序幕 取材依頼のメッセージ
『先に言っておくがこの事件の結末はとんでもなくしょうもないオチだ。なので後になってから時間を返せと言われても一切苦情は受け付けない。わかりやすい爽快なミステリーが読みたければ他をあたってくれ』
俺は昨夜SNSに届いた取材依頼のダイレクトメッセージにそう返した。一応しばらく待ってやったがそれっきり返事は無く、昼飯に牛丼を食べた頃にはもうすっかりその存在を忘れてしまった。
が、食べ終わって会計を済ませて店を出た時にようやくスマホが鳴動する。それは『あの事件』に関する取材依頼の続きでそこに書かれていた内容を見て俺はチッと舌打ちをしてしまった。
礼儀もなっていないしずいぶん待たされたのだから返事は後回しでいいだろう。それよりもまずは食べ盛りの娘とバカ犬を養うために生活費を稼がなくてはならない。最近はようやく探偵家業も軌道に乗ってきたとはいえ決して収入が安定しているわけではないのだから。
俺は背景の一部となりターゲットの男を尾行する。
もちろんそれは凶悪な犯罪の捜査とかではない。ただのありふれた浮気調査だ。ミステリーものではやたらめったら探偵が事件を解決するが基本的にそういうのはまずない。
つーかそんな事をしたら警察に対して税金泥棒って苦情が来るだろ。あんなのはフィクションだ。夢を壊して悪いが探偵の仕事のほとんどは迷い猫の捜索か素行調査なんだよ、と俺はテンプレな台詞を心の中でつぶやいた。
今回の仕事は実に楽だった。男は浮気を隠そうともせず風俗やラブホテルをハシゴし、仕事を開始してから一時間で決定的な瞬間を撮影出来たので今はもっぱら証拠集めの作業である。
しかも入店する店はほぼほぼSMクラブと実に性癖に忠実だ。何でわざわざ金を払ってまで罵倒されてシバかれにゃならんのかね。金持ちの考える事はよくわからんよ。
これだけ集めれば十分だろう。財産分与プラス慰謝料も請求出来るだろうし依頼人もさぞ喜ぶはずだ。
今日の仕事は終わりにするか。さっさと愛する娘が待つ我が家に戻るとしよう。
だが夕食の材料を買って帰宅すると事務所で最愛の娘が倒れていた。
「ふむ」
「オウフ」
折角なので俺はこの状況を分析する。娘はごくつぶしのアホ犬のもふもふした背中を枕にしてうつぶせになって寝ている事からこれはきっと急性もふもふ中毒によって倒れてしまったのだろう。
急性もふもふ中毒とは現代医学では解明されていない恐ろしい未知の病気だ。主に犬や猫を飼っている者が罹患しこの様に顔をうずめて麻薬作用のあるもふもふ成分を吸引する事で発症してしまう。特にこいつは脱法ドラッグ、ではなく脱法ドッグの中でも特にもふもふなチャウチャウなのでその症状はより深刻なものになるだろう。
「オウフ!」
「あだっ」
アホ犬、ではなくロッシーは俺が左手に携えていた買い物袋に気付いて立ち上がり激しくしっぽを振った。もちろん娘は頭を滑らせ床にぶつけてしまいショック療法により無事に急性もふもふ中毒から生還する事が出来たのだ。
「はっ! 意識が飛んだっ! 私はまたもふもふしてしまったのか!」
「オウン!」
食い意地の張ったロッシーはぴょんぴょんと飛び跳ねて買い物袋の中を覗こうとしていた。だが袋の中身が散乱してはかなわないので俺は届かない程度の位置に袋を持ち上げる。
「お前にも用意してあるから離れろ。ニナ、プリン冷蔵庫に入れとくから後で食っとけ。賞味期限今日までだから」
「わーい! パパ大好きー!」
こうして事件は無事解決、今日も平和な午後の時間が訪れた。
カタカタカタ。
俺はロッシーと遊ぶ娘の様子をチラチラと見ながらパソコンを操作し、今回の依頼の報告書をまとめていた。
いつの時代も男女の営みは変わらない。この倫理観のたくましい日本社会が不倫を許容しない以上探偵や週刊誌の仕事は決してなくならないのだろう。
「ねーねー、パパー。お仕事終わった?」
「まだだ」
「ふーん。ロッシーのキンタマ触る? 癒されるよ」
「嫌だ」
「そっかー」
「オッフゥ~ン」
ソファーの上で寝転がるニナにキンタマを揉まれたロッシーは艶めかしい声をあげてうっとりとした表情になる。一応嫌がってはいない様なのでここは放置しておこう。
何故娘がこんな発言をしたのか。俺はそれなりに推理力がある方だがさっぱり理解出来なかった。子供の奇妙奇天烈な行動の謎はどのような探偵にも解く事は出来ないのだ。
「ん」
作業中再びスマホにメールが届く。どうやら件の取材依頼の様だ。正直クソ面倒くさかったが俺は仕方なく相手の記者に対応してやる事にした。
『俺は今子育てで忙しいから取材の対応は出来ない。メールに資料を添付しておくから勝手に読んでくれ。返事はいらない。それを記事にするかどうかは自分で決めてほしい。このオチを記事に出来ればの話だが』
俺は投げやり気味にそれだけ記し、ほったらかしにしたフォルダから資料を適当に見繕ってメールの送信ボタンを送る。
あの事件の真実が明らかになる事はおそらくもうないのだろう。
だがそれでも構わない。そこに確かな事実があっても、真実など所詮各々にとって都合のいいものだけが選ばれるのだから。
というわけだ、俺は自分語りをするタイプの探偵じゃない。もしあの事件の真相を知りたいというのなら好きなだけまとめた資料を読むといい。だが読み終わった後の苦情は一切受け付けないからな。大事な事なので二回言ったぞ。
それじゃあ一仕事終えたしコーヒーを飲んだら娘の夕ごはんを作ってやるとするかね。今晩は適当にカレーでいいか。