第一話その2「掌の上の優里」
リビングの大きなガラステーブルの上に横に並んで、わたしと恵はプライベート用、桂は学校帰りのため授業用のノートパソコンを広げ、各自が桂の送ってきたリンクからPOの公式サイトにあるキャラクターエディットページを開いていた。
桂曰く、このページでは、ゲームを始める前にあらかじめキャラクターをどのような外見やスタイルにするかを決められるらしい。
授業用のパソコンを使っている桂はこんなことしていていいのか、とも思ったけど、そこらへんは設定を弄ってごにょごにょしているらしい。さすが秀才。
「っていうか、キャラクターの外見ってパーソナルデータを使うんじゃないの? SGR筐体だし」
SGR筐体が使用する身体データには年一回の身体測定の結果であるパーソナルデータが用いられる筈だ。確か仮想と現実の差異による事故を防ぐためだとか何とか……そんな話を聞いたことがある。
「確かに、パーソナルデータは使うし、性別や基本的な外見はそれがベースなんだけどさ。細かい設定は弄ることが出来るんだよね。髪型、髪の色、肌の色、瞳の色、角の長さ、羽の色――」
「ちょっと待った」
何か聞き捨てならない単語が飛び出したため、わたしは右掌を桂に向けてその説明を遮った。当の本人は不思議そうな顔をしている。
「角とか羽とかって何よ」
「あれ説明してなかったっけ。このゲームでは複数の人種が選べて、人間以外にもエルフ、ドワーフ、オーガ、有翼人みたいなのが選択肢にあるのよ」
左隣に座る桂が、「どきんしゃい」と言ってわたしのマウスをもぎ取り、人種の紹介ページを開いて見せた。右隣から恵も覗き込んでいる。
んーと、人種紹介?
人間であるヒューマン。平均的な能力を持っていて得意分野が多い。
尖った長い耳を持つ妖精エルフ。聴覚が鋭く、動物との意思疎通が得意。
エルフの肌を暗くしたダークエルフ。エルフと同じく聴覚が鋭く、強化魔法に長けている。
ダークエルフより耳が短いドワーフ。暗闇でも見通す目を持ち、器用さが求められるスキルが得意。
肌の光るエレメンティア。精霊魔法と物理耐性に長けている。
尖った耳と角を持つ鬼であるオーガ。耐荷重性が高く、重い鎧も問題なく装備出来る。
猫や狼の耳を持つキティアとウルフィア。キティアは視覚、ウルフィアは嗅覚が鋭く、どちらも運動能力が高い。
鳥の翼を持った天使のような外見を持つエンジェリア。浮遊することが可能で、神聖魔法が得意。
――などなど、一五種類近くの種族が紹介されている。視覚とか身体的特徴以外にもステータスやスキルっていうのに得意、不得意分野があるみたい。
「まあ、まずはプレイスタイルを選んでから種族を選んだ方がいいね。それぞれ長所、短所があるし」
「プレイスタイル、ねえ」
桂曰く、ロールプレイングゲームとやらはロールをプレイするゲームらしいけど、そもそもどんなプレイスタイルがあるのか解らない。
桂は、沈思黙考するわたしが抱えている疑問に気づいたような表情を浮かべた。
「基本、モンスターと戦うのは必須になるから、そこを中心にプレイスタイルを考えた方がいいよ。例えば、前衛として近接戦闘をするファイター、防御を一手に引き受けるタンク、搦め手で戦うスカウト、後衛では弓矢で戦うアーチャー、回復魔法を使うヒーラー、みたいにね」
「ちょっと待って、メモする」
わたしは慌ててノートパッドのアプリケーションを開いて、それらをメモしていく。「マメだねぇ」という桂の声が聞こえた。うるさい、あんたみたいに記憶力良くないの。
「桂はどんなプレイスタイルにするの?」
尋ねると、桂は既にキャラクターエディットが完成しているようで、自分の画面を「ほれ」とわたしたちに見せてきた。画面にはワインレッド色の長い髪の毛を背中の真ん中あたりで結んだ、短剣を持ったキャラクターが立っている。耳が猫っぽくて尻尾があるのは、キティアという種族だからか。
「あたしはスカウト。短剣で戦って、いずれは二刀流にするつもり」
桂の説明によると、スカウトは斥候という意味らしく、集団行動(パーティと言うらしい)では先頭に立って罠や敵の存在を感知する役割を持っている、とか。
「ふぅん……、恵は、って聞くまでもない感じ?」
「うん! 恵はウィザードだよ!」
ニコニコと嬉しそうにこちらはエディット中の画面を見せてきた。恵はリアルでは外側にちょっと撥ねたショートカットだけど、画面の中にはマゼンタ色のセミロングの髪を持ち、ローブというやつを着込んだ、長い杖を手にしているキャラクターが立っていた。種族には〈エレメンティア〉と表示されている。
ふむ、そうか。ならば二人にかぶらないように、役目を選んだ方がいい。となると……。
