Ep1 不死身怪人
黒木圭一が怪人地区に連行されて、およそ二年が経過した。
世界から隔離され、あらゆる邪悪が収容される怪人地区。足を踏み入れたその時から、黒木圭一は怪人クロキと相成る。
正義と慈愛に満ちた人類領域から離れたここ、怪人地区では規格の統一された灰色のビル群が立ち並ぶ。怪人認定を受けたヒトは住居を割り当てられ、半強制的な労働によって日々の生活を管理されていた。
ざらりと伸びた長髪を緩く束ね、身の回りの品を旅行鞄に詰め込む。それから黒いワイシャツとスラックス、最後にジャケットを羽織った。
クロキは二年以上も過ごした部屋を後にする。もう二度とこの部屋に戻ってくることはないだろう。
曇天の隙間から差す陽光に目を細め、ジャケットの内側に隠し持った道具類に触れて確認。忘れ物はない。
捨てて惜しい品物もたくさんあった。特に人類領域から流れてきた新しいボードゲーム、それから新品のトランプは後ろ髪を引かれるようだった。
エレベーターではなく階段で一階まで降りると、クロキは一歩二歩と踏み出してから足を止める。それから住宅ビルを見上げ、しばし眺めた。
直後、クロキの部屋が爆炎と共に吹き飛んだ。
「だろうな」
淡泊な感想だけ漏らすと、轟音と共に炎上する部屋を背にする。もう少し早く予期していたなら、トランプだけでも運び出せただろうか。いいや、そんなことをしては気づいていることに気づかれてしまっただろう。
「そして」
地べたに旅行鞄を下ろすと、簡易ガスマスクを取り出した。迷うことなく頭から被ると、それからようやく一息ついて歩き出す。
恐らく今頃、毒ガスの類が周辺に散布されているはず。もちろんクロキの想像に過ぎないし、そうでないに越したことはない。だが可能性は大きいだろうと見ていた。何故なら確信めいた予感があったのだ。
「俺なら、そうする」
常に命を狙われるようになったのは二年前からだ。そしてこの二年、暗殺と襲撃から易々と生き残って見せた不死身怪人クロキは、うっすらと笑みを浮かべた。
行く当てのないはずだったが、つい先日クロキには朗報が届けられていた。よく利用する食料品店で働いている怪人が、クロキを探している者がいると伝えてきたのだ。
どうやらその人物は何故か、クロキに住居を提供したがっているらしい。その意図は全くの不明だったが、近々住居を失うだろうと予期していたクロキに選択肢はなかった。まずはその人物に会ってみて、そこで交渉してから考えたって良いだろう。何事も条件次第だ。
交渉とはルールの存在が前提になる。今朝のような、反則ギリギリの勝負とは違う展開になるだろう。ヒト回路によって半端な一手は命取りだ。
全人類が先天的に持っているヒト回路は、ルール違反を絶対に許さない。
一つ、暴力行為の禁止。
一つ、モラル違反の禁止。
一つ、闘争の禁止。
一つ、法律違反の禁止。
これら四原則に抵触した場合、神経伝達と意識を一時的だが喪失することになる。そしてこれらは本人の認識を根拠とするものであり、相手を傷つけようという意思を持った時点で罰則を与える。
あぁ、何と素晴らしき人類の神秘。
故にヒト回路に何らかの誤作動が認められた人類は、人類である権利を失う。
二年前ふとした拍子にそれが露見したクロキは、あっと言う間に怪人認定を受け、怪人地区に押し込められたのだ。
「鬼が出るか蛇が出るか。……それとも、藪蛇を突くくらいなら鬼の方がマシか?」
何の気なしにそんな冗談を言いつつ。クロキは事前に連絡を受けた地点へ立つ。早朝でもメインストリートは人通りが多い。これが罠だとしても、この状況で襲撃するのは難しいだろう。怪人地区で生活しているのは漏れなく怪人だが、クロキ以外のヒトを巻き込むようなことはできないはずだ。
「そろそろ時間だとは思うが」
ちらりと腕時計に目をやると、約束の時間だ。周囲に視線を巡らせると、郵便ポストの陰に隠れるようにしてこちらを覗いている人物を見つける。
