Ep3 狂信怪人
好奇怪人ツムギの住居内では、数名の怪人が待ち伏せていた。その内の一人、修道服を着た女性が苛立ったように脚を組み替える。座っているのはツムギのベッドであり、他の怪人は彼女の部下である。
大きく特徴的な目元の傷を歪ませ、険しい表情を作った。
「不死身怪人ってなぁ、伊達じゃねぇと」
彼女、怪人アカバネは部下からの報告に溜息で応えた。外に配置した部下のコーダは、どうやらヒト回路の影響によって意識を失っていたらしい。
「すみませんシスター……」
「あぁ、構わないよコーダ。外から他人のヒト回路に手を突っ込むなんて、そんな反則技はどうにもならんさ」
部下らに介抱され、意識を取り戻したコーダは申し訳なさそうにしている。コーダの復活を待っていたアカバネは、部下の一人に古い通信機を用意させた。手近な木製のローテーブルにそれを置くと、周波数を合わせて部下を呼び出す。
「キノセ。目を離してないだろうね」
「ちゃっす! キノセっスよ!」
好奇怪人の行方を監視させているのはキノセ。荒事には向かないので監視をさせていたが、まさか本当に監視が必要になるとは思っていなかった。こうもあっさり逃げられるとは想定外である。
「あんた、見失ったらタダじゃおかないからね」
「だーいじょうぶ! しっかりバッチリ見てますって!」
「あたし達もすぐに向かうから、それまで余計なことするんじゃないよ。おいコーダ、キノセから場所聞いときな」
アカバネはコーダに通信機を投げ渡すと、さっさと外に出てしまう。
「行くよお前ら。伊達や酔狂で名乗ってねぇのは、こっちも同じだって教えてやろうじゃないか」
おう! と威勢の良い返事が背中を叩く。アカバネはブーツの音を響かせ、地区を隔離する巨大な壁と、それに切り取られた空を見上げた。
怪仁会。
怪人アカバネをトップに置いたその組織は元々、怪人による互助組合を目的として作られた。しかしアカバネ本人が次々と問題を起こし、そのアカバネに付き従う怪人が増えるにつれ、怪仁会は同じ怪人からもアウトロー集団と見なされるようになる。
主な活動として、正義執行を宣告されて命を狙われることとなった怪人を、自分たちの縄張りに匿うなどしている。当然、管理する側から看過される活動ではないため、アカバネ本人も正義執行を宣告されていた。
また、二年前にクロキにも怪仁会への入会を勧めていた。が、当のクロキ本人が強く断ったため、アカバネもクロキを放置していた。
「それが、よりによって好奇怪人か……」
好奇怪人ツムギ。正義執行を受けたとの情報を受けたアカバネは、早速保護すべく動いた。しかしその結果、最悪の場合は殺害してでもツムギの行動を封じることを決定。その理由は単純で、彼女がリセットに近づきすぎたからだ。
アレはヒトが手に入れて良いものではない。
アカバネはリセットをそう断ずる。
本人を説得して、これ以上の調査を辞めてもらう。この形が理想だが、恐らくそうはならないだろう。誰かに何かを言われて止まるようなヒトが、怪人になどなったりしない。加えて言うなら、その怪人の中でも更に歯止めの効かない者が正義執行の対象となるのだ。ツムギがその好奇心を投げ捨てるなど、期待するだけ無駄であろう。
道端では大型バンが停車している。アカバネはコーダに運転するよう言いつけると、助手席に乗り込んだ。グローブボックスから煙草とマッチを取り出すと、火を点けて一服。他の仲間たちが全員乗り込んだのを確認し、一息だけ肺に煙を溜める。
「出せ」
紫煙と共に吐き出した言葉は、それだけで良かった。大型バンは勢いよく加速し、走り出した。
矢のように過ぎ去る景色を横目に、アカバネはダッシュボードの上に足を乗せた。両手を頭の後ろへ回し、たなびく副流煙をのんびりと眺める。
「で、どこにいるって?」
「大通りの辺りをフラついてるそうです」
安直な手だ。そう感じたアカバネは鼻で笑う。大方、周囲にヒトがいれば安全だと判断したのだろう。確かに、通常の正義執行であるならそれで良い。
「でも、あたしらは怪人だからね」
相手が違えば対処も違うものだ。キノセの言う通り、大通りのベンチで休憩している様子のクロキを発見。あまりに無防備である。スピードを緩め、静かに近くまで車で向かう。アカバネの存在に気が付いたようだが逃げる素振りは見せない。
