67 クリストナー氏
ルアブロンの北東にある林
第91歩兵師団長代理 ブリンクマン大佐
「大佐殿、戦闘団“ムカデ”より報告、出撃予定地点に進出、準備完了。であります」
「ありがとう。師団長閣下、全部隊準備完了です」
小さな林の中に設けられた前線指揮所で、無線車からの報告を伝えると師団長閣下は大きく頷いた。
「うむ、予定通りだな」
「はい、第1便のルートに関する報告が役に立ちました。“ムカデ”の現在地からサランタンまでは約40分です」
「サランタンの北側を遮断してから伝令が出るまでが第一の関門だな」
「はい、師団長閣下。サランタンを守備する衛士隊の隊長は、ルアブロン衛士隊長の直属の部下で信用できるそうです、彼等を信じましょう」
私の言葉に師団長閣下が頷いた。
あの日、作戦の概要を説明すると辺境伯側は承知して、ルアブロン市内に駐屯しているザロモン子爵の兵力と、自分達の兵力その他の情報を提供してきた。
ルアブロン市内に駐屯しているザロモン子爵の騎士団は約300名、殆どは市街から北西に少し離れた場所にある、辺境伯家騎士団の兵営に入っている。西門は完全に押えられていて30人ほどが常駐しているそうだが、北門と東門は通常どおりに辺境伯家の衛士隊が掌握していた。
辺境伯家の城館には、連絡係の名目で当直将校たる2名を含む騎士10名が交代で常駐し、それ以外には勤務明けと思われる騎士が通行料目当てや娼館通いために市内に滞在しているという。
反って辺境伯家の兵力は衛士隊が120名、親衛隊が60名で、その他に市内に居住している退役兵が100名ほど集められると言う話だったが、退役兵に対しての連絡手段や予備役としての登録も無いという。
「個別に探し出して召集という手間と情報漏洩を考えると、退役兵は使えませんね」
辺境伯家令嬢であるエカテリーニ殿は私の言葉を受け入れたが、意を決するような表情を見せたあとに話し始めた。
「これで当家の兵力は180名と言う事になりますが、衛士団は通常の編成においても役職に当たる者だけが騎士で、あとは選抜試験によって採用された領民で編成されているのです。そのため専門の訓練を受けた騎士で編成されている騎士団に対して、衛士隊は装備と練度において劣っているのです。そのうえ今回の東征の失敗による救援部隊のために、衛士隊からも100名余りを派遣しておりまして、現在の人数は採用したばかりの新兵20名を入れた数なのです」
エカテリーニ殿が話した内容に、私とフィルカザーム大尉は少々驚いた。
(ということは、辺境伯軍の戦力はザロモン子爵軍に対して半分以下の戦力しかないと言う事か。軍の再建には時間がかかりそうだな)
そう考えつつエカテリーニ殿に応じた。
「現在の情勢を踏まえるなら、今まで決行を思いとどまっていたのは正しい判断です。しかし子爵軍の主力がルアブロンから離れてしまえば、後は城館と城門を確保するだけですから、現在の兵力でも充分です。そこに我が軍の部隊が合流して火力が加われば、子爵軍が再び市内に入ることはなく、辺境伯家は主導権を回復できるでしょう」
「火力・・、魔法のことですか・・?」
3人が困惑と疑いの目つきになったが、説明しても疑いは晴れないだろうし宿の一室で実演するわけにもいかない。
「魔法ではありませんが、我々は大変な威力がある武器を装備しています。今ここでお見せすることは出来ませんが、いずれお見せ致しましょう」
私の説明にメーティス殿とリートホルド殿の眼は変わらなかったが、エカテリーニ殿は納得したようだった。
次にこの作戦の要であるザロモン子爵軍を誘い出す方策について話が移ったが、意外にもあっさり解決した。
ここには来なかったが、ルアブロンに駐屯する衛士隊の隊長であるアンゲリアスという家臣は辺境伯家に忠誠を誓う同志であり、サランタンに駐屯する衛士隊隊長の上官であるとのことだった。
