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怪人地区  作者: 蛇子
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Ep9 怪人地区



 二日が経過した。

 薄暗い資料室では、備え付けの机に卓上ランプと軽食が置かれている。


「ふむふむ、ふむ!」


 鼻息も荒くページを捲るのは、好奇怪人ツムギ。時折、手元に置いたノートに走り書きでメモを残す。

「あっははは! これは笑います!」


 心からの笑みがこぼれ、思わず机を叩いて笑い声が漏れた。

 青崎から渡された女性職員用の制服は、黒くタイトにまとめられたブレザー型で、どことなく軍隊服を連想するものだった。金の留め具がランプの光を反射し、革製のブーツが床を叩く。

 机に積まれているのは、在りし日の記録怪人が遺した日記である。そこには怪人地区での生活が事細かに記載されており、その平和な日常は笑顔に満ちていた。


「でも、やはり私の仮説は正しかったみたいですね」


 面白おかしい日々であっても、重要な情報はあちこちに点在していた。その一つ一つを拾い上げ、ツムギは繋げていく。


「怪人地区を作ったのは、はじまりの怪人。彼が大勢を集めて、街を作って壁を作った。……個人の発案にしては、恐ろしいくらい壮大な計画です。そしてその過程で、後に幹部となる怪人が集まった。……この時点ではまだリセットの名前が出てこない……」


 怪人地区の工事計画書や、内部構造図など、日記に名前があった資料も読みつつ。ツムギはその一行を見つけた。


「ここだ。ここにあった。ここで、初めてリセットという名前が登場します。この時期から頻繁に出るということは、この時に作られたんでしょうか……」


 それは街の形が概ね出来上がり、大勢の怪人が安寧を求めて街に移住してきた頃合いだった。日記を見る限り、はじまりの怪人も含めほとんどの幹部が忙殺されている。


「もの凄く忙しい、食事をしている暇もない。大勢のヒトが集まってきたので、トラブルも起きる。あいつはたかがリセットを作ったくらいで、全然働きやしない。今日もゲームで遊んでいる」


 当時の忙しさと、非協力的なはじまりの怪人を嘆く記録怪人。


「……え? それっておかしくありませんか?」


 ツムギの手が止まった。


「リセットの名前が日記に出て、まだ数日分しか経過していません。もう出来たんですか? 食事の間もないほど忙しいのに? 一体そんな時に何人で作ったんですか? まさか一人で、ほんの数日の内に作ったんですか?」


 加えて言うなら、リセットを製作した事への扱いが悪すぎる。たかが、なんて言葉がついて良いものではないはずだ。どころか、働いていないとまで言われている。


「……それより、どうしてリセットを作ったんですか? 当時、武器が必要な状況だったとは思えません」


 記録怪人の日記は非常に細かい所まで書いてあったが、リセットを作った理由に関しては簡素な一文しか残されていなかった。


「そこに皆の願いを込めて」


 ツムギはその一文を口の中で何度も転がした。しかしわからない。


「怪人地区を、この巨大な壁を消し飛ばす……。仮にそんな威力の武器があったとしましょう。リセットを使い、人類と戦うために壁を破壊して、それで……怪人はどうなるんですか? ここを安住の地として生活を始めたのに、行き場を失ってしまいます。だからリセット? そんなものに、彼らの願いを込めた?」


 その手がかりがないかと、日記の続きを捲る。


「はじまりの怪人が設定したパスワードについても、当たり前ですが記載はありませんね。……そう言えば、あらゆる言語や文字を入力できるというのは意味があるんでしょうか。入力上限がないくらい長いパスワードなら、英数字の組み合わせでも充分だと思いますけど……」


 リセットの真相も、パスワードの内容も、ツムギには全く想像がつかなかった。


「ま、とりあえず読める所から読んで行きましょう。……この疾走怪人の乗ってた改造バイクって、まだ怪人地区に残ってたりしないですかね……」






 一週間が経過した。

 クロキは薄暗い部屋でベッドから身体を起こすと、床に転がる瓶を無造作に蹴り飛ばした。


「……あぁ、そうか……」


 転がって行った空き瓶は、壁に当たって止まる。昨夜までは安い蒸留酒が詰まっていたのだが、どうやら飲み干してしまったらしい。


「……そうか……。俺は、もう……」


 命を狙われていない。

 青崎がクロキへの正義執行を撤回したことで、毎日のようにあった襲撃はぴたりと止んだ。別に禁酒していた訳ではなかったが、これまでの二年間は一度も酒を飲む気になれなかった。アルコールで酩酊している隙に狙われた場合、それが理由で死ぬと思ったからだ。