「よぉ色男。こちら怪仁会だ。ウチに茶でも飲みに来ないかい?」
大型バンから降りたアカバネは、黒づくめの男クロキに声をかけた。大方、本丸のターゲットである好奇怪人はどこかに隠して自分が囮にでもなるつもりなのだろう。アカバネはそう予想する。
「待っていたぞ。怪仁会」
ゆらりと黒づくめの長身が笑う。笑っている。
「ティータイムも良いが、先約があってな。こちらの彼女とドライブの予定がある」
「彼女?」
それは好奇怪人のことではなかった。クロキが一歩ズレると、その背からアカバネの見知った女性が現れる。
「キノセ!」
思わず声が出てしまう。そこにいたのは、後ろ手に縛られたキノセだった。トラックスーツの上からスカジャンを羽織った姿は見慣れたもので、見た目に怪我などはない。申し訳なさそうな表情でアカバネを上目遣いに見る。
「えーと……。ちゃっす……。キノセ、捕まりました……」
「ダサコーデの麗しきキノセ嬢には、人質と相成って頂いた。交渉を始めても構わないか?」
自信満々に言葉を紡ぐクロキに、どうやってキノセを、と口に仕掛けてアカバネは黙った。その手口を見てはいないが、コーダに行ったことと似たようなことをしたのだろう。恐らくキノセは最初からわざと放置されていたか、それとも通信の後に発見されて捕縛されたのだ。
アカバネは顎でクロキに話の続きを促す。
「要求するものは二点。俺と好奇怪人に対する襲撃や監視の中止。それと俺たちを追うその理由の説明だ。こちらが差し出すものは、無傷のキノセ嬢になる」
キノセの側にぴったりと着いたまま、隙を見せる事なくクロキは語る。
「この二点とキノセ嬢の交換に応じると、ヒト回路に約束してもらおうか」
約束、という言葉を強調するクロキ。ヒト回路がある以上、結ばれた約束は可能である限り必ず履行されるようになっている。
「そちらはどうする? さぁ、勝負だ」
交渉を楽しんですらいる様子に見えるクロキは、そう言って口角を上げた。
「もっとも、勝敗は既に見えているがな。ここからひっくり返す余地はない。出来ることと言えば、こちらの要求に対して代替案を用意する程度か? あるいはキノセ嬢を切り捨てる、という選択もあり得るか。いずれにせよ、そちらに勝ち目はない。監視役の人選ミスがお前の敗因だ」
クロキは愉快そうに言った。アカバネの予想通り、クロキはツムギの住居を放棄した辺りからキノセの監視に気づいていた。その通信が切られるのを見計らい、接触して勝負に持ち込んだ。驚く程あっさりと捕縛されたキノセは、自分の名前も所属もすぐに喋ってしまっていた。
「どうする怪仁会? やはり、ヒトは一人である故に強いのだ。このような足手まといを使っているから敗北を……」
「えらく喋るじゃないか、不死身」
「ほう?」
「勝ったの負けたの、そんなことを言ってる内はあたしにゃ勝てんさ」
そしてアカバネは踏み出す。実のところクロキの交渉など、最初から何の意味もなかった。クロキに倣って言うならば、キノセを人質にしたことが敗因である。
「待て。何のつもりだ? お前が選べる選択肢は……」
「選択肢?」
アカバネは大股でクロキに接近し、その拳を固く握りしめた。それを勢いよく振り上げる。
「ヒトを救うことに、何を選ぶ必要があるよ?」
「ば、バカな!」
次の瞬間、クロキは頭から吹き飛んだ。その視界が明滅し、こめかみを打ち抜かれた衝撃で崩れ落ちる。
クロキが状況を理解するよりも早く、アカバネはキノセを抱き寄せた。そしてそのままバンに押し込むように乗せてしまう。
「どうした? 不死身怪人とは言え、殴られたのは初めてかい?」
「バカな……。ど、どうやって……。何を根拠にヒト回路を突破した? どんな怪人特性なら、こんな……」
アカバネは乱れた修道服の裾を直しつつ、クロキを見下ろす。
「交渉だろ? 次はあたしの要求だ」
修道服についていた小さなポケットから、金属製のナックルダスターを取り出して指に嵌める。
「これ以上痛い思いしたくなかったら、とっとと好奇怪人を渡しな」
クロキはアカバネを見上げる。視界が未だ定まっていないようで、返答の代わりに歯を噛みしめて睨むことしか出来ない。
