2 将軍の丘
ブリンクマン中佐が戻るまでまだ時間はある。皆に椅子を勧め、従兵にコーヒーを持って来させる。私もカップを手に香りを楽しんだ後、口を付けながら大隊長達を見ると、皆の表情が和らぐのが分かり安堵したが、テーブルに用意された砂糖は誰も使わなかった。
(頭を冴えさせるにはちょうどいいだろう。)
そう思いながら小声で言葉を交わす大隊長達を見ていた。
やがて車両のエンジン音が聞こえ、外が少し騒がしくなった。ブリンクマン中佐が何事かを指示する声と、それに応じる下士官らしい声が聞こえた。すると、大隊長達が腰を浮かせて窓の外を見る。
「帰ってきたようだな。」
私がそう言うと、全員がカップをテーブルに戻し、起立をして入り口に正対した。皆のカップの中身は半分ほど残っていた。
(これからは簡単に入手できないかもしれんな。)
そんな事を考えながら私はカップを持ったまま立ち上がるとノックに応えた。ドアを開けてブリンクマン中佐がランゲマイアー少尉とともに入ってきた。カツン!!
「閣下、戻りました。」
「ご苦労。」
私の労いの後、大隊長達が踵を打ち合わせる。カツン!!!!
「中佐殿」
一礼する4人に対してブリンクマン中佐は正対すると、踵を打ち合わせて答える。カツン!
彼らはブリンクマン中佐よりも階級は下だが歳は上で、軍歴もブリンクマンより長い。しかしお互いが歳と軍歴と階級と能力を認め合い、敬意を払っている関係に私は満足していた。
「早速ですがこちらを。」
少し埃を被ったブリンクマン中佐はそう言いながら制服の胸ポケットから折り畳まれた紙を取り出した。すかさず脇からランゲマイアーが持っていた軍用地図を広げる。ブリンクマン中佐がその上に取り出した紙を広げて置いた。紙には丘や森、道路を示すと思われる線が書き込まれている。
「これは君が書いたのか。」
「はい。軍用地図を持参しましたが、役に立ちませんでした。」
「やはり変わっているのか?」
「はい。」
そう言いながらブリンクマン中佐は軍用地図の一点を探し出して人差し指で示した。
「我々が居るエグリーズ村はここです。この地図を見ると村の南は畑と林で、2キロも行けば幹線道路にぶつかりますが、実際は。」
そう言って手書きの地図を軍用地図上のエグリーズ村の位置に重ねた。
「我々が現在いるこの丘は、南に向かって丘陵地帯になっていました。長さは約2キロ、幅は最大で500メートルほど。高さは頂で100メートルほどだと思われます。低木がまばらに生えている他は一面の草原になっていました。南側の頂から周囲を見るに、約20キロ南東には東西に連なる山脈と森、山脈の麓から西へは森と草原が続いていました。地形はほぼ平坦ですが、所々に小川が流れているようなので浅い谷間があると思われます。」
ブリンクマン中佐はここで言葉を切り、私と4人の大隊長達を見回して反応を伺っていた。私が浅く頷きながら続きを促すと、彼が言った丘陵の南端と山脈の間に引かれた線を指差しながら口を開いた。
「ここに道路があります。小さな木造の橋も架かっていました。」
私も含め5人がハッとしてブリンクマン中佐を見つめた。
「自分の偵察範囲で唯一の人工物です。可能な限り近付いて確認しました。轍もありましたが、轍の幅を考えると、車両ではなく馬車ではないかと思われます。」
「馬車………。」
補給大隊長のライネッケ少佐が呟いた。
「おそらく道路の中央を馬車、その両側を人が歩く、だいたい4、5メートルぐらいの道幅だと思われます。」
ブリンクマン中佐がライネッケ少佐に向かって丁寧に答えた。少佐は信じられないという表情を見せながら頷いた。
「それから、南東を偵察した班からの報告は自分の報告と重なります。山脈と草原と森、丘の東側は平坦になっていて東方には別の山脈が見えたとのことです。一方、南西の班の報告は西へは平坦な草原が続き、その先に独立丘が見えたとのことです。我々がいるこの丘を取り囲む森は東西に伸びており、森林と草原の境目をまたぐように南北に丘が連なっています。道路以外に人工物はありません。人物や車両も見えませんでした。」
ブリンクマン中佐が書いた地図を見ながら溜め息がでた。
「そうか……。状況は変わらずか。」
