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2-3 穂久佐村連続幼女殺人事件についての概要と考察

 様々な人との出会いを楽しんだところで真矢はカバンからバインダーを取り出し俺は一気にシラフに戻ってしまう。別に酒は飲んでないけど。


「さて、それじゃあお待ちかねの穂久佐村連続幼女殺人事件についての話をしよう。ちょっと長くなるよ」

「そうか、それはいいんだが……」


 俺はチラチラと店の中にいる人間に視線を向ける。デネブさんは事情を知っているとはいえ関係者じゃない人も混ざっているしあまりこういう話をすべきではない気もするのだけれど。


 しかし真矢は俺のそんな考えを察してこう続けた。


「ああ、希典さんは大丈夫だよ。それじゃあ敬川さんは今から鳥取と島根の県境に行って瞬間移動ごっこをしてくれるかな」

「しませんよ! こうなりゃ意地でも居座ってやりますよ! マスター! さっき注文したカクテルにプロテインマシマシで!」

「はぁ~い」


 ただ敬川さんはその失礼な態度にぷんすかと逆上してしまう。しかし怒った顔もなかなか可愛らしいなあ。


「いいんじゃない? 楓ちゃんは一般人だけど一般人じゃないから」

「うーん、希典さんがそういうなら別にいいでしょう」

「?」


 けれど続けて希典さんはそう言ったので真矢は渋々納得するけど、俺にはその言葉の意味がさっぱりわからなかったけど。


「まあいいや、気を取り直して穂久佐村連続幼女殺人事件の解説をしよう。それで構わないね」

「……ああ、頼む」


 とにかく余計な手順を挟んでしまったがさっさと本題に入ろう。俺はそのためにプライドを捨てて真矢の助手になったのだから。


「事件は1992年、七月七日の七夕の夜に起こった。穂久佐村のアストラルパークの敷地内で行われた星を見る会が終わったその日の深夜未明、村に住む姉歯あねは照子てるこから娘の姉歯美鳥(みどり)が行方不明になったという通報があった。そしてその三日後、一人の少女の遺体が発見された」


 俺は手元の資料を見ながら自分が以前調べた内容と齟齬がないか確認する。このあたりの事は散々ニュースでも報じられた内容ではあるけど一応な。


「少女の名前はよう春蘭しゅんらん。その遺体は動物に食べられた痕跡がありバラバラの状態で発見された。マスコミや人々は連続して起こった出来事に事件性を疑い、行方不明になった姉歯美鳥も事件に巻き込まれたのではないかと考えた。そして彼らは最初の段階で本腰を入れて捜査をしていれば事件は起きず楊春蘭が死なずに済んだのではないかと警察を糾弾したんだ」


 時系列を追って記事を確認するがそれにしても真矢は事細かによく調べたものだなあと俺は感心してしまった。きっと彼女もそれだけこの事件を調べたい理由があるのだろうけど。


「だが県警総出でどれだけ調べても姉歯美鳥の手掛かりとなる情報は一向に見つからなかった。しかししばらくしてようやく右足の一部が見つかった。当初は事故や家出を疑われていたものの、右足には切断をした痕跡があった事から誰もがこれが事件であると確信を持った。しかし相変わらず物証には乏しく人々は憶測で人権を無視した推理合戦を始めた」


 ページをめくると推理合戦に関する記事が掲載された切り抜きが貼られている。そこには今なら絶対に炎上しそうな根拠に基づかない憶測にも似た記事が書かれており、過去の事だというのに俺は寒気がしてしまった。


「母親の姉歯照子もまた犯人として疑われた人間の一人だった。それが原因かどうかは不明だったものの彼女は自らの家に火を放ち自殺をした。だがそれはより一層悪意に満ちた報道を過熱させるものだった。しかし事件はここで新たな展開を見せる。それは当時実用化されたばかりのDNA鑑定だった。是が非でも操作を進展させたかった警察は早速その新たな技術を用いて切断された足を調べた結果それが姉歯美鳥のものである事が断定された」

「……………」


 DNA鑑定か。当時はまだ実用化さればかりのその捜査技術がどのような結果をもたらしたのか、未来に生きる俺は知っていたけど黙って資料を読む事にした。


「そしてようやく犯人が逮捕された。その人物の名前は穂久佐村で天文台の職員をしていた荻野おぎのひろし。それからの事は特筆すべき事もなくとんとん拍子で捜査が進み、容疑は固まって裁判にかけられ死刑判決が下され、無実を訴えるも数年前に死刑が執行された。この辺の説明は駆け足だけど後で説明するから待ってて」


