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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔王と勇者は恋仲です。

作者: 万千澗

見つけていただき、お時間いただきありがとうございます!

ぜひ感想など頂けると嬉しいです!


ではどうぞ。

「あれが魔王城……」


 兜の隙間から覗き見るは巨大な古城。

 大陸北部、通称北方区域は魔族、魔物が跋扈する危険区域。

 

 晴れることのない曇天は不機嫌そうに光を放ち重い音を轟かせる。

 瘴気の濃い植生の気配のない滅紫の大地には、獣などと形容すれば過少な評価になる悪鬼羅刹。


 視線をどこにやろうとも強烈な印象を与える風景が広がる中、鎧の人間が真っ先に目に留まるは生活の気配がまるでない古城。

 結構な距離離れてもなお視界の大半を埋めてしまう古城はもはや城塞都市とも言える規模だが、徘徊する魔物は古城の外、魔族一体の姿も城の中に確認できない。


 それどころか――――


「感知スキルの反応は一つだけ……本当に魔王しかいないのか……。まー六冥尊と魔王を相手取るのは流石に厳しいからこれは好機だな」


 兜に籠る声はどこかノイズが混ざっている。

 少し汚れた白の鎧は全身を包み、両腰の帯剣、背中には槍などの長物。

 

 この北方区域に魔王城なるものが出来てもうすぐ百年。

 何度も軍隊を送り、そのたびに返り討ちにあって来た歴史はあれど、単身で乗り込もうとしてきたのはこの人間ただ一人。

 

「周囲の魔物の数は……一万は超えてるな。面倒だし、直接行くか」


 鎧の人間は背中の槍を取り出し逆手で握る。

 弓の名手ですら古城の敷地内に矢を射るのも難しい距離にもかかわらず、鎧の人間は槍を握り膝を曲げる。

 途端、青白い輝きが鎧の胴部から漏れる。

 別段特徴のなかった槍が、光に包まれて煌びやかな純白の槍へと変化する。

 

「せーのっ!!」


 屈んだ足に力を込めて跳躍する。

 踏み込んだ大地は粉々に砕け散り、跳躍の衝撃で少し離れた魔物が吹き飛ばされる。

 大気を押しのけ轟音を響かせながら鎧の人間は古城へと飛んでいく。

 そして城壁を超え、中央にそびえる古城の中――感じ取った圧倒的な存在感の気配に狙いを定める。


「聖槍ペネトレイト!!」


 高度は古城の頂上よりもはるか上。

 そこから気配に向かって槍を投擲。

 ただ槍を投げただけとは思えない衝撃に、世界に蓋をするかのような背後の分厚い黒雲に巨大な凹みが生まれる。

 

 天から降り注ぐ槍は白い軌跡を作り城の中の一室に直撃する。

 対城壁用の大砲ですら豆鉄砲に思えるほどの威力により古城は一瞬にして半壊。

 余波で周りの城壁なども甚大な被害を被る。


 この一撃だけでも過去の魔王城攻略戦の歴史を辿れば十分過ぎる功績。

 それでも鎧の人間は消えない気配に気を緩めず古城に乗り込む。


 壁や天井の概念が無くなった古城の大広間に着地した鎧の人間。

 着地の衝撃でひび割れが広がり、パラパラと瓦礫が崩れる。


「久しぶりの来賓かと思えば随分な挨拶だな人間。これは魔骸具(まがいぐ)……いや聖宝具(せいほうぐ)か。つまり貴様はその域に達しているというわけか」


 異物が混じったような不鮮明な声。

 大広間の最奥にある豪奢な椅子に座る巨大な気配の存在。

 暗闇に光る赤目、黒色の硬質的な肌、額から伸びる角、鎧の人間の数倍になる体躯。

 

 魔王と呼ばれる存在が、襲撃されたにしては冷静な態度でそこにいた。

 その禍々しい手にはこれほどまでの被害を出した白い槍を掴んでおり、やがてそれは元の槍へと戻り腐るように崩れ落ちる。

 

「全身の純白鎧、この力、その存在感……なるほど。貴様が人族最強と謡われる“鎧の勇者”か。勇者細胞の最高覚醒者らしいな」


「いかにも。かく言うお前は魔王で間違いないな?」


「……まー我を世間ではそう呼んでいるらしいな。さて、謁見前にこれほどまでのことをしてくれたのだ。今更茶でもしに来たと言っても信じられんぞ?」


「当たり前だ。私はお前を倒しに来た」


 鎧の勇者は両腰の剣を抜く。

 さっきの槍とは違い、こちらは市に出回ればそれなりの値が張りそうな上等な逸品だが、先と同じように鎧から青白い光が漏れると、その両剣は変異し聖剣へと成り代わる。


「やる気十分というわけか……。よかろう、退屈しのぎにはなるだろう。だがその前に鎧を外し素顔を見せよ。人族でもその素顔を知る者は少ないと言われた鎧の勇者の顔、実に興味深い。殺してから見ても構わないのだが、うっかり塵にしてしまう可能性があるのでな。その声、我が魔眼ですら上手く読み取れないその姿。その鎧には認識を阻害する力があると見て取れる。そこまでして己が正体を隠す理由……実に興味がある」


「それはお互い様だろう。その悪鬼のような姿……見識スキルも、傾聴スキルも霞んで上手く認識できない。その正体もまやかしなのだろう。かの魔王が自分の姿を偽る理由。興味がないとは言わないが、その化けの皮を剥いで解き明かすまで」


 鎧の勇者は二本の聖剣を構える。

 魔王もまた台座から立ち上がり威圧するように魔力を放つ。

 

「仕方がない。ではその目障りな鎧、粉々にしてやろう」


 空間に展開される複数の魔法陣。

 そのどれもが同じ構造のものはなく、鎧の勇者は警戒する。


 魔力を持ち、魔法と呼ばれる力を行使する存在――魔族。

 その王が使う魔法、一切油断できるわけもなく。

 

「さきの槍といい、その両の剣といい、本来勇者の扱う聖宝具は一人一つのはず。鎧や背中に残る複数の長物武器。推察するに、貴様の力は他の勇者と少しことなるようだな。さしずめ貴様の聖宝具の能力は武器を聖宝具に変えるというところか。あの槍の結末を見るに、聖宝具に変えたとしても力を行使出来る回数は決められているのだろう」


 魔王の分析に鎧の勇者はつい漏れそうになる動揺を押し殺す。

 手の内がバレたことに違いはないが――――


「問題はない!」


「来い!」


 魔王と鎧の勇者の攻防。

 一撃目の槍が霞む攻撃の応酬。

 一撃、一振りが周囲を巻き込み、古城の損壊は倍々に酷く、辺り一帯が更地となるまで一分とかからなかった。


 地図を変えるほどの魔法の魔法と、それらすべてを無に帰す鎧の勇者の斬撃。

 古城の周りに跋扈していた魔物達は、無慈悲にも戦いに巻き込まれて倒されていく。


 戦いとは無縁の存在がこの激戦を見れば世界の終焉を想起させ、戦いに身を投じる存在がこの死闘を見れば自身の実力が赤子以下の虫けらのように感じ取れてしまう。

 

 戦いは勢いを増していき、大地も空も原型を留めていない。

 手加減をしているつもりもないが、両者ともに決定打に欠ける戦いが続き、かといって相手が消耗するのも期待できない。


「我とここまで相対したのは貴様が初めてだ! お礼にとっておきをくれてやろう!!」


「こっちも奥の手を使わせてもらう!!」


 魔王は手を前に出すと赤黒い魔方陣が展開され回転を始める。

 対して鎧の勇者もまた、背中の薙刀を抜いて聖宝具へと変える。


再現魔法(トレースマジック)――破壊術式(ブレイクスペル)分解する光(レイ・ディサセムブル)】」


「聖薙エクスポージャー!!」


 魔王の雷閃眩い赤黒い光線と、鎧の勇者の光の斬撃。

 二つの力がぶつかると同時、劈くような轟音とすべてを薙ぎ払う衝撃が広がる。

 強大な力の衝突で黒煙が蔓延し、嘘のような静寂が世界を包む。

 

 一呼吸だけの休憩。

 とっておきの一撃だったわけだが、相手の気配が消えることはなくまだ決着がついていないことを互いに悟る。

 

「あれを耐えるとはさすが勇者――――」


「魔族の王と言われるだけある――――」


 両者ともに言葉を遮ってしまうほど驚き固まる。

 土煙が晴れ、互いの姿を確認する。

 魔王の魔法によって鎧が砕かれた勇者と、勇者の聖宝具によって認識阻害の力を薙ぎ払った魔王。

 

 ノイズのかかっていた声も、上手く認識出来なかった容姿も、相手を捉える上で邪魔していたものは一切ない。

 だからこそ、相手の本当の姿に困惑する。


 魔王の心中、今まで戦った中で群を抜いて強いと内心評価した勇者の姿。

 鎧姿から屈強な男を想像していたが、土煙が風で流れて姿を現したのは凛とした空気を纏う少女。

 襟首当たりで毛先が揺れるボブカットは雪のように白く、儚く溶けてしまいそうな透明感がある。

 風が通り抜けるとさらりとした髪が揺れ、その隙間から氷晶を閉じ込めたかのような澄んだ蒼い瞳が覗く。

 容姿から想定する年代の少女にしては少し長身で、日々鍛え上げた引き締まった体躯と、まっすぐ伸びた背中、芯が一本まっすぐ据わっている立ち居振る舞いが力強さと揺るぎなさを感じさせる。

