《☆》婚約破棄などありません
☆さらっと読めるショートショートです。
気持ちの良い風が通る王立学園の渡り廊下を、職員室から受け取った生徒会の資料を持った第一王子と平民の奨学生ジェニーが歩いている。
王子の手には厚い本が二冊、ジェニーの手には一冊。「殿下に荷物持ちなどさせられません」「男が女性に重い物を持たせられるものか」と言い合った妥協点だった。
廊下の反対側から女生徒の集団が歩いて来る。淑女科の授業が終わって、皆で馬車へ向かうところなのだろう。
その女生徒の中に、王子の婚約者のマルシアを見つけたジェニーは危うくつまづく所だった。
「第一王子は今、平民の奨学生に夢中。おかげで、嫉妬した婚約者の侯爵令嬢マルシアと喧嘩が絶えない」
という噂が広まっているからだ。
根も葉もない噂なのだけど、王子と二人だけのこの状況は、あまりにもまずい。でも逃げ出せる所は無い。
あわあわしているうちに距離が縮まる。
「あら殿下。ご機嫌よう」
ジェニーが内心必死になって言い訳を考えている事など知らずに、二人に気づいたマルシアが優雅に声をかける。周りの女生徒たちも、思いがけない王子との邂逅に嬉しそうだ。
「生徒会のお仕事ですの? ジェニーもお疲れさま」
「は、はひっ!」
今までと違って冷静さを欠いたジェニーを訝しげに見ていた王子が、気づいたようだ。
「もしかして、噂を気にしているのかい?」
内心「その事をふらないで〜〜!」と叫びつつ、笑顔で「何の事かわかりません〜」とフルフル顔を振るから逆に挙動不審だ。
「気にしてたんだね。大丈夫。マルシアは私と君に何かあるだなんて疑ってもいないよ。当然、嫉妬もしていない」
そうなの?、という顔をしたのはジェニーだけではなかった。
全ての女生徒の視線を集めたマルシアが答える。
「ええ。殿下が他の女性にどんなに親切にしても、嫉妬などするわけありませんわ。私と殿下は、結婚してもっとすごい事をするのですもの」
にっこりと笑ったマルシアに、一瞬遅れて意味を悟った女生徒たちが声にならない悲鳴をあげて一斉に顔から火を吹く。
「マっ……! はしたない事を言うな!」
「あら、お世継ぎ誕生は全国民の望みですわ」
「今からそういうプレッシャーを与えないでくれ」
片手で顔を覆った王子に、ジェニー始め女生徒たちの視線がかぶりつきの勢いで注がれる。
いつも穏やかな笑顔で人に感情を読ませない王子が、素の感情を見せている! なんてレア!!
「私の家系はつわりが軽くて安産だそうですから、何人でも産んで差し上げますわよ」
「いや、そういう励ましよりデリカシーを持ってくれ」
「ふふっ、もっと語り合いたいですがそろそろ失礼いたしますわ。また明日。殿下、ここでお別れの口づけなど頂けたら嬉しいのですけど」
「ふざけるな」
「ほら、頬でいいですから」
「そのような慎みの無い女性は、私は嫌いだ」
「あら。……私は純情な殿下をお慕いしているのに。悲しいですわ」
悲しそうに目を伏せるマルシアに慌てて王子が言い募る。
「き、嫌いと言うほどでは無い……ぞ」
赤面して語る王子に、女生徒たちの心は一つになった。
尊い…………!!
彼女たちが心の中で自分を拝んでいる事など知る由もなく、マルシアに簡単な別れの挨拶をした王子は本を抱えててすたすたと去って行った。慌ててジェニーが後を追う。
馬車に向かうマルシアの後ろ姿を見ながら女生徒たちは、「殿下たちは喧嘩が絶えない」とはこの事かと納得した。
その後もよく口喧嘩をしている所を目撃され、「仲が悪い」「婚約破棄寸前」と言われつつも結婚した二人は、周りの心配をよそに仲睦まじく人生を歩んだのだった。
「好きな女の子をいじめてしまう男の子」の逆バージョンってどんなだろうと考えたら「女の子から男の子に下ネタ」と出たので思いついた話。果たして正解なのだろうか……。