幕間1 真矢との想い出
――現在、堤三千世の視点から――
「ん」
今日も今日とてアコギに働いていた俺はカレーのニオイを感じて右側の飲食店に視線を向ける。どうやら期間限定でカレーカツ丼を提供している様だ。
(カレーカツ丼か)
俺は昔真矢に買収された時に食べたカレーカツ丼を思い出した。あれから十年、いまだにあれを超える料理には出会っていない。やはり空腹は最大の調味料なのだろう。
それはそれとして仕事をせねば。俺はいつもの様に白昼堂々いちゃつくカップルの写真を収める。
今回の仕事はいわゆる別れさせ屋である。何らかの理由で別れたい、あるいは別れさせたい奴が依頼しその理由を強引に作って別れさせるというなんともグレー極まりない仕事である。だが真矢のやり方を受け継いだ俺にはこの上なくピッタリな仕事かもしれない。
依頼人の男の動機としては元カノが悪い男のヒモにされているので別れさせてあげたいというものだった。話だけ聞けば良さそうに聞こえるが大方ただの復讐心だろう。もしくは復縁をしたいのかもしれない。
俺は下世話なパパラッチになり写真を撮りまくる。それにしてもヒモ男を陥れる協力者の女はあざといにも程がある。それでいて上手い具合にハートを射抜いて骨抜きにしているわけだから恐ろしさすら感じてしまった。
「ねえその女誰?」
「げっ」
しかしそこで予想外の事が起こってしまった。なんと依頼人の元カノが現れその現場にばったり遭遇してしまったのだ。いや、もちろんここで修羅場になればそのまま別れる可能性は十分にあるのでそれはそれで構わないかもしれないが。
「あ、そ、それじゃあね~」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
仕掛け人の女は危機を察知し足早に去っていく。別れさせ屋は最悪の場合ナイフで刺されて殺されるような事もあるから賢明な判断だろう。
俺も刃傷沙汰になる前に止めたほうがいいかもな。ここでなんかあったら依頼失敗になるし。
「ねえ説明してよ聞けよ殺すぞねえなんで? 私の事が好きじゃないの? どうして約束が守れないの? 私だけを見てよ。なんでなんでなんでなんでなんでなんで?」
「ひぃい!?」
「ありゃ」
しかしヒモ男は鬼女と化した女性に恐れをなして脱兎の如く逃げ出してしまった。うーん、多分もう会いたいとは思わないだろうからこれで依頼成功になるのか?
「なんでよ、どうして! 馬鹿みたいじゃん! どうして皆私の前からいなくなるの!? そんなに私って重い女なの!?」
女は公衆の面前で半狂乱になって喚き散らす。このままじゃ家に帰って手首を切った写真を投稿しそうだなあ。
「そんな事はない!」
「ありゃりゃ」
だがそこに依頼人の元カレが現れた。彼は少女漫画の王子様の様に華麗に彼女を救いに来たのだ。
いや、タイミングも良すぎるし最初からこれを狙っていたのだろう。まったく打ち合わせもなく予定にない事をしないでほしいものだ。
「どうして……!」
「君の愛は重くなんてない! 僕は君の全てを受け止めるよ! 一度離れて僕は君がどれだけ大切か知ったんだ!」
「本当に!? 五分ごとにメールして返事が無かったら鬼電しても!?」
「もちろんさ!」
「部屋に盗聴器と隠しカメラを仕掛けても!?」
「当たり前だよ!」
「車で運んで拉致監禁しても!?」
「愛は重いくらいがちょうどいい! 重いは想いなんだ!!」
「本当に……!? ああ、愛してるわー!」
二人は互いの想いを知り熱い抱擁を交わした。だがその茶番を見ていられなくなった俺は思わず矢〇通の様に肩をすくめる事しか出来なかったんだ。
まったくどっちもクレイジーな事で。彼女の行為は普通にアウトの様な気もするがまあ依頼は達成出来たので構わないだろう。
「パパー? 何してるのー?」
「ってニナ?」
だがそのまま踵を返して帰ろうとすると何故かそこにはニナがいた。そりゃ生活圏だからいてもおかしくはないけど少し気まずいな。
「仕事中は話しかけるなよ」
「仕事はもう終わったんでしょ? まったくもう、またパパはこんな事をして」
ニナはジト目で俺を睨む。こんな事とはもちろん別れさせ屋の事だろう。世間一般では褒められた仕事ではないのは間違いないしそれに関しては言い訳をするつもりはなかった。
「つってもなあ、生きるためには金が必要なんだよ」