 すらりとしたシルエットに、シャツの布地が張ってかつ均整の取れた豊かな胸元が映える。



 対して勇者が見据えるは、過去最大の強敵と断言できる魔王の姿。

 悪鬼羅刹の様相から真の姿も近しいものを想起していたが、いざ現れるは不思議な存在感を醸し出す少女。

 闇の世界の住人であることを意識させる漆黒の髪は腰辺りまで届き、その滑らかな絹糸のような質感は風になびかれて艶やかに光を反射させる。

 燻る炎のように妖しげに煌めく、まるで紅玉を思わせる深い緋色の瞳が闇の中に輝く。

 魔王所の誕生からの年月を鑑みて実年齢は百を超えているだろうが、見てくれは若々しい少女そのもの。

 身長は見た目の年齢の人間と比較しても高すぎず低すぎず、躯体は程よくしなやかだが決して華奢ではない。

 緩やかな曲線を描くシルエットは大人びた色気を帯びて、布地を柔らかく押し上げる豊かな胸元は意図せずとも目を引く。

 知性と余裕を湛えた眼差しをしながらも、どこか飄々と掴みどころがない自由奔放さを感じさせる不思議な存在感を醸し出していた。


「勇者お前……女だったのか?」


「それはこっちのセリフよ……」


 お互い言語変換の力も消えたのか、ノイズが晴れた澄んだ声で話すはおそらく本来の口調。

 動揺し、そしてなぜか胸が高鳴っている自分自身に困惑する両者。

 

 命を懸けた戦いで感覚が研ぎ澄まされているせいか、拮抗した実力者相手に高揚感が収まっていないせいか。

 何故か相手の吸い込まれるような瞳に目が離せず、脳裏に焼き付くように相手の声が鼓膜を刺激する。


 過去、勇者と呼ばれる人間と何度も戦ってきた魔王は彼らのことを思い出そうとしても、顔はおろかどんな戦いだったかすら思い出せないほど記憶にない。

 それでも今目の前にいる勇者だけは忘れることはないという確証が何故か生まれた。


 鎧の勇者として幾度となく魔族と戦ってきた勇者は当時のことを思い返しても日常の一つでしかなく、特に語ることが出来るような記憶はない。

 それでも眼前に控える魔王に関しては特別な記憶になるという確信が何故かあった。


「鎧の勇者……お前、私のものとなれ。その強さ、その様相、実に興味深い。本来なら私のこの姿を見られた以上生かして返すことはないが、我がものとなるのなら、その命天寿まで繋げてやろう」


「断るわ。アタシの姿を見ようが見まいが関係ない。この場でアンタを倒すのがアタシの役目。そっちこそ覚悟しなさい」


「交渉決裂だな」


「そのようね」


 動揺している自分を押し殺し、漏れ出る覇気に空気が張り詰める。

 大地が鳴り響き、大気が震える。

 

「行くわよ魔王!」

「来い勇者!」


 天変地異、世界終焉を彷彿とさせる死闘は三日三晩続いた。

 

 後日、調査隊による報告は三つ。


 一つ目、魔王城の完全消滅。

 二つ目、戦いに巻き込まれる形で、一万を超える魔物が全滅。

 

 

 そして三つ目。

 

 魔王と鎧の勇者の消息不明――――。


 


 *****




 魔王と鎧の勇者の戦いから一年後。

 魔王が消えたというのに、魔族や魔物の被害が減ったというわけではない。

 

 今もどこかで冒険者が命を賭して戦っているのだろう。

 だがそんな世界でも、平和なところは平和なもので。

 白い雲が薄く見える青空、真昼ということもあり太陽が街を照らし人々に精気を注ぐ。


「店主、これはいくらだ?」


 人族が管理している都市国家の一つ――交易都市サンドリア。

 北は魔物群生地の北方区域、東は港湾都市、西には亜人族の集落区域、南は観光都市、すこし離れて歓楽都市や学術都市がある立地のおかげで、交易都市のサンドリアは種族や文化が集まる都市となり、交易都市と称されることになった。

 要はあちこちの文化が雑多に混ざった都市である。


 そんなサンドリアは中央にかけて三層構造の都市国家だ。

 外側の第一層は農作物実る田畑や起伏に富んだ平原が大半を占める田舎、続く第二層は商店街や宿舎などサンドリアで一番の人口密度を誇り、中央の第三層は役人や上流市民といった人しか入ることが出来ない。


 そんなサンドリアの第二層。

 第一層と第二層を区切るような石作りの幕壁付近にある商店街。

 交易都市と呼ばれるだけあり、第二層の隅の商店街でも店客ともに賑わっている。

 都市の人口は大半が人族だが、亜人族の一種である獣人が店を構えていても不思議ではない。


 露店が並ぶ商店街の一つ。

 新鮮な赤身の肉が並んでいたり吊るされているその露店で立ち止まった女性客が指さして値段を尋ねた。


「それは魔物肉だな。百グラムで純銅貨三枚だ。癖があって好みは別れるが、塩漬けや干し肉にせずとも日持ちするし、その独特の風味から酒飲みや携帯食料が必須の冒険者には良い評判だぜ」


 店を構える獣人の男。

 犬のように長い鼻、鋭い犬歯に目元の傷跡、灰色の毛が全身を覆い狩猟者のような眼光は接客業を営むには威圧的過ぎるが、それでも滲み出る人柄か、豪快な笑いと吊り上がった口角は懐の広さを感じさせてそれなりに儲かっている様子はある。


 そんな店主の獣人は客からの質問に答えるも、その答えに少々納得がいかないのか、客の女は交渉を始めた。


「少し高いな。まけてくれ」


「おいおい嬢ちゃん。魔物肉は畜産されているものじゃないから普通の肉より高いんだ。純銅貨四枚にならないだけマシだ」


 交渉の余地なしと突き放す獣人の店主に客は不服そうに口をとがらせる。

 時間帯的に最上まで昇った日の光によってキラキラと漆のような黒髪の艶が強調され、そのほかの商品を物色する眼差しはとても理知的、白いシャツや黒のロングコートなど無彩色の服装は落ち着きのある雰囲気を醸し出す。

 肩掛けの少し大きめな鞄には買い物途中の品々が入っているようで、わずかに重みを感じる膨らみがある。

 膝上くらいの丈のスカートとロングブーツ、肌艶は若々しく、それでも振る舞いは大人びている。

 その抜群なスタイルと美しい見た目も相まって、人族なら少なからず目を奪われる少女だ。


「こんな美人がおねだりしてるんだ。少しくらい値引いてくれても良くないか?」


「悪いな嬢ちゃん。人族からすれば別嬪なのだろうが、獣人の俺からすればそこらの人族と差はよく分からん」


「……仕方ない。純銅貨三枚だったな。三百グラムくれ。銀貨一枚だ」


「まいど。ほい、おつりの純銅貨一枚だ。にしても嬢ちゃん見ない顔だな? 旅行者かい?」


 お釣りと肉を受け取り、黒髪の少女は余談に付き合う。


「今日このサンドリアに来たばかりだ。一年ほど各地を旅してたんだが、私の恋人が冒険者ギルドとやらに登録してないようでな。登録ついでにサンドリアの第一層に居を構えるつもりだ。この肉の質が良ければこの店にとってお得意様になるかもしれんぞ」


「ほーそいつぁ良い。だが第一層つったら結構な田舎だがいいのか? 第二層でもこの辺りなら安い物件はいくらでもあるぞ?」


「サンドリアは物を揃えるには適しているが住むには少々騒がしくてな。こんな騒々しいところより、第一層のような落ち着いたところが私の好みなんだ」


「嬢ちゃんくらいの年頃ならこれくらい賑やかな方が好きそうなもんだが……。まーなんにしても、ようこそサンドリアへ。俺はヴォルフってんだ。見ての通り肉屋を営んでいるが、知り合いの獣人には八百屋や魚屋もいるから口利き出来るぜ」


「それはいいな。狩猟種族の獣人は五感の鋭さも相まって目利き、お前の場合は鼻利きか? まー食材の選別には長けていると評価している。だからそこらの人族の店じゃなく獣人の店で買い物してるわけだが、そんな獣人の店を紹介してくれるなら助かる。出来ればその紹介先におまけしてくれるように口利きしてくれ」


「嬢ちゃんが太客になってくれるならおまけしてくれるかもしれねえな。ガハハハ」


 頑ななヴォルフに少女は不服そうに――とは打って変わって面白いと笑みをこぼす。


「商魂たくましいな。だが嫌いじゃない。それじゃ、美味かったらまた買いに来る」


 立ち去ろうとする少女にヴォルフは声をかける。


「嬢ちゃん、名前は? お得意様になるなら聞いておかねえと」


「名前? ……恋人からはマオと呼ばれている」


「マオちゃんね。今度は冒険者になった彼氏と一緒に来な。そしたらおまけしてやる」


「約束だ。あ、あと一つ訂正――彼氏じゃなく彼女だ」


「は?」


 意表を突かれたようにきょとんとしてしまうヴォルフに、マオはしてやったりと笑みを浮かべて立ち去ろうとしたその時、ヴォルフに再度止められる。


「嬢ちゃん、この後も買いもんか?」


「あぁそのつもりだが?」


「ならあまり人通りの少ない所に行かない方がいい。最近サンドリアで若い人族の女が行方不明になる事件が多発している。衛兵が捜査してるが犯人はまだ捕まってないって話だ」


