4話 森の戦い
家を出ると、湿った風が頬をなでた。
朽ちかけた一軒家は、小高い丘の上に建っていた。
足元の石畳はひび割れ、草が隙間を埋めている。道はそのまま森へ続いていた。
あの森の中にある町に、異人がひとりいる。
向かう理由は、それだけだ。
空は雲に覆われ、太陽は見えない。
淡い光だけが、景色を照らしていた。
「今から森に入るけど。荷物、平気?」
振り返ると、御影サキは肩に筒をかけ、重そうな荷を背負っていた。
「うん、大丈夫。これくらいなら平気。」
そう答えた御影サキの肩には、数日分の食料や薬品が詰まった袋がしっかりとかかっている。背中には刀が一本、腰には革の水筒と小袋もぶら下がっていた。
私も荷物を少し持つか聞いたが断られた。理由は分からない。自分で荷物を持つことで役割を果たしたいのか、それとも私を信用していないのかもしれない。
(まぁ、困りはしないからいいけど。)
私の手元にあるのは、私達の異能についてまとめた紙切れ、腰に差したナイフだけ。荷物らしい荷物は何も持っていない。
「先に歩く。ついてきて。」
森に入ると、空気が変わった。冷たく、湿り気を帯びている。
足元の土はやわらかく、露を含んだ葉が歩くたびに脚に触れた。
木々は密に生い茂り、昼でも薄暗い。頭上の葉が光を遮り、世界は静かだった。
音を立てずに歩いた。私も、彼女も。
会話はなかった。必要もなかった。
ただ、黙々と進んだ。
途中、川らしき流れを見つけ、それに沿って進路を定める。
地図に記されていた川だ。このまま進めば町に着くはずだ。
御影サキの呼吸が、少しずつ乱れてきたのに気づいていた。
荷の重さが負担になっているのも、歩き慣れていないのも、明らかだった。
それでも、私は止まらなかった。
彼女から「休みたい」と言葉が出るかを見ていた。
自分の意思で動くのか、それとも私に判断を委ねるのか。
そのどちらでもいい。ただ、それを見極めておきたかった。
だから、私は何も言わずに歩き続けた。
どれくらいの時間が経っただろう。
私自身に疲労はあまりなかった。
手ぶらに近い身で、足元さえ注意すれば負担はほとんどない。
ただ、長く歩けばそれなりに体力は削れるし、集中力も落ちる。
御影サキの足音も、時折間が空くようになってきた。
背後から、かすかな「いたっ」という声が聞こえた。
振り返ると、御影サキが頬を押さえて立ち止まっている。
「……どうした?」
「枝……顔に当たっちゃった。大丈夫、ちょっと切れただけ。」
とうやら目の前にある枝に気づかず、頬を切ってしまったみたいだ。
疲れて集中力が落ちていたせいか、それに気づかず進んでしまったのだろう。
細く浅い傷から、赤い線がにじみ、うっすらと血が出ていた。
「手当てするから、荷物を置いて。そこに座って。」
私は声をかけ、近くの木を軽く顎で示した。根元は苔に覆われ、ほどよく平らになっている。
「え、大丈夫だって。ほんとにたいしたことなくて……」
御影サキはそう言いながらも、視線を逸らしていた。断る気持ちよりも、遠慮が先に立っているのが見て取れる。
私は歩み寄り、彼女の背から荷を外すと、そのまま地面に下ろした。
「いいから、座って。」
拒否の余地を与えずに言うと、サキは観念したように木にもたれかかった。
荷をひとつひとつ確かめるまでもなく、外側のポケットに、治療用と書かれた瓶が差し込まれていた。
引き抜き、蓋を外す。匂いはしない。薄緑の液体が、瓶の内側にゆっくりと揺れた。
私は自分の服の袖に、薬液を少しだけ染み込ませる。
そして、御影サキの頬に手を伸ばした。
彼女はわずかに身を引いたが、それ以上の抵抗はなかった。頬の傷口に、静かに布を当てる。
肌がわずかに震える。痛みではない。緊張だ。
「傷が残ると厄介だ。せっかく可愛い顔なんだから。」
出るとこは出てる局部に、引き締まった体。見た目だけなら私みたいなちんちくりんよりずっと魅力的だ。将来的には、色仕掛けをさせるかもしれない。だから顔に傷が残っては効果が下がる。今のうちに迅速に処置しておかないと。
「え…あ、ありがとう。」
困惑と緊張が混ざり、単調な返事が返ってきた。
この行動は先の可能性を広げるだけでなく、依存させる作戦にも繋がる。『私は御影サキの敵じゃない、味方だ。』と言う感情をしっかりと植え付けていく。
袖を離すと血の跡だけが残り、切り傷は綺麗さっぱり無くなっている。
「暫くしたら私からまた声をかけるから、それまで少し休憩にしよう。水も飲んでいいし困ったことがあれば言ってくれ。」
私はそう言うと御影サキから離れ、川の方へ足を進める。
(数時間歩いたけど、動物のふん尿どころか足跡、痕跡すらない。)
水は生命活動に必要不可欠、なのに周りに動物は居ない。川を見ると透き通って綺麗で流れもある程度ある。
(動物が飲みに来ないのは毒が入ってるか、はたまた何か細工がされていて近付けないか、変な臭いもしないし流れる速度的にも不純物は少なそう…最悪の場合は煮沸して飲んでみよう。)
そもそも、森に入ったのに動物や魔物と会わない事自体に違和感を覚えていた。それがこの川近くだからなのかは分からないが、街に着けば何か情報を得れるかもしれない。
川から離れ視線を御影サキに向ける。少し、ほんの少しだが初めてあった時より表情に余裕が出てきたように見える。
