Ep7 管理長官VS勝負怪人
壁の中に侵入者が、という報告を受けた瞬間に行動は開始されていた。
管理長官室と刻印された銀のプレートを後にし、緋色の絨毯が敷かれた廊下を歩きつつ、身に纏ったトレンチコートと制帽を正す。
「僕が現場に行く」
怪人地区の全てを統括し、事実上の支配と管理を行う管理塔。その最高責任者である管理長官、青崎は数名の部下を連れて管理塔から出発した。
怪人地区に青崎以外の人類は存在せず、青崎の配下は全て元怪人。名誉人類によって構成されていた。
管理塔の地下からは壁の中に繋がる通路が整備されており、この通路を使用する事で怪人地区の各地にヒトとモノを送る事ができる。元々は物資の搬入路として使用していたが、最近では正義執行のために人員を送り込むために使用されることがほとんどだった。とは言え、その通路を自身が利用するのは青崎にとって初めてである。
濡れたような黒い車両は、管理長官の専用車だった。
青崎は車内から、流れ星のように背後へ消える非常灯を眺め、その紫色の残像に目を細める。
「目標は?」
運転手に問いかける。
「壁中への侵入者は好奇怪人、勝負怪人の二名のみです。その他、壁中への侵入を試みようとする動きはありません」
「……怪仁会は動かないのか」
「警戒と監視を続けていますが、動きはありません。撤退する様子です」
「そうか」
装甲車への攻撃を行ったのは怪仁会だ。壁に衝突させたのは故意ではなく、偶然という事だろうか。では好奇怪人と勝負怪人は何故、自ら壁中に侵入などしたのだろう。あるいは怪仁会の手先、という可能性もある。
いずれにせよ、と青崎は足を組んで呟いた。
「好奇怪人は僕がもらう」
それは青崎にとって、絶対的に必要なものであった。
青崎は幼い頃から、正義や平和や人類愛と言ったものを愛していた。世界には正しさが必要であり、正しい事だけが全てを成立させることができる。そう信じていた。
大人になり、世界には正しくないことが溢れていると感じた。ヒト回路の制御する正しさとは、個人の認識を根拠とする。そのために発生するすれ違いは、永遠に解決されない社会問題だった。極端な話、その内容を一切知らなかった場合は法律違反であっても制御されないのだ。
正義を愛する青崎には、それがたまらなかった。
「正しい者が割を食う。犯罪者が、異常者が、間違った者が、悪だけが得をする」
そんなことは絶対に許せなかった。だから青崎は法律や常識観を説いて回った。何年もかけて、これからの教育に取り入れるべきなのだと積極的に活動した。
「ヒト回路を利用した、あるべき理想の社会を作る」
理想は遥か遠く、しかし一歩ずつでも目指さねばならない。理想とは、目標とは、それを目指すためにあるのだ。
故に青崎が辿り着いたのは、怪人地区の管理官だった。
そこには全ての身勝手と邪悪が集まっている。他者を蔑ろにしてでも欲望を果たそうとし、それに疑問を持たない。より良い世界ではなく、より良い自身を目指す、邪悪な利己的主義。正すべき、粛清すべき、抹消すべき場所。
「ここに正義を成す」
強い決意を胸に、青崎は怪人地区の管理官を目指した。傷は傷口を見なければ治せない。人類が忌避した怪人地区もまた、そこから目を背けてはいけない。
「故に」
青崎は人類平和に貢献すべく、管理長官へと就任した。
「全ての怪人は自身を改めねばならない。誰かを踏んで幸福を得てはいけない。他者の利益を優先しあい、相互に苦楽を分かち合う。そうでなければならないし、それを目指さなければならない」
青崎はそのために、どうしても必要だったのだ。
「僕がリセットを動かす。好奇怪人を確保しろ」