ブリンクマン中佐は何も答えず、報告を続けた。
「それから、南東と南西の班には森の中の偵察も命じてありまして、何か参考になる物があれば回収してくるように指示しておりました。」
「なにかあったのか? ランゲマイアーが言っていた骨かね?」
「はっ。骨の他にも色々ありました。大きな物もありましたので外に並べてありますが、こちらにお持ちしますか?」
「いや、見に行こう。そろそろ外へ出たい。」
「はっ。外に準備してあります。」
ブリンクマン中佐が微笑みながら答えた。
私は大隊長達を目で促すと、4人とも頷いて軍帽を手に取った。私も軍帽を被るとランゲマイアー少尉の案内で司令部から出た。
農家の外へ出ると、村の広場のような開けた所に下士官と兵が集まっていた。広場に置かれた物を取り囲んでいて、その中に司令部護衛中隊長のグレープナー大尉の姿も見えた。近づいていくと私に気がついた下士官のひとりが号令をかけた。
「気をつけぇ!」
30人ほどの将兵が一斉に直立不動になり、号令をかけた下士官とグレープナー大尉が正対して敬礼する。私が答礼した右腕を下ろすと、下士官が自分の右手を下ろし兵達に声をかけた。
「おい、正面を開けろ。師団長閣下がご覧になる。」
兵達が素早く左右に分かれると、並べられていた物が見えた。
「これは・・、これがランゲマイアー少尉が言っていた骨なのか、ブリンクマン中佐?」
「これは別の物ですが、この斧と骨は同じ場所にありました。」
「斧? これは中世の時代に使われていた戦斧ではないか?」
「は、そのとおりかと・・。」
ブリンクマン中佐が言い淀むのをみたのは初めてかもしれない。しかしそれよりも、
「こんな大きさの戦斧を使いこなす人間がいるのか?」
思わず声が大きくなってしまった。と言うのも置かれている戦斧は黒光りする金属でできており、長さが2メートルを超えていた。先に付いている刃も厚みがあり、刃の長さが40センチはあろうかという代物だ。よく見ると、柄と刃に文字か装飾か分からない羅列が刻印されているのが見えた。持つことはできるかも知れないが、武器として使える人間がいるとは思えない大きさだった。
そしてその横に並べられているのは、骨格標本のような物だった。人間のような構成になっているが、形や大きさは明らかに人間ではない。そして何より頭蓋骨が猪のような動物のそれだった。ブリンクマン中佐がその骨格を指して言う。
「これがその戦斧を右手で掴んでいるかのような姿勢で横たわっていたということです。他には動物の皮で作った服のような物と、この宝石のような石があったと。」
頭蓋骨の横に大小様々な楕円形の透明な石が10個ほどが置かれていた。
「ダイヤモンド、かね?」
「自分には分かりません。ダイヤモンドと言うよりは水晶に近いと思いますが、中には液体か煙のような物が入っているように見えます。これと同じ物が他の骨の側にも落ちていましたのでいくつか回収してきています。1体につき1個と思われます。」
ブリンクマン中佐は置かれている鉱石を指して説明した。並べられている骨格は全部で3体あり、戦斧と並べられている物が一番大きく、その次は身長は150センチぐらいだが骨の太さや構成が私が知っている人間の骨格とは全く違っていた。特に頭蓋骨の大きさと形からして、人間ではないことは一目瞭然だった。その横には鉄と思われる金属で作られた剣と、動物の皮で作ったと思われる鞘が付いた皮製のベルトが置かれている。ベルトにバックルは無く縛って使っていたようだ。あともう1体は虎か巨大な狼か、としか思えない四本足の動物で、尻尾と思われる骨がきちんと並べられていた。
「戦斧や剣を持つ未知の生物か。攻撃される可能性もあるわけだな。この動物も凶暴そうだ。」
私がなかば呆れて言うと、ブリンクマン中佐が頷いて同意を示しながら衛生大隊長のホフマン軍医少佐に話を振った。
「他にもいろいろな骨が森の中に落ちていましたが、正体不明の物ばかりです。軍医殿はどうお考えになりますか?」
ホフマン軍医少佐が驚いたようにブリンクマン中佐に視線を向けたが、すぐに骨格達に戻した。
