6話 異人
歩き続けて、もうどれくらいになるだろう。
差し込む日差しは徐々に鋭さを増し、草の匂いが湿った空気に溶けている。足の裏がじわりと痛むたびに、朝からの距離を思い知らされる。
「街、どんなところなんだろう。」
昨日に比べて御影が自分から口を開くことが多くなった。昨日の酷い状態からかなり落ち着いたようだ。
「さぁ。だけど異人は居る。気は抜きすぎないでね。」
そう告げた直後、森の先に広がるわずかな開けた空が、木々の隙間からちらりと見えた。私は立ち止まり、眩しさに目を細める。
「……あれ、見える?」
御影の視線も、私と同じ場所に向かっていた。
遠く、木々の先に瓦のようなものが並んでいる。ぼんやりと、けれど確かに人工物の影が見える。
「やっと、見えてきたね……」
御影がぽつりと呟いた
私は頷き、再び足を進める。まだ距離はあるが、目指すべき場所が見えたことに、ほんの少しだけ足取りが軽くなった気がした。
見えてから、さらに一時間程歩いて、ようやく街の入口へと辿り着いた。
……街というには、少しこじんまりとしている。規模で言えば、村の方が近いだろう。
簡易な木の柵がぐるりと集落を囲み、その外側には深さ数メートルほどの堀。決して豪奢なものではないが、最低限の防衛は意識されているようだった。
中を見渡せば、赤茶けたレンガ調の建物が整然と並んでいる。視線を上げれば、監視塔らしき高い塔が一本。さらにその奥、教会のような尖塔のある建物が空を突いていた。
何の変哲もない、けれど、明らかに“人の営み”がある場所。
私は足を止めた。この先に、異人がいる。
「ねぇナイ。なんか書いてるよ」
御影が少し前に出て、木の板を指差す。村の入口に立てられた、それなりに大きな看板。装飾もなく、ただ文字だけが刻まれている。
けれど、それが何を意味しているのか、私にはさっぱり分からなかった。
「……読めない」
「私も」
「この世界の言語かな…漢字でも、アルファベットでも無いし……。」
「御影と話せるから見落としていた、この世界の言語を私達は知らない。」
「じゃ、じゃあ。中に入っても他の人と会話出来ないし、意思疎通も取れないんじゃ……。」
御影と二人、顔を見合わせて言葉を失った、そのとき。
「ねぇ、もしかして…君たち、異人?」
後ろから声がかかった。軽い調子。まるで冗談みたいに。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
「何故そう思ったの?」
私は即座に男へ返答した。御影は驚いた様子で少し身構えている。
けれどその男は、ごめんごめんと軽く謝ったあと何の悪びれもなく笑った。
「だって君たち、ふたりで日本語喋ってたじゃん。凄いバレバレだよ」
そう言うと彼は歩み寄ってきた。白衣を羽織ってはいるけれど、袖はまくりあげられ、サイズが合っていないのか裾が地面を擦っている。背は男の割にそんなに高くない。むしろ低く御影と同じかそれ以下。けれど、その喋り方と動きには、妙なエネルギーがあった。
落ち着きのない雰囲気。だけど目の奥には、明らかにこちらを測る光がある。
「貴方は何者?」
私が問うと、彼は少しだけ胸を張った。
「鶴岡銀!元日本人で今はこの世界の住人。」
満面の笑みを見せこちらへ歩みを進める。
「言葉が通じるってだけで、なんか嬉しくなっちゃうよね。ま、異人同士仲良くしよ?」
手を差し出してきた鶴岡銀に、私は即座に応じる。表情は変えない。ただ、しっかりと握った。
「ナイ。後ろは御影サキ。二人とも、昨日この世界に来たばかりで。今の今まで、何も分からなかった。鶴岡銀、君に会えて助かった。」
「フルネームだなんてよそよそしいなぁ、銀でいいよ!」
相変わらず軽い口調。でも、表情には悪意も軽蔑もなかった。ただ、純粋な親しみと好奇心のように見えた。
「分かった、宜しくな銀」
そう返すと、銀は嬉しそうに笑って頷いた。
「サキちゃんも宜しくね!銀でいいよ!」