「ほう、それは物騒な話だな。まあこれだけ人が多いんだ。日中に攫われることもないだろう」


「だといいんだがな。ま、なんにせよ気を付けてくれや。せっかく常連客になろうってやつが行方不明となりゃ俺も目覚めが悪ぃからな」


「忠告感謝する」


 そう言って、今度こそマオは店を立ち去った。

 そして残りの買い物を一通り済まし、少し時間が余ったマオは興味本位に街を徘徊する。

 物珍しさに興味をそそられるまま行動していると、ヴォルフに忠告を受けていたにも関わらずマオは人通りの少ない場所へと移動した。


 労働者専用の居住地区。

 日中のこの時間、その区域に人の気配はない。

 馬車がすれ違える程度の道幅のど真ん中でマオは立ち止まる。

 

「おい、こそこそしてないで出てきたらどうだ? ストーカーはあまり健全な行いとは言い難いぞ」


 マオは周囲に響かせるように言い放つと、路地裏や屋根の上から十数人の男が現れる。

 下種で下劣な視線、屈強な肉体は鍛えられたものというより日常で得たものだろう。

 衣服で隠せるサイズのナイフやらナタやらを見せつけるように手にしている。


「なんだお前達は? 善良な市民には到底見えないが」


 囲まれているにもかかわらず冷静なマオに困惑しながらも、一人の男が手に持ったナイフを見せつけて、

 

「女が一人、こんなところをウロチョロするのは危ねえぜ。最近じゃ若い女を狙った誘拐事件が多発してるしな。俺らみたいなこわーい連中は女一人と見るや何するか分かったもんじゃないからなー」


 男の言葉に他の連中も下卑た笑い声を出す。

 今すぐにでもここから離れたいが、マオは冷静に続ける。


「なるほど。例の誘拐事件はお前らのものか?」


「正確には片棒を担いでいるってところだけどな。嬢ちゃんくらい美人ならあの方も喜ばれるだろう。許しがもらえるなら俺が頂きたいくらいだぜ」


 全身を嘗め回すように見てくる男の視線を気にもせず、マオはどうしたものかと考える。

 この場を逃げる手段もこの連中を無力化する手段も持っているが、訳あって使いたくない。


 考え込んで黙り込むマオに男は困惑するも、やや挑発気味に続ける。


「どうした? 恐くなって声も出ねーか?」


「恐い? 普通の女はこの状況で恐がるものなのか?」


 質問の意図が分からず男は一瞬返答に困る。

 だがペースを取り戻すかのように、


「お、おう。そりゃあ刃物を持った連中に囲まれてんだ。恐怖で泣き叫ぶ奴もいれば、腰が抜けて立ってられない奴もいたな。無理に逃げようとしたやつもいたが……手加減ってのは難しくてな。うっかり殺しちまった」


 公開する様子も、被害者に詫び入れる様子もなく、まるで実績を誇るように男は語る。

 しかしそれでも、マオは考え込む姿勢を変えない。


「なるほど。こういう場面では恐がるのが普通の女か……。よし、キャーコワーイ」


 取ってつけたようなセリフに全員が困惑する。


「なんかペースが狂うな。本当に恐がってるか?」


「ああ恐いとも。私は普通の女だからな、強がって冷静を装っているが、足は震えて頭は真っ白。鼓動は速いし呼吸も荒い。おっと涙も出てきたぞ。あー恐い実に恐い」


 今まで拉致した女と違い、なぜか淡々としているマオに男達は動揺しながらも、大きめの麻袋にマオの身体を詰め込む運んだ。

 肩に担いで運んだ男の耳には、途中眠っているかのような静かな吐息が麻袋の中から聞こえた――――。




 *****




 サンドリア第二層、その中でもより第三層に近い区域。

 この辺りは冒険者ギルドがあるせいか、酒場が多く商店も武器屋や道具屋が大半を占めている。

 

 魔族や魔物の被害に対応する冒険者になるためにはギルドの登録は必須で、依頼自体は各所にある集会所でも出来るが、本登録は都市に一つ設置される支部でしなければならない。


 冒険者はその危険性から死亡率が高い分、需要のわりに人手が足りなないため一人前になれば十分な稼ぎになり、冒険者カードは他の都市へ入る際の面倒な手続きを省略するパスポートにもなるという夢と利便性に富んだ職業だ。


 長き戦いと豊富な経験により面構えが立派になっている者、夢や憧れを抱いてまだ新しい武器や防具を身に付けてギルドの門を叩く者など様々見受けられる。

 人族だけでなく他種族も冒険者として活動しており、すれ違うパーティーには複数の種族で構成されているところもあった。


 視界に収まるのはほとんどが冒険者のため武器を携帯している者がほとんどのおっかない風景ではあるが、規約により武器の使用が制限されているおかげで殺伐としたものではない。

 酔った勢いで武器を振り回す――なんて事例が度々あったりするのだが、そういうのは大抵同じ冒険者か都市を守る衛兵に捕まり、場合によっては冒険者登録の抹消、被害によっては普通に犯罪者として取り押さえられる。


 そしてギルドへと伸びる道を歩く少女もまた、そんな冒険者になろうとしていた。


 燦々と輝く太陽によってキラリと輝く雪のような髪は毛先が紺色シャツの襟元で揺れ動き、門出を祝うような青空に負けない澄んだ蒼い瞳がギルドを見据える。

 銀色に輝く小手が動くたびにかちゃりと音を立て、胸当ては少女の富んだ胸元を崩さないように少し前に突き出ている。 

 若い女性の剣士はレイピアやダガーといった振りやすいものが好まれるが、少女が左腰に携えるは片手半剣。

 ショートパンツから伸びるすらりとした足はハイソックスとその上からのレッグアーマーによって守られて、歩く度に舗装された道路と鉄靴による金属的な足音が響く。


 同年代の女性に比べてやや長身の少女から漂う凛とした空気。

 装備のせいか少しお堅そうな雰囲気を醸し出し、戦いとは無縁の箱入り娘が精一杯の装備をしているようにも思える。

 

 そんな彼女の人目を惹く美しさにすれ違いざまに目を奪われる冒険者は少なくないが、彼女のギルドへまっすぐ向かう足取りに声をかける者はいなかった。

 

 冒険者ギルド――サンドリア支部。

 数千人は入れそうな巨大な施設には、受付場のほかにもちょっとした酒場や道具屋、訓練場に大型浴場といった冒険者にとってありがたい施設が多くある。

 依頼を受けるだけの集会所には受付場と、あってもせいぜい最低限の道具を売っているくらいだろう。


 それゆえに支部に集まる冒険者の数は多い。

 真昼の時間帯、冒険者達はどこかで昼飯を食べているか朝に依頼を受けて出かけているかでピーク時より人は少ないはずだが、それでも喧騒は扉を開ける前から聞こえてくる。


 木製の扉を押し、蝶番の軋む音が響き喧騒が嘘のように静寂へと変わる。

 人の往来など当たり前のギルドの入り口。

 本来なら人が入った程度では一瞥の価値すらない出来事だが、職業柄の察知能力か、彼女が入った途端会話がピタリと止まる。


 その惹かれる容姿に全員が目を奪われる。

 陽気に話していた冒険者は自分の話を無理やり遮り、流し込むように酒を飲んでいた冒険者はジョッキを机に置き、獣のように飯を食っていた冒険者はフォークで刺した食材を口に入れたまま固まる。


 そんな視線に一切の興味を示さず、コツコツと鉄靴の音を奏でながら受付にまっすぐ向かう白髪の少女。

 迷いなし足取りを少女が制止させたのは、目の前に大男が野蛮な笑みを浮かべて立ちふさがったからだ。


「よう……お前みたいな美人が護衛もなしにこんな野蛮なところに来るもんじゃねえぜ? ここには腕はあれど欲望に餓えた獣の巣窟だからよぉ」


 筋肉で構成された巨躯。

 体や顔に古傷が残り、スキンヘッドが光を反射させ、無精髭と酒臭さが少しだらしなさを感じさせる。

 見た目から察する年齢は中年だが、多く要る冒険者の中でも秀でた躯体とそのいやらしい目つきの中でも獲物を見据えるような威圧的な眼光が潜んでいる。

 背中の大斧には使い込まれて血肉が染み付いている。

 

 自分よりも何倍も大きい体の男に、女性じゃなくても委縮してしまいそうだがその少女はまるで気にも留めない凛とした目で答える。


「今日は冒険者登録をしに来ただけよ。分かったらその酒臭い口を閉じて失せなさい」


 喧嘩腰ともとれるその態度に周囲が動揺する。

 少女の身を案ずる者もいれば、スキンヘッドの男がキレることを恐れている者もいる。


「ほう? 世間知らずな新人に教えてやる。俺様は二級冒険者ゲーゲル。――“戦斧(せんぷ)のゲーゲル”様と言えば俺様のことだぜ。まーまだ魔骸具使いだが、聖宝具が顕現するのも時間の問題だな」