 だから、昨夜は本当に久しぶりに酒を買ってきた。酒を飲まずにはいられなかった。


「……」


 青崎への敗因が掴めないまま、無為に過ごしたこの数日。最初はどうやって青崎を打倒するかに思考を費やした。しかし勝負をしないと宣言されるだけでクロキの怪人特性は力を失う。どうやっても、勝負に持ち込むことすら出来ない。

 気晴らしに街を散策してみた。命を狙われる心配がないので、労働もしてみた。そうすれば生活必需品しか買えなかった今までと違い、何かしらの嗜好品を買う金が得られると思ったのだ。

 結果、新しいトランプを買う事ができた。トランプは様々な勝負ができる素晴らしい品物なので、いつでも手元に置いておきたかった。

 そこまでは良かったのだが、クロキは思い知ることとなる。この街で労働するということが、どういう意味なのか。


「クロキだ。少しの間だが、よろしく頼む」


 そう話しかけた相手は、同じ場所で労働する青年。適当な挨拶を交わし、工場での単純作業に移る。

 怪人地区での労働とは、裁量のない仕事に限定される。個人で業績を伸ばしたり、より良い結果を出したりは出来ない。してもならない。最初に指定された単純作業を、ひたすらこなすことだけが求められる。

 それ自体には何の不満もなかった。クロキにとって労働とは金を得るための対価でしかないし、それをする理由もまた、金がないよりはあった方が良いと思っただけである。

 だが始めてからわかったのは、そう考えているのがクロキだけだったということ。


「なぁ。コインを投げるから、表か裏か当てた方がコーヒーを買って来ないか?」


 何の気なしに、クロキは近くにいた青年に声をかけた。

 勝負という言葉を使わないよう注意しつつ、少しでも勝負めいた事をしたかった。当然だが、勝負を仕掛けて彼を論理崩壊させる、などという考えはない。単なる手慰み程度のつもりだった。

 しかし彼は首を振って拒否。曰く、名誉人類になるためには真面目に働かねばならないから、と。


「名誉人類に、なりたいのか……?」


 それは衝撃だった。それから何人かに声をかけ、クロキはその事実を知る。

 怪人地区の怪人の大多数は、名誉人類になりたがっている。怪人地区ではなく、人類領域に帰りたいと願っている。


「そんな、バカな……」


 ごく僅かだが、怪人としての生活を満喫している者もいた。好きなものを求め、己を偽らずに過ごせるここは最高だ、とまで言う者もいた。しかしその考え方が、全員ではなかったことにクロキは驚愕していたのだ。


「怪人であることをやめ、人類になりたい? そのために欲求を抑え込む? そんなの、既にもう人類ではないか……。そんな考えを持つ時点で、そいつは怪人などではなく、人類だろうに……」


 クロキが思ったのは、そんなヒトは人類領域に帰った方が良い。それだけだった。


「当人はそこまでしてでも人類領域に戻りたいのだ。それを怪人の素質があったから閉じ込めるだと? あまりに、あんまりだろう……」


 誰もが望んでここにいる訳ではない。誰もが世界と戦っている訳ではない。怪人になりたくなかったヒトもいる。


「いつだったか、リス子は言ったな。勝負ではなく、在り方の話だと。その通りだ。怪人とは在り方のことだ。人類として在りたい者に、怪人の烙印を押して縛るなど、そんなことがどうしてまかり通る」