「御影サキ、今日はもう少し歩こうと思うけど足はどう?」
「あ…うん、大丈夫。もう歩けるよ。」
彼女は休憩終わりの合図と取ったのか、立ち上がる素振りを見せる。私が声をかけたから出発すると思わせてしまった。
「すまない、急かしたようになってしまった。
もう少し休憩をとるからまだ座っててくれ。」
そう言うと御影サキは「…うん。」と一言だけいい、その場に座り込んだ。身体を止めると思考が加速する、考えたくないことを考えてしまうから早く動きたいのだろう。しかし、疲労が溜まってるのも事実。
「御影サキ、私にやって欲しいことはあるか?」
「……え?」
「私が指示を出すとは言え、私達は主従の関係では無い、今のままだと仲間という関係性には程遠い。だから、荷物を持ってもらったぶん、私もなにかしよう。何をして欲しい?」
だったら私が思考を誘導する。考えるのをやめさせるのでは無く、他のことを考えさせる。
私の言葉を聞いてしばらくの間悩む様子を見せる御影サキ。こちらの世界に来てからほぼ私の言う通りだったからか、自分の意思を出すのに難儀してる様子だった。
5分ほど間が空いてから、ゆっくりと口を開く
「……な、名前。フルネームだと違和感があるから。御影、かサキ、で読んで欲しい。」
「分かった。御影、改めてここから宜しく。」
「うん…え、ええと…そういえば名前って…」
「名前は無い。」
「ナイ…分かった、宜しくね、ナイ。」
食い違いこそ起きてしまったものの、これだけ長い会話をするのは初めてだった。記憶が無く、名前も現状無かったが、今は御影の言葉に否定をしたくないし、丁度よく名前が出来たので結果的には問題ない。
「御影、もうそろそろ動こうと思うけど、大丈夫?」
「うん、任せて」
その時だった。
「キキッ……ギャギャ……」
笑い声のような、喉を鳴らすような音が木々の間から漏れた。
薄暗い森の中、足音よりも先に、不気味な気配が忍び寄る。
単体ではなく、2体いる。こちらの存在に気づいているのか、わざと音を立てているようにも思えた。
姿が遠くにだが見えた。緑がかった土気色の肌に、尖った耳と黄色く濁った目。身長は子供ほどで、痩せ細った体つき。
「御影、なにか来る。戦えるか?」
声をかけ御影の方を向く、少し穏やかになった表情は消え、青白くなった顔が、瞳孔の開いた眼が、気味悪いあの小人達を見つめる。
あちら側は完全にこちらを捕捉してる。
濁った目が御影を捉えた瞬間、顔に歪んだ笑みが浮かぶ。よだれを垂らしながら、にやりと口角を吊り上げた。
戦うのは愚か、逃げるのすら難しそうだ。
(私1人で、対処するしかない。)
片手でナイフの柄を握り、すぐに動き出すよう準備する。足元にころがってる小粒の石も数個ポケットに忍ばせる。その際紙切れに指が触れた。
異能の概要が書かれた紙切れ。
これを読んだのは、家を出る直前だった。
異能の仕組みについては、この紙一枚にまとめられていた。
“感情制御。通常時、感情の80%を遮断。完全遮断で痛覚や恐怖反応も消失。異能を解除すれば通常通り。偽感情の生成も可能。発動・解除は脳内で念じることで行う。”
それを読んだ瞬間から、私はどこかで人間をやめ始めていたのかもしれない。
(…完全遮断)
色が褪せた。音が遠のく。少しだけあった恐怖の感覚が、あっけなく霧散していく。
思考は冷たく、視線は一点に定まっていた。
私はナイフを構え、迷わず走り出した。
狙いは、二体のうち手ぶらの方。
棍棒を持った小人は、攻撃の手口が見えている。重い一撃を振るうしかない以上、軌道も速度もある程度は読める。
だが、武器を持たない奴は違う。牙で噛みつくのか、殴りかかってくるか、武器を隠し持っているのか、見なきゃいけない択が多くなる。
だから、先に始末する。
襲いかかる私に、小人は反応が遅れた。
こちらの存在に気づいていなかったのか、それとも眼中になかったのか。
たじろぎ、近付くなと無作為に腕を振り回す。その隙を、逃す理由はない。
私はナイフを両手で握りしめ、勢いのまま跳び込む。
体を屈ませ喉元を狙い、力いっぱい刃を突き立てた。
刃は抵抗もなく喉にめり込み、湿った音を立てて肉を裂く。
温い血が手や顔にかかり、小人の身体がびくついた。
一瞬のうちに、手応えが抜け落ちる。
ナイフを引き抜くと、小人の体は崩れるように倒れた。
「ギャギャァア!」
残る一体が、こちらを睨みつけながら棍棒を振りかぶる。
重量のある武器が唸りを上げ、振り下ろされる瞬間、私は逃げずに踏み込んだ。
左腕を盾のように構える
激しい衝撃が走り、骨が砕ける鈍い音が耳の奥に響いた。
それでも動きは止めない。痛みは思考の外にある。
右手に握ったナイフを構え、そのまま奴の顔へと突き上げるように振るう。
刃は右目の奥に深く突き刺さった。
小人の口が大きく開き、悲鳴とも呻きともつかない声が漏れる。
棍棒が手から落ち、重たく地面に転がった。
喚き声を上げながら後ずさる小人を見て
私は間を与えず、拾っておいた石を左目めがけて投げつけた。
石は的確に眼球を打ち抜き、小人はさらに甲高い悲鳴を上げる。
両目を押さえてうずくまったその隙に、地面に落ちていた棍棒を拾い上げるとそのまま躊躇なく、顔面に向けて力任せに振り抜いた。
小人は、糸が切れた用に地面に倒れ込んだ。