一万キロの恋と五百年の恋2
本当に真面目な男である。
血のりのついた腕を見ると、少し心配になるが、光姫は神業ともいえる手加減をしていたのだろう。
あまり武の胸は痛んでいないようでもある。
光姫と医務室へと向かう途中。武は一時だけタケルになった。
「光姫。他の者は強いのか?」
「ええ……タケル様も驚きましょう」
光姫はニッコリ微笑んで、
「それでは、里奈と湯築さんの稽古を、後で見て差し上げて下さい」
タケルが武に変わった。
「ええ。是非……」
「里奈の開眼ももうそろそろですよ。武さん」
道中、複数の巫女が通路を歩いていたが、皆武の口の周りの血で心配そうな顔をした。
医務室では武の胸に光姫が丁寧に薬草を塗り込み包帯を巻いていた。
「御怪我は? まだ痛みますか? 少しでも痛いのでしたら、遠慮なく御言いくださいね」
光姫のとても優しい声音に、武がこれからのことについて疑問を口にしたようだ。
「光姫さん。俺……四海竜王に本当に勝てますか?」
「ええ……必ず……」
光姫は包帯を巻きながらクスリと微笑んだ。その笑顔を見ると、なんとも、美しい女性であろうか。と、私は思った。恐らくは随一の美貌であろう。だが、武は更に真面目に不安な声音で続けている。
「でも、光姫さん……この際、俺の不安をもっと言わせてもらえば……相手は恐らく四人同時に来るんですよ。タイマンなら中学の頃からしてます……負けたことはないです。でも、今度は多勢に無勢だし……一度に巨大な龍の四人を相手に戦うのは……いくらなんでも……」
あの武が自信がないとは。
けれども、私は勝敗はタケルの勝ちと踏んでいた。
光姫もニッコリと微笑んだ。
「大丈夫ですから……自分の内面や精神に自信を持ってください。タケル様ならきっと……さあ、今度は横になってください」
横になった武はまた少しの間。天井を見上げていた。
きっと、麻生のことを考えているのだろう。
その証拠に、武の顔は見る見る精悍な顔になっていた。
耳を澄ますと、ここから離れたフロアから。湯築と高取と鬼姫と蓮姫の激しい修練の音が鳴り響いていた。
私は二人が気になって、すぐにフロアへと向かった。
鬼姫の逆袈裟に抜き放った刀からの気が、フロアの床を迸る。それを湯築が横飛びで躱した。瞬時に高取の練習用の落雷が鬼姫の頭上に降り注ぐが、鬼姫は刀を鞘に納めて真後ろへ飛び避けた。
次に蓮姫が足を踏み込み槍を袈裟懸けにした。途端に、フロアの頑丈な床が激しく振動し、フロアの壁にバンっという空気の衝撃の音が響き渡った。
当然、高取は寸でのところで避けていた。
湯築が素早く蓮姫目掛けて疾走し、先端にボールの付いた槍で胸板を狙う。
蓮姫の胸に槍が刺さる瞬間、鬼姫が横からその槍を一刀両断にしていた。
数多の落雷を躱し、蓮姫も鬼姫も呼吸が荒くなっていた。
湯築は斬られた槍を持ちながら呼吸を整えている。大量の汗が湯築の身体から流れ落ちているが、鬼姫と蓮姫も同じであった。
しばらく、皆の荒い呼吸だけが、フロアに響く。
勝敗は練習なので関係はないが。ほとんど互角と言っていいだろう。
「よくもまあ、ここまでこれたね」
蓮姫は感心し、鬼姫の方を見た。
「ええ、いざという時の勝負ではわかりませんが……。練習では、勝敗は決まりませんでしたね。湯築さんも高取さんもよく頑張りました」
鬼姫は初めて二人に微笑んだ。
蓮姫も鬼姫も、もう教えることはないと言った。
後は、それぞれ基礎のおさらいとなった。
「ところで……これから、皆で武の寝室で寝ている夢を見たわ……しかも、これからずっとなの……」
高取が真顔で不思議なことを言った。
高取の夢はある意味的中した。
武自身の心と身体の気を高めるためだと光姫が言ったのだ。
そのためには、皆の気がどうしても必要だった。
武自身はどうであろう?
