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2話




「沙耶さんて性格いいですよね」


 ある日、彼が言った。

 ()()()()()()の従弟だという、私たちより一つ年下の中学生。


 結局、私たちの正体はいつきにバレた。


 だけどやはりと言うか、彼女は私達を受け入れて茉奈との友人関係を続け、私も互いの名前を呼ぶ仲になった。

 私が「いつき」と呼び捨てにしたからだろうか、彼女の方も私を「沙耶」と読んでくるようになった。

 茉奈のことは「茉奈ちゃん」と呼ぶにも関わらず。


 その縁で知り合ったのがこの男、暁斗。


 誰に対しても気兼ねなく気さくに話かける人の良さ、年下にも関わらず私たちよりも随分背が高い。

 顔もいつきに似たところがあって綺麗で整っている。

 男女問わず人気がある、というにも納得できる。


 頭を使うことができない、

 物事を深く考えることができない馬鹿はきっと、

 この男のことが好きになるだろう。



「あんたは腹黒通り越して、かなり歪んでるわよね、性格」


 私の言葉に、暁斗は張り付けていた笑みをさらに嘘くさい笑顔で上書きする。


「ほらやっぱり、沙耶さん素直で性格いいから……俺のことも、よく見てる」


 笑みを作り上げる暁斗の顔を見て、背筋が凍るのを倒し通り越して呆れた。

 いつきのことを心配しているわけではないが、


「逃げた方がいいよ」


 と忠告してやりたかった。




 観察していくとそれは簡単なことで。

 いつきの根暗な性格は暁斗が作り上げたものだし、

 暁斗の取り繕った明るさはいつきが作ったものだった。


 通常よりも随分と嫉妬の感情を強く持つ暁斗は、いつきに近づく人間を自身の人懐っこさで排除していたのだ。


 いつきも悪い。

 恥ずかしいからと自分から他者に近づこうとしない、

 その努力さえ怠って、


 そこにつけ込まれた。



『いつきは部活やらないよな? そういうの苦手だもんな』

『学生って言ったら、馬鹿やって騒ぎまくるのが常だよ。いつきはそういう低俗なの嫌だよな』

『いつきは考え方が大人だから、同年代のやつらとは友達になれないよ』


 思いやりのあるような最もらしいことを囁き、いつきを()()()()()()だと思い込ませた。

 その性格を作り上げた。

 もともと人間関係が未熟だったいつきはそれで、さらに他者と距離を取るようになる。

 