 苛立ちは日に日に増し、その上から青崎への敗因がわからない悔しさがのしかかる。


「クソが! 一体どうしたら……!」


 吐き捨てるように悪態をつき、気が付いた時には蒸留酒を手に取っていた。

 この世界に一人取り残されたような寂寥感があったのだ。それを埋めるために酒を飲み、それから苛立ちを手近な何かに叩きつける。


「俺は何をしている……! そんな場合ではないだろう!」


 怒りは自身に向いていた。あれほど一人でいることが強さに繋がると信じていたのに、世界で一人だけになる事を恐れている。軟弱な自分に嫌気がさした。


「勝負だ……。青崎と勝負にさえなれば……!」


 絞り出すように、クロキは突破口を探して呻く。だがその勝負を拒絶されている以上、戦いにすらならない。


「何か、何かあるはずだ……!」


 そして酒瓶が空き瓶になった頃。クロキは一つの可能性に辿り着いた。

 あの日、キャスケット帽と巨大なリュックサックが揺れ、そこから出た言葉を思い出したのだ。

 俺たちには約束がある。リセットを使うと約束したのだ。その約束がある限り、世界にはまだ同じ思いを持つヒトがいる。相棒がそこで待っている。

 薄暗い部屋で起き上がったクロキは遮光カーテンを開け、陽光に目を細めた。昨夜の酒がまだ頭に残っている気がして、顔を洗って水を飲む。


「取り乱すなど、俺らしくもない」


 それから黒いワイシャツとスラックス。そして黒いジャケットを羽織り、長い髪を束ねた。


「まずは青崎の言葉を無効化する。勝負しないだと? それは、勝負を拒否する側しか使えない言葉だ。俺に適用される言葉ではない」


 一人だけで戦った所で、青崎には勝負を仕掛けることすらできない。それを事実として受け入れたクロキは、その上で青崎と戦うアテがあった。


「世界を相手に戦う覚悟があり、この俺と勝負する気があり、なおかつ俺に協力的な怪人。そんな奴がいれば、俺の勝負は終わらない。あいつを迎えに行ける」


 ハードルの高い人選だった。本来ならばツムギがその条件を満たしているが、今クロキの隣にその姿はない。


「しかし。俺は幸運な事にも、そんな奴をもう一人知っている」


 クロキは行動を開始した。


「悩むのは終わりだ。俺一人で勝てないのならば、何人だろうと用意するまでだ。あいつも俺も、まとめて救ってもらおうか」


 怪仁会の縄張りへと向かうクロキの足取りに迷いはなかった。






 ツムギがパスワードの入力画面に向き合うのは、もう何度目だったか。ここ数日、何度も推測した文字列を入力してみたが、未だ正答に辿りつけていない。


「わざと外している、ということはないな?」

「あの……。これだけ何日も一緒にやってて、本気でそう思ってます?」

「いいや。ただの確認だ」


 この保管倉庫には青崎本人がいなければ出入りできない。そのため、ツムギがパスワードを試す際には必ず青崎は立ち会うことになる。

 もう何日も、何時間も共に過ごしたツムギには青崎が他人には思えなくなっていた。


「あーもう! これも違ったなら、お手上げですよ!」


 入力回数には制限がないので、失敗したとて入力不能になることはない。しかしこんな目に合うなら、いっそ入力できなくなってしまえば諦めがついたのに。

 足も腕も投げ出すように、床に座り込んだツムギは目の前のソレを恨めし気に見た。今入力したパスワードは渾身の一手だった。これしかあるまいとまで思ったのだが、違ったらしい。


「いろはにほへと、だと思ったんですがね……」

「何だその文字列は。真面目にやる気があるのか」

「んえー? イロハが多用した暗号文の書き出しですよ? これだと思ったんですがねぇ……」

「誰だそれは」


イロハなどという名前の偉人に聞き覚えのなかった青崎は、床で座るツムギを眺めて訊ねる。気だるそうにツムギは指を振って応えた。


「でーすーかーらー、はじまりの怪人ですよ。知らないんですかー?」

「どういう意味だ」

「あれ……マジで知りませんか? さては記録怪人の日記をちゃんと読んでませんね?」

「重要事項には全て目を通したが、イロハという名前に心当たりはないな」

「イロハって名前なんですよ。はじまりの怪人の本名です。はじまりの怪人だなんて、前々から長い呼び方だと思ってましたが、本名は随分とスッキリした名前でしたね」


 すると、青崎の目が大きく開くのをツムギは見た。


「バカな……。そんな情報が残っていたなら、とっくに人類に知られているはずだ。そんな記述などある訳がない」

「まぁ確かに、はっきりと書いてはありませんね。でも普通に読めばわかりますよ。記録怪人は基本的に幹部の名前を直接的に書いてません。ナントカ怪人って書き方が多いですね。恐らくは本当に重要な情報は流出しないように気を使ったんでしょう。……でもそこは記録怪人の記録怪人たる所以というか、よーく読めば何となく察することができる程度のぼかし方で、結構何でも書いてます」

