1 宿営地
宿営地に到着した第91歩兵師団司令部と後方部隊は、突然閃光に包まれた。
光が消えた後、そこは銃と科学の世界ではなく、剣と魔法の世界だった。
元の世界に戻れるかも知れない明日のために、師団長は指揮を執る。
大陸歴1041年5月
帝国陸軍 西部戦線 第7軍司令部
第7軍司令官 ドルマン中将
広げられた作戦地図を前に参謀達とあれやこれやと意見を交わしていた。近く予定されている反攻作戦について。増援部隊の受け入れと配置、前線部隊への補充、作戦に参加する全部隊への燃料弾薬をはじめとする軍需物資の補給。今のところ計画どおりに準備は進んでいて、司令部の雰囲気は活気があった。そこへノックととともに司令部通信部隊の下士官がメモ紙を手にして入ってきた。表情は硬く小声で「大佐殿。」と作戦参謀のマイアー大佐へ呼びかけながら近づいていく。何事かを耳打ちしながらメモ紙を大佐に渡した。そのメモの内容と耳打ちされた内容を照合するかのように動かなくなった大佐が私に向き直って口を開いた。
「軍司令官閣下。」
「なにがあった、 マイアー大佐?。」
「第84軍団司令部から報告です。増援としてこちらに向かっていた、第91歩兵師団司令部が全滅したとのことです。」
「なんだと! どういうことだ、まだ後方のはずだぞ!!」
「それが、宿営していた村に敵の爆撃機が墜落したらしく、村ごと消滅したとのことです。」
「そんなばかな・・。大佐、誰か将校を現地に行かせて被害の詳細を確認して報告させろ。」
「はっ。」
「・・・・・・ホーフェンベルグ・・。君が、こんなことになるなんて・・。」
第91歩兵師団司令部
第91歩兵師団長 ホーフェンベルグ中将
第7軍司令部から割り当てられた宿営地、エグリーズ村。藁葺き屋根の民家が12軒ほど集まって建っている共和国東部によく見られる小さな村だ。ここで一泊すれば明日には軍司令部のある地方都市に到着できる。その後は後からやって来る主力部隊の宿営地や補給について軍司令部と調整しなくてはならない。言ってみればゆっくりできるのは今日まで。明日からは部下達と共にしゃかりきに働かなくてはならない。もちろん作戦が始まればまた別の話になる。
私室として割り当てられた部屋に入ってそんな事を考えていた時だった。大きな爆発音の後、窓から閃光が差し込んできた。咄嗟に身をかがめたがその後に来ると予想していた衝撃やガラス片などは全くなかった。恐る恐る部屋の様子を確認しても何も変わっていなかった。窓ガラスも割れていない。そこへドアが勢いよく開いて将校がひとり飛び込んできた。
「師団長閣下!ご無事ですか!」
「ああ、問題ない。君は大丈夫かブリンクマン中佐。」
入ってきたのは師団の主席参謀ブリンクマン中佐。私の右腕というべき存在だ。
「は。私と他の司令部要員は無事です。現在周囲を確認させています。」
「うむ。・・確か爆発音の後に閃光に包まれたような感覚だったと思うが。」
「はい、私もです。咄嗟に伏せましたが何も起こりませんでした。部屋の中も変わりありませんが、何かが違います。」
「そうだな、外の景色が明らかに違う。」
「はい。ギュールス大尉が無線で各部隊と連絡を取っています。ランゲマイアー少尉に護衛兵と伝令を付けて各部隊の所在を確認させています。」
この参謀の判断力と決断力は図抜けていた。必要なときに必要な措置を講じ、事後であったとしても報告は忘れず、その内容は修正の必要があったことは無い。参謀としても前線指揮官としても優秀な男だ。
「よろしい。護衛中隊はどうか?」
「揃っております。現在この村を中心に防御態勢を取らせています。」
「よし、各大隊と連絡がついたら集めて全周防御だ。前線まではまだ80キロあるはずだが状況が確認できるまでは臨戦体制を維持させろ。」
「はっ。」
ブリンクマン中佐が軍靴の踵を打ち合わせて直立不動の姿勢を取る。カツン!
ドアがノックされ応えると将校が入ってきた。師団司令部通信参謀のギュールス大尉。
踵を打ち合わせて直立不動になると私に向かって報告する。カツン!
「閣下、各大隊から返信、
『異常なし、指示を待つ。』
であります。」
「よろしい。ギュールス大尉、無線で各大隊長宛に命令を伝えろ。
命令。
1 現在地から動かず師団司令部からの命令を待て。
2 周囲の部隊との連絡線を確保すべし。
以上だ。」
「はっ。」カツン!
