8 接触
「将軍の丘」南側の頂
警戒隊「南」指揮官 カチンスキー上級軍曹
俺は、師団司令部が駐留している丘の南側にある頂、そこのてっぺんに設営された塹壕の中央、一応本部壕として使われている穴の中に、本部付のフェルロー上等兵と双眼鏡を使って周囲の警戒に当たっている一等兵と3人でいた。
「クルト、定時だぞ、中隊本部へ報告しろ。
警戒区異常なし。
以上だ。」
「了解です、軍曹。」
フェルロー上等兵が野戦電話で中隊本部を呼び出して、定時報告を送り始めた。すると右側の塹壕から小銃を手にした二等兵が、姿勢を低くしてやってきて一等兵と見張りを交代した。見張りを終了した一等兵は自分の小銃を手に取ると、俺に向かって投げやりな敬礼を送って寄越し、俺の同じような答礼を受け取って左側にある塹壕に戻っていった。野戦電話の通話器を置いたフェルロー上等兵が報告が済んだことを視線で伝えてきたので、俺は中隊本部が了解しただけで、特に良い知らせがないことを軽く頷いて了解した。
「ねぇ、軍曹。」
「なんだ、クルト。」
「鳥のことって報告した方がいいんですかね。」
「鳥?」
「あ、気がついてませんでしたか。」
「なんだ、言えよ。」
「てっきり気がついてるかと思ってましたよ。」
「早く言え。」
「こっちの森には鳥が飛んでませんが、あっちの方、南にある森は鳥が飛んでるんですよ。」
「ん?」
俺が塹壕の縁からそっと頭を出して南をみると、確かに道路向こうの森の上を鳥が飛んでいた。振り返って北の方をみると1羽も飛んでいない。
「確かにそうだな。」
「でしょう。こっちは骨と石ころしかありませんが、あっちは鳥が飛んでるじゃないですか、となると地面の上にも動物がいるんじゃないかと思うんですよ、兎とか鹿とか。ちょっと偵察に行かせてもらえば、新鮮な肉を手に入れてきますよ。」
フェルロー上等兵が薄笑いを浮かべながら魅力的な提案をしてきた。見張りに就いている二等兵も思わず振り返って俺を見た。俺が眉を動かすと二等兵は慌てて任務に復帰した。軍楽隊から回された二等兵には充分な指導になるだろう。
「何を言ってやがるんだよ。お前を俺の下に入れたのはそんな理由じゃねぇんだぞ。」
「それは分かってますが。」
「だったら、単独行動させてください、みたいな事言うんじゃねぇよ。昇進に響くだろ。」
「俺は今のままでいいですよ。余計な苦労を背負い込むなんてまっぴらです。」
「兵長に推薦してあるんだぞ。」
俺が溜息混じりに言うと、フェルロー上等兵が頭の後ろに手を当てながら答えた。
「それはどうも。でも俺は、昇進より早く故郷に帰って猟に出たいですねぇ。」
俺は胸の内で毒づいた。二等兵の前で里心が付くような話はまずい。
「その腕を見込んで俺の下に入れたんだ。ここなら500メートルぐらい先までいけるだろ?」
「よしてくださいよ。最高記録は無風で400ぐらいですよ。」
気がついてないようだが、話には乗ってきた。
「じゃあ、ここからあの橋まではどうだ?」
「えーと、そうですね、的が人間なら当てられますね。」
「簡単そうに言いやがる。橋まで300メートルだぞ。」
「へへ、それで飯を食っていましたからね。」
「伝説の猟師か。ま、さっきの話は中隊長と小隊長の耳に入れておくからな。」
「ほんとうですか。」
「中隊長も新鮮な肉が食えるとなれば、どう転ぶか分からんからな。」
俺はそう言いながら砲隊鏡をのぞき込んだ。
「鹿を何頭か仕留めたら伍長になれるかな?」
フェルロー上等兵の軽口を聞いてにやけた、その時視界に何かが入ってきた。
「おい、クルト。」
「は?」
予想外の俺の口調に驚いたのか、間抜けな返事がかえってきた。
「馬だ。馬に乗った人間が4人、おそらく4人とも男だ。森の中から出て来たぞ。」
俺は砲隊鏡で捉えた状況をそのままフェルロー上等兵に伝える。
「クルト、中隊本部に報告しろ。おい、お前は塹壕に戻ってフランツ、いやコルフェス兵長に伝えろ、配置に付け、と。」
「は、はいっ。」
二等兵は慌てて離れようとする。