 俺は事件の簡単な説明を聞いて改めて膨大な資料に目を通す。日々様々な書類と格闘してきた警察官の俺からすればこれくらいは大した量ではないが短時間で完全に把握するのは少し難しそうだ。


「さて、事件の概要はこんな感じかな。次は前述の推理合戦で出てきた推理を聞かせよう。だけどまずは荻野死刑囚が冤罪ではないかと言われている根拠について説明したい」

「……ああ」


 俺は覚悟を決めてから精神を落ち着かせる。それは俺の父さんがどこかで間違ってしまい、その結果一人の男と彼の家族を死なせたという意味であるから本音では聞きたくもなかったんだけど……知らないといけないよな。


「荻野死刑囚が犯人とされ逮捕されるまでのプロセスにはいくつも不可解な点があった。まずは姉歯美鳥の右足が何故見つかったのかという点だ。遺体の一部が見つかるまでの間警察は山の中で大規模な捜索を行なっていたわけだけど彼女の足は既に捜索したエリアで、なおかつとてもわかりやすい場所に置かれていた。そう、まるで誰かが意図的に置いたかのように。それはただ単に後から荻野死刑囚が犯行を誇示するために置いたとも、見落としていたとも言われているけど、はたまたは警察がそうしたとも言われているけど……まだ何もわからないね」


 真矢は最後の警察が置いたという可能性を強調するように言った。ひょっとすると彼女はその可能性を信じているのだろうか。


「そもそも彼が犯人だと疑われるに至った根拠は何だったのか。それは一人の女子高生の嘘が発端だった。彼女は以前自転車で子供と当て逃げ事故を起こした際に荻野弘に注意されて、恨みを抱いていた彼女はマスコミや警察に彼を貶める証言をした。その結果マスコミや人々はあいつが犯人だと思う様になったわけだね」

「つまりそもそものスタートが間違っていたというわけか」

「その通りだ。もう一つ有罪の根拠となった情報として自白通りの場所で遺体が見つかったというのもあるけれど、こちらも誘導尋問や苛烈な取り調べによる自白の強要があった事は認められている。凶器も含めて物的証拠は何もなく彼が有罪である根拠は実のところ恐怖によって引き出した自白だけなんだよ」

「そして再審請求をするも……ってわけか」

「ああ。では誰が犯人かという検証を一つずつ行なっていこう」


 そして真矢はページをめくり、彼女が書き記したノートと共にその説明を行なった。


「まず犯人候補の一人は楊春蘭の母親でこの間別件で逮捕された楊彩文だ。離婚して穂久佐村に戻って来た彼女は娘を虐待していた疑惑があり、暴力がエスカレートした結果娘を殺して山に遺棄したという説だ。姉歯美鳥に関してはカモフラージュに殺したのではないかとこの説を唱えた人はそう言っているね。実際近隣トラブルも多く彼女はご近所さんからかなり嫌われていたらしい」


 俺は数日前に出会った楊彩文の振る舞いを思い出した。遺産のために夫の殺害依頼をする様な人間だし当然虐待や殺人をしてもおかしくはないけどやはり少し根拠に乏しいな……。


「マスコミが取材に来た時に悪態をついたのも心証を悪くする理由の一つになってしまった。彼女はその時取り乱しながら『犯人は荻野弘に決まっている』と叫んだんだけど、これによってこの女性は哀れな母親で荻野弘はやはり犯人だと考えた人と、逆にわざとらしいと思い楊彩文はペテン師で犯人だと考える人が生まれてしまった。後は彼女が中国人の血をひいていた事もこの説が生まれた理由の一つだろう」


 けれど真矢の説明からは彼女がその説に対して否定的な考えを持っている事がやんわりと理解出来た。実際この説にはかなり思い込みが混ざっている様だしこれに関しては適当に聞き流しても問題はなさそうだ。


「次に姉歯照子が犯人という説だ。世間一般では姉歯照子は悲劇の母親というイメージが強いけどアルコール依存症だった彼女はたびたび理解不能な行動を起こしていて近所の人からは問題のある人という認識だったらしい。そして彼女の娘の姉歯美鳥は学校にも通っていなくて健診にも行っておらず、前述の理由で近所づきあいもほとんどなくそもそも娘がいたのを事件で初めて知ったという村人も多かったそうだ。実際戸籍上は姉歯美鳥という少女も存在していなくてそれが警察の初動が遅れた原因の一つにもなったみたいだね」