 勇者細胞が一定以上覚醒すると顕現する固有武器――聖宝具(せいほうぐ)

 絶大な力と耐久力は一般の武器の比にならず、聖宝具が顕現するものは実力の確かな証明となる。


 魔骸具(まがいぐ)はそんな聖宝具を人工的に作ろうとしたものだ。

 魔物を素材とし、通常の武器よりも高い耐久力と素材特有の特殊な効果を得られる。


 冒険者の等級は三級から始まり、二級、一級、そして特級へと至る。

 二級冒険者といえば中堅層で数も多く、同じ二級でも実力はピンキリだ。

 言ってしまえば、名乗られても一番平凡な反応しかできない等級でもある。  


「……あっそ。もういいかしら?」


「おいおい何にも知らねぇでここに来たのか? 冒険者になりたきゃ俺様の機嫌は取っておいて損は無いぜ?」


「どういうこと?」


「人間族が冒険者になるのに必要なものは二つ。勇者細胞が覚醒されていることと、冒険者からの推薦だ。冒険者カードが他の都市で活動できるパスである以上、最低限の素質や素性が保証されている必要があるわけさ。俺様が推薦人になっても良いって言ってるんだぜ?」


「その割には裏がありそうな感じだったけど?」


「なに、俺様の女になるなら推薦してやるぜ? 悪い話じゃないだろう?」


 ゲーゲルの下種な視線に白髪の少女は初めての感情変化――嫌悪感を顔に出す。

 

「悪いわね。アタシにはもう恋人がいるの」


「恋人? どうせそいつも俺様を見れば逃げ出すだろうさ」


 侮蔑し、豪快に笑い飛ばすゲーゲルに白髪の少女は眉を寄せる。

 だが数秒後、白髪の少女は嘲笑うような笑みを浮かべる。


「残念だけどアタシの恋人はアタシと同じくらい強くて理性的よ。アンタ程度じゃ指一本で事足りる……いや多分動くことなくアンタを無力化できるわね」


 その発言に感情が逆転する。

 スキンヘッドの頭に欠陥が浮かび、下種な眼が苛立ちと不快感に支配される。

 挑発だと分かっていれど、ゲーゲルはプライドを抑えることが出来ない。


「そんなに腕っぷしに自信があるなら勝負するか? 俺様が負けたら見返り無しに推薦してやる。ただし俺様が勝ったらお前は一生俺様の女だ。嫌ってほど可愛がってやるから覚悟しな」


「いいわよ。でも一つ忠告しておく。アタシ手加減苦手だから死なないでよね。死人に推薦出来ないだろうから」


 張り詰めた空気。

 近くの冒険者は止めるのではなく、むしろ避難するように離れる。

 受付にいるギルドの職人は止めるべきと分かっていれど、あわあわと動揺して心配そうに場を見つめるだけだ。


「死闘は禁止されてるからな。武器の使用はありだが殺しはなしだ。非殺傷系のスキルなら使って構わねぇ。ルールとしてはこんなところか。ハンデで俺様は素手で相手してやるよ」


「そんなハンデは不要よ。斬るとか殴るとか避けるとか、そんな次元にすらならない勝負になるだろうから」


 ことごとく神経を逆なでする言動にゲーゲルは今にも殴りかかりそうだ。

 それでも己を自制し、コインを取り出す。


「ならこのコインが落ちたらスタートだ」


 指でコインを弾く。

 全員が緊張感に飲まれる。

 血気盛んな冒険者の集まりであるギルドでちょっとしたトラブルは日常茶飯事。

 普通の喧嘩なら今頃賭けにでも興じて楽しんでいるだろう。


 それでも今回は周りが心配になってしまうのはゲーゲルの素行の悪さが周知の事実、共通認識として植え付けられているからだ。

 コインが回転しながら高く上がり、落ちていく。

 コインの高さがゲーゲルの頭の高さを下回り、白髪の少女を下回り、そして床で軽い音を発したその時――――


「おらッ――――!?」


 拳を握り殴りかかろうとしたゲーゲルは、その巨大な拳骨を引いた状態で固まる。

 ゲーゲルだけじゃない、他の冒険者も同様にだ。

 

 白髪の少女から発せらる異様なまでの圧力。

 冒険者という職業上、死ぬ覚悟は出来ている。

 命を懸けた戦いは何度も繰り広げ、死にかけたことは何度もある。

 自分より強い相手と対峙したことなど数えきれないほどある。


 そのはずなのに、ゲーゲルは本能的に来る恐怖が止められない。

 全身から出る冷や汗は止まることはなく、さっきまで浴びるように酒を飲んでいたのに口の中はカラカラだ。

 肺に少しでも空気を取り込もうとするが、せき止められたように息が出来ない。

 呼吸はもちろん、瞬き一つ、指先一つ動かすことが出来ない。


 口だけではない確かな実力を誇るゲーゲルですらその有様。

 他の冒険者に置いてはゲーゲルと同様の硬直に加えてズボンを汚す者、腹に入れた食い物を吐き出す者、気を失って地面に倒れる者など酷い有様だ。

 だがしかし、受付嬢はギルドの様相にあわあわとしながらも冒険者達のような症状は見られない。


「はっ、か……ぁ、ぅか…………」


 降参を宣言する声を出すことも出来ない。

 視界が霞み、今すぐにでも気を失って倒れたい。

 だがその倒れることすら許さないと言わんばかりに体が動かない。

 

 だがそれでも、意識を維持するための機能が停止しかけたその時、


「そこまでだ!」


 ギルドの中に響く貫禄のある重い一声。

 その声に反応し、白髪の少女は異様な圧力をふっと消す。


 ゲーゲルは失神し、何とか意識を保っていた冒険者も体に力が入らず床や壁、机に体を任せる。

 周りがそんな状態でも、白髪の少女が見据えるのは声の主。

 ギルドの二階から見下ろす形で少女を見る中年の男。

 

 死線を潜り抜けた過去を刻んだ濃い顔つき。

 ゲーゲルほどではないがギルドの制服からでも分かる屈強な体躯。

 茶色い傷んだ髪はオールバックでその堀の深い形相を一面に出し、硬そうな顎の髭が日々の苦労を語っている。

 左目は眼帯で隠れ、右目のくすんだ黄土色の瞳は慄いているようにも、怒っているようにも見える。


「……お前、冒険者志望だったな。名前は?」


 幾度となく修羅場を経験した歴史が刻まれた低く、枯れた声。


「……ユウと呼ばれてるわ」


「ユウか。状況は何となく把握した。別室に案内しよう。二人で話をしようか。動ける者、手が空いている者はギルドの掃除だ!」


 オールバックの男が声を上げると、ギルド職員はもちろん、まだ体の動きが覚束ない冒険者も操られるようにギルドを片付け始める。

 その発言力と様相から滲み出る権威にこのギルドでもそれなりの地位の人物であると判断し、白髪の少女――ユウは大人しく案内された別室に入った。


 案内された部屋は応接室のように向かい合わせのソファーと、その間に挟まるように低めのテーブルが置いてあるだけで、それ以外は特にこれと言った情報がないほど、簡素で質素なものだった。


 男は慣れた足取りでソファーに腰かける。

 クッション性の座面が男の体重をしっかりと包み込んで沈み込む。

 

 ユウはそんな男の向かいのソファーに腰かける。

 敵対の意思はないが、下手に出るつもりもないのでしっかりと背もたれに体を任せる。


「俺はここ、冒険者ギルドサンドリア支部の支部長をやっているベルクだ。にしても嬢ちゃん、冒険者が血気盛んなのは構わねぇが、少々お痛が過ぎねぇか?」


 怒っているというにはおおらかで、でも楽しんでいるというには苦悶に満ちた表情のベルク。


「組織に属するには最初に上下関係をハッキリさせろと恋人に教わったわ」


「絶対その恋人ロクなもんじゃねえ」


「それに絡んで来たのは向こうよ。アタシは相手の提案に乗っただけ」


「まーゲーゲルの普段の素行を考えれりゃ大方予想はつくがな。それでも嬢ちゃんはやりすぎだ。嬢ちゃんが使ったのは第五階梯威圧スキルの【神威(カムイ)】だろ? ゲーゲルに使うには少々大袈裟すぎる。それにウチの職員が無事なところを見るとスキルのコントロールも自在なはずだ。他の冒険者まで巻き込むこたぁねえだろ」


 人族がその肉体に宿す勇者の細胞。

 勇者細胞が覚醒した人族が使うスキルには第一階梯から第五階梯までのレベルが存在する。

 第五階梯と言えば、本来一級冒険者が束になって戦う魔物などを相手に使う代物。

 使い手が少ないのはもちろん、ちょっとしたトラブルで使う技では当然ない。


「アリを数匹相手するのに大砲ぶっぱなしてるようなもんだ。ウチの若ぇのが辞めたらどうする?」


「組織で生き残るには周りに舐められないようにしろと恋人に教わったわ」


「今度その彼氏連れて来なさい。おじさんが説教してやる」


 口では厳しく言いながらも邪険にするような様子はなく、痺れを切らしたユウが切り出す。


「で、わざわざ別室に連れてきたわけは何? 文句を言ってる割には追い返す様子もないし」


「本音で言うといきなりトラブルを起こす、俺の胃に負担のかかるような問題児は正式な手続き以外で認めたくないんだが、今は状況的にそうも言ってられなくてな。第五階梯スキルを扱える嬢ちゃんみたいな実力者はたとえ問題児であろうと引き込みたいんだよ」


