62 特使
将軍の丘 第91歩兵師団司令部
師団長 ホーフェンベルグ中将
「師団長閣下、フィルカザーム大尉からの報告であります」
私の前に立ったハイン大尉が差し出した手書きの報告書に目を通すと、ついに辺境伯側と接触したとの内容だった。
「ここまでは順調だな」
報告書から顔を上げると、私の側に立っているブリンクマン大佐に報告書を手渡した。
「はい、閣下。ただ、この次の会合が正念場になります」
「うむ。交渉に関して全権委任の特使のような者を派遣しなくてはならんな」
「師団長閣下、こちらからの要求事項の具体的な内容の検討と、派遣する代表の人選を急ぎましょう」
「そうだな」
私はブリンクマン大佐に返事をすると、部屋の壁に張られている地図に目を向けた。
野戦地図用の大きな白紙を使って作られたその地図には、野戦航空隊が初飛行してから毎日実施されている航空偵察の結果が逐次書き込まれていた。
「何を、どれほどを、だな」
「はい」
ブリンクマン大佐が報告書を机の上に置きながら答えた。
「初めは吹っ掛けるのが常套手段だが・・、どうかね、ブリンクマン大佐?」
「はい・・・・。私としてはこのデイルト川から東側を考えております」
ブリンクマン大佐は地図に歩み寄ると、地図の北西から南西に向かって緩やかに下り、ルアブロンの北で湾曲して南下する大きな川のちょうど湾曲している所にある街を指し示した。
「このサランタンの街の南は川を境に、北は街から森が途切れる峯までの線、この東側を要求するのです」
ブリンクマン大佐が示した地域は、我々がいる魔の森とその南側ということになるのだが、そのまま南へ下るとそれほど大きくない山脈を越えて海に接している。
「川の東側となると、この海に面しているところまでかね?」
「はい、師団長閣下」
「大佐、辺境伯領の東側全部というのは広すぎではないかね。それに南の山を越えたこの谷間を我々が押えると言う事は、辺境伯家に東征を諦めろと言っているに等しいぞ?」
「東側は我々が受け持つ、と言う事であります師団長閣下」カツン!
ブリンクマン大佐が姿勢を正して向き直った。
「考えてあるようだな。君の案を説明し給え、大佐」
「はい、では」
ブリンクマン大佐は胸ポケットからメモを取り出すと説明を始めた。
我が軍が危機的状況にある辺境伯家に助勢し、辺境伯家の主権を回復するという現在進行している作戦が成功した場合の“報酬”と、辺境伯家との同盟に関する約定は以下のとおり
1 ルアブロンからサランタンを経由して北方の山までの線を境界として東側を我が軍の領域とする。(ルアブロンからサランタンまではデイルト川を境界とし、サランタンから北端までの詳細な位置は両者協議にて決定する)
2 上記の領域については永久的なものとしない。
3 境界線の東側は、我が軍の軍政下に置かれる。
4 我が軍は、辺境伯領東側の防衛について責任を持つ。
5 我が軍は、辺境伯家当主に対して軍事兵力の援助を与える。
6 我が軍は、領域内で募兵を行うことができる。
7 両者ともに領域内において、通行について自由と免税特権を保証される。
8 上記以外の事項については協議によって逐次決定される。
とする。
「大佐、ずいぶんと強気じゃないか」
私が笑顔でブリンクマン大佐に尋ねると、大佐は微笑みながら答えた。
「まずは定石どおりに吹っ掛けてみました。しかし、辺境伯家の軍は東征の失敗により消耗しているとの情報ですので、我が軍が東の防衛を引き受けている間に補充と再編成で立て直すしかありません。それを考えれば、妥当な対価と言えるのではないかと思われます」
私は視線を地図に移して頷いた。我々がいる場所の南方には、二筋の低い山脈が北東から南西に向かって形成されているために平地が少なく、人口が1,000から2,000人程と思われる町が3カ所ある他は小さな集落が点在するだけで、全体の面積はかなり広くとも総人口は6,000を越えないと思われた。
だが、我々単なる地面を求めている訳ではない、ブリンクマン大佐はその事をきちんと理解していた。
「私が考えている川の東には、サランタンの街そのものとルアブロンの東街区も含みます」
私はその言葉を聞いて口元が上がるのを抑えきれなかった。
「東街区を領域とすれば、ルアブロンの城門のひとつを支配下に置くことができます。加えて東街区は工房が集まっている、言わば工業地区です。それに城壁の東隣にあるデゼルと言う町には造船所があると報告にありました。程度の差はどうあれ、技術者は囲い込んでおいた方が良いと考えます」
ブリンクマン大佐は口元に笑みを浮かべつつ続けた。