巨大なリュックサックを背負った女で、体格は小柄。ゆらゆら揺れるロングスカートは走るのに向いていないだろう。腕も身体も細く、いざという時に戦える感じがしない。力もなく、動きも鈍く、脆弱な小娘だ。後は頭の方が優れているかどうか、という所だろう。
「……」
しかしその頭脳の方も期待できそうにない。あれが隠れているつもりなのだとしたら、ウサギかカメの方が賢いだろう。あるいは、あえてそう振る舞うことでこちらの油断を誘っているのか。だとしたら、それはそれで頭が悪い。そんな油断をする者が二年の襲撃を生き延びられるものか。
それともクロキに家を提供したいと言いつつ、クロキが何者なのか知らずにいるのか。
無数の可能性の中からクロキは、彼女は提供者の手下であり、無能が故にいつでも切り捨てられる者として選別されたのだ、というのがありそうだと考える。
「……リスを連想させるな」
きょろきょろと首を振って周囲を見ながら、忙しなくクロキの監視を続けるその様子は、隠したどんぐりが見つからず困っているリスを連想させた。頭のキャスケット帽がずり落ちないように押さえながら、首ごと視線を移動させている。
「おい」
声をかけると、その両肩が跳ね上がる。悲鳴を上げなかったのは褒めても良い。じりじりとお尻を引っ込めながら、ポストの更に裏側へ。ちらりと目を覗かせ、注意深い視線がクロキに向けられる。
「おい、場所と時間を指定したのはそっちだろう。俺がクロキだ。お前が待ち合わせ相手で間違いないか?」
「な、なるほど……。どうやら、私の監視に気づいていたようですね。流石です」
その少女はゆっくりと陰から姿を現す。背の高いクロキからすると、胸の辺りに頭が来る。少女はクロキを真っすぐ見上げた。
「お前の名は?」
「白鐘つむぎ。二ヶ月前からこの怪人地区に来ました」
「そうか二ヶ月か。慣れないだろうが、こういう時は怪人名で答えるのが通常だ」
「好奇怪人ツムギです」
「では改めて、俺が怪人クロキだ。とは言っても、俺については知っているのだろう?」
「不死身怪人クロキ、ですよね。有名です。実はお願いがあって呼び出しました」
「不死身怪人? ……いや、そうか。なるほど」
「……何か変ですか?」
「いやなに、大した事じゃない。続けてくれ」
ツムギは疑問を抱くが、当のクロキにそれを説明する気がない事を察したらしい。ツムギは言葉を続ける。
「命を狙われています。不死身怪人の力を貸して下さい……!」
ツムギは必死だったが、クロキは想定外のことに言葉を失った。
「実は、すこし前から私への正義執行が決まったみたいで……。どこから何が来るのか警戒し続けているので、ろくに寝る事もできません」
「ま、待て。お前は誰かの使いじゃないのか? お前本人が住居を提供すると、そういう話なのか? いやその前に、家の話はどうした。お前の命など俺は心底どうでも良い。まずは住居の話からだ」
片手を額に当てたクロキは、そう言いつつ一歩さがる。しかし同時に、ツムギが一歩詰めた。
「私の家に住んで構いません。と言うか、住んで下さい! その代わり、不死身の力で私を守って下さい! お願いします!」
「や、やめろ! シャツを引っ張るんじゃない! 皺が寄っては無様だろう!」
「そんなもん、ウチに来ればいくらでもアイロンをかけてやりますよ! お願いします!」
「くそ……! 小娘が、俺のシャツに手をかけるな! やめろ! 髪に触るな!」
しばしの攻防があり、一旦の落ち着きを取り戻したクロキは襟元を正しながら考えてみる。それからツムギにたずねた。
「先に聞いておく。正義執行など余程のことをしない限り、そうそうあるものではない。お前、そのナリで何をした?」
「そ、れは……」
今までの威勢はどこへやら、ツムギが狼狽える。それからもう一度辺りを見回してから、静かに告げる。
「歴史を、調べようとしました……」
それから聞こえたのは、クロキが息を飲む音である。想定外の答えであった。