「それでアタシに何をさせたいってわけ? 値踏みする余裕がないほど実力者を求める喫緊の事態。サンドリアでそれほどまでの緊急事態が起こってるなんて話はなかったけど?」


 日々の気苦労からくる倦怠感で無意識にベルクはひじ掛けに体重を任せる。

 

「サンドリアの西側、港湾都市テルダムとの間にある森林地帯。ウチの若ぇのがそこで大型魔物の影を見たって話だ」


「大型魔物? そんなものいればすぐに噂になるでしょ」


「ああ。あくまで見たのは影だけ。ましてや瘴気が薄いせいかあそこにいる魔物なんざ冒険者なり立ての三級冒険者が訓練で相手にするようなもんばかりだ。だからこっちも見間違えだろうと相手にしていなかったんだが……」


「事情が変わったということは二つ。実際にその魔物がいたか、可能性を高める不可解な事件が起こった。大々的に対処していないってことはおそらく後者かしら」


 ユウの推測にベルクは目を細める。

 それはつまり推測が当たっていることを示唆していた。


「ただのバカってわけじゃねぇな。頭の良い問題児とはな」


「協力してほしいか喧嘩を売ってるのかハッキリさせてほしいわね」


「褒めてんのさ。話を戻すが、ウチの一級冒険者パーティーが、港湾都市テルダムに行くってんでついでに見て来てもらったんだ。そして、あいつらは行方不明となった」


「行方不明? テルダムに行ってる可能性は?」


「テルダム支部のギルドに確認したが見ていないそうだ。行方不明になったパーティーはウチの唯一の一級にしてエースパーティー。あいつらで難しいとなると他の冒険者を派遣したところで犠牲を増やすだけ。他の支部から一級冒険者を要請しているがいつになるか分からねぇし、聖騎士団や特級冒険者なんてこんな明確な情報が無い事件を相手になんかしてくれねぇ。頼み込んでサンドリアの衛兵を派遣してもらおうものなら他の都市から宣戦布告を疑われかねない政治問題に発展する。そんな八方塞がりの状況でお前さんが現れた」


 ベルクは期待と希望を見据えた瞳をユウに向ける。

 

「第五階梯スキル、それもあの威力はもはや一級の中でも上位、なんなら特級クラスだ。聖宝具も顕現してるんだろう。そんなお前さんに頼みがある。やってくれれば一級冒険者で迎えいれよう。本当なら特級と言ってやりたいが、俺にそんな権限は無いからそこは勘弁な」


「…………いいわよ。要は謎の影の正体を突き止めて、ついでに一級冒険者の行方も探せばいいってわけね」


「お、おう。出来ればついでじゃなくて人命優先で頼むわ」

 

 取引が成立したからか、ベルクは心なしか安堵のため息。

 深々とソファーに腰かけて天井を見上げる。


「いやーそれにしても俺も運がいい。嬢ちゃんみたいな実力者が来てくれるとはな。にしても冒険者登録してない第五階梯スキルの使い手か。まるで“鎧の勇者”みたいだな」


 思い返すように目を閉じるベルクの言葉にユウは表情が固まる。

 表情の変化にさほど差がなかったユウのわずかな、それも一瞬の表情変化をベルクは見逃さない。


「嬢ちゃん、もしかして――――」


 くすんだ黄土色の右眼がユウを映す。

 実戦経験で積まれたものか、ユウの一挙手一投足、思考の奥底まで見逃さない覇気を感じる。

 だが数秒後、ベルクは豪快に笑った。


「なんてな。“鎧の勇者”には一度会ったことあるがもっと大きい体付きだった。少なくとも嬢ちゃんみたいな感じじゃねぇ。まー実力は匹敵するかもしれんが」


「……そう。ま、お眼鏡にかなうよう善処するわ。それにしても交易都市サンドリアのギルドが抱える一級冒険者パーティーが一組だけってどうなの?」


「仕方ねぇだろ。一年前ならウチにも一級が何人かいたが、魔王と“鎧の勇者”の戦いで北方区域の魔物は全滅。となればサンドリアの周りは瘴気の薄い、つまりは魔物被害の少ない場所に囲まれてる。だから交易でここまで発展してんだ。冒険者も金を求める以上、実力者は魔物被害の多い西側に集中するんだよ。嬢ちゃんはどうなんだ? それだけの実力を持っていながら、なんで西側じゃなく東側のサンドリアに来たんだ?」


「恋人が落ち着いた場所に定住したいっていうからよ」


「へー彼氏がねぇ。嬢ちゃんにおっかない思想を吹き込むくらいだからどんな過激派だと思ったが、意外と穏便なのか?」


 ユウは顎に指を当てて考え込む。

 警戒心が解かれたのか、その姿は年相応の乙女そのもので。


「無用なトラブルは避けたい派でもあり、トラブルに首を突っ込みたい派でもありと……言ってしまえば自由人ね。それじゃそろそろ森へ行くわ。行方不明になったパーティーの情報を頂戴」


 淡々と現場に赴こうとするユウをベルクは慌てて止める。


「さっそく行くのか? 頼んでおいてなんだかもっと下調べとか……ほら、仲間もいるだろう?」


「さっきの【神威】に耐えられる冒険者はいる?」


「いや……それはさすがに……」


 残念ながら行方不明になった一級冒険者パーティーの次に実力があるのはゲーゲルという悲しい戦力の現状だ。

 今サンドリア支部にいる冒険者でユウの希望に添える人物は一人としていない。


「なら仲間は必要ないわ。それにその行方不明になったパーティーが助かるかどうかは時間との勝負でしょ。なら今日中に片を付けた方がいい」


「……分かった。だが嬢ちゃんが危険と判断したならすぐに戻ってきてくれ。嬢ちゃんまで行方不明となればいよいよ打つ手がなくなる」


 まるでユウを道具のように扱う言葉だが、その目は身を案ずるような優しいもので。


「了解」


 一言それだけ言い残して扉を開ける。

 少し冷たいようにも思えるが、その一言でベルクはユウの信頼をそれなりに感じ取れて満足そうに笑った。

 部屋から一歩出たユウは思い出したかのように立ち止まって振り返る。


「あ、一つ訂正しておくわ。――彼氏じゃなく彼女よ」


 そう言い残して現場へと向かうユウ。

 ベルクはあっけらかんと、ただ茫然とするしかなかった――――。




 *****




 拉致されて数十分。

 素朴で土に近い香りが充満した麻袋に詰め込まれ、まるで荷物のように担がれて運ばれる。

 

 野蛮な風貌とは裏腹に、その運び方は商品のように丁寧なもので、マオはついうとうととしてしまいいつの間にか寝てしまっていた。


 錆びた鉄の音で目が覚めて、麻袋越しに地面の感触を体で感じる。

 もう着いたのかと、マオは体を伸ばして少し凝った筋肉をほぐす。

 袋から飛び出た腕に湿気た冷たさを感じる。


「ふぁ……もう着いたのか。よっと……」


 ごそごそと麻袋から体を出して周囲を確認する。

 湿った苔と鉄錆の匂いが鼻腔をかすめる。

 体感時間的にはまだ日が昇っている頃合いだが、日の光が差し込む隙間がないため薄暗い。

 せめてもの光源はところどころ灯された松明や蝋燭くらい。


 岩場に埋め込まれた鉄格子は錆びついているが、人を閉じ込めるには十分な強度は残っているようだ。

 冷たい岩壁にはじっとりと水がしみ出して、外から流れてくる微風には僅かに森の香りが残っている。

 

「う~ん、どうしたものか……」


 得体のしれない場所の牢屋に閉じ込められているというのに、マオはいたって冷静だった。

 鉄格子の隙間に顔をはめて少しでも外の世界を確認する。

 地理的に牢屋は洞窟の奥の方で他に牢屋がある様子はなく、見える範囲で人はいるが、拉致された時にいた人数より明らかに少ない。

 つまりはマオを牢屋に入れた後またどこかへ行ってしまったのだろう。


「あいつらを黙らせればいいか……」


 そう小さく呟いた時、背後から掠れた声がした。


「あの……」


 聞こえた声に反応して振り返る。

 思いのほか牢屋は広く、マオよりも先に住人がいたようだ。

 十数人、それも全員それなりに容姿が整った若い女性ばかりだ。

 小さい子で十歳を越えたくらい、大きい人でも三十はいっていないだろう。


「おっと先住民がいたとはな。新入りらしく挨拶した方がいいか?」


「いや……その……」


 冷静なマオとは対照的に、そこにいた全員は困惑していた。

 薄暗い中でも、マオは全員を観察する。


 服装やその汚れ具合からしてマオと同じように街中で連れてこられて大体三日程度と言ったところか。

 その目には涙の跡がまだ残っており、恐怖を越えて諦めすら見て取れる。

 

