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株をやった猫

作者: 東塔くぎり

吾輩は猫である。株はまだやったことがない。

けれども主人は毎朝から晩まで、四角い板の画面にかじりついている。板の中では、数字が赤だの青だのと色を変えて、さも大事そうに跳ね回っている。


ある日のことだ。数字が一斉に赤く染まり、主人が「ぎゃっ」と叫んだ。どうやら株というものが大いに下がったらしい。新聞はそれを「令和のブラックマンデー」などと、いかめしい名をつけていた。が、吾輩に言わせれば、月曜が黒かろうが白かろうが、腹の減り具合には寸毫の影響もない。

主人は頭を抱えて「財産が飛んだ」と騒いでいる。飛んだものは金であって、鳥ではない。金が羽を生やして飛んでいく光景は、いかにも愉快である。


それにしても人間というやつは、実に奇妙な生き物だ。数字が上がれば笑い、下がれば泣く。まるで株価が心臓の鼓動ででもあるかのように、上下するたびに右往左往する。吾輩などは日向の温かさと鰹節の有無だけが心配事で、それ以上の煩悶を持たぬ。

どうも人間は、文明が進むほどに落ち着きを失っていくらしい。株価の数字を仏のごとく拝んでいる主人の姿を眺めると、つくづく猫であることの安楽を思い知らされるのである。



さて、主人は「これでは老後が立ち行かぬ」と呻いておった。老後なるものは、今そこにあるものではなく、はるか先に横たわる影法師のようなものであるらしい。にもかかわらず、人間は影を実体と取り違えて、あたかも目前の猛虎のごとく恐れる。誠に滑稽至極である。

吾輩は猫であるから、老後などという観念を持たぬ。ただ腹が減れば鳴き、眠ければ丸まり、飽きれば尾を振るのみである。人間の憂愁を耳にしても、どこか芝居のせりふを聞くような心地がする。


しかしながら、吾輩もまた一抹の不安を覚えぬわけではない。もし主人の財布が痩せ衰えて、鰹節の出番が減るとなれば、これは由々しき問題である。すなわち株なるものの浮沈は、巡り巡って吾輩の食卓に影を落とすことになる。そう思うと、赤や青の数字も、全く馬耳東風とばかりに放擲しておくわけには参らぬ。いっそこの猫の爪で勝負を試みてやろうではないかと考えた。


試みに主人の膝の上に跳び乗り、四角い板の上に足をかけてみる。すると画面とやらが忽ち「にゃっ」と音を立てて光り輝いた。いや、正確には「ピッ」と鳴ったのだが、吾輩の耳にはどうしても猫語に聞こえる。そこに妙な符号や曲線が現れ、まるで鼠の行列のように上下している。なるほど、これが株なるものの正体か。


吾輩は考えた。鼠を捕るには、じっと狙いすまして一気に飛びかかるのが肝心である。ならば株も同じで、上がる下がるに一々慌てず、時機を待って飛びつけばよい。主人のように数字が赤く染まった途端「ぎゃっ」と悲鳴をあげるなど、猫の風上にも置けぬ振る舞いである。


そこで吾輩は、画面の右端に見えた「買」と書かれた場所に、肉球をぽんと押してみた。すると数字がぱっと変わり、主人が蒼白になった顔で「おい、何をした!」と叫ぶ。だが吾輩は動じぬ。これは鼠狩りの一手である。人間は怯えるが、猫には確信がある。


やがて数日のうちに、その数字がぐんと跳ね上がった。主人は目を丸くして吾輩を見、「こいつは天才かもしれん」と呟いた。いや、天才でも何でもない。ただ猫としての本能を用いただけの話である。

考えてみれば、人間が築いた金融なる迷路も、鼠の通り道に過ぎぬ。猫が本気で追えば、迷路の出口は自ずと見えるのだ。



さて、吾輩の株なる鼠狩りは、初めこそ見事に功を奏した。主人は驚嘆し、ついには「これからはお前に運用を任せる」とまで言い出した。かくして吾輩は、居間の真ん中に鎮座しながら、肉球ひとつで金という幻影を操る身分となったのである。


ところが、順境というものは人間にも猫にも毒である。主人が「もっと儲けろ、もっと増やせ」と囁くたび、吾輩の胸にも妙な昂ぶりが宿った。鼠を一匹仕留めるどころか、穴の中の百匹を一気に掴み取ろうとする欲である。


ある日のこと、吾輩はまだじっと狙いすまさねばならぬ局面で、「買」と書かれた場所をつい爪で引っ掻いてしまった。すると数字は見たこともないほどに踊り狂い、やがて奈落の底へと転げ落ちた。赤い文字が洪水のようにあふれ出し、主人は「わあっ」と椅子から転げ落ちた。


その瞬間、吾輩もさすがに胸がひやりとした。鰹節どころか、主人の茶碗にすら米が入らなくなるかもしれぬ。


主人は蒼白になって吾輩を睨みつけ、「この馬鹿猫め!」と叫んだ。だが吾輩にしてみれば、馬鹿も賢いもあるものか。株というものが、もとより鼠のように掴みどころのない幻影である以上、飛びかかって捕らえ損なうのも当然の理である。


結局その夜、吾輩の食卓に出たのは、鰹節ではなく乾いた煮干し一匹であった。しかも頭の取れた、見るからに哀れな代物である。


かくして、株の道も鼠取りと同じく、時に獲物を逃し、時に空腹を招くことを、吾輩は身をもって悟った。人間はこれを「投資のリスク」と呼ぶそうだが、吾輩に言わせれば「空腹のもと」と言う方が、よほど実感に即しているのである。



それ以来、吾輩は二度と四角い板に近づかぬことにした。鼠を狩るのは地べたの穴に限る。光る画面の中の幻影鼠は、飛びかかれば飛びかかるほど姿をくらまし、残るのは空腹と主人のため息ばかりである。


主人はなおも画面にかじりつき、眉間に皺を寄せては唸っている。だが吾輩はもう意に介さぬ。陽の差す縁側に身を丸め、尻尾を顔にかけて眠る。これこそ猫にして、最上の株式経営である。すなわち「起きては食い、飽きては寝る」という、一銭の損も伴わぬ運用法である。


人間はこれを怠惰と呼ぶかもしれぬ。されど怠惰こそ、もっとも確実な利益を生む術ではないか。損失に泣く主人を横目に、吾輩は静かに喉を鳴らし、株の道から足を洗ったことを、しみじみと幸福に思うのである。

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