「おい、双眼鏡は置いていけ。ばかもん、小銃を忘れる奴があるか。いいか、コルフェスが命令するまで引き金に指を掛けるなよ。いいな、命令だぞ。」
「はは、はい。」
「よし、行け。」
よろめきながら右側の連絡壕を走って行く二等兵の尻を見送りながら、俺は左側の連絡壕に伸びている紐を3回引いた。すると左の方でカン、カン、カン。と小さな音が聞こえた後、人が動く気配が伝わってきて、その紐が引かれて塹壕の左側の梁に吊された空き缶がカン、・・カン。と2回、音を立てた。少しして右側の空き缶も2回、音を立てた。
「中隊長がこっちに来るそうです。」
野戦電話を切ったフェルロー上等兵が、自分の小銃を抱きかかえる。たっぷり時間と弾を使って調整した照準眼鏡付きだ。
「お前は位置に付け、監視してろ。」
「了解。」
フェルロー上等兵は塹壕の縁に作っておいた狭間に小銃を据え付け、前方に目をこらした。そこは低木の茂みがあり、下枝を丁寧に刈り込んで、地表すれすれに前方が見えるように作った射撃地点になっていた。他の狭間も草を一部だけ刈って射線を確保するように作ってあるので、こちらの位置を発見される可能性は極めて低いと言える自信はあった。
俺は塹壕の出入り口から頂の北側に出た。下を見下ろすと北側の頂との間にある平地に管理大隊と補給大隊が機材や天幕を並べて駐留している。そこへ平地の東側から小型兵員車が走ってくるのが見えた。当然、天幕の外に居た兵士達が何事かと俺がいる南側の頂を見上げてくる。その中、平地の東側に駐留している管理大隊の天幕の間に、知り合いの下士官がこちらを見ているが見えた。俺はそいつに向かって、口に人差し指を当てながら、持っていた短機関銃を逆さまにして掲げてみせた。するとそいつが了解した合図に右腕を挙げて握り拳を作ると、そのまま腕を下ろしたので俺も短機関銃を下げた。そいつが近くに居た兵士達に何事かを命じると、兵士達は急いで天幕に入り、ヘルメットと小銃を掴んで出てくると、平地の東側の縁に向かって走り始めた。他の兵達も同じように行動し、下士官の命令が大隊全体に広がっていく。もちろん将校達も事態を知って、部下達を急かし始めた。別の兵士は走りながら天幕の間を抜け、西側に駐留している補給大隊へ向かっていく。すると、そちらから俺の挙動を見ていたらしい下士官が兵士を呼び止めた。兵士と何事かを話すと兵士は引き返し、下士官が補給大隊の兵士達に何事かを命じ、今度は補給大隊の兵士達が西側の縁に向かって走って行く。東西ともに縁には塹壕が掘ってあり、皆決められた位置へ入って小銃を据え付ける。うろたえたり、大声を出す者は誰一人なく、両大隊の将兵は速やかに配置についたようだった。
小型兵員車が頂の麓に止まり、中隊長グレープナー大尉が従兵を従えて、こちらへ登って来るのが見えた。ふと管理大隊の方を見ると、大隊長らしい将校がこちらを見ていたので、俺が逆さまに掴んだ短機関銃を掲げて見せると、その将校は大きく頷いて天幕に入っていった。
歩哨や監視が味方を発見したことを部隊に伝える時、あるいは相手に味方であることを伝える時は、携帯している武器を正しい向きに持って掲げる。敵を発見したことを伝える場合は逆さまに掲げ、敵が居る方向を銃口で指し示すのが教練に定められていた。
俺は、登ってきた中隊長に続いて塹壕へ入り、砲隊鏡を中隊長に譲って双眼鏡を覗いた。フェルロー上等兵が、目標は橋まで来ると馬を降りて森の中へ引き返し、森から木を引きずって出てきた。と言うので焦点を橋に合わせると、男3人が森から引きずって来た倒木を橋の前に置き、橋を封鎖するような態勢を取りつつあった。残りの1人は乗ってきた馬を森の中で隠しているのかもしれない。
「カチンスキー軍曹、見えてるか。」
グレープナー大尉が砲隊鏡を覗いたまま話しかけてきた。
「はい、大尉殿。橋を封鎖するつもりのようです。」
俺も双眼鏡を離さずに答える。
「そうだな。2人は川の中に伏せるようだぞ。」
「残りの1人か2人は森の中ですね。」
