36 準備
「将軍の丘」第91歩兵師団司令部 別室
師団司令部第三参謀 フィルカザーム大尉
3ヶ月前、任務を終えて帰還した後、帝都の官庁街の中に建つ軍務省に入っている情報局本室で報告書を提出して帰宅した。それから1週間後、帝都の一角にある情報局分室に呼び出され、そこで潜入工作の実施を命じられてから準備に1ヶ月と少しかかった。
潜入自体は南部戦線で実施される反攻作戦の一部、作戦局の後方攪乱作戦に乗っかる形で行われる事になっていたので、最終的な調整のために一緒に夜間降下するエルドマン大尉の中隊と合流してヴァードーの海軍基地に移動することになった。
目的地まで快適な列車の旅の予定だったが、サン・ヴィレットが空襲を受けて操車場が破壊されたために列車の旅は唐突に終わった。
エルドマン大尉と話し合った結果、どこかで車両を調達してヴァードーを目指すことになり、空襲で混乱しているサン・ヴィレットにおいて、臨機応変が信条のフリーデンタール連隊はあっという間にトラック1台を調達し、少々詰め込み気味ではあったがそれなりに快適な車の旅が始まった。
だがその途中、森を抜ける街道で眩しい光に包まれた後、気が付くと見たことも無い木々が生い茂る森の中に取り残されていた。街道も消えていたが、とにかくヴァードーに向かおうとトラックを走らせ、燃料が切れた後は徒歩でヴァードーを目指して歩いた。
それが9日前で、この部屋を宛がわれたのは6日前だった。
森の中で出会った野戦警察に救われて、同じ境遇に陥っていた第91歩兵師団司令部と合流できたのは幸運としか言い様がなかった。
全く訳が分からない状況は変わらないが、食うに困ることはないし、責任を取ってくれる上役が居るのはいいことだった。師団の指揮下に入るというエルドマン大尉の決断を支持し、我々の所属を明らかにすることも同意した。
(あのホーフェンベルグ中将なら、ということもあるが)
名将と言うよりは良将という評判の将官など、そうそう居るものではない。
陸軍少将時代に第44歩兵師団長として共和国との紛争に従軍した際、僅かな損害で戦術的要地の丘を占領し、防衛していた共和国軍2個連隊をまるごと捕虜にしたことで名を馳せた。
兵隊を大切にすることから“親父”と呼ばれて親しまれ、共和国軍では相対する帝国軍の指揮官がホーフェンベルグ中将と知れると士気が下がるという噂話まで聞こえていた。
正体を明かした後、エルドマン大尉とともに師団司令部に呼び出され、師団長から師団司令部の第三参謀に補された後、この地を治める現地勢力への潜入工作の実施を命じられた時、俺に断るという選択肢はなかった。
(森の中で拾われたこと、指揮官がホーフェンベルグ中将だったこと、幸運を使い過ぎているから補充しないとな)
物事はどこかで帳尻を合わせておかないといけない、と言う考えは、おまじないでもあり、経験則に基づく俺自身の行動原理でもあった。
そして6日前からこの部屋で準備を進めているのだが、やるべきことは変わらなくても今回の作戦は今までとは基礎にあたる部分が違い過ぎていて、なかなか思うようには進まなかった。
まず、この世界にあった人物設定と小道具を揃えなくてはならない。
この点で、ダークエルフというこの世界に住む種族であるサレーラとサリエの2人から得られた助言と援助のおかげで、俺達はこの世界に溶け込むことができそうだった。
作戦に関わる面子はハイン大尉とエルドマン大尉と俺の3人、それにサレーラとサリエの2人、俺の直属として俺が“小隊長”だった“第4小隊”から引き抜いたシュティーラウ少尉、モールハウプト曹長、ペッター上級軍曹の3人を加えた8人だった。
“第4小隊”は、今回の潜入作戦に参加する予定だった要員3名から成る4個の潜入班の事で、その中のシュティーラウ少尉達“青色”班は今までに何度か一緒に仕事をして来た連中で、気心が知れているのは勿論のこと、お互いの能力をすっかり把握し合っていて、俺の中では最高のチームだと思っている部下達だ。