「だな。写真とかもほとんどないし……」


 俺はページをめくって姉歯美鳥の写真を探すも彼女の写真を見つける事は出来なかった。一人目の犠牲者の楊春蘭の写真は結構見つかったけどこれはどういう事なのだろうか。


「いや、もしかしたら警察は別の可能性を考えていたのかもしれない。実は姉歯照子は以前に流産をして子供が生めない身体になったそうだ。それがアルコール依存症になって精神を病んだ理由なんだけど……ならどうして姉歯美鳥が存在しているのか。もしかしたら姉歯美鳥は誘拐された子供ではないかと言われている。当時のDNA鑑定は完璧ではなかったし、つまり見つかった子供の足の持ち主と姉歯照子が親子かどうかは今となってはわからないんだよ」

「なかなか面白い説だな。事実じゃなかったらただの誹謗中傷だけど」


 こちらの説はある程度根拠もあるのでもしかしたら一部は真実が混ざっているかもしれない。だがやはり大衆が憶測で好き放題言いながらあれこれ推理を楽しむ様を想像するのはあまり気分のいいものではなかったよ。


「三つめは付近に住む大物代議士の親族が犯人ではないかという説だ。その親族の男性は引きこもりがちでかつて痴漢事件を起こすも無罪になった。だけどこれは金と権力を使って強引に罪を逃れたと考えられている。実際事件が起こった時も彼は容疑者候補に挙がったけど警察は早々に除外した様だ。また取り調べの際関係者が彼と一緒に仕事をしていたからアリバイがあると証言したけどそれが虚偽の証言であった事も確認出来ている。捜査関係者も新聞社の取材に対し決して犯人にしてはならないという忖度があった事実は認めている様だね」


 調べてみるが引きこもりがちだったというだけあってその犯人候補の親族の写真は見つからなかった。確かに性犯罪の疑いがある事をした人物なら怪しいがこの時点では何とも言えないか。


「さらにこれに関しては興味深い情報がある。実は事件の前に子供を追いかけ回す不審人物の目撃情報がいくつかあったそうだ。その人物はフードとマスクで顔を隠して年齢も性別もわからなかったそうだけど……どういうわけかいつの間にかこの証言は消されていた。普通こいつが犯人と思うのにどうしてだろうね。そう、警察はその人物が犯人と思っていたけどそれが大物代議士の親族だったから捜査線上から外し別の人間を犯人に仕立て上げたというわけだ。もっともこちらもやはり根拠には乏しいからそれ以上は何も言えないのが実情だね」

「事実だったら相当ヤバい話だがネットの話だからなあ」

「ああ。だけど不審者の目撃情報は確実に存在した。それが大物代議士の親族かどうかはわからないけどそっちはちゃんと裏がとれているよ」

「ふむ」


 俺はその可能性について思いを巡らせる。だが確たる情報がない以上どれほど真実味があってもそれは結局憶測にすぎないのだろう。


「四つめはそもそも楊春蘭は事故死か自殺で姉歯美鳥も生存しているというものだ。楊春蘭の死には事件性を疑わせるものがなくこちらも荻野弘が殺害したという自白からそうなったに過ぎない。そして姉歯美鳥は前述の通り実は誘拐されていて逃げ出したというものだね。見つかった足は彼女の自宅に残されたDNAと一致した様だけど前述の通りその鑑定結果には疑義が残っている。しかし警察が一度結論を出したものを間違っていると認めるわけにはいかないので姉歯美鳥は死んだ事にして強引に押し切った――だけどやっぱりこれも一種の陰謀論にも近いかな」

「さあ……どうだろうな」

「もし姉歯美鳥が姉歯照子と親子じゃなかったらその場合最も怪しい人物は変わってしまうだろう。個人的には姉歯美鳥は死んでいるとは思うけどDNA鑑定の結果を間違えたのを認めたくなかったっていうのはあるかもね。陰謀論の中には往々にしてわずかな真実が混ざっているものだからさ」


 真矢は姉歯美鳥の生存に関しては懐疑的だったけど俺は警察という組織が自分たちを護るためなら何でもする事を知っていたので、正直な所陰謀論じみた推測に関してはそれを強く否定出来ない自分がいたんだ。


