2話 感情制御
「……それで、私の異能ってなに?」
問いかけるまでに、わずかな沈黙があった。
無感情な声に向き合う気力を整えるように、呼吸をひとつ置いてから、言葉を出す。
《その前に。貴女はまだ、“異能”というものを詳しく知らないのでは?》
「じゃあ、教えて。」
まるで台本に書かれたセリフでも読むように、口が勝手に動いた。
これは会話というより、説明を引き出すための儀式だ。
《異能とは、“異人”だけが扱える特異な力。実体を持ち、身につけることで発現します。貴女も、それを得た“異人”の一人です》
《異能は、装備し、体内に取り込み、または融合することで使用可能となる。そして、“異人”同士であれば、その力を譲渡・継承することも可能です。》
《たとえば――空間をねじ曲げる者もいれば、炎を自在に操る者もいます。数秒先の未来を読み取る者、傷を瞬時に修復する者、無機物と対話する者。能力の性質や強度は異人ごとに異なり、汎用性のあるものもあれば、極めて限定的な力もあります。》
女神像の返答はあまりにも早すぎて、まるで待っていたかのようだった。
準備されていた説明、私は、そう感じずにはいられなかった。
「ふうん。で、私のは?」
《貴女の異能は、“感情制御”。その名の通り、感情を自在に抑える力です》
《恐怖、怒り、悲しみ、焦り、人が行動を誤る要因となる情動を、意識的に消すことができます。》
《それにより、極限状況でも冷静さを保ち、痛みや不安にも動じず、戦術的判断を最優先に行動できるのです》
《この制御は自己限定的であり、他者に影響を及ぼすことはありませんが、その分、自身の精神は外部の干渉に極めて強くなります》
《幻覚、催眠、感情操作、それらに対しても、高い抵抗力を発揮するでしょう》
《要するに、“感情に流されずに動ける”という能力です。》
女神像の声が静かに止む。
私はわずかに目を細めた。
なるほど、と思った。
便利な能力。状況判断や任務の遂行には確かに役立つ。
恐怖に縛られず、焦りに呑まれず、冷静に“処理”できる。
――だが、それだけだ。
力で敵を圧倒するわけでもなく、防御に優れるわけでもない。
「異能」という言葉から思い浮かべるものとは、明らかに別の方向性だった。
("殺す"だけなら、確かに向いてるけど)
心の中で皮肉のように呟く。
話を聞いても私が選ばれた理由に、少し釈然としない気持ちが残った。
もっと強い力を持つ者がいるのではないか?そんな疑問が、ほんの少しだけ浮かんだ。
《貴女ひとりに全てを任せるわけではありません。既に、異人を討つ役目を担う者が外にいます》
「……外に?」
《貴女と同じように、“選ばれた”者。名は御影サキ》
《貴女と同時期に、異能を得ました。互いに足りないものを補い合い、目的を果たすために協力して下さい。》
女神像は、まるでそれが当然であるかのように告げた。抑揚のない声、感情の読めない口調。
脳裏に浮かんだ疑問が、言葉になる前に潰される感覚。まるでこちらの思考すら読んだかのように、必要な情報だけが即座に与えられる。疑う暇も、反論する間もない。
そんな応答に疲れた。
用意された説明。ぴたりと噛み合う言葉。感情を制御していても分かる、この“出来すぎている流れ”に、心がついていかない。困惑する余裕すらなくなり、最後には思考が止まる。
「……そう。」
口をついて出たのは、短い相槌だけだった。
《後ろに扉があります》
女神像の言葉に、思わず視線を背後へ向ける。そこには確かに、一枚の古びた鉄扉があった。今まで気づかなかったのが不思議なくらいに、存在感を消していた。
《扉の向こうで御影サキが待っています。彼女には、必要な物資を持たせてあります》
《金銭、消耗品、地図、そして“現在この国に滞在している異人”のリスト。それらはすべて、二人で使用することを前提に揃えました》
またしても、完璧な準備。
当然のように整えられた環境と、会ったこともない他人との即席の関係。まるで脚本のある舞台を演じさせられているような感覚に、胸の奥がかすかに軋んだ。
それでも顔には出さず、淡々と振り返り、扉へと歩を進めた。
私は静かに鉄扉に手を伸ばす。冷たく、ざらついた表面。わずかに錆びた鉄の匂いが鼻をつく。
《貴女の働きに、神の御加護があらんことを。心より、期待しております》
返事をせず、ただ静かに扉の取っ手を動かす。
きぃ、と鈍く軋む音。重たい扉は、ゆっくりと外の空気をこちら側に運んできた。
背後から何を言われても、もう振り返る気はなかった。
この先に何が待っていようと、それを選ぶ余地すら、自分には与えられていないのだから。
私はやはり“予定通り”動かされているだけなのだろうか。