この8人のうち、ハイン大尉は師団の補給施設を襲った共和国軍の捕虜を尋問するほうに掛かり切りになっているので実質は7人、エルドマン大尉とダークエルフのサレーラはアドバイザーとしての参加だったので、潜入に従事するのは残りの5名。そのうちシュティーラウ少尉は連絡係として師団司令部に残留するので、潜入するのは俺と、モールハウプト曹長、ペッター上級軍曹、サリエの4人に決まっていた。
そしてもう1人、参加させるかどうか考えている男がいた。
名前はアッペル。ハイン大尉から聞いたところによると、サレーラ達四姉妹を襲った一味の生き残りだという。目の前で仲間が射殺された瞬間を見て失神し捕虜になったのだが、その後は独房代わりの一室に入れられたまま放置されていたのをハイン大尉が何かの役に立つかもしれないと思い出したのだ。
そして昨日、サリエに通訳を頼んで尋問してみると、アッペルはひどく怯えていて、いつ自分の頭が吹き飛ぶのが心配しているようだった。
「俺の質問に嘘偽り無く答えれば、お前の頭を守ってやれるだろう」
俺がそう言うと、アッペルは何度も頷き真実のみを話すことを誓った。
アッペルが話したところでは、彼はルアブロンの北にあるサランタンと言う街からさらに北にある村で生まれ育ち、幼い頃から行商人をしていた父親の手伝いをしていたそうだ。
両親が流行病で病死した後も父親の後を継いで行商人として生計を立てていて、ルアブロンとその周辺の街や村を巡って仕入れと販売を行って稼いでいた。
ところが二十日ほど前にルアブロンに行った時、見知らぬ男達に囲まれたかと思うと身に覚えのない借金の取り立てを受け、無一文どころか奴隷として売られそうになったので貧民街に逃げ込んで隠れていたが、手持ちの金も尽きかけ、生きていく糧の当ても無く途方にくれていたところに“金になる仕事”に誘われたそうだ。汚れ仕事だろうとは思ったがそれなりに剣も使えたので、背に腹はかえられぬと一味に加わったのだが、目の前で何の前触れも無く仲間の頭が弾けて中身が飛び散るのを見て失神してしまった、ということだった。
借金の話は全く身に覚えがなく、アッペルの商売は順調で金を貯めるぐらいの余裕はあったので、それを妬んで販路を横取りしようとした行商仲間に嵌められたと彼は考えていた。
家族は両親の他に弟妹がいたが同じ流行病で死んでしまい、他に姉がいたが自分が小さいときに里子に出され、顔も覚えていないそうだ。
他には子供の頃から父親の商売を手伝っていたので、読み書きと計算ができるのと、盗賊から商品と自分を守るため剣を習ったことがあり、盗賊を切って追い払ったこともあると言った。
ルアブロンについて聞いてみると、城壁に囲まれた城塞都市であり、2本の川が湾に注ぐ河口に跨がって市街地が形成されていて、西側が居住区、中央は辺境伯の城館と商業地区、東側は職人街と居住区になっているが、しばらく前から東側の居住区に流民が流れ込み、一部が貧民窟になっていて治安がかなり悪化している、という事だった。
(思ったより駒として使えそうだな)
話し終えて、俺の様子を窺っているアッペルを見ながら内心満足していた。
小身とは言え商人をしていただけあって、ルアブロンを中心とした地方の流通と産物、最近の情勢に通じていて、なおかつ戦うこともできる。
なかなかの人材なので、できれば作戦要員として参加させたいと考えていた。
(サレーラ達から聞き取った内容よりも、現地の現状に通じているから案内役として役に立つだろう。ハイン大尉にしたら聞き取りだけでもかなりの収穫があるだろうが、そろそろ準備を終わりにして始めないとな)
作戦の準備を命じられてから一週間が経つ間に、サレーラとサリエの助言を得て大陸の北にあるノルヴァイク帝国から南方の商品を買い付けに来た商人一行という体裁はほぼ整っていた。
とある帝国貴族の密命を受けて、さるお方に献上するのに相応しいお宝を探している、という裏設定も考えてある。
今回の作戦は第一段階として、情報収集の為の拠点設営と意思疎通に必要な魔法具の入手が目的とされていた。
何事も成す前の準備を怠ると、ろくでもない結果にしかならないのは知識と経験則から分かっていたので、できる限り充分に準備が整ってから仕事を始めるつもりだった。ましてや今までとは何かも違う世界での初仕事ならなおさらだった。