 そして暁斗の真価は、ここから発揮される。



『いつきは人見知りだから、俺が代わりにやるよ』

『俺の従姉、他人と馴れ合うの嫌いだから、イベントには来ないかな』

『いつきはレベルが高いから、そういうのは好きじゃないと思う』

『俺とは違って、いつきは……』



 暁斗の言葉は間違っていない。

 暁斗が言うならそれが正なのだ。

 暁斗はいい人だから。

 暁斗なら……


 矢面に立って自分を売り込み、周りの人間を支配して彼女の印象操作を確固たるものにし、

 孤高の美少女を作り上げた。



 馬鹿だと思う。

 いつきも、暁斗も。


 だけどきっと、いつきは変われる。

 自分で考えて、このままだとダメだと気がついて立ち上がれた時。

 きっかけとなる何かに触れたとき、きっと、いつきは変わる。



 それが偶然、茉奈という友人だっただけのこと。



 いつか、暁斗の執着心や嫉妬心は必ず、彼の身を滅ぼす。

 取り繕ってきた偽善が、

 嘘で塗り固めて作り上げたお人形姫が目を覚ましたとき、


 必ず堕ちる。



「あんた、死なないようにね」


 無意識に声を発していた。

 はっとして顔を上げると、向こうも意外だったようで目を丸くして私を見ていた。

 彼にしては珍しい、素の表情。

 その顔がくしゃっと、寂しそうに笑って歪んだ。


「俺、沙耶さんと出会えてよかったです」

「は?」

「もし俺が堕ちても、沙耶さんは冷静でいてくれるから。もしかしたら俺、助かるかもしれませんね」


 馬鹿だと思った。

 自分が、もうダメだと、取り返しがつかないとわかって。

 だけどどうすることも、今さら性格を変えることなんて出来なくて、諦めてる。


「いつきのことは茉奈さんが助けてくれる。だから思い残すことないって思ってたけど……沙耶さんがいるって思うと欲が出る。死にたくないなぁ」


 ケラケラっと笑う暁斗の、

 張り付けた仮面のその下の表情を見ているのはきっと、私だけで。



 だから暁斗が堕ちたとき、私だけは冷静でいられた。






「殺さないで! 暁斗は大丈夫だから、殺さないで!」


 私たち一族は感情が昂ると化け物に変わる。

 それは能力者であろうとなかろうと、いや、むしろ超常的な能力を持っているが故に、人外の物に成り果てるのかもしれないが。


 目の前の、化け物と成り果てた暁斗を見上げた。

 人間の二倍はある長身、熊のような大きな肩幅に毛むくじゃらの胴体。元が人間だったと証明するにはあまりにも困難で、山に解き放てば即座に銃殺されるであろう獣の姿。


 一歩近づけば雄叫びを上げ、その風圧で木々を薙ぎ倒した。

 そしてやっかいなことに暁斗は呪術者、女王堕ちほどではないが従者の闇堕ちはかなり力が強い。

 我を忘れて術の使い方を忘れているようだが、時々無意識に術力を使って攻撃してくる。しかも暁斗は識の女王の従者、六術全ての技を使える。

 まともに戦えばこちらが死ぬ、良くて相打ちか……


「大丈夫? どこが? 化け物じゃない」


 私の言葉に、いつきは一瞬躊躇ったあと、睨みをきかせてきた。



 だけどもう遅い。

 あんたは怯んだ。



 その一瞬の表情が答えだ。



 お人形姫と化した孤高の美少女。

 綺麗なお洋服で着飾って、

 天まで届く高い塔の上から私たちを見下ろして……



 ねぇ、いつき。


 その服は誰が用意したもの?

 あんたはどうやって、その塔の上に登ったの?





 全部、目の前の化け物が。



 暁斗がやっていたことなのよ。







『俺、沙耶さんと出会えてよかったです』



 暁斗の言葉が、頭に蘇った。



「……私は」


 会いたくなかった。

 その言葉が、たった一言が、口に出せなかった。



 私なら気づけたのに。

 私なら彼の気持ちがわかるのに。

 私なら助けてあげられるのに。



 私なら。





 暁斗を人間に戻したのは私だ。

 自分自身、そして周りもそう思っている。


 私の最後の一撃で、暁斗の闇が死んだ。





 わかってる。



 人間に戻った暁斗は、いつきを抱きしめた。



「ごめん、ごめん、いつき」と。


 命の恩人である私を、

 命をかけて助けてあげた私を通り越して、

 暁斗はいつきを求めた。


 まるで彼ら二人以外、世界に存在していないかのように。



「馬鹿だと思う」



 思わず声に出してしまい、はっと目を見開いた。

 私に寄り添っていた茉奈が、涙を浮かべて顔を近づけてきた。


「馬鹿じゃないよ……」


 ポタッと、私の頬に茉奈の涙がこぼれ落ちる。


「馬鹿じゃないよ。いつきちゃんも暁斗くんも、馬鹿じゃない」

「なんで……」


 なんでわかるのよ。

 この流れからいって、今のは、「私は馬鹿だ」って意味でしょ?

