第83話 その第二王子、完全にとばっちりじゃないですか?
「どこにいる、イーリヤ・ニルゲ公爵令嬢!」
マルトニア王国第一王子オーウェンの怒声が響き渡った。
——バンッ!!!
オーウェンが乱暴に扉を開けて教室へ入ってきた。
「今日という今日は絶対に許さん!」
それは翌月に卒業式を間近に控えた三年の特別クラスでの出来事。
三年生は既に授業を終えており、後は卒業だけとなったから、無理に学園へ通学する必要はないのだが、気の知れた友人と最後の思い出を作ろうとする生徒は少なからずいる。
特別クラスの教室にもそれなりの生徒が集まっており、友人達と和気藹々と過ごしていた。そこへ突然オーウェンが側近三人組とアイリスを引き連れ乱入してきた。
イーリヤもまた気の知れた友人達と談笑していたが、オーウェンを放置もできず仕方ないと前に進み出てきた。
「殿下、いったい何の騒ぎですか?」
「今日こそ貴様の悪事を公にし断罪する!」
「はぁ?」
どうせまた下らない言いがかりだろうと、イーリヤが呆れ顔だ。
「惚けていられるのも今の内だ!」
「そうです。我々は確かな証拠を掴んでいるのです」
「見損ないましたよ姉上!」
クライン、サイモン、コニールも騒ぎ立てイーリヤを糾弾するが、教室内にいる生徒達はむしろオーウェン達に白い目を向けた。
世間ではオーウェン達は英雄扱いだが、彼らの本性を知る学園生徒達はその功績を全く信じていない。学内にはイーリヤの手柄を掠め取ったのではないかとの噂も流れており、オーウェン達の評価の低さは改善されていなかった。
「それで、いったい今度は何の言いがかりです?」
毎度毎度、懲りない連中だと思いながらも、一応イーリヤはつまらなさそうに尋ねた。
「貴様、アイリスを階段から突き落としただろう!」
「どうして私がカオロ嬢にそんなバカな真似をしなきゃいけないんですか」
「アイリスに嫉妬したからだろう」
「嫉妬? 私が? どうして?」
イーリヤはキョトンとして本当に分からないと首を捻った。どう考えてもアイリスに嫉妬する要素が思いつかない。
クラスメート達の方へ顔を向けたが、彼らも意味が分からないと顔に?マークを浮かべて首を傾げている。
「俺とアイリスの仲に嫉妬したからだ」
「別にお好きになさったらいいじゃないですか」
だが、イーリヤはそれがどうしたと動じる様子もない。
「元々、殿下との婚約は王妃殿下よりどうしてもと懇願されて嫌々渋々どうしようもなく承諾したものですし」
プッと失笑が教室内から漏れ聞こえてきた。お情けで婚約を結んであげたと暴露され、オーウェンはいい笑い者である。
ぐぬぬぬっと歯軋りするオーウェンの前にクラインがしゃしゃり出てきた。
「ふんっ、おおかたアイリスの美貌を妬んだに違いない」
「は? 私が? カオロ嬢に? 容姿で? 嫉妬? どうして?」
意味がわからないとイーリヤが目をぱちくりさせると教室中の生徒が爆笑した。中にはいい笑顔でクラインに「ナイスジョーク!」とサムズアップする男子生徒まで。
艶のある美しい黒髪、神秘的な赤い瞳、整った顔、見事なプロポーション、どれを取ってもイーリヤは超一級品。まさに絶世の美女。一目イーリヤを見ようと外国からやってくる者までいる国内外でも有名な美少女だ。
同じマルトニア学園三大美少女などと言われても、学園内でしか知られていないアイリスとは美貌の格が違う。
「ならば人気はどうです。アイリスは今や王都で知らぬ者のいない時の人」
「そうさ、姉上と違ってアイリスは聖女だって民衆から支持を受けているんだ」
今度はサイモンとコニールが援護射撃をしたが、それははっきり言って誤爆だ。
「その人気の要因は『雪薔薇の女王事件』じゃなかったかしら?」
「「うぐッ!」」
アイリスの人気がハリボテであるのは当事者全員が知るところ。当然イーリヤもその当事者の一人だ。それを黙認してくれているイーリヤに持ち出す内容ではない。
「やめて! 私の為に争わないで」
形勢不利と見たのか両手を胸の前で握って祈るようなポーズでアイリスが乱入してきた。
「私はただイーリヤ様に罪を認めて謝ってくれればそれで良いんです」
「ああ、アイリス、君は何て心の清らかな女性なんだ」
見つめ合うオーウェンとアイリス。何の三文芝居だと呆れ果てるオーディエンス。
「別に争いにもなっていないし、やってもない罪をどうして認める必要があるのよ」