「サランタンは辺境伯閣下の直領であるので、辺境伯爵家直属の衛士団から衛士隊を派遣しているのだ。つまりアンゲリアスは、辺境伯爵家衛士団の団長兼第1衛士隊の隊長と言う訳だ。そしてサランタンに駐屯する第2衛士隊長ザゲラーは、アンゲリアス自身が見出して育て上げ、己の片腕と呼んで第2衛士隊長に抜擢した騎士なのだ、従ってアンゲリアスと並んで忠誠に疑いはないと断言しよう」
リートホルド殿が熱く説明しているのを聞くと、アンゲリアス殿とは知古の仲であり、ザゲラー殿とも親交があると思われた。
「分かりました、それならばザロモン子爵の誘い出しをお願いしたい」
「承知した。詳細を指示いただければ、万事抜かりなくやり遂げて見せよう」
リートホルド殿が胸を張って大きめの声で答えたが、エカテリーニ殿が冷ややかな視線を向けると「失礼しました」と小さく答えて黙り込んだ。
その後、作戦開始から終了までの詳細な流れと手順を、フィルカザーム大尉と確認しながら説明した。
「城館にいる監視役はどうしますか?」
フィルカザーム大尉がザロモン子爵軍の“連絡係”について尋ねると、リートホルド殿が低い声で答えた。
「それは我々が処理する。抵抗した場合はやむを得んが」
「分かりました、できるだけ犠牲は最小限にしていただきたい、それと城館には我が軍の一部隊を差し向けますので、受け入れをお願いします」
私がそう言うと
「それは我が信用できないと言う事か?」
リートホルド殿が怒気を明らかにして聞き返す。
「連絡係ですよ、親衛隊長殿。北側の塔の最上階をお借りしたいのです」
全く動じていない、涼しい顔でフィルカザーム大尉が答えた。
「ぬ、なんだと?」
連絡係。という言葉に反応してリートホルド殿が声を荒げた。
「いいかげんにしないか、リートホルド」
見かねたという態でエカテリーニ殿が介入した。
「しかしお嬢様、この者どもは・・」
「つい先程、協定を結んだ味方だぞ、忘れたのかリートホルド?」
「・・・いえ、そのような事は・・・」
「ならば良い」
エカテリーニ殿がリートホルド殿に向けた視線をこちらに戻して謝罪すると、私は微笑みで答えるしか無かった。
「辺境伯爵令嬢殿にひとつお尋ねしたい」
たった今生じた気まずい雰囲気をものともせず、フィルカザーム大尉がエカテリーニ殿に向かって言い放った。
「なにか」
突然の問いかけに、エカテリーニ殿をはじめ3人とも驚いていたが、エカテリーニ殿は間を空けずに応えた。
「どうしてそこまで我々を信用できるのですか。初対面で、別の世界からやって来たと言っている得体の知れない我々を?」
無礼な言いようだったが、リートホルド殿は怒らなかった。彼も同じ事を考えていたからだろう。
「そうですね、そうお考えになるのはごもっともです」
エカテリーニ殿は少し笑って答えた。
「これを父から預かってきました」
そう言って、エカテリーニ殿は着ている藍色のベストのポケットから何かを取り出すと、掌に載せて差し出した。
「これは・・・・・・」
私とフィルカザーム大尉はそれを見て息をのんだ。
「なぜ、功績青十字章が・・・」
フィルカザーム大尉が呟くように言ったが、私も頭の中は同じ問いで一杯になっていた。エカテリーニ殿が差し出したのは、我が帝国軍の2級功績十字章だったからだ。功績青十字章は、主に戦闘以外の軍務に対して授与される勲章だ。
私達の視線が釘付けになっているそれを、エカテリーニ殿はテーブルの上に置いた。
「確かめさせていただいても?」
フィルカザーム大尉が確認すると、エカテリーニ殿は「どうぞ」と即答した。大尉がそれを手に取って裏側の刻印や表面の手触りを確認していたが
「大佐殿、間違いありません、我が軍の2級功績青十字章です」
驚きを隠せない表情のまま報告してきた。
