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1-12 烏丸鏡史郎の憂鬱

 同日夕刻、鳥取県警本部にて。


 麻薬の玄関口である沿岸部を覗けば普段はさほど事件らしい事件が起きない鳥取であるが、ここ最近は本庁から来た人間も加わり県警本部には張りつめた空気が流れていた。


 合同捜査本部が設置された部屋では多くの警察官が集まり集中して画面に映し出される映像を見つめていた。


 登場人物は二人。仮面を被り中世の貴族の様な装いをした人物の性別はわからない。華美な衣装は体型も隠し実に謎めいていた。


 もう一人の中年女性は中世の罪人の様に断頭台に乗せられて頭部を固定され、砕けそうなほどに歯をガチガチと打ち鳴らしながら重く巨大な冷たい電動ノコギリの刃の下でただその時が訪れるのを待っていた。


『ここにいる大覚寺だいかくじ明美あけみはかつて起こった穂久佐村連続幼女殺人事件で最初に荻野はぎのひろしが行った悪事を警察やマスコミに面白おかしく語った。彼は小児性愛者だと、すぐに激昂する精神異常者だと。だがそれはこいつの妄言だった。彼女は自転車を運転して子供とぶつかった際に注意された恨みで、そしてただ単に目立ち脚光を浴びたいがためにそれを行なったのだ』


 貴族の様な装いをした人物は大覚寺明美の罪を唱える。その声は変声機を使っているのか歪でやはりそこから素性を伺い知ることは出来なかった。


『ではこれより罪人の処刑を開始する』

『ごご、ごめんなさいッ! 私が悪かったからッ! 殺さないでよォッ!』


 唸りながら高速回転しゆっくりと迫る電動ノコギリ。歪な断末魔の悲鳴。壊れた蛇口の様に噴き出す血飛沫。苦悶と恐怖に歪んだ表情のまま腐った果物の様にぼとりと落ちる生首。その映像はあまりにも凄惨で直視に耐えられるものではなかった。


『私は本気だ。罪を逃れてのうのうと生きている者たちよ。かつて起こった穂久佐村連続幼女殺人事件の真実を明らかにしろ。さもなくば次はお前がこうなる番だ』


 そして映像は終了し捜査官たちの意識は現実に引き戻される。何人かはその悍ましい光景に口元を抑えている者もいた。


「ハッ、痛いなあ」

「笑っちゃダメだって、人が死んでるんだから。しかも最初の犠牲者は本庁の人だし」


 茶町ちゃまち巡査部長はその芝居がかった立ち振る舞いに思わず笑ってしまうが同期の西品治にしほんじ警部補はすぐに諫めた。


「これが二人目の犠牲者、大覚寺明美の殺害動画です。なお被害者のものと思われる遺体は星鳥市内の雑木林の中で棒の上に頭部だけが載せられている状態で見つかりました。この動画は複数の動画サイトに投稿され多くは既に削除されていますが、投稿者のハンドルネームからドン・キホーテ事件といつの間にか名付けられました。前述の通り容疑者の素性は一切わからないので我々もしばらくは犯人を仮にドン・キホーテと呼称する事にします」


 ドン・キホーテ。それは言わずと知れた古典作品の主人公の老人の名だ。犯人がどういう意図でその名を名乗っているのかはわからないが会議に参加していた権田原ごんだわら警務部長は様々な推測をせずにはいられなかった。


「なお一人目の被害者の更家さらいえ貴明たかあき警視の遺体はまだ見つかっておりません。現在大規模な捜査が行われておりますが以前消息は分からない状態です。ただ被害者はどちらも穂久佐村連続幼女殺人事件の関係者であり映像にもある通り容疑者の動機もあの事件に関係していると思われます。またつい先日別件で連続幼女殺人事件の一人目の被害者、春蘭しゅんらんさんの母親の楊彩文も捕まっており――」