「中佐殿、私が言えるのはこの2体は我々と同じ人間ではない、未知の生物であると言うことと、この動物はおそらく今まで誰も見たことのない新種であると言うことです。あと、この生物は、武器を使える知識があると言うことですね。ただ、この武器を作ったのがこの生物なのか、そうでないのか、そこは分かりません。」
ホフマン軍医少佐は並べられた骨格から目を離さずにそれだけ言うと、
「私が学んできた医学が通用しないのです。」
と呟いてあとは黙り込んだ。
周りに居る下士官兵は、そんなホフマン軍医少佐を見て誰もひと言も発しなかった。
「諸君!」
私が呼びかけると、ホフマン軍医少佐をはじめ全員が注目した。
「いまだに詳しいことは分からない。しかし、明らかに我々にとって脅威になり得る存在が確認できた。まずは各部隊を集結させて防衛に努めることとする。把握できた部隊は支援部隊ばかりだが、人員を抽出して警戒部隊を編成して防衛に当てる。まずは拠点を確保して、それからさらに状況を把握する。なにか質問はあるかね?」
しばしの沈黙の後、
「ありません、師団長閣下!。」
ブリンクマン中佐が直立不動となってて答えると全員が倣って姿勢を正した。
「集結地点はこの丘だ。ブリンクマン中佐、各大隊長と協議して配置と防衛体制の計画を立案してくれ。」
「はっ。閣下!」
「よし、別れ!」
大隊長達とグレープナー大尉はブリンクマン中佐の元に集まり、下士官兵達はそれぞれの部隊の位置へ戻っていく。動作はキビキビとしており、訓練どおりと言ったところだ。
(よし、軍規は保たれているな。)
私は安堵した。しかし、
(規律を維持するには任務を与えればいい。あとは補給だ、糧秣を確保する算段をつけなくてはならない。補給大隊のトラックに積まれている分では先は見えている。なんとか村か町か、食料を生産している所を見つけて確保しなくては。)
司令部に戻りながら頭をひねっているとブリンクマン中佐が側に来た。カツン!
「師団長閣下、防衛体制についてグレープナー大尉も含めて司令部で詳細を詰めたいと思いますがよろしいでしょうか?」
「わかった。一緒にいこう。」
司令部に戻ると、ブリンクマン中佐がテーブルの上に手描きの地図を広げた。
「我々の現在地はここ、「将軍の丘」の北側の中腹です。ここから南へ勾配が上がり北側の頂になります。そしてその南側は下り勾配となり平地となった後、また上がって南側の頂になります。その中央、谷間の西側に泉があります。水質検査の必要はありますが、飲料水の確保は解決できると思われます。そこで・・」
さりげなくブリンクマン中佐が聞いたことがない名称を使用していたが、誰も口を挟まなかった。ブリンクマン中佐の説明は続き、中佐が確認してきた地形をもとに各大隊の位置と防衛の担当面が割り振られていく。北側は村の中に師団司令部と衛生大隊、北側の頂の麓に通信大隊、中央の平地の西側に補給大隊、東側に管理大隊が置かれることになった。
防衛兵力の主力は、師団司令部護衛中隊と憲兵小隊、それに武装させた軍楽隊。まず、
1 オートバイ小隊に軍楽隊を編入した兵力を4個警戒部隊に編成し、東西南北に配置する。
2 各警戒部隊に重装備小隊の機関銃を配属し、機関銃座を構築して配置につく。
3 重装備小隊の迫撃砲と軽歩兵砲小隊は管理大隊と同じ場所に配置し、全方向への支援砲撃が可能な
体制を取る。
4 対戦車砲小隊と軽高射砲小隊は、憲兵小隊とともに師団司令部の警備と予備兵力として村で待機す
る。
5 各警戒部隊には部隊長を任命し、護衛中隊長グレープナー大尉が統括指揮を執る。
ことに決定した。その他、丘の各所に配置された各大隊は、警戒部隊が敵を発見、交戦した場合に戦闘に介入することとされた。通信大隊は北側の頂に監視哨を設置して、北と東西を監視する。そして南側の頂には警戒部隊「南」を配置して監視哨を構築させ、砲隊鏡を使って南の道路を監視させることになった。
「唯一の道路です。交通量を把握すれば人口がある地域が分かるかもしれません。」
ブリンクマン中佐が意図を説明した。
「そうだな。警戒部隊と中隊本部は有線電話で結ぶのだな?」
「はい。手配してあります。」
「よろしい。」
私が苦笑交じりに頷くとブリンクマン中佐は微笑みながら踵を鳴らした。カツン!