「驚いたな……。そこまで分析し得るとは、好奇怪人を侮っていた」

「分析? そんな大したことじゃありませんよ。普通に読んでれば誰だって気づきます。あの日記はあんなに面白いのに、全巻読んだ後に最初から読むと考察要素が結構あるんですよ。何回か読めば誰だってわかります」

「……あの膨大な量を、最初から何回か……?」

「膨大って……。言うほど膨大ですかね? 何ならもっとあると思ってましたよ」


 青崎とやり取りをしながら、ツムギはふと考える。

 記録怪人は重要な情報を直接は残さなかった。しかし、そうとわかるように書いている。

 だがどれだけ読み込んでも、結局パスワードらしき言葉の羅列はなかった。


「本当にパスワードがちゃんとあるなら、絶対どこかに記録してると思うんですよ。何たって、記録怪人ですからね。……うーん……」


 額に片手を当てて考える。正直な所、はじまりの怪人イロハが設定しそうなパスワードは試し尽くした。これ以上の言葉や数列となると、全く思いつかない。


「あ」


 そしてツムギは電流のような閃きを感じた。一つの可能性を思い浮かべ、もしかしてと思考を回転させる。

 コレを作ったのははじまりの怪人で間違いない。

 だが、パスワードを設定した人物もはじまりの怪人であるなどと、誰が決めつけたのだろうか。

 もしもパスワードを設定したのが、別の人物ならば誰だろう。その人物の設定しそうな言葉とは何だろう。


「と、すると……。いくつか思い当たるものがありますね……」


 それから青崎に視線を移した。


「青崎さん。一つだけ聞いても良いですか?」

「言ってみろ」

「コレが動いたら、どうするんですか?」

「お前に教える義理はない」

「怪人に利用されないよう、人類領域に安全に保管する。そのために動かしたいんだと、私は勝手にそう思ってました」

「……」

「でも、コレってその気になれば運搬は可能ですよね。人目には付きますけど、物理的に不可能じゃない。青崎さん、コレで何をするつもりですか?」

「……」


 青崎は答えない。ツムギはソレを見上げ、思い当たった可能性を考える。


「とりあえず、思いつくことがあったので調べ直してきます。また明日にでもやりましょう」

「そうか」


床から立ち上がったツムギは、ブレザー制服についた埃を叩き落として言う。


「多分、次はもう当たりますよ。何個か確認したいだけなので。だから答えて下さい。コレ、どうするんですか?」


 真っすぐに。正面から青崎の顔を見てツムギは言った。そして青崎はしばし考えてから口を開く。


「教えても良いが条件がある。もっとも、好奇怪人には無意味だとは思うが……。念のために、な」

「なんですか」

「僕の目的を知っても、最初の約束を履行してもらう。つまり、どのみちパスワードの解除は必ずやってもらう」


 そんな約束をしなくとも、好奇怪人はパスワードを放置できない。青崎はそう思っていた。しかし以前クロキを助けようとした際に、その欲求を抑え込んで交渉にまで踏み切っていた。土壇場でひっくり返されてはたまらない。

 青崎はそこまで考えると、ツムギの返答を待つ。


「……良いでしょう。あなたの目的が、もしも私の想像している通りだとしても。パスワードを開けてあげます」


 すると青崎はツムギからソレへと視線を移す。そして静かに答えた。


「怪人地区を粛正する」


 それは青崎が目指した、理想の世界のため。正義を成すため。そのための必須条件。


「全ての怪人には消えてもらう」


 冷たい声が空間に溶けて消えた。



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