「バカな……。お、お前、そんな自殺行為を何故……」
「だ、だって!」
歴史を調べるなど、最大限に気を付けてようやく法律に抵触しない、ギリギリの行為である。それを怪人になるまで進め、挙句に正義を執行される程のこととなるとクロキには理解できない。
「何と言ったか、お前は確か……。あぁそうか、好奇怪人だったか……」
「はい。私の怪人特性は、好奇心の向いた事に関してヒト回路が機能しないことです」
怪人とは、そのヒト回路が機能しなくなるほどの強い欲求から成る。それがあるのが当たり前だと、それが世界の常識だと、心から認識する事によって誕生する。それはヒト回路が当人の認識を根拠とする以上、人類が抱える避けられない異常だった。
「そして? その己の命より求めた、異常な好奇心の果てにあったのは何だった」
特に興味もなかったが、それこそ特に意味もなくクロキは言う。そして返ってきたのは、正義執行に値する内容であった。何の擁護もできない。
「はじまりの怪人。それと、この怪人地区の成り立ちについて、ある程度の調べがつきました」
「じゃあな。そんなものを追っていれば、それこそ命の数が足りん」
「ま、待って下さい! もう少しで見つけられそうなんです!」
「見つけるって、何をだ。はじまりの怪人など存在したのが何十年前だと思っている。死亡確認もされたし、仮に生きていたとしても……」
「およそ百二十年前です」
「そうか。なら何を見つけると? はじまりの怪人の遺骨でも探すのか?」
「リセットを見つけます」
「……リセット? バカな。正気か?」
クロキはその名に聞き覚えがあったが、下手な冗談よりも笑えなかった。
世界で最初の怪人であった、はじまりの怪人。それを閉じ込めるために怪人地区は誕生したが、はじまりの怪人はその邪悪さを失わなかった。
怪人地区と人類領域を隔てる全てを、一撃で崩壊させる超兵器。リセットと名付けられたそれは、その名が書かれた文書がいくつも発見されるも、結局誰一人としてその隠し場所に到達できなかった。人類の総力を挙げてもなお、この世界のどこにもありはしないと結論が出た。人類を惑わすための嘘八百、怪人らしい邪悪な流言。
そのはずだった。
「リセットは必ずあります。絶対に私が見つけてみせます。それまでは死ねない。殺される訳には行かないんですよ」
その目は、先ほどまでの頼りない印象とは大きく違っていた。力強く、瞳の奥に燃える豪炎は一切の障害を焼き尽くす決意を宿している。命と引き換えにしてでも成し遂げるヒトの意思が、そこにはあった。
倫理も常識も踏み越える欲求。世界を敵にする事を厭わぬ、怪人特有の孤独な輝き。クロキはそれを見て、認識を改める。
「なるほどな。どうやら単なる小娘、リス娘の類ではないらしい」
「……リスはどこから?」
「こちらも交換条件を言い渡そう。同行する報酬と受け取っても良い」
クロキは口元の笑みを隠さなかった。隠そうともせず、ツムギに告げる。
「見つけたリセットを、最初に使うのはこの俺だ」
いい加減、逃げ回るだけの生活にはうんざりしていた。逆転の一手を模索し、防御に徹するだけ日々。そして今ここにあるのは、勝利への可能性。
リセットという存在の有無や、見つかるか否かは考慮しなくて良い。この瞳が、それはあると言い切った。見つけて見せると約束した。ならばそれは、手に入る前提で考えて良い。
故に、クロキの今後打つ手はここに決まった。
「条件を飲め。リセットとやらが本当に想定通りの破壊力なら、ようやく勝負になる。敗北の回避ではなく、勝利を目指せる」
クロキは天を仰ぐ。その視線の先には、怪人地区を取り巻く巨大な壁。そして一際大きくそびえ立つのは、人類と正義の守り手、怪人を制御する機関である管理塔。
その中心に謎の砲撃を叩き込む未来を幻視し、口角を上げたまま睨み付ける。
「さぁ、ここからが勝負だ」
怪人地区に連行されたあの日と同じように、世界へ向けて中指を立てた。