軽やかな声に、御影は一瞬戸惑ったような顔を見せた。けれど、無視するわけにもいかず、ぎこちなく笑ってうなずく。
「よ、よろしくね……銀」
そう一言だけ言うと、御影が私のそばに寄ってくる。少しかがみ、肩を並べて、控えめな声で言った。
「信用して、大丈夫な人なのかな…?」
御影は少し不安そうにしていた。表向きには落ち着いて見えるようになっても、根本的な問題は何も解決していない。
「今は大丈夫だ。もし何かされたら助けるから、安心して」
だから私は落ち着いた声でそう告げた。保証ではない。ただ、御影が立ち止まらずに済むように。
彼女が小さくうなずいたのを確認してから、私は銀に視線を向けた。
「もし良かったら、街のことを案内してくれないか?暫くはここに居ようと思うんだ」
そう頼むと、銀はぱっと顔を明るくした。
「え、いいの? うん、もちろん! 久々に異人に会えたからさ、案内したくてうずうずしてたとこ!」
彼は嬉しそうに、くるりと身を翻すと、手招きしてきた。
「監視塔と教会……は後ででいいか、来たばっかりだから宿の確保にご飯屋さんと服屋と…魔法……も後でいいか。利便性を考えるなら……」
銀は1人でブツブツと考え込んでしまった。
「先に宿だな。大きい荷物を置いてしまいたい」
私がそう言うと、銀は「あっ、そだそだ!」とぽんと手を打った。
「そうだよね! じゃあ、いつものとこ行こう。旅人が来たらまず紹介するって決めてる場所があるんだ。僕の知り合いがやってる宿で、まあちょっと古いけど、旅人の受け入れにも慣れてるし、安心できると思うよ」
彼は早速歩き出し、私たちもそれに続いた。
街に一歩足を踏み入れる。砂と土が混ざった細い道。左右には、赤茶けたレンガ調の建物が肩を寄せ合うように並び、通りを行き交う人々がちらちらとこちらを見やる。物珍しさからか、あるいは警戒か。いずれにせよ、その目に敵意は感じられなかった。
御影は少し肩をすぼめながらも、なんとか歩を進めている。銀が振り返って、何でもないような声で言った。
「最初はみんなこっちを見るけど、旅人なんて滅多に来ないんだ、悪意は無いから気にしないであげて。」
「あぁ。」
私はそれだけ返した。隣を歩く御影が、ほんの少しだけこちらに近寄ってきた。どのような形であれ人の視線は嫌に感じてしまうものだ。
やがて銀は、街の中心から少し外れた場所にある、こぢんまりとした建物の前で立ち止まった。外壁は木材と煉瓦を組み合わせた造りで、玄関の上には風に揺れる小さな看板。文字が読めないが、宿であることはすぐに分かる。
「ここがその宿。“リレアの家”って名前でね、元々は個人の家だったんだけど、今は旅人用の宿にしてるんだ。安心して、僕が話を通しておくから。」
そう言って、銀はさっさと中へ入っていった。
私たちも続いて建物に足を踏み入れる。柔らかい木の香りと、ほんのり漂う香辛料の匂い。どこか、懐かしい匂いがした。
「¤§∴Жψ→∇¤!」
耳に飛び込んできたのは、張りのある女性の声だった。振り向くと、カウンターの奥から、豪快な笑みを浮かべた女が姿を現した。
年の頃は三十代半ばほどだろうか。日に焼けた肌に、肩まである栗色の髪を無造作に後ろで束ね、袖をまくったシャツの下からはしっかりと鍛えられた腕が覗いている。片耳には宝石の着いた耳飾りをしており、背は高く、動きに一切の無駄がない。
「おかみさん、この子たち、異人だよ。昨日来たばっかで、右も左もわからないって」
銀が紹介すると、女主人は「ほほう」と片眉を上げて私たちをじっくり見た。視線には品定めのような厳しさもあったが、それ以上に、相手をきちんと受け入れようとする誠実さがあった。
耳飾りに指で触れると宝石のようなものが少し光を発したように見えた。
「なるほど、確かにそれっぽいな。……まあ、変な輩には見えないし、銀の紹介なら間違いないか。部屋、空いてるよ。二階の奥、二人で一部屋だけど広い部屋だから安心して。」
突然彼女は私達3人と同じ言語を発した、彼女も異人なのか?