ギュールス大尉は軍靴の踵を打ち合わせて直立不動を取った後すぐに出て行った。
ブリンクマン中佐と並んで窓際に立つ。この村に入って宿営準備を始めたとき、窓から見えた未舗装だが幅広の道路はなく、背が低い草が生えている草原になっていて、その向こうは森になっていた。確かに道路の向こう側は森だったが、明らかに樹木の種類が違うのだ。針葉樹が多く見えていたが、今は広葉樹、と言うには樹高が高い木々が並んでいる。しかも明らかに原生林だ、人の手が入った様子は微塵もない。
恐らく、隣に立つブリンクマン中佐も同じ事を考えているのだろう。窓の外を見ながら身動きひとつしなかった。少しして私に向き直ると
「司令部に戻ります。」
そう言って足早に部屋から出て行った。
ノックと応答の後、ブリンクマン中佐が部屋に入ってきた。カツン!
「閣下、ランゲマイアー少尉が戻りました。」
「うむ、そちらに行く。」
私はすぐに部屋を出た。ブリンクマンが後に続いて来る。司令部として使っている部屋に入ると、下士官のひとりが直立不動となって号令をかけた。カツン!
「気をつけぇ!」
同時に在室していた将校や下士官たちが踵を打ち合わせて直立不動となり、私に注目した。ガツン!!
「報告を聞こう。」
私は、鍔無しの略帽を被り、ヘルメットを小脇に抱えた若い少尉に向かって話しかけた。
師団司令部護衛中隊のランゲマイアー少尉。オートバイとサイドカーで編成された第1小隊長、時には偵察も買って出る明朗活発で活力溢れる青年将校、歩兵小隊長として実戦経験もある。いつもは笑顔が絶えないが、今は顔が強ばっている。まるで初めての実戦を目前にした新兵のようだ。
「は。徒歩で周囲を捜索しながら確認して参りました。管理大隊長ヴァグナー少佐とお会いできました。通信大隊、補給大隊、衛生大隊の位置も把握できており連絡線は確保済みとのことであります。」
「そうか、よかった。皆無事か。」
「はい、各大隊長は部隊を掌握済みで、それぞれ全周を警戒して待機しています。」
「まずは一安心だな。通信が来たら軍司令部と連絡を取らせよう。」
「は。・・閣下、周囲の状況ですが・・。」
「うむ。なにか分かったか。」
「それが、すべて変わっています。」
「すべて?」
「はい。この村に入ってきた時に通った道がありません。消えています。管理大隊がいる集落までの道もありません。」
ランゲマイアー少尉は明らかに狼狽していた。自分自身が信じられていない、理解できていないことを報告している心情がありありと窺えた。
「少尉?」
「村の周囲は平坦な畑でしたが、今はどこにもありません。この村自体がゆるやかな丘の中腹にあります。丘の周囲は草原になっていてその先は森になっています。村の建物の位置関係は同じだと思われますが、それ以外は全て違っています。ここは我々がやって来た時とは違っているのです。」
「ランゲマイアー少尉、君は自分が言っていることを理解できていないようだな?」
「はい。非常に不安を感じていますが、自分が見たままを報告しました。あの時、爆発に巻き込まれたような感覚を感じましたが、周囲に爆発したような形跡は一切ありません。」
「ふむ・・。」
周囲が違っている、窓から見た風景だけで分かっていたことだが、爆発した形跡も無いとは。不可解という言葉だけでは到底足りない。
「閣下、人員を集めて偵察隊を編成します。範囲を拡大して詳しく調べる必要があるかと。」
言葉が出ない私を見て、ブリンクマン中佐が方策を提案してきた。
「そうしよう。もっと情報が必要だな。ランゲマイアー少尉、君は」
「閣下!」
若い少尉が何かを思い出したように私を呼んだ。
「どうした、少尉?」
「偵察隊は完全武装させてください。」
「どうした、なにかあったのか?」
「森の中に見たことが無い生物の骨が沢山ありました。」
「見たことが無い生物?」
「身長は少年ぐらいの大きさですが、手足の長さがおかしいのです。猿にも見えますが、布の切れ端のような物を身につけています。人間のような生物としか説明できません。」
ランゲマイアー少尉の説明を聞いたブリンクマン中佐が焦れたように発言した。
「閣下、私も偵察に参加する許可をください。」
「分かった、許可する。」
「ランゲマイアー、一緒に来てくれるか?」
「勿論です。お供します中佐殿。」
ランゲマイアー中尉は安堵の表情を浮かべて承知した。自分が見た物を共有できる人物が増えるのが嬉しいのだろう。
その後、ブリンクマン中佐は偵察隊を3個編成した。1個は自身の他ランゲマイアー少尉以下9名で南へ、残りの2個は下士官以下10名で南西と南東に。各隊は小型無線機を所持していたが、最大進出距離は5キロまでで往復2時間で戻ってくること、距離は短いが念入りに地形地物を確認すること、人工物や人物には接触せず秘匿を優先すること、以上を申し合わせて出発した。方位は我々が所持しているコンパスが示す北を基準に決めた。それぞれ北、北東、北西を目指せば帰れるのだ。これぐらいの用心は必要だろう。ここまで来たときには使えた軍用地図は、もはや何の役にも立たないと思われたからだ。偵察隊は機関銃を装備した四輪駆動の中型兵員車に乗車して出発した。
ブリンクマン中佐達が出発した後、ギュールス大尉に各大隊長宛に司令部に集合するよう連絡させた。
30分ほどして通信大隊の車両に便乗して4名の大隊長がやってきた。一番離れていた通信大隊が車を出し、他の大隊を回って拾ってきたそうだ。
「師団長閣下、命令により参上いたしました。」カツン!!!!