「前を塞いで森から圧迫して、遮蔽物がないこちらの斜面に追い込むつもりか。」
「いい手だと思います。」
「そうだな。ここで襲う理由もそれだな。」
「どうするので?」
「まだ分からん。相手を見てからだな。」
「相手は馬車のようですが。」
「なぜ分かる?」
「倒木を置いただけじゃ、馬なら飛び越えちまいますよ。」
「ああ、そうか、そうだな。そうすると荷物を狙う盗賊か?」
「そんなところでしょう。人相までは見えませんが。残りの1人が出てきました。橋に2人、森に2人ですな。」
「待つしか無いな。」
「はい、大尉殿。」
「ところで軍曹、この砲隊鏡、どこからもってきたんだ?」
砲隊鏡から顔を離したグレープナー大尉が聞いてきた。
「司令部から借りたんですよ。」
「借りた?」
「師団長用です。丁寧に扱ってくださいよ。」
「・・分かった。」
グレープナー大尉は砲隊鏡の横に書かれている「師団長用」の文字を指でなぞって確認していた。
「軍曹、中隊本部へ状況を報告して、師団司令部に転送するよう伝えろ。フェルロー上等兵はそのままだ。」
「了解。」
俺は野戦電話の通話器を取り、北側の頂にある中隊本部を呼び出した。
用件を終え野戦電話を切ると双眼鏡を構え直し、道路の西の方へ視界をずらした。
「奴らが注視している方向からすると西から来そうですが。」
「そうだな。ずっと西を見てるな。」
「あっちに街があるということになりますか。」
「そうなる、か。奴らがやって来た連中を襲うんだったら、襲われた方に加勢して恩を売ってこちらに連れて来よう。」
「こちらの言うとおりに従わなかったら、どうします。」
「考えを変えて貰うしかないな。可能な限り穏便な方法で。」
「了解。」
(まったく、簡単そうに言いやがって。ここが異世界だと言うなら、言葉が通じるかも分からんと言うことじゃないか。)
俺は毒づいた。共和国軍相手ならまだしも、ここは異世界で相手はどんな生き物かも分からない、そう言うレベルの話のはずだ。
(まぁ、前に居る奴らは人間みたいだし、いつもどおり臨機応変でやるしかないな。どうしても考えが変わらないなら、部下の命が最優先だ。)
下士官として、俺は自分がやるべき事を決して忘れない。これより他に優先して果たす義務などないのだ。もちろん任務も果たすが、よほどの状況でも無い限り犠牲を厭わないなんて真似はしない。中隊長もそんな事を命令した事は無い。まだ若いが実戦経験もあるし、人柄も良い。命令は与えるが詳細は部下に任せて口出しはしない。そしてその責任は取る。
(良い意味で師団長に右に倣えだからな。)
師団司令部護衛中隊は常に師団司令部と行動を共にするから、影響を受けないわけがない。
(恥をかかせる訳にはいかねぇな。)
俺は頭を切り替えて、これから起こりえる状況の想定とその対応を考え始めた。
「カチンスキー軍曹、来たぞ。馬車だ。奴らも配置に付いたぞ。」
砲隊鏡を覗いたままグレープナー大尉が知らせてきた。俺は本部壕に集合させた2人の班長に今後想定される状況時の行動について伝えていた。
「質問はあるか?」
「ありません、軍曹。」
「よし、別れ。頼んだぞ。」
俺がそう言うと、2人は頷いて壕へ戻っていった。その後ろ姿が見えなくなると俺は双眼鏡を西に向けた。大尉が言うとおり、一頭立ての馬車が走ってくるのが見えた。軍が使っている小型野戦貨車より少し大きいようだが、懸架装置などないらしく車体は絶え間なく揺れていた。
「御者台に乗っているのは1人、他に見えるか?」
「はい、後ろに少なくとも1人乗っているようですが、あの御者は・・。」
「女だな。」
グレープナー大尉が短く、そしていやにゆっくりと言った。
双眼鏡の焦点を丁寧に合わせて見ると、銀か灰色の髪と日焼けにしては色黒な顔が見えた。羽織っているマントのような物から伸びた手足は細く、全体の輪郭からすると女に見える。ただ、耳のあたりが何かおかしいように見える。
(耳当てか、耳が上に伸びているのか、あれはなんだ?)