壁中通路を駆け抜け、停車。車から降りた青崎の視線は二人の男女を捉えた。
「待っていたぞ」
黒づくめの男が両手を広げる。
「お前が来ると思った。お前を待っていた。さぁ」
そして口角が持ち上げる。
「勝負だ」
青崎は無言で歩き出すと、黒づくめの男と相対した。
好奇怪人ツムギは、白鐘つむぎであった日に果たした運命の出会いを今でも鮮明に思い出せる。それは好奇心に釣られるまま、様々な図書館を渡り歩いていた時のことであった。
はじまりの怪人に関する歴史資料。それは、どんな娯楽よりも興味を惹いた。
初めてそれを手にしたのは、記録怪人が遺した記録である。持ち出し禁止棚の本は、備え付けてある机でならば閲覧が可能だったのだ。一体どんな内容なら、こうも厳重な扱いを受けるのだろうかと、そちらの方に興味が湧いたのだ。
だがページをめくってみれば、こんなのものが禁書扱いなどと思わず笑ってしまった。これは全人類が見ても良い、単なる娯楽だ。そうツムギは確信したのだ。
「その日、あいつは会議に行ったフリをして一日中パズルゲームで遊んでいた。疾走怪人からブン殴られ、ヒト回路のいい加減さに文句を言っていた。パズルゲームで最大スコアを取れたら会議に行くと言っていたが、あいつはわざと最後の一点を外すので、結局会議には疾走怪人と私が行くことになった。帰って来た時、あいつはパズルゲームに飽きて子犬と遊んでいた。疾走怪人は激怒していた」
記録怪人の日記は膨大だったが、万事がこんな調子である。はじまりの怪人、最悪の歴史、人類の汚点。様々な言われ方をしているが、生きていた彼らは随分と愉快な日々を送っていたらしい。
ツムギは読み漁った。何故なら、彼らの日常をつづったそれは平穏で、温かさに満ち、微笑みが溢れるような、そんな日記だったからだ。
恐らく自分は怪人なのだろうと、ツムギは幼い頃から自覚があった。周囲と自分は決定的に違うと、ヒト回路がそう教えてくれていた。だからこそ自分を押さえ込む生活の中で、それは好奇心を満たしつつも、平和に満ちた様子で心を癒してくれたのだ。
全ての閲覧可能な日記を読み切ってしまったツムギは、迷うことなく家を飛び出した。何故なら、どうしても見たくて堪らなかったのだ。
彼らの物語の続きを、求めずにはいられなかったのだ。
本の続きが読みたい。それだけの理由があれば、好奇怪人にとっては充分だった。
「勝負だ」
その行きついた先で、ツムギはクロキの背中越しに管理長官を見ていた。紫色が照らすアスファルトで、二人が睨み合っている。
「俺は怪人クロキ。お前は?」
「青崎だ」
短く切って捨てるように答える青崎。クロキは笑みを深くすると、懐からナイフを閃かせた。
「一歩でも後退した方が負けだ」
ツムギは以前に見たそれを思い出す。ナイフを持ったまま踏み込まれ、後退しないことも避けることも普通はできない。アカバネのように怪人特性を活かして反撃に転じるならまだしも、人類である青崎に暴力行為は取れない。
ツムギから見たそれは、間違いなく必勝の一撃だった。
「勝負怪人だったか? あまりに愚かだな。僕ならそうしない」
呆れたように青崎は言うと、迫るナイフを見据えて続けた。
「僕は勝負をしない」
「っ!」
その宣言は、クロキの行動を縛るのに充分だった。明らかにナイフを握る手が揺れる。勝負とは、互いの存在があって成立するものである。今までは相手が返答しないか、返答する前に切り込んでいた。しかし青崎は、一瞬でその判断を下した。
「そして、その刃は僕に向けられた殺意と判断する」
クロキの手をナイフごと叩き落とすと、青崎は飛び上がるように身体を半回転。クロキの側頭部に爪先を蹴り入れた。
「緊急避難、正当防衛だ。刃物を使うなら、相応の覚悟を持つんだな」