「挨拶の必要がないなら質問させてもらう。ここはどこで、あいつらはなんだ?」


 誰が答えようとかまわないが、マオはとりあえず目について比較的大人な女性に尋ねる。

 その女性は少し困惑するも、やや震えた声で絞り出すように答えた。


「わ、私達も貴女のように袋に入れて連れてこられたのでここがどこかは明確に分かりませんが、サンドリアから西にあるテルダムへの道でどうこうという会話をしていたのでサンドリアの西側かと。こんな洞窟があるとしたら西側に広い森がありますので多分ここはその森の中かと思います。彼らがどこのだれで、私達がどういう理由で連れてこられたのかは不明です。今の所牢屋に入れられただけで手を出されてはいませんし……」


「そのようだな」


 顔色を見る限り水や食事はちゃんともらえているようで、排泄も奥のくぼみで出来るようになっている。

 鉄格子の錆具合からこの牢屋の歴史は深そうで、最初から拉致してきた奴らの所有物というわけではなさそうだ。

 集めたのは若い女性で、下種な連中ではあるが彼女らに手を付けることはなく食事や水はしっかり与えているとなると、どこかに売りつけることが目的に思える。

 

 現状であらかた情報収集は済んだものの、同居人がいるのは厄介なことになった。

 一人ならどうとでもなったが、訳あって手段を人に見られるわけにはいかない。


「まあいずれ助けが来るにしても、早く帰らないとせっかく買った肉が腐ってしまう。アイツら、鞄を捨ててないだろうな?」


 何を暢気な、と牢屋にいる誰もが思った。

 だが質問に答えた比較的大人な女性はマオの言葉に希望を見出す。


「助けが来るって……当てがあるのですか?」


「ん? あぁ、まあな。私の恋人が仕事を終えたら新居に帰ってくるはず。そこで私がいないとなると探し出すだろう。そうだな、あいつの索敵スキルなら……探し出してからここに来るまで十五分と言ったところか。まあ夕方にはここから出られるだろうな」


 マオの言葉に半分は嬉しさで涙ぐみながら笑みを浮かべ、半分は信じがたい内容に困惑と失望が入り混じった表情をしている。

 

「だが安心しろ。どうやら先に出迎えが来たようだ」


 マオに言われて、今度こそ希望に満ちた表情で牢屋の扉に近づく。

 近衛兵、冒険者、旅人。

 なんでもいい、ここから抜け出させてくれるならと。


 だが鉄格子越しに見えるのは、彼女らをここに連れてきた下種な連中本人で。


「喜べお前ら。あのお方が来られた。こんな湿っぽい場所から出られるぞ。まーここにいるほうがマシかもしれんがな」


 鉄格子越しに十数人。

 忘れかけていた、いや忘れいようとしていた恐怖が再び蘇り、女性達は足がすくんで手狭な牢の奥に逃げる。

 じめっとした岩壁に背中を押し付けて少しでも鉄格子の外から距離を取ろうとする。


 ただ一人、マオを除いては。


「連れてきた時もそうだが、お前なかなか肝が据わってるな」


「そうか? お前達こそ、私を……ついでにここに居る全員を早く帰せ。これはお前達のためでもある忠告だ」


「忠告? 立場が分かってないようだな? その身なりに振る舞い。サンドリアではさぞ良いとこの娘なんだろうが、俺達は資本主義とか法治体制とかどうでも良い奴らの集まりなんでな。お前のパパが仮にサンドリアの領主だとしても恐くねえんだよ」


「なるほど。それで、私達をどうするつもりだ? まーこれだけ若くて身なりが良ければ高値が付くだろうが、人身売買なぞリスクのわりに儲けは低いだろう? 同じ野盗でももう少し稼ぎの良い盗みをしたらどうだ?」


「確かにな。だがお前らは商品じゃなく貢物だ。あのお方へのな……」


「あのお方?」


 首をかしげるマオを待たず、連中は牢の扉を開ける。

 そして嫌がる女性達を刃物で脅しながら手錠をはめていき、マオもそれにならって大人しく手錠をはめられた。


 牢から出して罪人を連れて行くように手錠から伸びる鎖を引っ張る。

 変な動きをしないように取り囲み、歩くのが遅ければ背後から刃を突きつける。

 

 この洞窟、単に牢屋があるだけではないようで意外と中は入り組んでいる。

 出口へと続きそうな道を逸れたり、階段を降りたりしている感じからして、洞窟の外ではなく洞窟内にある場所へと連れて行っているようだ。


 しばらく歩くと、かなりに開けて場所へと辿り着いた。

 おそらく洞窟の最奥にして最下層。

 だが天井には大きな穴が開いており、外からの光が差し込んで牢屋があった場所よりもはるかに明るい。


 だからこそ明るみに出る異様な空間。

 百人くらいで舞踏会が開けそうなほど広い空間。

 そこにまばらに置かれた、人の形をした石像。


 指先から髪の一本まで精巧に作られた人の石像。

 表情管理までばっちりで感情が込められている。

 そしてどれもが悲壮に満ちた感情が石像ながらに訴えかけていた。


「シュタイン様、今月分連れて来ました」


 広場の最奥で石像を楽しそうに見つめる一人の男。

 少し青みがかった濃い灰色の髪はうねって毛先が四方八方を向いており、枯れ葉のような茶色い瞳が石像を嘗め回すように見つめている。

 この石像の製作者というには細身で長身、身にまとう衣服は商人のようなシャツと褐色のロングコート。

 技術者というには研究者のようだ。


「んーやはり美しい。この指先の震えまで伝わる造形、瞳の輝きなどないはずなのにその奥に見える恐怖の相手を反射するようだ。さて、今回の素材はどんなものかな」


 その男、シュタインの視線が石像から連れてきた女性達に向けられる。

 一通り値踏みを行うと、満足そうに笑みを浮かべる。


「ほう今回もなかなかに上等ですね。おや? 何やら変なものが混ざっておりますね」


 そう判断したのはマオと目が合った時だ。

 手錠でつながれながらも伸びた背筋と強い瞳には一切の恐怖がなく、他の女性達と比べて異様ではあるが、シュタインが感じ取る異様さは他の男達が感じ取る異様ではなく。


「こんなところで何をしているんだい? 錠でつながれるのが趣味なのかな?」


「そんなわけないだろう。お前こそここで何をしている? なぜ人族とともに行動している? お前の正体は知っているのか?」


 シュタインとマオの会話に女性達は困惑し、男達は会話の意味が分かるも何故マオが分かるのか意味が分からず困惑する。


「ここは元々処刑場でね。あの牢屋に罪人を閉じ込めて、処刑当日にこの場所に放り込む。ここには竜が住み着いていて罪人を食い殺すんだ。あ、もう竜はいないから安心だよ。そして彼らはビジネスパートナーと言ったところかな。僕は彼らに力を貸し、彼らはこうやって若く美しい女性を何人か僕に捧げる。これぞウィンウィンな関係というものだよ」


「お前らは気が付いているのか? この男が魔族だということに」


 魔族――この言葉に女性陣は恐怖する。

 そして男達はシュタインの正体を承知の上で関係を築いているようで、


「ああ。シュタイン様が魔族と分かったうえでこっちは関係を持ちかけている」


「だが人族は魔族を恐怖し、畏怖し、嫌悪している存在だと認識しているが?」


「まー一般的にはそうだな。だが魔族は言葉の通じないそこらの猛獣とは違う。魔族は己が欲に忠実な種族。俺達は仕事するのに魔族の力――魔法を借りれるならこれほど心強い戦力はない。つまり俺達みたいな法外な存在は、利害さえ一致すれば魔族と共存も可能だ」


「なるほど。これも共存の一つということか……」


「お前こそ、シュタイン様の知り合いか?」


「いや初対面だ。だが正体は分かる。それで、私達はこれから石にされるのか?」


 マオが淡々と聞くと、女性陣は石像の正体を理解して思わず石像から離れる。

 今にも動きそうなほど精巧な石像は、もともと人間だったということ。


「そうさ。あ、他言しないなら君は帰っていいよ。抵抗されてせっかくのコレクションを壊されでもしたら困るしね」


 シュタインはマオの手錠を外すように男達に命令する。

 最初は困惑するも、シュタインの指示に従ってマオの手錠を外した。

 錠の感触を上書きするように手首を摩るマオは、改めて石像を観察する。


「それにしてもなかなかに精度が高いな。だが魔法が出来てからそれほど時は経ってないようだな。まだ少し魔力にムラがある」


「分かりますか? この魔法を完成させてからまだ四十年程です。今は構築式を崩さないように魔力運用を微調整中です。それより早く帰ったらどうです? 害がないなら互いに干渉しないのが僕達でしょ?」


「それもそうだな。おいお前達。私の鞄はどこ――――おっと、思ったより早かったな」


 何かに気が付いたマオは空を見上げる。

 その反応にシュタインを含め、男達や女性陣も空を見上げた。

 洞窟の天井に空いた大穴は、日差しが強く吸い込まれそうなほど真っ青な空を覗かせる。

 