4名を代表して通信大隊長で先任将校であるリュック少佐が挨拶した。揃って直立不動を取る彼らを見て私は安心した。皆その道のベテランばかり、いわゆる専門家だ。
「皆無事でなによりだ。まずはリュック少佐、軍司令部と連絡はつくか?」
私は通信大隊長に話を向けた。軍司令部と連絡が付けば全ては解決する。今までどおり計画され、準備されたとおりに行動すればいい。しかし、
「閣下、無線は一切応答がありません。軍司令部も軍団司令部も呼びかけましたが応答はありませんでした。」
「そうか。呼び出しは続けているか?」
「現在は止めています。兵の心理的負担になるといけませんので。」
「分かった、それでよい。」
軽く頷いた後、リュック少佐が続ける。
「閣下、他の周波数も試して見ましたが、一切の電波が傍受できません。時折かすかな雑音が入ってくるだけです。こんな状況は初めてであります。」
あり得ない状況が起きている、つまりリュック少佐は異常事態だと言っているのだ。それでも疑問は確認してしておかなくてはならない。
「その雑音とは?」
「距離が遠いのかも知れませんが、おそらく微弱な電波ではないかと思われます。」
「君はどう捉えているのだ?」
「友軍が電波管制を実施していたとしても、共和国軍の通信電波による雑音は必ずあります。稼働している通信設備がないとしか思えません。」
確かにそうだ、戦闘が行われている前線までは100キロもない。電話だけで前線と後方の連絡が済むことなどあり得ない。
「雑音はどうなる?」
「弱すぎます。軍用ではありません。仮に遠距離からの電波であったとしたら、近い場所の電波が傍受できない理由が説明できません。」
「確かにそうだな。」
リュック少佐の分かりやすい説明で理解できた、あり得ない状況に他の大隊長達も困惑の度合いを深めたようだった。私の中の不可解も深まるばかりだ。だが、考えてばかりいるわけにはいかない。
「各大隊の装備はどうだ?」
リュック少佐が居並ぶ大隊長達を見やりながら答えた。
「行軍が始まった時のままです。装備に異常はありません。弾薬燃料全て所定量を保有しております。」
「ならば当面は心配ないな。偵察隊を出しているので、戻ればもう少し状況が分かるだろう。状況が把握できるまでは移動も発砲も禁止だ、徹底させてくれ。」
「は。承知いたしました。偵察結果次第では行動を起こすのでありますか?」
「そうだ。ブリンクマンが偵察隊を3個編成してここから南方面へ出している。予定通りなら後90分ほどで戻るはずだ。今よりは状況が分かるだろう。」
「は。」
リュック少佐達が視線を交わした後、補給大隊長のライネッケ少佐が控えめに口を開いた。
「もし、状況が変わらなかった場合はいかがしますか?」
「防衛に有利な場所へ移動して拠点を構築する。いかなる状況であっても部隊の安全は最優先事項だ。我々にはやるべき事がある、それは変わらない。いいな、諸君。」
「はっ、師団長閣下!」カツン!!!!
自己満足に基づく思いつきで書き始めた作品です。のんびりと書いていきます。
暇潰しになるようでしたらどうぞ。
帝国と共和国のモチーフについてはあえて言いません。カツン!