いや、この街には銀しか異人は居ないはずだ。銀が日本語を教えた可能性もあるが、こんな流暢に話すのにはどうにも違和感がある。
「ありがとうございます」
とりあえず私がそう返すと、彼女はニッと笑い、手のひらでカウンターをばんと叩いた。
「挨拶がまだだったね、あたしはリレア。この宿の主で、料理も掃除もついでに客のしつけも全部あたしの仕事だ。困ったことがあれば何でも言いな。……無理なもんは断るけどね!」
リレアが大きく笑うと耳飾りもそれに合わせて揺れる。先程の光は見間違いではなく、確かに光を発していた。
耳に光る小さな宝石が、何か魔法的な道具なのだと想定した。話が通じるのは、あれのおかげかもしれない。
「ナイです。こちらは御影サキ。助かります、少しだけ、ここに落ち着かせてください」
「ナイちゃんにサキちゃんね、よしよし覚えた。旅で疲れてるだろ?水でも飲むかい?」
彼女が指差した先には、木のカップに並々と注がれた水があった。御影が一瞬だけこちらを見て、うなずいた。
「いただきます」
御影がそう言ってカップを取ると、銀も横から声を上げた。
「ここの水、美味しいよ。井戸水だけど、濾してあるから安心して平気」
「……ありがとう、ございます。」
水を飲む御影の手が、少しだけ震えていた。けれど、表情は少し和らいでいる。宿という安堵の場が、彼女の神経をほどいてくれているのかもしれない。
「お、美味しいです。」
小さく、だが確かな声で御影がそう呟いた。
「はは、そう言ってもらえると嬉しいねぇ」
リレアは満足そうに笑い、カウンターの奥に戻ると何やら鍋の蓋を持ち上げて中を確認していた。
「夕飯は適当に出すよ。あんたたち、銀の紹介ってことで今夜はサービスだ。味は保証しないけどね!」
「そんなこと言ってえ〜、リレアさんの料理、ほんと美味しいから期待して大丈夫だよ。」
銀が笑いながら言うと、リレアは「ふん」と鼻を鳴らし、照れ隠しのように鍋をかき混ぜた。
御影は木の床に荷物を下ろしながら、私を見てくる。
まだ落ち着ききってはいない。けれど、今はそれでいい。今日という日をまず無事に終えられる場所がある。それだけで、十分だ。
「銀、良ければ夕食までの間にこの世界について教えて欲しい」
私がそう言うと、銀はぱっと顔を明るくした。
「もちろん! 何が知りたい? この世界って一口に言ってもいろいろあるけど、基礎から? それとも異人向けの話?魔法?言語?」
「そのあたりも含めて、少しずつ順に聞かせて」
まだ日も高い。時間はある。けれど、朝からここまで歩き続けてきた御影は、明らかに疲れていた。顔には出していないが、歩幅も、目の動きも、どこか緩い。
彼女が無理をしてまで私に着いてこようとすることは分かっている。だから、言葉を選んで命じることにした。
「御影、荷物を部屋まで運んでくれ。運び終わったら部屋で少し休憩して」
御影は一瞬だけ銀と私を見て、それから小さくうなずいた。
「うん、分かった」
それだけを言って、無言で荷物を持ち上げ、階段を上っていった。足取りは重くはないが、静かだった。
私はその背をしばらく見送ってから、視線を銀に戻す。
「本来は街を見るつもりだったけど、御影はかなり疲れてる。私がある程度聞いてから噛み砕いて伝えておく。
この世界について、知ってることを教えてくれ」
私が静かに告げると、銀はふむ、と頷いて椅子を引き寄せた。軽く腰を下ろしながら、視線をこちらに戻す。