 そしてそこに微かに見える人影。

 やがてそれはここに落ちて来て、高さから想像も出来ないほど静かな着地。


 今にも溶けそうに思える雪のような白い髪が着地に合わせて艶やかに動き、足元の鎧がカチャリと音を立てた女性。

 富んだ胸の形に沿った胴当て、腰元には片手半剣。

 見上げた空に負けないくらい済んだ蒼い瞳が状況を確認しようと睨みつける。

 騎士のようにも思えるが、少しラフな感じを見るに冒険者。


 突然の来客にほとんどが固まるも、マオだけは状況を把握して、


「思いのほか早かったな。ユウ」


「はぁ!? マオ、アンタなんでここにいるのよ」


「ちょっと拉致られた。それより冒険者登録はどうした? 無事終わったのか?」


「正確にはまだだけどちょっと頼まれ事をね。で索敵スキルに魔族と人の気配が引っかかったから見に来たのよ。ところでこの状況は何? なんで石像がこんなにたくさん……」


「あーそれな。この男の魔法だ」


 マオに言われてユウはシュタインを睨みつける。

 第五階梯慧眼スキル【神眼(シンガン)】を使い力量を図る。

 突然の乱入者に困惑するも冷静な魔族の男――シュタインからは強い力を感じ取る。


「魔族の中でも上級ね。ちなみに六冥尊(ろくめいそん)だったりする?」


 魔族の中でも抜きんでた力を持つ大魔族六体――六冥尊(ろくめいそん)

 その力は魔王にも匹敵すると言われ、他種族の間では魔王の懐刀と言われている。

 

 ユウの質問にマオはバカにするような眼でシュタインを見る。


「こいつが六冥尊? 奴らは他種族が勝手につけた肩書など興味ないだろうが、こいつと同列に扱られるとさすがに怒り心頭だろうな」


 マオの評価にシュタインは表情を強張らせる。

 侮辱されこみ上げる怒りが魔力を肉体から漏れださせる。

 魔力を感じ取れない男連中や連れてこられた女性達ですら、シュタインの周囲の空気が重く変わり確かな威圧を感じ取る。


 だがそんなこと一切気にしないのはマオとユウ二人のみ。

 ユウは腰の剣を抜いてシュタインと対峙する。


「そこの魔族に一つ質問。少し前、四人パーティーの冒険者に会わなかった? サンドリアでは名の知れた冒険者らしいけど」 


 ユウの質問にシュタインは苛立ちを感じながらも記憶を辿る。

 そして挑発するように笑みを浮かべた。


「あーそんな奴らいたな。残念だが男をコレクションにする趣味は無くてね。石にした後粉々にしてしまったよ」


「……そう。なら死になさい」


 ユウが一歩踏み出したその時、シュタインは声を上げて制止させる。


「いいのか? この周りの石像達はもともと人間。僕に手を出せばここに居る全員は助からない」


 シュタインの言葉にはさすがのユウも動きを止める。

 冷徹そうに見えるユウだが、犠牲を良しとする性格ではない。

 それを見抜き――いや、光の下で生きる人族にはそういう習性があることをシュタインは理解していて、この手を使わないはずはない。


「分かったら武器を捨てて一歩も動くな。指先一つ動かすごとに石像を一つ破壊する」


 ユウはシュタインの指示に迷うことなく従う。

 抜いた剣を床に置き、何もせずに佇む。


 正直シュタインを殺すのは簡単だし、後ろの男連中など戦力として捉えていない。

 第五階梯威圧スキル【神威(カムイ)】を使えば全員を竦ませることは出来るだろう。


 それでも人質を優先するには先手を譲るほかない。


 ユウが全く手出しが出来ない状況だというのに、マオは一切動じることなく様子を見守る。

 先手を取ったシュタインは余裕の笑みを浮かべてユウに近づく。


 そして十メートル程度の距離まで近づくと足を止めてユウの目をしっかりと見つめる。


「僕から目を離した瞬間石像を壊す。いいな?」


「ええ、構わないわ」


「よろしい」


 不敵な笑みを浮かべたシュタインの肉体に宿る魔力が揺らぐ。

 何か魔法を使われると分かっていながらも、ユウは指示通り目を合わせること止めない。


石化魔法(ストーンマジック)――【石化の視線(ペトリファイド)】」

 

 シュタインの瞳の前に魔方陣が構成される。

 魔法陣から発せられる魔力の波がユウを襲う。

 自信の身体にシュタインの魔法が干渉したことを感覚的に察知する。


 そして右手に感じる違和感に思わず籠手を外して視線をそちらに向けてしまった。

 だがシュタインの目的は果たされたようで、視線を外したことに対する言及はない。

 

「これは……」


 シルクのような柔肌が指先から徐々に無機質な色に変色している。

 青みがかった灰色のそれは、この場にある石像の色そのもので。


「君のような美しい女性……本来なら僕好みの状態で石化させたいが仕方ない。石化は進み、一分後にはみんなの仲間入りだ。僕のオーダーに従って石化してもらえれば丁重な扱いを約束するよ」


 一分。

 その時間はあまりに短く、指先から始まった石化は今は手首を越えている。

 石化した箇所は動かすことは出来ず、肌の感触すら感じ取れない。


 手首を越えた石化は肘の所まで浸食している。

 だというのに、ユウに焦りや死の恐怖というものは一切感じられず、シュタインは内心困惑する。

 死を覚悟しようと、いざ死を目の当たりにしたときは多少なりとも感情の変化が見て取れる。

 しかし目の前の少女は、自分の状況が理解していないかのような冷静さを醸し出していた。


 だが、もう魔法は発動している。

 目の前の少女がどんな今どんな感情をしていようが、シュタインにとっては些細なことだ。

 

 石化はすでに肘を越えて肩へと差し掛かろうとしている。

 肩へと差し掛かろうと――――して、なぜか肩へ石化の進行は進まない。


 思い返せば石化の進行が遅くなっていたことにシュタインは今更ながらに気が付いた。

 【石化の視線(ペトリファイド)】にかかった相手は一分後には石像へと変わる。

 だが指先を石化していた時は普段通りだが、手首を越えたあたりから今までの相手と比べて石化のスピードが遅くなり、今となっては完全に止まっている。


「っ、何故だ!? 何故石化していかない!?」


 動揺が漏れ出るシュタインに、ユウは呆れるようにため息をつく。

 そして右手を軽く振ると、石化していた箇所は全体的にひび割れて、剥がれ落ちるように石の皮がパラパラと砕けて落ちた。


 【石化の視線(ペトリファイド)】が表面だけでなく、身体の中身までも石化させる魔法。

 だというのに、目の前の少女の右手は握っりたり開いたりと、元通り有機的な色と動きをしていた。

 

「アンタね、戦いに置いて一分がどれだけ長いか理解してる? それだけ時間があれば石化耐性なんて余裕でつくわよ」


「バカな!? 人族の勇者細胞が【耐性】を得ることは知ってる。だが石化耐性なぞ聞いたことがない! それに【耐性】は長い時間をかけて会得するはずだ!! それを今、このたった数秒で会得したっていうのか!?」


 シュタインの持っている常識からかけ離れた少女に畏怖の感情が芽生える。

 

 【耐性】とはその状態を何度も経験し、乗り越えて身に付くものだ。

 たとえば毒耐性であれば、毒を何度も飲み、勇者細胞が学習――進化して体得する。


 化石化とは違い、石化は存在しない現象のはず。

 耐性を身に付けることなど普通は不可能で、不可能だからこそ石化耐性など聞いたことがない。


 冒険者と対峙したことは何度もあったが、当たり前のように石化していった。

 だからあり得ない、信じられないといった感情が、シュタインを支配する。


「分かった魔法耐性だな! それならまだ納得がいく……いやだが確かに石化はしていた……」


 原因を究明しようと脳をフル回転させるシュタインに、状況を静観していたマオが口を開いた。

 

「シュタイン、残念だがユウの言っていることは事実だ。あいつは数秒あれば耐性を身に付くという常軌を逸した人族だ。石化耐性が身に付いた以上、もうあいつにお前の魔法は通じない。諦めろ」


 信じられないが、その信じられない状況が目の前で起こっているのもまた事実。

 受け入れるしかない――だが、受け入れてしまうと目前で剣を拾う少女に対する恐怖がこみ上げていく。


「ま、待て! 分かっているのか? 僕を殺せばここに居る石像はもとに戻せないんだぞ!」


 震えながら後退りしようとする足を必死に止めて、シュタインは声を絞り出す。

 シュタインの動揺っぷりに他の男達は状況のマズさを感じ取ってその場から逃げようとするも、それをユウは見逃すはずがなく、拾った剣を投げつけて入り口を破壊する。


 目の前で入り口が瓦礫の山となり、腰が抜けて立てなくなったものが半分、緊張と恐れで身体が固まってしまったのが半分だ。

 連れてこられた女性達は、身を寄せ合ってユウに縋るように状況を見守っていた。


「それで、アンタならこの石像を元に戻せるの?」


「あ、ああ。石化魔法(ストーンマジック)で石化した人間はいわば仮死状態に変わる。粉々に砕けていなければ問題はない。だから取引をしよう。僕を見逃してくれるなら石化を解こう。君は冒険者の安否を確認しに来ただけで僕を殺しに来たわけではないんだろう?」