 茶町は長くなりそうだな、と思いつつその話を聞き続ける。結局会議が終わったのはそれから五十分後の事だった。



 捜査会議を終えて権田原警務部長は自動販売機で二本のコーヒーを購入し、そのうちの一本を友人でもある警察官僚の烏丸からすま鏡史郎きょうしろうに渡した。


「ほれ、差し入れです」

「おや、ありがとう」


 財布に入れた写真を見ていた烏丸はそれをしまい、彼の手からブラックコーヒーを受け取った。


「流石だな、今私がまさに飲みたいものを購入するとは」

「伊達に長い付き合いじゃないんでね」


 二人はほんの少しだけ立場を忘れて昔のように談笑する。今でこそ警察庁勤務の烏丸のほうが若干立場は上になってしまったが、二人はプライベートの面でも仕事の面でも昔から仲が良く互いに信頼している間柄だった。


「大変でしょう、子供が生まればかりなのに。とっとと仕事を終わらせて会いたいですよね」

「そうだな。きっと今が一番かわいい時期なのだろう。初めての子供だからそのあたりの事はわからないが。まったく、これではちゃんと育つか心配だな」

「親は無くとも子は育つって言いますし大丈夫でしょう。烏丸さんのお子さんならきっと真っすぐで誠実な子に育ちますよ」

「だといいのだが」


 仏像の様な表情の烏丸は子供の話題を振られてほんの少し破顔してしまったが、すぐに表情筋を元に戻し普段の姿になる。


「しかし今になって再びあの事件の名前を聞くとは……因果としか言えないな」

「やれる事をやるしかないでしょう。これ以上被害者を出さないためにも」


 愁いを帯びた瞳の烏丸は絶望の中で死んでいった一人の男を思い浮かべる。これが彼を殺した事による罰だというのなら甘んじて受け入れなければならないだろう。


 そんな彼の想いを見透かしてか、権田原警務部長は親友ではなく警察官の目になって尋ねた。


「結局あの事件は冤罪だったんですかね。冤罪が疑われる中再審請求中に死刑が執行されたり普通じゃなかったですけど」

「そのあたりの事情はお前もよく知っているだろう。言わないと駄目か?」

「……そうですね。言いたくなければそれでも構いません。ですがその時が来たらちゃんと話してくださいね」

「ああ。その時が来ればな」


 権田原は何故萩野死刑囚の死刑が早々に執行されたのかその理由に当然心当たりがあったがあえて口にする事はなかった。何故ならそれはあまりにも身勝手で馬鹿馬鹿しい理由だったからだ。


「それで権田原。私が頼んだ事に関しては滞りなく進んでいるのか?」

「ええ。相手の居所はつかめました。丁度向こうから鳥取に来てくれましたのでうちの優秀な部下をあてがう予定です」

「仕事が早いな」

「裏方仕事は得意なんでね。現場のほうが好きなんですが……では自分はこのへんで、そろそろ報告が上がってくる頃でしょうから」

「ああ、頼むよ」


 権田原は烏丸からの密命を遂行するためどこかへと去っていく。そして烏丸は一人、ただただ苦いだけのブラックコーヒーを口に含んだ。


(やはり過ちからは逃れられんか)


 そして烏丸は苦悶する。かつて自分が犯してしまった罪の重さに。


 かつて自分は無実の人間と彼の家族を絶望に陥れて死に追いやった。もし罰を受けられるのなら甘んじて受けたかったが残念ながら警察官僚としての立場がそれを許さなかったのだ。


 そしてその罪を逃れて十年、二十年の月日が流れてしまった。


 だがたとえ罵詈雑言を浴びせられても自分は目的を遂行しなければならない。本当の意味であの事件を終わらせるために。


(だからその時まで私の帰りを待っていてくれ、ニナ。こんなにも最低なお父さんを赦してほしい)


 そして烏丸は娘の写真に語り掛け、最愛の愛娘を優しく抱きしめる事を夢想した。


 けれどそれ以上は想像する事は出来なかった。何故なら自分のこの手は罪で汚れており、その様な手で無垢な我が子を抱きしめる事など出来るはずもなかったのだから。

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