第35章 影を嫌う人
その日は、朝から落ち着かなかった。
理由は、はっきりしている。
教室に入った瞬間、
レンは、いくつもの視線を感じた。
「……なあ、神崎……」
後ろの席の男子が、
小さな声で話しかけてくる。
「最近……
なんか……
暗くない……?」
「……そうか……?」
レンは、曖昧に笑った。
でも、足元の影が、
ほんの少しだけ、濃くなる。
それに気づいたのは、
レンだけだった。
昼前のホームルーム。
担任の佐倉先生が、
いつもより少し硬い表情で立っていた。
「えー……
今日は、少し大事な話があります」
教室が、しん、と静まる。
「最近……
元気がない生徒が、
何人か見られます」
その言葉に、
レンの胸が、きゅっとなる。
「悩みや、不安……
そういうものを、
一人で抱え込むのは、よくありません」
先生は、
優しい声で続けた。
「……だからこそ、
良くない影響を与えるものからは、
距離を取ることも、大切です」
その瞬間。
教室のあちこちで、
ちらちらと、
レンたちの足元を見る視線が走った。
昼休み。
三人は、屋上へ向かった。
風が強く、
誰もいない。
「……今の……
どういう意味……?」
ハルカが、
不安そうに聞く。
ミオは、少し間を置いてから言った。
「……たぶん……
“影”を……
悪いもの……
だと……
思ってる……」
レンは、
フェンスに手をかけた。
「……悪いって……
決めつけてるだけだろ……」
その言葉に、
影が、微かに揺れる。
怒りでも、恐怖でもない。
ただ、
居場所を失いかけたものの、
揺れだった。
放課後。
三人は、呼び出された。
職員室の奥。
小さな面談室。
佐倉先生と、
もう一人――
見知らぬ大人が座っていた。
「……こちらは……
スクールカウンセラーの方です」
その人は、
穏やかな笑顔を浮かべている。
「最近、
“影”のようなものを感じる……
そんな話が、
何件かありましてね」
レンは、
思わず、足元を見る。
影は、
静かに、そこにある。
「怖いでしょう?」
カウンセラーが言った。
「そういうものは、
無理に見ないほうがいい」
「……見ない……?」
ハルカが、
小さく聞き返す。
「ええ。
気のせい、
思い込み、
そう思えば、
消えていきます」
ミオの指が、
きゅっと、青玉を握る。
レンは、
少しだけ、考えた。
そして、
ゆっくりと口を開いた。
「……消したら……
楽かもしれません……」
大人たちが、
ほっとした顔をする。
でも――
「……でも……
消えないものも……
あると思います……」
佐倉先生が、
少し驚いた顔をした。
「……それは……
どういう意味かな……?」
レンは、
足元の影を見たまま、答えた。
「……怖いけど……
嫌だけど……
それでも……
一緒にいるしか……
ないものも……
あると思うんです……」
沈黙。
カウンセラーは、
困ったように笑った。
「……まだ、
子供ですね……」
その言葉に、
レンの胸が、
少しだけ、冷たくなる。
面談が終わり、
三人は外に出た。
夕方の空が、
赤く染まっている。
「……怒られ……
なかったね……」
ハルカが言う。
「……分かって……
もらえなかった……
だけ……」
ミオの声は、
静かだった。
レンは、
少しだけ、立ち止まる。
(……分かってもらえなくても……
いい……)
影は、
まだ、そこにある。
でも、
消されそうになっても、
暴れなかった。
ただ、
レンの足元に、
ぴったりと寄り添っていた。
「……行こう……」
三人は、
並んで歩き出す。
理解されなくても、
否定されても。
影と一緒に進む道を、
もう、選んでいる。