「僕の頭の中にはこの資料の全ての内容が入っている。これは君に預けるから好きなだけ読むといい」

「ああ、助かるよ」


 俺は彼女の血と涙の結晶とも言えるバインダーを、その重みをしっかり感じながら大切に受け取った。


「でもやっぱり姉歯美鳥の写真はどこにもないんだな」

「一枚だけあるよ。このページだ」


 俺が二人目の被害者の写真を探していると彼女はそのページを開く。そこには大勢の子供が写っている写真と、そこから一人の少女を拡大した写真があった。


「これは事件当日、七夕の夜に開催された星を見る会で撮られた写真だ。この髪の長い女の子が姉歯美鳥とされる少女だね。週刊誌によるものだけど確認出来る中ではこれが唯一の写真だ」


 姉歯美鳥は長い黒髪の少女で目が前髪で隠れており表情がよくわからない。その写真からは勝手なイメージだけど負の感情というか、夢に溢れる少女らしからぬ陰鬱なものを感じてしまった。


「そもそも彼女が姉歯美鳥とは断言出来るのか? 週刊誌の情報なんだよな」

「ああ、彼女は間違いなく姉歯美鳥だよ。少なくとも彼女自身が自分の事を姉歯美鳥だと言っていたのは彼女と会話をした複数の子供が証言していたし僕自身も確かめているから裏がとれている。まあ誘拐説があるから姉歯美鳥だという設定を押し付けられたのかもしれないけどね」

「そうか」


 少し気になった事を尋ねると真矢は迷わず断言をした。よし、ならまずはそれを前提に話を組み立てよう。


「……けど春蘭ちゃんが自殺か事故死で、この子が姉歯美鳥じゃなかったとしても切断された痕跡のある足が見つかったって事は誰かは死んでいるのよね、きっと」


 だけど考え事をしている最中にデネブさんが不安そうな面持ちでそう口にした。折角だ、彼女も昔穂久佐村にいたそうだし話を聞いてみよう。真矢は多分既に彼女からあれこれ聞いているんだろうけど。


「デネブさんは姉歯美鳥と会った事があるんですか?」

「存在は知っていたわ。顔を合わせた事はないけど」


 俺は警察官時代に鍛えた洞察力を用いながら取り調べをする様に話を聞く。声が小さくなり歯を食いしばっているけどこれは緊張と警戒心か?


 もしかしたらまだ何かを知っているのかもしれないがこれでは話してくれそうにないな。尋問に使えそうな情報を手に入れたらまた話を聞いてみるか。


「じー」

「?」


 すっかり背景になっていた敬川さんは俺たちのやり取りが気になっていたのかチラチラ様子をうかがっている。まったく関係ないだろうけどちょっと気になる事もあったし彼女にも話を聞いてみようか。


「ところで敬川さんの正体って実は姉歯美鳥だったりします?」

「はい? いや何でそうなるんですか? 普通に敬川楓ですけど」


 俺は試しにそう質問すると彼女ははっきりと困惑してしまった。そこに焦りや動揺は見られないからそれは嘘偽りない本当の言葉なのだろう。


「もしかして右足がないからそう思いました? でも交通事故に遭ったのは殺人事件が起こった時期とは違いますし普通に神在市の市街地で穂久佐村じゃないですよ。それに切断された跡があってDNA鑑定も合致したのなら私のじゃないと思います。ミステリーの読み過ぎですって」

「ですよね、すみません」


 そんな馬鹿な仮説に敬川さんは根拠に基づいてちゃんと否定をした。どうやらこれはただの馬鹿馬鹿しい妄想だった様だ。まあ厳密にはDNA鑑定は間違っているかもしれないけども。


「けどもし何者かが足を失い生きているのなら義肢装具メーカーの荒木グレイスを利用してそうだね。そこのところはどうなの?」

「かもしれませんけど、そんな個人情報を警察でもないあなたに教えるわけないじゃないですか」

「でしょうね」


 どさくさに紛れて真矢は彼女にそう尋ねるもムッとしながら速攻で証言を拒否された。こいつも好感度の低い状態でよくその質問をしようと思ったものだ。


 俺は今真矢から教えてもらった様々な考察をすべて頭の中にメモをした。だけどやっぱりどれもこれも結局のところ証拠がなく現実点ではただの妄想に過ぎない。


 真実は一体どこにあるのだろうか。俺はそれを見つけ出さなければいけない。

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