 どうしてあんた、私があいつらのこと言ってるってわかって……泣いてるのよ。


 零れ落ちる涙を拭い、茉奈が私の手を握りしめた。

 ぎゅっと、茉奈の両の手のひらが私の右手を握りしめる。


「馬鹿……沙耶の馬鹿……ありがとう。私の大切な友だちの大切な人を助けてくれてありがとう。私の大切な妹、沙耶」

「……馬鹿はあんたでしょ」


 ふふっと、自然と笑みが溢れてしまった。

 なぜ笑ったのかはわからない。

 ただ、おかしくて。


 茉奈の言葉が、

 大切がたくさんある茉奈が、


 羨ましくて。




 あの時、母の前でランドセルをもらえなかった日。


 沙耶という人間はいないと怒鳴られ、

 私という人間がこの世に生まれてきたことが罪だと突きつけられた日、



 茉奈の大切は私だけになった。


 おねぇちゃんだから、わたしが沙耶をまもる。



 そう言って人知れず涙を流した茉奈の宝箱に、新しい宝石が入ってきた。



 茉奈の大切が私一人じゃなくなった日、


 暁斗の宝箱には宝石が一つしか入らないことを知った日、


 いつきという存在がその宝石だと気づいた日、




 私は自分が失恋したことを知った。



 



『沙耶さんがいてよかったです』


 次の日、暁斗が言った。

 同じ病院に入院しているのだからどこかで会うとは思っていたが、どうやらこの男、私が談話室に来るのを待っていたらしい。


「暁斗くん、まだいるの?」と声をかけてきた別の入院患者、およそ四十代くらいの女性が言った。

「朝からずっといるでしょう。階段から落ちたんだから、ゆっくり寝てないと」


 朗らかに笑う彼女は暁斗と私にクッキーを差し出し、ニコニコしながら自分の部屋に帰って行った。


「……階段?」


 私がいうと、暁斗は困ったような笑みを浮かべた。

 他の人には見せない、素の表情だ。


「心を闇に喰われて化け物になりましたー。隣に座ってるお姉さんと戦って、斬りつけられたから入院してます。なんて言えないでしょ?」

「隣に座ってるお姉さんとは?」

「俺の隣で膨れっ面してるあなたですね」

「……あんた、誕生日四月二日よね? 私と一ヶ月ちょっとしか変わらないから」

「マジですか? 沙耶さん誕生日いつ?」

「二月二十九日」

「閏年かぁ。沙耶さん綺麗ですもんね、わかります」

「意味不明なこと言ってると階段から突き落とす」


 私の冗談に、暁斗はケラケラと笑った。

 

「俺、沙耶さんと出会えてよかったです」


 そして唐突に、話を元に戻す。


「あの時、本当は……すげー怖かったです。死ぬのがわかるというか、呼ばれてるというか……『いやだ、帰りたい』って抵抗しようとするんだけど、『帰っても無駄だ、もう生きれない』って諦めてる自分もいて……だから、沙耶さんが助けてくれて本当に、ありがとうございました」


 絡ませた指を見つめながら、暁斗は俯きかげんに話をする。

 その横顔は、私ですら初めて見るものだった。

 目尻に溜まる暁斗の涙なんてきっと、なかなか見れるものではない。


「あんたを呼んだのはいつきよ。私はあんたを叩いただけ、私じゃない」


 私の言葉に、暁斗は面食らったように動きを止めた。

 不審に思って首を傾げると、暁斗の顔が同じ方向に傾いた。


「呼んでくれてたでしょう、沙耶さん」

「……は?」

「帰ってきなさい、戻ってこいって。俺のこと、呼んでくれてた……俺あの時、沙耶さんの声を聞いたんです。ぶっ壊れた何もない世界で、沙耶さんだけの声が聞こえたんです。だから……」


 ふっと、暁斗が微笑んだ。

 嘘の笑みも本当の笑顔も、両方見てきたけれど、その時の表情がどっちだったのかはわからなくて。

 たぶん一生、わからないだろうと思った。



 その代わり私はきっと、その時に聞いた言葉を一生忘れない。

 その時の彼の声を、一生忘れない。

 