「わたしは……ファイター、かな、やっぱり」
ぽつりと呟いて、画面の中にある武器のセレクトボックスを開いた。
その中にある〈レイピア〉という選択肢を見て、わたしは複雑な気分になる。
「えい」
「え」
逡巡と言うには少し長い時間だったろうか、わたしが眉間に皺を寄せて硬直していると、マウスを持つわたしの手に自分の手を重ねて動かした桂が、勝手に武器を選択した。
選択された武器は〈打刀〉だった。所謂一般に言われる、刀だ。
「優里は日本刀の居合術も勉強したことあるでしょ、だったらきっと上手く使えるんじゃないかと思って。〈太刀〉や〈小太刀〉は使ったことないだろうし」
そう言って桂は、悪戯っぽくぺろりと舌を出した。
――まったく、まぁ、いいけどさ。
「はいはい、ありがと。〈レイピア〉は使う気になれないから、これにしておくよ」
「優里が前衛やってくれるなら、すっごい心強いからね」
「う、うん! なんてったって最強のお姉ちゃんだもんね!」
わたしの複雑な心境を心得ているのか、二人がフォローをしてくれる。はぁ、周りに心配ばかりかけてしまって、わたしは本当にダメだ。
と、いけないいけない、ゲームを始める前からこんな気分でどうする。
わたしはぶんぶんとかぶりを振って、ぽちぽちとキャラクターエディットを進めていった。
そんなやり取りがあってから三日。ついにそのパイオニア・オンラインのサービス開始当日がやってきた。
土曜なので午前だけで授業が終わり、桂と別れて家に帰ったわたしはすぐに制服のまま簡単にお蕎麦を作って、いま恵と二人で片付けとリビングの軽い掃除を終えたところだった。
うちは一か月前から両親が共働きになったため、家事はわたしがほぼすべて引き受けているのだ。恵もちゃんとお手伝いしてくれる。ホント世界一できた妹だ。
「お姉ちゃん! 一時に待ち合わせだからね! ちゃんと来てよ!」
「はいはい、着替えたら行くから待っててね、恵」
本当はあまり気乗りしていないのがバレバレだったのか、真面目な顔の恵が念押ししてダイニングを出ていった。
大丈夫だよ? お姉ちゃんは桂なら兎も角、妹との約束を蔑ろにしないよ?
桂が聞いたら「なんでやねん」と言いそうなことを考えていると、廊下をパタパタとスリッパで駆けていく音が聞こえ、わたしは溜息を吐いた。
「家では走らないようにって言ってるのに。まったく、中学生になったから落ち着くかと思ったら、まだまだ子供だなぁ」
まぁ、そこがいいんだけど。
そんなことを思いながら、洗濯機にエプロンを放り込んで自室に向かう。わたしは恵みたいに駆け足で向かったりしない。というか駆け足できない。
自室の扉を閉めて、クローゼットに制服であるブラウスと若葉色を基調としたチェックのスカートを仕舞い、アプリコット色のタンクトップと白のショートパンツに着替えた。
「ん?」
鞄から取り出した携帯端末がちかちかと光っていることに気づき、虹彩認証を解除してみると、そこには桂からの端的なメッセージが表示されていた。
『まぁ、気軽に楽しもうぜ』
「……あの、馬鹿」
解っているのだ。きっとあの馬鹿は、わたしのことを心配してこのゲームを紹介してくれたのだということを。
「はいはい解ってますよー、いっつもわたしは桂様の掌の上ですよーだ」
携帯端末を枕元に置いて、わたしは部屋着のままぽすんとベッドに横になると、隣のラックの上に置かれたVR接続ヘッドセットを手に取り、電源を入れて装着した。昔は結構ごつい形のものも多かったみたいだけど、基本構造はメッシュになっており、要所で脳への入出力を行うだけのSGR用ヘッドセットは、残暑の室温でもそれほど蒸れない。
「コール、パイオニア・オンライン」
わたしの声が音声入力デバイスを通して、あらかじめインストールしておいたプログラムを呼び出す。
『パイオニア・オンラインの起動準備が完了しました』
三秒もしない内に、無機質に合成された女性風の機械音声が骨伝導デバイスを通して鼓膜に響いた。それと同時に、目を覆うバイザーにも同じ旨の説明が表示される。
自我を筐体へと複製する催眠誘導タイプのVR接続端末であるため、このバイザーは仮想空間の投影には使用されない。確か、目を閉じたまま周りが明るい状態であることの悪影響を考慮してのものだったかな?
さて、起動準備も整ったし、桂の策略に乗っかろうとしますか。
わたしは緊張をほぐすために息を整えてから、パイオニア・オンラインの世界へと飛び込むための言葉を口にした。
「スタート、パイオニア・オンライン」
その瞬間、わたしの自己意識はSGR筐体とリンクして、オンラインの世界へと旅立った。
次回
第二話その1「町を駆けるユリナ」
です。