私が頷いて、視線をエカテリーニ殿に戻すと彼女は話し始めた。
「それは、20年ほど前に当家に逗留していた旅人が持っていたものなのです・・・」
エカテリーニ殿によると、彼女の祖父の代に彼女の父親が殆ど行き倒れになっていた男を拾ってきたらしい。見たことが無い服を着て、聞いたことが無い言葉を喋り、見たことも無い道具を持っていた、からだそうで、言葉は魔法具で解決したが、自分のことを“異邦人”と名乗った他は殆ど喋らなかった。その男はそのまま辺境伯家に留まり、父親の話し相手程度の事をしていた。
そして、当主が父親に代替わりすると、父親は次々と今までに無い政策を打ち出して実行した。その代表がブラウンスライムを使った排泄物の処理方法で、祖父が進めていたトイレの設置と併せて精力的に実施した。その他にも領民に手洗いの習慣を広め、飲み水の改善に力を入れた。そのおかげで領内の新生児の死亡率は下がり、大人も病死する数が減って人口が増え、それによって増加した労働力をもってオーレンベアク辺境伯爵家は躍進することができた。そしてその政策、排泄物の適正な処理や手洗いなどの衛生観念と言う知識の出所は、その男だったそうだ。
「我々の先人がいたという事か・・・」
私とフィルカザーム大尉は何も言えなくなってしまった。
(20年前にこの世界に居て、それからずっと・・。ということは、我々も・・・)
「彼はずいぶん経ってからクリストナーとだけ名乗りました。クリストナー殿は当家の家臣にはなりませんでしたが、ずっと父の側に居りました。誠実に務めつつも俸禄も縁談も断り続け、ただ食客としていることに満足していたようです。私も小さいときに話したことがあります」
エカテリーニ殿の言葉に、はっとして尋ねた。
「それで、その方はいまも城館にいらっしゃるのですか?」
私の問いにエカテリーニ殿は僅かに目尻を下げると
「それが・・、5年前に病を得て亡くなりました・・・。治療を尽くしたのですが、高齢でもありましたので・・・」
その言葉に肩を落としてしまった。
「・・・今は当家の墓所に眠っておられます。父と私があなた方を信じるのは、クリストナー殿と同じ異邦人であり、クリストナー殿が信じるに足る方だったからです」
私はそれを聞いて気を取り直すと、エカテリーニ殿に向かって正対した。
「我々も同じく誠実であることをお約束致します。また、我々の同胞に対する手厚いお心遣いに感謝致します」
無帽ではあったが同じく正対したフィルカザーム大尉とともに敬礼すると、エカテリーニ殿はじめ3名は姿勢を正し、右手の拳を胸に当てて答礼した。その中で、リートホルド殿がひときわ厳かな哀悼の意を表しているのが分かった。
その後は余計なやり取りが一切無いまま説明と打ち合わせは進んで、最後にエカテリーニ殿から辺境伯領内の通行許可証と、城館の出入り商人に交付されている入城許可証を渡された。
「これがあれば役に立つでしょう」
私は感謝しつつ、エカテリーニ殿の笑顔に少しだけ心が揺れた。
翌朝、私はペッター上級軍曹が操る荷馬車で師団司令部へ急いで戻り、師団長閣下に報告した。師団長閣下は直ちに各部隊長を召集し、私を中心に作戦計画の立案を命じた。
それとは別に、2級功績青十字章とクリストナーという帝国軍人と思われる者の事も個別に報告した。
「その事は当分の間、口外することを厳禁する。いいな、ブリンクマン大佐」
師団長閣下の表情は硬く、それから一言も発しなかった。どう考えても師団将兵に対して悪影響しか与えないのは間違いない。
(ましてや今、この時である!)
私には成さねばならない任務があるため、官職不詳のクリストナー氏の事はしばらくの間は忘れなくてはならなかった。
我々は3日かけて立案と準備を終え、潜入班と連絡を取り、作戦開始位置に部隊を着けるところまできた。