「言っておくが、冗談でも嘘でもないよ。……あたしは狂信怪人。邪教、邪神を崇めた末路。教義のためならヒト回路なんか無意味なのさ」
「教義だと……?」
「あぁそうさ。単純な教義だから覚えやすいよ。あんたも入信するかい?」
教義の内容を端的に説明するならば、と続ける。
「ヒトを救ってなんぼ、だ」
故に。とアカバネは不本意ながらも、到達してしまった答えに繋げる。
「あんたらの探す、そのリセットからヒトを救うため。いくらか乱暴でもあたしぁやるよ。アレはヒトが触って良いもんじゃないのさ」
アカバネの拳がまた振り上がる。同時に、近くの食料品店から巨大なリュックサックの少女が飛び出した。
「り、リセットが何なのか知ってるんですか! 教えて下さい!」
「なっ……バカが! 自分から出て来る奴があるか!」
「だって、だって! ここに答えがあるなら!」
クロキの叫びは宙に溶けて消え、拳を金属で覆ったアカバネの眼前にはツムギが現れた。
「教えて下さい!」
縋るようにアカバネに迫るツムギ。アカバネの右手が、唸りを上げて突き出された。ツムギの身体が後方に吹き飛び、リュックサックが宙を舞った。
作戦は完璧で、戦う前から決着している勝負。そのはずだった。
あからさまに不自然な挙動で、遠巻きにこちらを見ている女性がいたのだ。若く、軽薄で頭の悪そうな顔つきをしているとクロキは感じた。しかし、芯の通った眼差しは実に怪人らしく、好ましいとも思った。
その女性を捕まえてみれば、あっさりと全てを白状したので、ツムギを近くの食料品店に隠して自分だけで迎え撃つ構えに入った。何かしら、面白い情報を得られると思ったのだ。あわよくば、何か勝負ができるかも知れない、とも。
その結果が、イレギュラーに次ぐイレギュラー。
首領のアカバネは交渉に乗らず、禁じられているはずの暴力でキノセを奪還。混乱冷めやらぬ内に、隠れていたはずのツムギが飛び出してしまう。
「クッソがぁ!」
悪態と共にクロキが手を伸ばしたのは、ツムギの背負うリュックサックだった。
金属を纏ったアカバネの拳が空気を切り裂き、そしてそのまま虚空を一閃する。背後から勢いよく引っ張られたツムギは、吹き飛ぶように後退し、仰向けに倒れた。
「そういう勝負か。受けて立つ」
クロキは状況の理解や、アカバネの怪人特性についての思考を一旦放棄。重要なのは、目の前の修道女が暴力を解禁されている事である。これに対処するため、クロキは自己の認識と解釈を改める。
つまりこれは、そういう勝負なのだ。
それが勝負であるならば、あらゆるヒト回路の制限を解除される。クロキは自身の怪人特性が発揮されているのを感じつつ、懐からナイフを取り出す。
すい、と刃を向ける。先端を定められたアカバネは、目を細めて拳を素早く構えた。
「あんたも、そういう事が出来る側かい?」
このナイフはブラフではない。状況を、互いに暴力を行使する勝負と定めたクロキは本気で刃を突き刺すつもりだった。しかし、軽くステップを踏んだアカバネは瞬きひとつの間に距離を詰める。
「っし!」
短く息を吐く音だけが聞こえ、硬質な音が響く。アカバネの拳がナックルダスター越しに、クロキのナイフを根本からへし折って見せた。弾き飛ばされた刃は錐揉みに回転しながら明後日の方向へ。
「で、次は?」
ステップを踏み直すアカバネは挑発するように笑って見せる。
「クソが……。これでは勝負にもならんか」
吐き捨てるように言うと、クロキは倒れたままのツムギの襟首を掴む。そしてアカバネが踏み込むよりも早く、先に懐から小袋を投擲した。口の開いたそれは細かい砂を詰めてあり、アカバネの眼前で弾けるように飛散した。
「立て! 走れ!」
「で、でも……!」
何事か言いたそうなツムギを、半ば引きずるように立たせる。そしてクロキはその手を強く引いた。
正面から顔に砂を浴びたアカバネは、悪態をつきながら顔を覆う。顔の砂を払いのけ、涙に歪む視界でクロキを捉えようとする。しかし、突き刺すような目の痛みに思わず手が止まってしまう。
「この……」
二人分の足音が遠ざかるのを聞き、アカバネは追跡を諦める。やってくれたな、と苛立ちながら目を擦った。
「キノセ、コーダ、車を準備しな。他の連中は網を張れ。絶対に逃がすな」
アカバネの指示に従い、怪仁会は動き出した。