「……それでもあんたは、いつきが好きなんでしょ?」


 私の言葉に、暁斗は寂しそうに微笑んだ。


 馬鹿だと思う。


 本当馬鹿。


「いつきは単純馬鹿だから、ちゃんと伝えれば、大丈夫だと思うけど」


 それをしない暁斗は馬鹿。

 ダメだとわかっていて、当たって砕けない私も馬鹿。


 みんな馬鹿。


「……ジュース、奢ってくれるんじゃないの?」

「あ、そうでした。すみません」


 綺麗な指先でコインを投入した暁斗が、「どれにします?」と私に向き直る。


「コーラ」


 無愛想にそういうと、暁斗が愉快そうに笑った。


「炭酸好きなんですか? いつきと同じだ」

「……やっぱりお茶」

「え? でも……」

「お茶がいい」

「了解です」


 ふっと、嘘の笑みを浮かべた暁斗がお茶のボタンを押した。

 ガタンと大きい音がして落ちるお茶。取り出し口からペットボトルを拾った暁斗が、それを私に差し出す。


「じゃあ、沙耶さん、また」

「……うん、ありがと」

「お礼言うのは俺だから、ありがとうございました」

「……じゃあね」

「はい、じゃあまた」


 ペットボトルのお茶を受け取り、互いに背を向けて歩き出した。

 背後から、陽気な女性の声とそれに応える暁斗の声が聞こえる。

 八方美人、愛想がいいのもここまでくれば憧れを通り越して呆れる。


「……早く帰って休みなさいよ、バーカ」


 呟いた声は聞こえていないだろうけど、私は歩みを進めて自分の病室に戻った。

 部屋に入ると出入り口側の入院患者と目があって、彼女は気まずそうに頭を下げた。

 同い年、高校生くらいの女の子。

 足にギブスをしているから、自分一人では歩けないのだろう。

 話したことないからわからない。

 入院初日で、たくさんの人と親しくなれる暁斗の心理が全くわからない。


「……どうも」


 頭を下げると共に声を出すと、彼女はびっくりしたように目を見開き、そして再び頭を下げた。


「どうも」


 自分含めたその様子がなんだかおかしくて、そそくさと自分のベッドに戻った。

 顔を上げると雲ひとつない青空が眩しくて……


 ペットボトルのお茶を口に含んで、それを一口飲み干した。


「……ありがとうは私よ。ありがとう……暁斗。私と出会ってくれて、ありがとう」


 ポロポロと、涙がこぼれ落ちた。

 学校帰りに寄る、と茉奈といつきが言っていた。

 もうすぐなのに、顔を整えてなきゃいけないのに。


 唇を噛んで、ぐっと涙を堪えた。




 一生忘れない。


 あの時の暁斗の顔も、言葉も。

 ずっと、生きてる限り、ずっと……



『だから沙耶さん、ありがとうございます』


 暁斗が言った。

 つい先ほど、談話室で。



『沙耶さんがいなかったら俺、死んでたから……沙耶さんが、いてくれてよかった。産まれてきてくれて、ありがとうございました』



 意味がわからない。

 なんであんたがそんなこと、私の出生に感謝するのよ。


 そんなことは言えなくて、その一言が口にできなくて、私はまたお茶を飲み込んだ。



 忘れない。

 あの言葉も顔も一生。


 お茶と一緒に飲み込んで、そして、


 生きる糧にすると決めた。




 いつか、私の宝箱に特別な大切が入り込む日まで。

 一番奥底に、ずっと居座ってくれる人を見つけるまで。



 私の宝箱の中の一番輝く宝石はあなただけど、

 私もあなたを大切にするけれど……




 いつか、同じ言葉をもらえますように。



 大切を詰め込んだ宝箱の奥底に共に居座り、

 一番の宝石だと呼べる人が見つかりますように。


 その時がきたら、私もその人に伝えよう。



 大好きだよの言葉と、

 そして



『生まれて来てくれて、ありがとう』と。

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