「ねえパパこんな事はもうやめて! 私が風俗で働いてお金を稼ぐから! ダメ男なパパを養ってあげるから! 私手コキには自信があるんだよ!」
「猛烈な勢いで親父の社会的地位を失墜させる発言は慎みたまえ」
愛娘はとても小学生とは思えない過激な発言をし通行人はギョッとした後蔑んだ眼で俺を見てしまう。だがもうこんなノリにも慣れてしまったよ。
「なんてね、ちゃんと私はわかってるから。なんなら手伝ってあげてもいいよ? ロリコンの扱いには慣れているんだよねー」
「アホか」
俺を気の済むまでからかったニナは舌を出して愛らしいメスガキスマイルをした。まったくもって将来が不安になる悪い笑みをしてやがる。
すみません、烏丸さん。あなたの娘さんはなんか大きく間違った方向に成長してしまいました。これも全ては俺の責任です、マジですみません。
「まあいい、折角だからメシにするぞ」
俺は何もかもを諦めて早めの昼飯をニナと食べる事にした。そして俺は少し悩んでから、
「そこのカツ丼屋でいいか」
「うんっ!」
と、カレーカツ丼を食べるためにそう提案した。
「ん」
早速ニナと一緒に店に入ると俺は彼女が髪につけていたものに気が付く。それは大分昔に俺が彼女にあげた寄木細工の星の髪留めだった。
「その髪留めまだ持ってたのか」
「あ、これ? うん! パパから貰った宝物だから!」
「……そうか」
その事に気付くとニナは些細な変化に気付いてもらった彼女の様に喜んでしまう。しかし俺は心の中で思った事を決して口にせず、切ない気持ちになりながら食券機に千円札を投入し何も言わずにカウンター席に移動したのだった。
そして食事を終えた俺はニナと別れて他の仕事をこなす。本来はまだ別れさせ屋の仕事の続きをしていたはずだが予定外の事が起きて時間が余ってしまったからな。
何にせよつい先ほど現金で報酬を受け取ったばかりなので懐は温かい。ここは愛娘のためにお土産を買ってもいいかもしれない。
そう考えた俺はケーキ屋でシュークリームを購入し、ついでにロッシーのためにちょっと高級なドッグフードも買って自宅へと戻った。
ニナはもう帰っているだろうか? 喜ぶ顔が目に浮かぶよ。
「じー」
「ん」
しかし自宅に帰るとニナはノートパソコンを操作していた。あれは仕事に使うもので秘密にしなければいけない情報も多くあり俺がいない時は使わせない様にしているのに。
「ニナ」
「わひゃー!」
「オウン?」
俺が彼女の名前を呼ぶとニナは慌ててパソコンを閉じるも時すでに遅し。それからワンテンポ遅れて眠っていたロッシーが目を覚ました。
「何をやっていた」
「そ、その、エロサイトを見てただけだから!」
「オフッオフ!」
ニナは画面を決して見せる事無く目を泳がしてそう誤魔化した。しかし俺は仮にも探偵でましてや相手は家族なのでそれが嘘である事はすぐにわかってしまった。
俺はレジ袋に襲い掛かるロッシーを大人しくさせるために買って来たばかりのドッグフードの缶詰を開け、エサ皿に盛りつけながらニナを問い詰めた。
「それはそれで問題だがそうじゃないんだろう?」
「……うん」
俺の追及にニナは観念してパソコンを開いた。そして俺はその画面を見てどうしてここまで慌てていたのかすぐに理解してしまったのだ。
「ドン・キホーテ事件か」
それは俺が個人的にまとめてパソコンに保存していたあの事件に関する資料だった。どうしてとっくの昔に終わったあの事件を彼女が調べていたのか――そんな事は言うまでもないよな。
「私だって知りたいよ。どうして『お父さん』が死んじゃったのか……どうして『パパ』があの事件の事を内緒にしているのか……だって何度聞いても教えてくれないじゃん」
ニナはシュンとしながら理由を教えてくれた。そこには先ほどの様な小賢しさは一切感じられず、ただの寂しがっている子供しかいなかったのだ。
「そうだな。お前ももう成長したし教えてもいいかもしれないな……だが覚悟はしておけよ」
「う、うん。わかった」
そう伝えるとニナは背筋を伸ばしピンとしてしまった。子供ながらにこれが深刻な話である事をよく理解しているらしい。
「それじゃあシュークリームでも食べながら語るとしよう。ミルクティーでいいか?」
「うん」
だがシュークリームという単語に彼女はほんの少しだけ顔をほころばせてしまった。うん、やっぱり買って来て正解だったな。