しかし、どうしても携帯する武装についての問題を解決することができなかった。俺達が持っている消音器付きの拳銃だけでは心許ないので、短機関銃が欲しいのだが、通常の短機関銃では銃声がするので目立ち過ぎた。
(とは言え命令を受けてから今日で六日目、あんまりのんびりしているわけにもいかない。アッペルには教育する時間は必要だが、奴を加えれば“充分整った”状態と言えるだろう。ハイン大尉に相談してみるか)
アッペルとの話が終わった後、部屋に戻る道すがらアッペルが使えるかどうかサリエに聞いてみると
「充分役に立つと思います。裏切る可能性も低そうですし、パーティに入れるのは賛成致します、大尉殿」
との事で、ハイン大尉が渋ったときに説得できる材料が増えたことを喜びつつ、その足でハイン大尉に会いに行くと、
「分かりました。貴方が必要だと判断したのであれば問題ありません、許可します」
二つ返事で許可された。
「本当によろしいので?」
「師団長閣下から本作戦の実施において、貴方の要望には可能な限り答えるように命令されていますので、問題ありません」
「そうでしたか、ありがとうございます大尉殿」
「私は本格的な諜報は経験がありませんので、専門家にお任せするのが最良だと考えておりますので」
「お任せを」
俺は短く答えてハイン大尉と別れた。
(門外漢だから専門家に任せる、と言う事か。こっちとしてはやりやすくて助かるな)
俺は若干気分を良くして部屋に戻った。
その後、シュティーラウ少尉達と話合ってアッペルを加えることが決まった。
アッペルには協力するなら給金を払うことと、働きが良ければこの仕事が終わった後も雇うことが出来るかも知れない、望むなら解放することを約束すると、迷わず承知した。
無論、裏切った時は頭が弾け飛んで苦しんで死ぬと付け加えておいた。
その日のうちにアッペルを独房から出し、正式に要員に加えた。
明日から3日間、俺達と寝食を共にして、チームの一員となるための教育を受けて貰うことにした。
モールハウプト曹長が教育を受け持ち、俺とシュティーラウ少尉で役割分担の再確認を行うことになった。
次の日ハイン大尉の所に行き、正式にアッペルの教育を始めたことと、3日間の教育が終わったらチームは作戦を始められることを報告した。
「分かりました。師団長閣下は午後から補給処へ視察に出かけていて日没前には戻られる予定なので、戻られたらその旨を報告しておきます」
俺は了解して部屋へ戻った。
モールハウプトから報告を受けたり、シュティーラウとアッペルの装備について検討したりしながら師団長が戻るのを待っていると、夕食前になってようやくハイン大尉からの使いが来て、俺とサレーラが師団長の元に呼び出された。
師団司令部に使われている一室に出頭すると、師団長と通信参謀のギュールス大尉が待っていた。
まずサレーラに対して、空軍の将校と一緒に補給処へ移動して妹と合流するよう命令があり、サレーラは了解して部屋から退出していった。
続いて俺が準備の進捗状況を報告し、2日後には準備が完了する見込みであることを伝えると師団長は満足げに頷きつつ、アッペルの教育について時間が足りているのか尋ねてきたので、俺は問題ないと答えた。
「それならばよろしい」
師団長はそれだけ言って全て了承した。
「それと、必要であればこれを持って行き給え。役に立つだろう」
そう言って師団長がギュールス大尉に合図すると、大尉は部屋の隅に置かれていた2個の木箱のうち一つの蓋を開けた。
ギュールス大尉に促されるままに木箱の中を覗くと、見覚えのある銃が収められていた。
「これは・・」
中に収められていたのはストーテンMkⅢ短機関銃だった。ストーテンMkⅡ短機関銃の改良型で、銃身が丸ごと消音器になっているタイプだった。
「私が補給処から帰って来た後に、追いかけて送られてきたのだ。補給処を襲撃した共和国軍からの鹵獲兵器だが、君の任務にちょうど良いだろうと言うことだ。使ったことはあるのかね?」
「はい、何度か」
「それなら習熟訓練は必要ないな。もう一箱には二分割できる小銃が入っている、好きに使って構わないが、第三参謀たる君が責任をもって管理し給え」
「承知致しました、師団長閣下」カツン!
これで準備万端となった。