「それとデイルト川の渡河地点であり、農産物の集積地であるサランタン。我が軍の領域の要はこの三カ所です」
私もブリンクマン大佐の笑みにつられながら大きく頷いた。
辺境伯領を流れるデイルト川は、大河と呼んで差し支えない規模の河川であり、川幅が広いため自然の地形で渡渉できる場所はなく、小さな渡し場が何カ所かある他はサランタンとルアブロンだけに橋が架けられていた。
サランタンは辺境伯家の直轄領として代官が派遣されて統治されている都市であり、辺境伯領の穀倉地帯として開発されたデイルト川の西岸で生産された農産物が集まる場所でもあった。
「その代わりに、ザロモン子爵の領地はカアンの街を含めすべて辺境伯家の直轄地としていただき、我々は干渉しません」
我々がザロモン子爵を倒したとすれば、その領地は我々に与えられるか、それを主張しても良いとされるだろう。
「サランタンと引き換えと言う訳だな」
「はい。カアンには銅山をはじめとして複数の鉱山があるそうですから、辺境伯家を立て直す財源として機能すると思われます」
私は気になる事を質問した。
「ブリンクマン大佐、サランタンの統治はどのように考えている? 元からある統治機関をそのまま流用するのかね? それに東側に領地を持っている貴族達はどうする? 敵対勢力の一派なら追放して財産を接収すれば良いが、辺境伯側だとこちらの配下というわけにはいかんぞ」
「サレーラ軍属からの情報によると、辺境伯家の代官は徴税と司法、軍事だけで、実際の市政は市民の代表者から成る、参事会が取り行っていると言う事ですので、そのままで良いかと思っております」
ブリンクマン大佐はそこで言葉を一旦切ると、眉を寄せて続けた。
「東側の貴族については、考えが至りませんでした。申し訳ありません」
「ふむ。封建制度だから東側に領地を持っている貴族はいるだろう・・・」
私は視線を地図に移して考えた、そしてとある事に気が付いた。
「大佐、東方辺境の東側となれば僻地も同然だ、そんな場所に領地を持っているのは騎士爵か男爵がせいぜいの下位貴族だろう。であれば領地はそれほど大きくないはずだ、辺境伯家と交渉して移封して貰うか、そのままにしておいて、我々の状況が落ち着いたら必要に応じて介入すればよいと思うが」
「承知致しました。そのように対応します」
ブリンクマン大佐は安堵したような表情を浮かべた。
「ところで、辺境伯家がゴネた時の妥協点は用意してあるかね?」
「租税の一割を辺境伯家に渡す、ではいかがでしょう?」
「よろしい、それでいこう」
私は非常に満足して、小さな拍手を送った。
「それと、ルアブロンにいる敵対勢力を排除する方法も聞かせてくれ給え」
「はい、市街戦は避けたいので市外で騒ぎを起こし、外へ誘い出して野戦で解決するつもりでおります」
「どうやって誘い出すのだ?」
「ザロモン子爵の本領である、カアンとの連絡線を断つのがいいかと思っています。作戦の詳細は、フィルカザーム大尉の意見を聞いてから決定します」
「なるほど、分かった。ハイン大尉はどうだ、何か質問はあるかね?」
側で黙ったまま、私とブリンクマン大佐のやり取りを聞いていたハイン大尉に尋ねてみた。
「はい、師団長閣下。一点だけ、募兵について難色を示すのではないでしょうか。辺境伯家も補充のために人員を求めることになるかと思いますが」
ブリンクマン大佐がこれに答えた。
「一応、領域内で限定しておいたが、場合によっては毎月か通年で人数制限を掛けるようにしよう」
「それならば問題ないと思われます、大佐殿」カツン!
2人のやり取りを聞きながら、派遣する人物の選定を終えた。
「よし、それでは現地で交渉に当たって貰う特使の人選だが・・」
私がそう言いながらブリンクマン大佐に視線を送ると
「お引き受け致します、師団長閣下」カツン!
私はブリンクマン大佐の応えに満足した。
「よろしい、ブリンクマン大佐。君を置いて他に適任者はいないだろう。ハイン大尉、交渉に必要な資料と機材を準備して大佐に渡し給え」
「はい、師団長閣下」カツン!
「大佐、君は1名随行員を選んでおき給え」
「師団長閣下、随行員は必要ありません、単独で向かいます」
「駄目だ、護衛兼伝令として1名選出し給え。増援として送り込む要員と一緒に行って貰う」
「承知致しました、師団長閣下」カツン!
「準備ができ次第出発してくれ。ブリンクマン大佐、頼んだぞ」
カツン!
ブリンクマン大佐は微笑みを私に向けながら、踵を打ち鳴らした。その無言の答えは、とても力強かった。
また山場になってきまして、四苦八苦しております・・・。