頭を打ち抜かれたクロキは呻きながら倒れると、流血に顔を濡らしながら身体を起こした。その目はまだ光を失っておらず、青崎を鋭く睨む。
「勝負怪人クロキ。正義執行の対象だったな。運良く生き延びたが故に、まるで自分には力があると勘違いをしているらしい」
青崎は見下ろして続けた。
「お前の怪人特性が、最も弱い」
それは断定的な言葉で、ツムギには信じがたい内容だった。あれほど頼れるクロキが、不死身とまで言われた怪人の特性が弱いなどと、これまでのクロキを見ていて信じられるものではない。
だが、青崎は確信を持って続ける。
「勝負怪人。実に脆弱な特性だ。好奇、組立、狂信などと言った大勢の怪人と違い、お前の特性だけは他者に依存したものだ。一人で完結できない欲求だ。故に、相手が勝負に応じないだけで無力化される」
それは残酷なことにも、当人ではないツムギにすら理解できる弱点だった。クロキは相手に勝負を拒否されると、勝負が出来ない。
「本来、お前は正義執行を行うまでもない。非常に危険度の低い怪人だ。いつまでも意地汚く逃げ回り、どうにか生き延びてきた様子だが……。それは我々が本腰を入れて殺すまでもない、他愛のない存在だからだ」
青崎には何の感情も浮かんではいない。心から、クロキを路傍の石に過ぎないと思っているのが見てとれた。
「クソが……! この俺が、こんな女に……」
側頭部に受けたダメージは大きいようで、視界の定まらない様子のクロキ。すぐに立ち上がらないのは、立つことが出来ないのだろう。側頭部への打撃はアカバネから受けたのも含めて今日で二度目だ。
青崎はツムギに視線を移す。思わず逃げようとして、しかしツムギは踏みとどまった。
「好奇怪人。それは何の真似だ」
ツムギはクロキの前に立つと、青崎を睨み付けた。
「私だって怪人だ……!」
「やめておけ。お前は確保する。その前に壊れては意味がない」
背後にクロキの息遣いを感じる。きっと、彼なら立ち上がる。勝負怪人が負けたままで終われる訳がない。いつか必ず再戦を果たす。
それに何より。かつていた彼らなら、相棒を見捨てて逃げるようなことはしない。
「クロキさんには随分と助けてもらいました。一人でここまで来るのは無理だったと思います。なので、クロキさんは守りますよ」
「やめろ、あの女の言う通りだ……。お前では……」
「私でも戦います。何故ならその先に、真実があるから!」
ツムギは半ばもぎ取るようにクロキからナイフを取り上げると、震える両手を押さえ込んで構えた。
「私の好奇心を邪魔するなら、容赦しません!」
「やはり好奇怪人は厄介だな。他と比べて格段に自由度が高い。危険度で言えば狂信と同程度か」
「私は好奇怪人ツムギ! 人類風情が、舐めないで下さい!」
青崎はツムギを観察するように眺める。ナイフの先端が揺れ、青崎に向けられる。
「怪人地区に残された過去の記録。それの閲覧を許可してやろう」
「……えっ!」
ふと放たれた言葉は、ツムギの意識を一瞬で支配した。
「こちらの指示通りに動くならば、はじまりの怪人が遺したもの、そして記録怪人の日記。加えて、リセットについても可能な限り資料を閲覧して良い」
青崎の言葉は、目が眩むほどの価値でツムギを襲った。
「ナイフを捨てて車に乗れ。管理塔の資料室に連れて行ってやる」
からん、と思わず手放したナイフが音を立てた。
「ふっ、くっ、うぅぅ……!」
奥歯を噛みしめたツムギは、強く意思を保とうと堪える。今すぐにでも飛びついて、車に乗ってしまいたい。すぐそこに求めたものがあり、邪魔するものがない。
だが、背後には相棒がいるのだ。
「こ、交換です……」