「その冒険者もアンタが殺したわけだけど……。でも確かにアンタを殺しに来たわけではないわね」


「そ、そうだろう? ならこの取引は問題ないはずだ」


「でもアンタを野放しにすれば別の場所で被害が出る。マオ、どうにかならない?」


 突然ユウはマオに投げかける。

 ユウからの期待にマオは心地よさを感じながら自信に満ちた表情を浮かべる。


「問題ない。この場の全員の記憶を弄らないといけないのは面倒だが……」


 マオは石像の一つに触れる。

 そして石像の今にも動きだしそうな眼をじっと見つめる。

 そしてマオからシュタインと同じ力が身体のなかで揺らいだ。


再現魔法(トレースマジック)……石化術式(ストーンスペル)反転石化の視線アンチ・ペトリファイド】」


 マオの眼前にシュタインと同じように魔方陣が展開される。

 魔方陣から発せられる波動を受けた石像は、数秒後ひび割れてユウと同じように剥がれ落ちるように石の肌が砕け落ちた。


 石像の中に埋まっていたかのように、石が剥がれた奥には恐怖で怯える生身の人族。

 死の恐怖を抱きながら意識が途絶えたかと思えば、気が付けば宝珠のような緋色の瞳をした黒髪の美少女が視界を埋めていた。


「わ、わたし……助かったの……」


 状況が読み込めず、でも助かったという希望に思わず座り込む。

 生きているということを確かめるように自分の身体を確かめる。

 石化していたので衣服は来ていないが、動く手足に、身体の中を駆け巡る血液の感触に、つねると痛みを感じる皮膚に、そんなこと気にする余地が無かった。

 マオは来ていたコートを脱いでその女性に着させる。

 

 そして期待に応えて満足そうにユウに視線を送った。

 対するユウはマオの満足そうな笑みに思わず嬉しくなってしまう。


 そんな二人の表情とは裏腹に、シュタインは今にも精神崩壊しそうなほど動揺していた。


「な、なぜ……僕の魔法が……。それにその魔族の風上にも置けない、魔族としての品性もプライドも無い魔法……。だが奴は“鎧の勇者”との戦いで死んだはず……。なぜ君がその魔法を使えるんだ!」


 冷静さというメッキが剥がれ落ち、声を荒げるシュタイン。

 マオはそんなシュタインを嘲るように笑う。


「どこの誰を思っているか知らんが、ここにいる私が私だ。お前の魔法陣は構成が分かりやすくダミーの術式もないから再現(トレース)するのは簡単だった。次魔法を生み出すときはもう少し魔法に対する理解を深めることだな」


「魔法陣から構成を真似たとして魔法を使える道理にはならない! あの構成は僕の魔力の波長だから作用するんだ!」


「それを可能にするのが私の再現魔法(トレースマジック)だ。私の魔法は他の魔法を再現し、そこから派生する魔法も見抜く。お前の【石化の視線(ペトリファイド)】は構成が単純だったから、石化を解く魔法も簡単に理解できた」


「魔法を盗作して、君には魔族としてのプライドはないのか!」


「失礼な。魔法への探求心が生み出した偉大な魔法だろう。魔族は一つの、自分だけの魔法に執着し、研鑽するが、私は魔法そのものを探求する。魔法の見抜く目と知識を要求される魔法――それがこの再現魔法だ」


「このクソがッ!!」


 シュタインは【石化の視線(ペトリファイド)】をマオに仕掛ける。

 だがマオには一切聞かない。


「お前、魔族を相手にするのは初めてか? 相手に直接干渉するタイプの魔法は身体を覆う魔力障壁を突破しなければならない。お前程度の魔力では私の魔力障壁は崩せん」


 手詰まりという状況に、シュタインは唇をかみしめる。

 怒り、苛立ち、焦燥……負の感情が入り混じり、噛み切れた唇から血が顎を伝って地面に落ちる。

 

「この――――」


 そして感情任せに声を吐き出そうとしたその時、糸を通すような鋭い感触が左肩から右の脇腹を一閃する。

 背後からシュタインの肉体を両断するユウの手刀。

 手刀とは思えない鮮やかな切り口から、魔族も人族も変わらない赤黒い血が肉体から漏れ出して、分断された肉体が力を失い地面へと転がる。

 

「僕は……こんなところで……」


 未練じみたセリフを吐きながら、シュタインの血肉は灰のような塵となって風に流される。

 魔族を倒し、後は仲間の男連中のみ。

 

 ユウの蒼い瞳が男連中を捉えたその時、


「降参します!」


 全員が白旗を振った。

 用心棒として絶対的な信頼を置いていたシュタインが簡単に殺されてしまったのだから、この判断は仕方がないとも言える。

 

 とりあえず一段落と、マオはユウのもとに歩み寄る。

 その足取りはとても楽しく、嬉しそうなものだ。


「お疲れユウ。にしても手刀にあるまじき切れ味だな。その籠手の力か?」


「聖籠手スライサ。この籠手の手刀は名刀に勝る切れ味を誇るわ」


 ユウの聖宝具。

 本来武具であるはずのそれは、ユウには存在しない。

 ユウは自身が扱うものを聖宝具に変える。

 いわばユウ自身がその能力を持った聖宝具と言える。


「つくづく規格外な女だな」


「アンタの再現魔法も大概だけどね」


 魔法とは事象の再現と空想の実現を可能にする魔族に許された力。

 魔法を使う際に展開される魔方陣は魔法の構造を示しているものの、それを真似しただけでは魔法は使えない。

 魔力の波長、運用、配分、流れの速さなど、もはや生体認証とも言えるレベルでの同調をもって初めて扱える。

 魔方陣にダミーの術式を組み込むのはあくまで魔法の詳細を知られないようにするためであって、真似されないようにするためではない。

 そもそも真似出来るものではないのが魔法という力だ。


 マオの再現魔法はそれを可能にする。

 魔族からすれば自身が数十年かけて編み出し研鑽した魔法を自分のもののように使われるのだからたまらない。


 勇者細胞最高適正の人族と、あらゆる魔法を使える魔族。

 出会って一年になるが、互いの常軌を逸した力には互いにどん引きすることもしばしば。




 その後、石像達はマオによって石化を解かれ男連中は全員拘束。

 そのが天井に空いた穴からマオの魔法で脱出した後、その場にいた全員はマオの再現魔法の一つ、記憶術式(メモリースペル)によってマオの存在を抹消された。


 後の処理はギルドやサンドリアの衛兵に任せて、マオとユウの二人は岐路へと付いた。




 *****




 空が茜色になった時間も過ぎ、すっかり月が主張を始めた時間。

 ほとんどが田畑を占めるサンドリアの第一層は心地よい夜風と満点の星空が感傷に浸らせる。

 そんな第一層で購入した一軒家。

 二人で住むには少し広いその家に、マオとユウは初めて帰宅した。


「何気に疲れたわね。今日は登録だけのつもりだったのに」


「そうだな。私も拉致られたから料理はおろか部屋の片付けすら終わってない」


 帰って早々、二人は荷物を置いていく。

 ユウは鎧を外していき、マオは鞄の中の食材や食器をキッチンに簡単に並べていく。

 そしてマオはエプロンを身に付けて晩御飯の支度を始めた。


 料理を始めるにも火を焚いたりしなければならないのだが、マオの場合は魔法で簡単に火が付くので楽なものだ。

 とはいえ時間も遅くいので今日は簡単なものにしようと調理を始める。


「ユウ、まだ出来上がるまで時間があるから先に風呂に入るか? 沸かすくらい魔法を使えばすぐに出来るし」


「……いや、後でいい」


 そういうとユウは野菜を切るマオを後ろから抱きしめる。

 マオの肩に顎を乗せるユウに、マオは一瞬面倒そうにしながらもそれを受け入れる。

 

「今日は新しい生活の初日よ。一緒にご飯を食べて、一緒に風呂に入って、一緒に寝るの」


 外の毅然とした態度とは比べ物にならないくらい甘い様子のユウ。

 マオはユウの抱擁の安心感と、おねだりされる嬉しさを内に秘めながら調理を続ける。


「今日はもう疲れたからキスまでだからな」


「分かってる」


 そう言って、マオとユウは顔を横に向ける。

 調理中のマオの手は止まり、ユウの抱擁は強くなる。

 

 目を閉じて、触れる唇と絡まる舌に感覚を研ぎ澄まされる。

 早く強い鼓動が互いに伝わり、熱っぽい吐息に頬が赤くなる。

 

 数秒、互いに気持ちを確かめ合い、名残惜しさを感じながら唇を離す。

 そして熱い視線を絡ませながら、少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。


「まったく、ユウは私のこと大好きすぎるな」


「そういうマオだって自分からキスしようとしたくせに」


 互いに笑いながら、ユウは食器をテーブルに並べ始めてマオは調理の続きを始めた。



 かつて“魔王”と呼ばれた少女――マオと、“鎧の勇者”と呼ばれた少女――ユウ。

 元は命を取り合った強敵であり、今では恋人となった二人。


 こうして、魔族と人族という本来交わることのない二人の新生活が始まったのだった――――。


読んで頂きありがとうございます。


他にも百合小説書いてますのでよろしければ。


「婚約破棄されたあたしを助けてくれたのは白馬に乗ったお姫様でした」

https://ncode.syosetu.com/n8545is/

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