「グレープナー大尉、護衛中隊の本部はどこに置くのだ?」
私たちのやや後ろに控えていた将校に声をかけた。師団司令部護衛中隊長グレープナー大尉。歴戦の将校で、負傷する前は装甲偵察大隊の中隊長だった。
「はっ。南を覗いて見渡せますので北の頂が良いと思います。中隊本部と師団司令部も有線電話で繋いでいただけるのでありますか?。」
「そのつもりだ。通信大隊長に下命してある。」
ブリンクマン中佐が応えると、グレープナー大尉が言葉を続けた。
「それと、警戒部隊の前面に阻止線を構築するのと、塹壕を補強するのに森の木を切り出したいのですが、よろしいでしょうか?」
「それは分かっているんだが、道具が限られているんだ。小さい鋸と斧しかない。」
「配分していただければ、できるだけやります。」
「わかった、すぐに配分する。森へ入る際は必ず周辺の警戒を怠らずにな。それから日没前には必ず戻れ。」
「はっ。中佐殿。」カツン!
任務に精励する将校は見ていて気持ちが良い。大隊長達を見渡して念押しをしておく。
「各大隊も警戒は怠らないように、それと常時武装を徹底してくれ。」
「はっ!」カツン!!!!
ブリンクマン中佐に視線を送って締めさせた。
「質問は?」
誰も答えない。
「では、解散。」
将校達はそれぞれの部隊へと戻っていった。
後にはブリンクマン中佐と私が残った。
「陽が傾いてきましたな。」
「そうだな、長い一日だった。」
「はい。」
「これからどうなるか、皆目見当もつかない。」
「・・・・・。」
「とにかく補給、食料の調達を急がんとな。」
「はっ。」
「忙しくなるかもしれんが頼りにしているよ、中佐。」
「承知いたしました、師団長閣下。」カツン!
ふたりで笑みを交わす。
「閣下、もう少しお話をよろしいでしょうか?」
「かまわんよ。続きは私の部屋でしよう。従兵、私の部屋にコーヒーを二つ頼む。」
「承知いたしました。」カツン!
部屋の隅で控えていた従兵が部屋から出て行った。私とブリンクマン中佐も軍帽を手に司令部を出た。
私の私室へ入り、従兵が持って来るコーヒーを待った。小さなテーブルに椅子が二つにベッドと空の箪笥、あとは壁に掛かった古ぼけた油絵の風景画。二人で椅子に座って無言のまま待っていたが、ふと、先ほどの名称のことを思い出した。
「中佐、先ほど君が使っていた「将軍の丘」という名称は誰が考えたんだね?」
「自分であります。ここでは地名が一つもありませんので、まずは最初に付けさせて頂きました。」
ブリンクマン中佐が控えめに笑いながら言うと、私もつられて笑ってしまった。
「そうだな、地名すら分からない場所だったな。」
そう答えた時、ドアがノックされた。応答の後に入ってきた従兵がもつ盆の上にはコーヒーカップが二つに小さな皿に盛られたビスケットが載っていた。気を利かせてくれた従兵に礼を言うと、笑顔で一礼を返して速やかに部屋から出て行った。
まずはコーヒーカップを手に取り口に運ぶ。
「コーヒーもいつまで飲めるか分からんな。」
「はい。」
私がそう言うとブリンクマンが静かに答えた。
「元の世界に戻れるでしょうか・・。」
初めて聞いた心細げな声に驚いたが、務めて冷静に答える。
「やはり、ここは違う世界、異世界だと思うかね。」
「はい。そうとしか思えません。」
「・・・。いつ戻れるかは分からんが、戻るその時まで私は指揮を執る。」
そう言うと、ブリンクマンは突然立ち上がり、力強く踵を打ち合わせて直立不動を取った。カツンッ!
「お供します、師団長閣下。」