どうにか言葉を絞り出す事に成功し、ツムギは青崎を正面から見る。
「クロキさんの、正義執行命令を解除して下さい! でなきゃ私は動きません! 私を連れて行くってことは、あなたも私の情報が欲しいはずです!」
「ふむ……」
あまりいつまでも誘惑に耐える自信はなかった。しかし青崎に対して、この交渉は効果を持った。青崎はしばし考えるように虚空を見上げる。
「一つ確認するが、勝負怪人をどうした所で何の意味もない。それは理解しているか?」
「意味? このヒトは相棒です。私が助かるためにお願いして、このヒトはリセットが欲しいだけで、それだけの関係です。でも、無価値な関係じゃありません。意味なんて、それだけあれば充分ですよ」
自身が愛した彼らならば、ここで逃げたりしない。自分に負けたりしない。
「そうして立っているだけで耐え難いと思うが、よく会話が続くな」
怪人が欲求に抗えない事は、青崎にとって周知の事だった。今すぐ車に飛び乗れば、それで全てが得られる。その状況で交渉など出来る訳がない。正常な精神を保ってはいられないはずである。
しかし好奇怪人ツムギは、その目に涙と炎を湛えて一歩も譲らない。
「クソ……。まさかリス子にここまで庇われるとはな……」
「クロキさん!」
ゆらりと立ち上がったクロキは、頭を押さえて言う。
「リス子、ナイフをよこせ。まだ俺の勝負は終わってはいない」
クロキにはまだ無数の手段があった。どのような形で勝負に持ち込むか思考を巡らせ、しかし青崎の言葉の方が早かった。
「僕はお前との勝負に応じない。何をしようと、勝負をしない」
その一言で充分だった。クロキは自身の手札が消失して行くのを感じ、喪失感に身震いする。
「お前の怪人特性は、不意打ちや奇襲にしか効果を発揮しない。今お前が僕に出来ることはない。そこで案山子のように立っていろ」
「この……! クソアマが……!」
やれやれ、とわざとらしく肩をすくめた青崎はツムギに視線を戻すと頷いた。
「良いだろう。今見ての通り、この男に出来ることはない。今後も配下にこのやり方を周知する予定だ。何もできない者に正義執行など必要ない。よって、その事実を以て正義執行の指令を解除する。ヒト回路に誓ってそうしても良い。こちら側に来い、好奇怪人。お前にはやってもらうことがある」
青崎が告げると、ツムギは一歩前に踏み出した。
「おいリス子、お前……」
「クロキさん」
ツムギが振り返ると、クロキとの視線が交差する。
「今までありがとうございました」
「待て、俺はまだ……」
「私は私の好奇心を追います。クロキさんとの道は分かれたけど、お互い元気でやりましょう」
「……」
手を伸ばしかけた。しかしクロキにはツムギを引き留める理由も、何かに抗う理由も見つけられなかった。その手が力なく下がるのを見て、ツムギが微笑んだ。
「もし」
ふと、思いついたようにツムギが言葉を紡ぐ。
「もし、あなたがまだ勝負を続けるなら。いつの日か、相棒がいた事を思い出してくれたなら。その時が間に合ったなら」
曖昧な条件を重ね、伝えた。
「私たちには、約束があることを覚えていて下さい」
果たして、その言葉をクロキは正確に受け取った。
「そうか……。いいや。いつの日、などと言わん。すぐにでも約束を果たす。そのつもりでいろ」
「えぇ。頼みましたよ、相棒」
それから二人は、どちらともなく拳を突き出した。ごつん、と音を立てて互いの拳がぶつかり合う。
「じゃあな、リス子」
「さようなら、クロキさん」
恐らく二度と会えない相手に、再会の願いを口にして。
ツムギは青崎に囚われた。背を向け去るクロキは、乱暴に頭の血を拭う。
合わせた拳には、まだ熱が残っているようだった。