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1-27 表通りの秩序

 レヴァル・アーシェの通りは、音が多いのに不思議と荒れていなかった。

 人の声が交差して、荷の車輪が石畳を刻み、蒸気弁が一定の間隔で白い息を吐く。それらが互いを邪魔せずに、あるべき場所に収まっている。都市の秩序とは静かさではなく、混雑を破綻させない仕組みのことだ――アシュレイはそう理解している。


 表通りは清潔だった。

 石畳は磨かれ、路肩には排水溝の蓋が等間隔に並ぶ。蒸気管はむき出しではなく、要所で魔術符の貼られた保護枠に収められている。粗雑な継ぎ目は見当たらない。仕事が行き届いている。


 軒先は店で埋まっていた。

 金具屋が小さな歯車を風鈴みたいに吊るし、香料屋は瓶を並べて香りを漂わせる。染物屋は布を掲げ、鍛冶屋は扉を開け放って槌の音を外へ出す。

 人々は歩きながら買い物をし、店主は客を追い回すほどの熱さはなく、必要なぶんだけ声をかける。日常が回っている顔だ。


 だが――その日常の背後に、目が届きにくい陰がある。

 表通りの角を曲がるだけで匂いが変わる。香料が薄れ、油と煤と湿気が強くなる。人の話し声は減り、代わりに早口の囁きが増える。視線が合っても、すぐ逸れる。


 都市は二重に生きている。

 旅人に見せる顔と、都市が自分で保つ顔。その両方が噛み合って、ようやくこの規模の歯車が回る。


「……ここ、好き」


 リュカがぽつりと呟いた。

 好き、という言葉が出たこと自体にアシュレイは少し驚く。彼女は嫌だと言う方が多い。特に“甘い匂い”が関わるもの全般。


「どこが」


「歩いてる人が、ちゃんと歩いてる。

 ……宿場は、みんな怖がってた」


「そうだな」


「でも、ここは……怖いのを、ちょっとだけ隠せる」


 隠せる。

 それは危険な要素でもある。都市は恐怖を隠し、恐怖を紛れ込ませる。だから厄介だ。


 アシュレイはあえて頷くだけで、肯定も否定もしなかった。


「まず宿だ。荷を下ろす」


「キャリちゃんも?」


「キャリ……停める。宿に」


「キャリちゃん、えらかったね」


「まだ何もしていない」


「ここまで来たもん。えらいえらい」


 リュカの理屈は雑だが、結論だけは妙に頷ける。

 “ここまで来た”という事実を肯定してくれるのは、彼にとってもありがたいことだった。


 表通りの中ほど、門構えの整った宿を見つけた。

 看板には蒸気機関の意匠と、月桂樹の紋。旅人の出入りを商売にしている宿の顔だ。入口の床は磨かれ、扉の蝶番も新しい。治安がいい都市はこういう場所に金を使う。


 アシュレイが中へ入ると、すぐに宿の者が出てきた。

 身なりはきちんとしていて、声も落ち着いている。


「ようこそ。お泊まりですか」


「二人。数日頼む」


「荷は?」


「工具と帳面。……それと、キャリッジ」


 宿主が窓の外へ目を向け、頷いた。


「中庭へお回しします。係が誘導しますので」


 すぐに若い係が現れ、手旗で合図しながら裏手の門を開けた。

 表から見えない中庭は思った以上に広い。荷車留めの柵が整然と並び、馬のための水桶、簡易の修理台、油差しまで備えられている。

 荷車をここに停める文化が、都市の生活の中に組み込まれているのが分かる。


 アシュレイはキャリッジを所定の場所へ入れ、車輪止めを噛ませた。

 係が手際よく番号札を結び、鍵付きの簡易鎖で車輪と柵を繋ぐ。


「盗難避けです。表通りは平穏でも、夜は別でして」


 係は笑った。笑い方が軽い。だが目は真面目だ。

 平穏であることと、油断しないことは両立する。これも都市の作法。


 リュカがキャリッジの幌をぽん、と叩く。


「キャリちゃんはここでお留守番。いい子」


 係が「かわいいね」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 都市の人間は余計なことを口にしない。詮索が命取りになる場面を知っているからだ。


 部屋は二階の角だった。

 窓から表通りが見える。だが、うるさくない。窓枠に防音の魔術符が貼られているのだろう。

 アシュレイはまずそこに好感を持った。彼は騒がしさより、思考の余白が必要な人間だ。


 荷を下ろし、机の上に道守の手記と点検図を広げる。

 布包みは鞄の奥のまま、まだ出さない。都市の宿で鍵を呼吸させるのは悪手だ。壁が薄い。耳も多い。


 リュカは窓辺へ行き、表通りを眺めた。

 見下ろす景色は穏やかだ。買い物籠を抱えた女、修理道具を背負った男、走り回る子ども、店先で笑う老人。生活の断片が積み重なって、都市の顔を作っている。


 リュカが小さく言った。


「……ここなら、普通に見えるかな」


 普通。

 その言葉は、リュカの口から出ると少し重い。


「――それは本来の目的じゃない」


 アシュレイは静かに言う。


「だが、“普通でいられる時間”は必要だ。誰にも」


 リュカが振り向き、少しだけ目を細めた。

 からかう顔になりかけて、やめた。


「……アシュレイって、たまに優しいね」


「たまにで十分だ」


「そうかな?」


「十分だ。過剰な情は判断を鈍らせる」


「また理屈」


「これが普通だ」


 言い合いの形にして、照れをごまかす。

 その癖が二十年分の距離を物語っている。


 アシュレイは予定を立て直した。

 都市に入った以上、動き方が変わる。


 まず、表通りで情報を拾う。

 染料市の締め付け、印章の変更、赤い樽の噂。表の話として出てくるところまで拾う。

 次に、裏路地の匂いを確かめる。表に出ない“赤い樽”の流れがあるなら、必ず裏に回る。

 そして最後に――鍵の反応を使い、扉の位置を絞る。


 だが、鍵をむやみに呼吸させない。

 都市の耳は多い。噂は恐ろしく早い。教団が混じっている可能性がある以上、こちらの切り札は隠したまま動く。


「……行くか」


 アシュレイが立つと、リュカがすぐに靴紐を結び直した。


「染め布の市?」


「表から入る。まずは“普通の旅人”として」


「普通の旅人っぽく、できるかな」


「できる。俺は顔が地味だ」


「それ、自分で言う?」


「……言う。言うと後が楽だ」


 リュカが肩をすくめ、少し笑った。


「わたしは?」


「……目立つ。だから俺の後ろ」


「横!」


「……そうだったな」


 譲った。

 その瞬間、リュカの機嫌が露骨に戻る。ほんとうに分かりやすい機械人形だ。


 部屋を出る直前、アシュレイは鞄の奥へ指を差し入れ、布包みの位置だけ確認した。

 直接は触れない。だが、冷気が薄く指先を撫でた。


 鍵がここに来てから一度だけ跳ねた。

 先ほど、中庭でキャリッジを停めた時だ。


 ――宿に近いのではない。

 都市の中で、今のこの場所が通過点になっただけ。


 ならば、次に跳ねる場所が本命だ。


 アシュレイは息を整え、扉を開けた。


 階段を降り、表通りへ出る。

 穏やかな顔の都市が二人を飲み込む。

 その背後で、裏路地の湿った匂いがほんの少しだけ追いかけてくる。


 レヴァル・アーシェは整っている。

 だからこそ、隠された歪みが目立つ。


 それを見つけるのがアシュレイの仕事だ。


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