7話 異世界事情
「じゃあ、まずは超ざっくりね!」
銀は指を一本立てる。
「この世界、名前は『アルメアド』。人間が暮らしてるのはもちろん、他にも獣人とか、エルフっぽいのとか、魔物や魔族なんかもいる。で、こっちでは“魔法”が普通に存在してて、みんな日常の中で使ったりしてる。火を点けたり、荷物を浮かせたり、簡単なやつは子供でも使えるレベル」
指をもう一本立てる。
「次に、“異人”。つまり僕たちみたいな外から来た人。これはそこそこ珍しいけど、過去に例がなかったわけじゃない。僕もそう。で、異人ってだいたい何らかの“能力”を持ってる。理由は分からないけどね。偶然なのか、それとも異界からの転移が原因なのか……まだ誰にも正体は分かってない」
そこで一呼吸おき、銀は椅子の背にもたれかかった。視線は天井の梁へ向いている。
「で、君たちももう気付いてると思うけど……この世界、そんなに安全じゃない。魔物も出るし、人間だって全部が親切ってわけじゃない。政治も軍も、それなりに機能はしてるけど、場所によっては無法地帯みたいなとこもある。だから……知識と警戒心は、絶対に持ってて損はないよ!」
「その点この街は安全安心だけどね!」と言いながらまた視線をこちらに戻す。この言い分からするに森の中に生物が少なかったのも人為的なものだろう。
「君たちがどんな目的でこの世界を旅するのか、僕は聞かないよ。無理に言わなくていい。ただ、命を長く保ちたいなら……“自分の知らないこと”に敏感でいてほしい。舐めてかかると、すぐ死ぬ世界だから」
打って変わって真剣な声色だった。けれど、脅しではなく忠告のように響いた。
「……わかった」
私は頷く。銀の言葉は、どこか現実感があった。軽い調子の裏に、何かをくぐってきた者の実感が滲んでいた。
「アルメアド、魔法、異人、危険。今の話を、後で御影に伝える」
「うん、それがいいと思う!……あ、そうだ。言語についても少し補足しておくね」
銀は立ち上がり、カウンターの脇に置いてあった紙切れとペンを拾い上げた。
「この世界には共通語があるんだ。読み書きはちょっと特殊だけど、音はそこそこ規則的。……で、異人の中には、僕みたいにそれを時間かけて学んだやつもいれば、急に読めるようになるやつもいる。君たちは?」
「読めない。看板の文字も意味が分からなかった」
「そっか。ま!最初はみんなそうだよ。もし学ぶ気があるなら、教えるよ?僕、一応教えるの得意だからさ」
軽く笑って銀は言った。
「君たちが、ここから先ちゃんと生きていけるように手助けはするつもり。ま、僕なりにだけどね!」
私は目を細めて、その言葉を受け取る。
「ありがとう、銀」
銀は「どういたしまして」と笑って肩をすくめた。
そこから何個か質問を懇切丁寧に説明をしてくれる、面倒くさがる様子も、要所を端折る様子も一切なかった。
「何故そこまで私達を気にかけてくれる?」
言葉に棘はない。ただ純粋な疑問だった。
私は真正面から銀を見つめる。彼の振る舞いは、あまりに自然で、あまりに親切だ。理由がなければ、かえって不自然なほどに。
銀は一瞬きょとんとした顔をした後、ふっと肩の力を抜いた。
「いやぁ〜……異人ってだけで、なんか仲間って感じがしてさぁ」
照れ笑いのような、気の抜けた笑顔。
その顔からは、見返りも損得も一切感じられない。あまりに軽くて、けれどあまりにまっすぐな言葉だった。
「……そうか」
私は視線を少しだけ逸らしながら呟く。
感情で動く。それが銀なのだろう。そう考えれば腑に落ちる。
こちらが何を返すかではなく、自分が助けたいから助ける。見返りを求めることなく。
「実際、私達は非常に助けられてる。ありがとうな、銀」
何度か礼はしたが改めて、静かに、けれどはっきりと言葉にして、私は銀に頭を下げた。
彼の手助けがなければ、ここまで順調に情報を集めることは叶わなかった。
今の私達が、問題なく街に入れたのも銀の存在があったからだ。
銀はぽりぽりと頬をかきながら、ちょっと照れたように笑う。
「へへへ〜……どういたしまして!」
銀は片手を上げ、まるで何でもないことのように笑った。
けれどその笑みは、不思議と、どこかあたたかいものを残した。
そこからさらにいくつかの話をした。
魔法の種類や、街ごとの特色。各種族の特徴や生息地など、興味深い内容ばかりで、聞いているうちに時間が過ぎるのを忘れていた。
「そろそろ夕飯出来るよー!」
厨房の方から、リレアの声がかかった。
「あ、はーい」
銀がのんびりと返事をする。
私は席から腰を浮かせ、ふと部屋の奥に視線をやった。
「御影は……部屋で寝てるのか、起こしてくる」
「はいはい〜。いってら〜」
銀は手をひらひらと振って見送る。
その仕草は、どこまでも軽く、どこまでも穏やかだった。
私は食卓から離れ、リレアに一言掛けてから、階段へと足を向けた。
軋む段差をひとつひとつ踏みしめながら、二階へ昇る。
昼間は静かだったこの家にも、今は微かに煮込みの匂いが漂っている。
温かな空気。けれど、どこか非現実的なままだ。
廊下を抜け、奥の部屋の扉の前で足を止めた。
静かだ。
御影の気配は感じるが、物音ひとつしない。
私は軽く息を吸って、軽くノックした。
音が響いて、しばらく間をおく。返事はない。
「御影、入るぞ」
声をかけながら、ゆっくりと扉を押し開ける。
中は二人用の寝室だった。
決して広くはないが、窓が一つあり、柔らかな自然光が差し込んでいる。
整えられたベッドが二つ並び、壁には小さな木製の棚がある。家具は質素だが、どれも丁寧に手入れされていて、不思議と落ち着く空間だった。
片方のベッドに、御影がうつ伏せになって突っ伏していた。
靴だけは脱いでいたようだが、服のまま、抱え込むようにして眠っている。
「……」
無言のまま、私は彼女のそばに歩み寄る。
頬に指を伸ばし、軽くつついてみる。が、反応はない。
浅い眠りではなさそうだ。
すぅすぅと穏やかな呼吸音が聞こえる。
私はその姿をしばらく見下ろす。
寝顔に、不安や焦燥は見えなかった。ただ、疲れ果てているように見えた。
御影が寝るベッドに座り込む、安寧の時間と共に、ひとつの思考が戻る。
鶴岡銀をどうやって殺すか。
それだけは、いまも私の中に根を張っている。
先程、確かに胸の奥に温かさが灯った。
それは偽りではない。
けれど、殺さない理由にはならない。
私はゆっくりと息をつく。
女神像の言葉を思い出す。異人は強く賢く、傲慢…女神像の言う異人と鶴岡銀は別のようにも見える……。
「……御影、起きろ。夕食だ」
まぁ、まだまとまりきらない情報に、今の時点で答えを出そうとするのは無意味だ。一旦考えるのをやめよう。
今度は少し強めに声をかける。
指先に、わずかに力をこめて、もう一度頬をつついた。