ。


 受付の前には列ができていた。

 工房の親方らしき男、配管工の若者、帳面を抱えた商人。皆が番号札を手にして、黙って待っている。

 都市は混雑を列という形で制御する。一度列に入った者は勝手に抜けられない。


 アシュレイは何事もない顔で列へ並び、リュカを横に立たせた。


「ここで様子を見る」


「待つの苦手」


「都市の制度に則れば、待てる者が勝つ」


「いやだなぁ……」


 だがリュカは我慢して待った。

 アシュレイが隣にいる限り彼女は待てる。アシュレイも焦らずに済む。


 数分後、背後の気配が列の外側で揺れた。

 追跡は列に入れない。入れば番号札が必要になる。番号札を取るには受付へ行かなければならない。受付へ行けばこちらに正面を晒す。晒せば衛兵や職員の目が増える。


 追う側はここで選択を迫られる。

 列に入って追跡を続けるか、列の外で待つか、諦めるか。


 アシュレイは視線を前に固定したまま確信した。


「……諦めずに外で待つ、か」


 リュカがぼそりと言った。


「しつこいね」


「後ろめたいことでもあるんだろう」


 やがて順番が来た。

 窓口の職員は怠惰でも横柄でもない。淡々としている。こういう職員が一番信用できる。感情では動かないからだ。


「用件は」


「倉庫区画の配置図が欲しい。北倉庫の所在地と管理責任者の名。

 用途は――交易の手続きと、紛失荷の照会」


 嘘ではない。赤い樽の行方は間違いなく紛失荷だ。

 照会には配置図が要る。当然責任者の名も要る。


 職員は書類を一枚差し出した。


「申請書。手数料は銀貨一枚。理由欄は具体的に」


 アシュレイはすぐに書いた。

 字が整っている。元理術科首席の書類仕事は伊達ではない。


 職員はそれを読み、頷いた。


「北倉庫は蒸気管路区画の外縁、旧荷捌き場の隣接区画。

 管理責任者は倉庫監督官代理――レム・クオード。

 配置図はこの控えを持って、奥の写図室で受け取りを」


 名が出た。所在地も出た。

 表の手順で取れる情報はすべて取れた。


 アシュレイは礼を言い控えを受け取る。

 その瞬間、リュカが袖を引いた。


「……あの人、見てる」


 視線の先。列の外側。

 追跡の影がまだそこにいる。だが決してこちらには近づけない。至る所に職員の目がある。


「勝手に見せておけ。見せる情報は選ぶがな」


 アシュレイは控えを鞄へ入れず、あえて手に持ったまま歩き出した。

 追跡に見せる。北倉庫へ行くことは隠さない。

 隠すべきは、“いつ”、”どうやって”入るかだ。


 写図室で受け取った配置図は薄い紙の束だった。

 都市の外縁区画は表の街より複雑だ。蒸気管路、排水路、旧坑道、荷捌き場。複数の時代の都市が重なっている。


 アシュレイは部屋の隅の机を借り、配置図を広げた。

 北倉庫は外縁。旧荷捌き場の隣。

 ――つまり、裏路地の匂いが濃い場所だ。


 だが、管理局が責任者の名を出せるということは、表側の正規ルートが存在するということでもある。

 表の門、鍵、受付、帳面。

 それを通せば、少なくとも“表向きの安全”は確保できる。


 リュカが地図を覗き込み、眉を寄せる。


「この辺、線が引きやすそう」


「蒸気管と排水路が絡む場所は境界を仕込むのに向いている。

 音も匂いも誤魔化せる」


「やっぱりやだ」


「分かっている」


 写図室を出ると、追跡の気配がまた近づいた。

 列の拘束が解けたからだ。こちらが自由になると追う側も自由になる。


 アシュレイは宿へ直行しなかった。

 このまま帰れば、宿の中庭――キャリッジ――を見られる。

 見られるだけならともかく、夜の動向を読まれたくはない。


 代わりに、表通りの商店街を一周した。

 買い物をし、露店の前で足を止め、道を選び直す。

 追跡を飽きさせるのではない。疲れさせる。追跡はいずれ意志より体力が先に折れる。


 そして最後に、巡回衛兵の多い通りへ抜けた。

 追跡の影が少し距離を取る。表の目が増えると余計な手出しができない。


 アシュレイはその隙に宿へ戻った。


 中庭に入る前、彼は係へ短く頼む。


「今夜、見回りを二人体制にできるか」


「……可能です。何かありましたか」


「噂だ。赤い樽の」


 係は顔色を変えた。

 噂は早い。都市は噂で動く。


「承知しました」


 部屋に戻ると、アシュレイは扉を閉め、そこでようやく配置図を机に広げた。

 そして鞄の奥の布包み――鍵――の位置を確認する。


 冷気が薄く漏れる。

 鍵は北倉庫へ向くと反応が速くなる気がした。


 リュカが椅子の端に座り、真顔で言った。


「北倉庫に行くの?」


「ああ」


「今日?」


「まだ行かない」


 リュカの肩が少し下がる。


「じゃあ、いつ?」


「明日の昼。表の受付を通る。

 そこで“正規の封”と“印”を確認する。

 その上で夜にもう一度――裏の入口を探る」


「なんかむずかしい」


「二段構えだ。三秒を使うのはその後になる」


 リュカは頷き、言った。


「わかった。それまでがんばろうね」


 アシュレイはその言葉を軽く流さなかった。


「ああ。やってみせる」


 短い返事。

 だが、今の彼にそれ以上の言葉はなかった。


 表の手順で得た地図と名前は都市の静脈を示している。

 静脈は隠れているようで、確かにそこにある。

 そこを辿れば必ず裏の入口に近づける。


 そして入口の向こうには――“余白”がある。


 アシュレイは紙の上の北倉庫に指を置き、次の行動を決めた。

 この都市は管理が行き届いている。だからこそ、歪みは必ずどこかに出る。

 その場所を、彼は理屈で掴む。


 ――掴み切れなかったものを三秒で掴む。

 その順番だけは遵守するつもりだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