どうにも自分が見ているものが理解できないまま見続けていると、
「橋に近付くぞ。」
グレープナー大尉の冷静な声で我に返る。
「クルト、用意はいいか?」
フェルロー上等兵に声を掛けると低い声が帰ってきた。
「いつでもどうぞ。」
先ほどとは打って変わって感情のない声でフェルロー上等兵が応じた。
(あいつ、来たのが女と分かって気合い入ったかな。)
にやりとしながら橋に近付く馬車を見守る。待ち伏せは橋の両側に2人と、馬車の右側、森の木の陰に2人だ。
「クルト、橋のこちら側にいる奴を最初にやれ。」
「了解。」
馬車は橋に向かって近づいて行く。やがて、御者が橋を塞いでいる倒木に気がついたのだろう、橋の手前で馬車が止まった。すると橋の袂の斜面に隠れていた男2人が飛び出してきて、剣を構えたまま馬車に向かっていく。御者が馬車の左側に降りて剣を抜いたようだ。馬車の後部から3人が慌てて降りてくるのも見えた。全員が華奢な体つきと後ろで縛った長い髪を揺らしている。その中に小柄な者が1人混じっていて子供がいるようだ。
(これはいかんな。)
咄嗟にそう考え、フェルロー上等兵に命令を下す。
「クルト、撃て。」
同時に、ここに来て初めての銃声が響いた。
馬車の左側で、御者台から降りた御者に剣を構えながら近づいていた男が、一瞬動きが止まったかと思うと、崩れ落ちた。
「当たったぞ。」
思わず声に出してしまう。その声と被るように遊底を操作する音が聞こえる。
馬車の右側に居た奴が驚いて倒れた男の側に来た。そいつは倒れた仲間の様子を一瞥すると、剣を構えて御者と向き合う。だが、こちらに背を向けた御者が男と重なる形になってしまい、男を撃てなくなった。馬車の後部から出てきた3人は少し離れたところで2人が剣を抜き身構えていた。森から出てきた男2人が馬車の端から姿を現した。1人は剣を構え、もう1人は
(あれは、弓か?)
「クルト、弓を持ってる右側の奴をやれ!」
その時、女3人のうちの1人、剣を構えていた2人の後ろにいた一番小柄な女が体をふたつに折って倒れた。弓を構えていた男が新たな矢を取り出す仕草をしている。
「あの野郎・・。」
怒りに満ちた声を呟いたグレープナー大尉だった。
そして、銃声。2本目の矢をつがえて、狙いを付けていた男の頭から後ろへ向かって赤い液体が噴き出すのが見え、男は棒きれのように仰向けに倒れた。
(クルトのやつ)
そう思いながら顔がにやけるのが抑えられなかった。突然の事に女達は狼狽えているようで、辺りを見回している
(あともう1人いるだろうが、油断してる場合じゃねえぞ。)
そう思いながら、弓の隣に居た男を捜すが姿が見えない。
(ん、逃げたのか?)
双眼鏡を巡らすが姿は見えない。
「カチンスキー、そろそろいいんじゃないか。」
グレープナー大尉が相変わらず砲隊鏡を覗いたまま言ってきて、俺は我に返った。つい見入ってしまい塹壕から出る機会を逃すところだった。最後に残った男と御者はまだ戦っているが、御者の方が有利に見える。仲間がやられて動揺しているのだろう。俺は左右の塹壕に繋がる紐を何回も引いた。
「大尉殿、出ます。」
グレープナー大尉にそう言いながら短機関銃を掴んだ。
「援護は任せろ。フェルロー上等兵はそのままだな。」
「はい、後はお任せします。」
「分かった。」
俺はヘルメットを被り、塹壕の縁を乗り越えて草原へと上がった。
左右の塹壕から3名ずつ、短機関銃や小銃を構えた兵士達が草原へと出て、前進しながら横隊を作っていく。俺は右側の横隊の最左翼に付いた。
フェルロー上等兵の射線を確保するために、部隊は左右に分かれたまま前進する。三度目の銃声が響いた。見ると御者と戦っていた男が前のめりに倒れるのが見えた。敵わないとみて逃げようとしたらしい。これで明らかな敵は居なくなった。あとは、できればか味方になって貰いたいと思っている女が4人。
それぞれの班は綺麗な横隊で女達に向かって進んでいく。御者は馬車の側にいて離れた所にいる3人を気にしている様子だが動かない。下手に動いて不慮の事態が起きるのを慮っているようだ。残りの2人も同じ考えのようで、倒れている女を気にしつつ、動こうとしなかった。
(よし、これなら話ができそうだ。頼む、そのままでいてくれ。)
俺は祈りにも近い思いを抱きながら歩き続け、3人の女達がいるところから10メートルほどの所にたどり着いた。