心情を察すると、やはり複雑なのは十二分にわかるのであるが、これも麻生と世界のためである。
光姫の提案で、皆、朝と昼は修練で夜は武の寝室で寝るようになった。
今日の武は自室で修練もせずに一人でいた。眉間に皺が寄るほど真剣な顔をし、椅子に座ってる。誰も部屋に来ないでくれともいい。時折、溜息を吐いていた。
武自身女子は皆、好きなのであろうが……。
恐らく、武によっては喜ばしいことでもあるだろう。けれども、武には麻生がいるのだ。
これからの女たちとの関係で、自分が変わりそうで怖いのだろう。
いやはや、健全たる男子で一途な心の主には厳しい試練であった。
だが、そんな時に見かねた光姫が、皆と親睦を高めていればそれでいい。何もしないで一緒に寝ているだけでいい。とも言われた。
武にとって、それは救い以外のなにものでもなかった。
忘れたわけではないが……あの三人組は、まったく役に立たないので、自室で妄想に耽る毎日であった。
武にとって同禽は鬼姫といつもしているのだし。
武自身そんなに抵抗はしなくてもよかりそうなものだった。
ここから重要な事柄が多いので、武の夜のことはただ皆と添い寝しているだけなので、あまり話さずに進めていこう。
武に湯築に高取は基礎を習熟し続けていき。なんと自ら応用をしていたのだ。湯築は槍に宿らせた気を遥か遠くへ飛ばし、高取は轟雷を複数同時に三キロ先まで降らせるようになっていた。
竜宮城は総力戦のために力を温存しているのだろう。何か良からぬ動きはないに等しい。
おや、ここ数日間で効果が現れて来たようである。武自身の気が恐ろしく高まっていた。
そんなある日。
今は深夜である。
武はベッドの中で、隣に寝ている高取に聞いた。
「なあ、高取。俺にも龍に雷を落とせることってできるのか?」
高取は目を擦り、
「湯築さんからも同じことを聞いたわ」
高取の隣で寝ている光姫はクスリと笑っていた。
それから、武と湯築は高取と光姫に落雷の術の初歩の初歩を教わることになった。
時間も限られているので、落雷とまではいかないが、湯築は槍をいくらか帯電させることができるようになった。
武は落雷を覚えた。
二人して高取と光姫の目の前で正座している様は、見ていてこちらも微笑ましかった。
二人とも筋が良く。
僅か数日で得た術であった。
あくる日。
皆それぞれフロアを使わず。広い甲板での基礎の習熟をしていた。
鬼姫も蓮姫も光姫さえも、更に上を目指すかのように更なる鍛錬をしていた。
当然、四海竜王が目標のようだが。
皆、口には出さないが、タケルが目標なのであろう。
数多の虚船丸からも武士や巫女が度々、天鳥船丸へと訪れては稽古に励んでいた。武はそれでも周囲を気にせずに、ひたすら基礎の習熟をしている。
時折、高取と湯築と話しては、お互いの長所を取り入れようともし、武芸に励むのだ。
このままいけば、武はタケルにならなくてもめっぽう強いであろう。
他の大きな変化といえば、高取も湯築も武への好意をストレートに伝え表現するようになった。これには武も鬼姫でさえもいつもより寛容に接しているように見えるが、鬼姫は当然、内心はやきもちをやいているのだろう。
地姫の言った言葉が、私の胸に蘇った。
「これから皆の思慕を大切にせよ」と。
一方、ここは鳳翼学園。
今は深夜の二時である。
なにやら不穏な空気漂う学園を微細な渦潮が無数に囲んでいた。
「不吉な夜ですね……」
2年B組で寝ていた地姫がそう呟き目を覚ました。
すぐさま起き出し、隣の麻生を起こすと「急いで!」と二人は2年D組へと走った。
麻生の後ろには、当然事態に気が付いた卓登が寝ぼけ眼を擦って追いかけていた。
地姫と麻生、卓登が教室へ着くと、宮本博士たちは皆珍しくぐっすりと寝ていたようだ。研究施設と変わりない教室内で、寝袋で雑魚寝である。
「皆さま! 起きて下さいまし!」
地姫が叫ぶと同時に、すぐさまガシャンと窓が複数割れる音がした。
その音がしたのは、ここ鳳翼学園の階下であろう。
その直後に、ガラスを踏み鳴らす音が立て続けに聞こえてきた。
なんとも不気味な夜だった。
気になった私は階下へと向かう途中、学園の西階段の方から。ぞろぞろと現れた武装した魚人たちに遭遇した。魚の顔をした魚人たちは皆、布でできた羽織だけを着た恰好だが、体を全て覆う薄い鱗に手には鋭利なモリを持っていた。
当然だが、私の存在は乙姫しか知らないのだ。
魚人たちの目的は何も知らないが、もはや何かの良からぬ策であろうということはわかった。
恐らくは策を練ったのは北龍であろう。
昔から何事も合理的であったような。
おお、そうか。
狙いは麻生か地姫であろう。
学園の二階からすぐさま銃撃戦の発砲音が連続して響いてきた。
田嶋がいち早く異変に気付いて、今は自衛隊が応戦しているのだろう。魚人は無数にいるようだ。それもそのはず渦潮から無尽蔵に何千と昇ってきているのであろう。
耳を澄ますと、雷の音も轟き。
学園は陰謀の闇に包まれようとしていた。
「はっ!」
2年D組には教室全体が発光したかのような光が襲った。
落雷が教室の窓から魚人目掛けて斜めに落ちた。
地姫が降らしたのだ。
教室のドアや壁を壊して何十人もの魚人たちが地姫と麻生たちを襲いだしている。
北龍の狙いは間違いなく。
この二人であろう。
地姫が珍しく焦り出していた。
それもそのはずである。
地姫の落雷や轟雷は空のある開けた場所でなければ本領を発揮できないのだ。
「地姫さん! もう少しだ! 何が起きているのかわからないが、応援の自衛隊たちが基地からこっちに向かっている!」
宮本博士や研究員たちは設備の奥で全員伏せていた。震える声で宮本博士に何かを話している研究員がいた。その研究員が無線で学園の危機を訓練所の自衛隊に知らせたのだろう。
瞬間、宮本博士と研究員たちの頭上を幾つもの雷が通過していく。
魚人たちは灰燼と化すが……。
寒い夏の夜である。涼しいとまではいえないが肌寒い風が吹いている海に、水に囲まれた学園内は今までにない危機の真っ只中であった。
このままでは……。
致し方ないので、私は外で渦潮の数を数えた。
「ひー、ふー、みー……」
百まで数えると、私は自衛隊たちの寝床の教室から。ありったけの手投げ弾を持ちだした。