「貴様!」
ほとほとイーリヤも呆れたが、その小さな呟きをオーウェンが聞き咎めた。
「こんな純粋なアイリスを見て恥ずかしいとは思わんのか!」
「己の罪をあくまでも認めようとしないなんて」
「往生際の悪い悪女め!」
「姉上、僕は情け無いですよ」
オーウェンと側近達が喚き立てるが、イーリヤには子犬がキャンキャン吠えているようにしか聞こえない。全く堪えた態度も見せないイーリヤにいよいよオーウェンがキレた。
「俺は貴様との婚約を破棄する!!」
ビシッとイーリヤを指差したオーウェンが高らかに宣言した。
さすがに婚約破棄を突きつければイーリヤといえど事の重大さに気づくだろう。これで悪辣なイーリヤも己の不明を恥じるはず。オーウェンはそう確信した。
「あー、はいはい左様でございますか」
しかし、オーウェンの予想に反してイーリヤは全く取り合わない。
「貴様、俺は本気だぞ!」
「最初から好きにすればいいと申し上げているじゃありませんか」
それどころか勝手にしろと言わんばかり。
「何だその態度は!」
「アイリスに危害を加えた件も追及して国外追放にしてやります!」
「姉上、今なら謝れば多少の温情は与えてあげますよ」
「このアホボンどもが」
サイモン達も加わって脅迫するが、いい加減イーリヤも鬱陶しくなってきた。
「あなた方にそんな力も権限も無いでしょう。メッキの英雄に祭り上げられて、ちょっと調子に乗りすぎじゃありませんか?」
「メッキかどうか見せてやる!」
オーウェンの言葉を合図にクラインがイーリヤに掴みかかり、コニールとサイモンが呪文の詠唱を始めた。
「アイリスに危害を加えた以上、女だからとて容赦はせん!」
筋肉の塊のようなクラインの腕がイーリヤに伸ばされる。華奢なイーリヤがねじ伏せられると誰もが思った。
「隙だらけよ」
「うわっ、イタタタタッ!」
イーリヤは迫るクラインの腕を掴み、その手首を捻り上げた。完全に立場が逆転である。
「姉上!」
「クラインから手を離しなさい!」
コニールとサイモンが同時に魔術を放った。
「「『魔神の大槌』!」」
不可視の魔力の塊がイーリヤに向かって振り下ろされる。が、イーリヤが空いてる左拳に魔力を纏わせ無造作に振るう。するとイーリヤの拳は軽々と魔術を軽々と破壊した。
イーリヤはサイモンとコニール目掛けてクラインの尻を蹴っ飛ばす。サイモンとコニールはクラインの巨体を回避し損ね、三人固まって床に転がった。
「魔術ってのはこう使うのよ――『魔神の大槌』」
床で絡まってバタバタと転がっている三人の上からイーリヤの魔術が襲う。不可視の魔力塊がまともに直撃し、うげっとカエルが潰れたような悲鳴を上げ三人ともぴくりとも動かなくなった。と言ってもイーリヤとしてはかなり手加減しているので、気絶しているだけだが。
「ば、馬鹿な、この三人がこうもあっさりと……」
「あ、あんた、こんなマネして良いと思ってんの?」
残されたオーウェンとアイリスは震え上がった。だが、イーリヤは容赦なく二人へと歩み寄る。
「さあて、私に喧嘩を吹っかけて無事で済むとは思ってはおられませんわよね?」
「くっ、アイリスは俺が守る!」
凄まじい迫力ある顔でイーリヤがポキポキと指を鳴らす。オーウェンはイーリヤの前に出た。
「何をやってるんですか!」
そこへ騒ぎを聞きつけエーリックが割って入った。
「いいところへ来た、エーリック!」
エーリックは諍いを止めに入ったのだが、何故かオーウェンは心強い援軍が来たとばかりに喜色を浮かべた。
「イーリヤを懲らしめるのに力を貸せ」
「あら、エーリック殿下もカオロ嬢のお味方をされますか?」
「当たり前だ。エーリックは文化祭で共にアイリスの店を盛り上げた強敵だぞ」
「はい?」
エーリックは二人を止めに来たはずなのに、いつの間にかチームアイリスに入れられていた。
「そうよ、リッ君は私と悪役令嬢を断罪するんだから」
「エーリック、さあ一緒にイーリヤと戦うぞ!」
「いやいやいや、絶対ムリッ!」
とんでもない騒動に巻き込まれてエーリックは慌てた。何が悲しくてこんな化け物令嬢と戦わねばならない。だいたい、エーリックにはイーリヤと争う理由がない。
「もう面倒だからみんな纏めて吹っ飛ばす!」
「いぃぃやぁぁぁあああ!!!」
完全なとばっちりを受けたエーリックの悲鳴が学園中に響き渡った。