第一話その1「VRMMORPGってなんですか?」
「おっじゃまっしまーっす」
わたしの幼馴染である月島桂は、慣れた調子で玄関に靴を揃えると、ダークブラウン色のショートポニーを揺らしながら鼻歌交じりにリビングへと駆け込んでいった。
「あっ! 桂お姉ちゃんだ!」
「おっす恵! 一〇年ぶりだな!」
「あはは! 昨日も会ってるし!」
リビングからは妹の恵と早速はしゃいでいる声が聞こえる。一人っ子の桂は昔から恵を可愛がっていて、恵にとってももう一人の姉のようなものだ。姉の座は譲らないけどね。
わたしも靴を揃えると、桂とは違ってのそのそとリビングへ進入することにした。駆け込むことなどできないのだ。
リビングでは恵がガラステーブルの上にノートパソコンを開いてむむむと唸っており、その様子を正面から面白そうに桂が覗いていた。恵はどうやら学校の宿題を片付けているのだろう。
「あ、お姉ちゃんもおかえりー!」
わたしもリビングに入ってきたことに気づいた恵は、顔を上げてニコッと笑う。
「ただいま恵、今日もリビングで宿題? 偉いね」
わたしに褒められると、えへーと妹は相好を崩した。
うーん、うちの妹、世界一可愛い。
「解らないところがあったら言いなさい? 桂が教えてくれるから」
「いやお姉ちゃんの優里が教えろ。なんであたしなの」
ビシィッと手の甲で桂がいいツッコミを入れる。ちょっと痛い。
「だって桂の方が遥かに成績いいじゃない」
そう、先日わたしは諸事情で桂の通う近くの高校に転校したんだけど、早々にこの幼馴染が学年で十位以内に入る秀才だということを知った。中学時代はわたしに爪を隠していたのだ、この女。
「いや中一の問題でしょうが、あたしら高一なんだから余裕でしょ……」
それもそうだった。
「取り敢えずお茶淹れるから、桂が寛いでる間に制服着替えてくるね」
気を取り直したわたしがキッチンに向かおうとすると、桂が慌てて立ち上がった。
「あぁ、いいって、あたしがやるから、優里はさっさと着替えてきて。時間が惜しい」
「え、いや、仮にもお客様にそんなことは」
「いいのいいの、あたしにとっても育った家みたいなものなんだし、勝手は解るって」
そう言えばこの幼馴染、あまりに馴染みすぎててこの間は「暇だったんで風呂掃除しておいた」とかよく解らないことをしてくれていた。いや助かったんだけど。
「っていうか、時間が惜しいって何なの?」
「よくぞ聞いてくれた。実はね、これよ!」
桂はがさごそと鞄をまさぐると、先ほど帰り際にコンビニで買っていた雑誌を取り出した。どうでもいいけど、今の時代にまだ紙媒体の雑誌が残っているんだからよく解らないものだよねぇ。
「雑誌」
わたしが真顔で率直な感想を申すと、桂はたしたしと雑誌の表紙の一部を叩いて見せた。
「ここを見てくれたまへ」
「えーと、『VRMMORPG パイオニア・オンライン 九月一一日 ついにサービス開始!』だって」
わたしの代わりに、興味津々といった様子で覗き込んでいた恵が読んでくれた。
なんだろう、VRMMORPGって。
「さっき見せてもらった、ええっと……VR……なんだっけ?」
自室で部屋着に着替えリビングに戻ってきたわたしが、改めて先ほどの件について尋ねようとしたが思い出せない。あ、半目の桂がこっちを睨んでる。
ちなみに恵の方はというと、瞳を輝かせながら雑誌を読み漁っていた。うん、宿題はどうしたのかな?
「VRMMORPGだよ。簡単に言うとVR環境を利用したオンライン形式の多人数ロールプレイングゲーム」
「簡単に言ってない。要はゲームなの?」
桂から発せられる聞き慣れない単語の羅列に頭痛がしてきてわたしはこめかみを押さえた。VRは解るけどさ、授業で使うし。
「そう言えば、優里はゲームなんてほとんどしたことなかったねぇ」
「前、恵にちょっとだけパズルゲームやらせてもらったことあるけど、私には合わなかった。なんか苦行に見えてさ……」
「苦行ってあんた……」
そんな可哀想な人を見るような目をしないでほしい。
いや、解るんだよ? 最初の方のステージは簡単で、後の方になればなるほど難しくなっていくその仕組みは。
でも難しいステージが延々と続いていく仕組みがわたしには理解できなかった。ハイスコアを競うんだよお姉ちゃん、と恵が教えてくれたものの、競ったからどうなるのだというのが理解出来ない。
――って、おっと話を戻そう。VRMMORPG、だったかな。
「パズルゲームは置いといて、そのVRMMORPGっていうのをわたしにプレゼンしたいのなら、もっと解りやすく教えなさい、桂くん」
「おっとこれは手厳しい、畏まりました優里先生」
偉そうにふんぞり返ったわたしと、へこへこと頭を下げる桂。自分でやっておきながら、なんだこの茶番は。
桂は「ちょっとごめんよー」と恵から雑誌を取り返すと、テーブルの上で三人が読めるように置き直した。
「さっきも言った通り、VRMMOってのはVR環境を利用したオンライン形式のゲーム。VRはさすがに優里でも解るでしょ、授業で使ってるし、SGR筐体は持ってるし」
「まぁね」
桂の言葉に、わたしは当然とばかりにうなずいた。
VRは仮想現実、Virtual Realityの略だ。そして仮想現実へと自分の自我を投影することで完全に肉体をコンピュータの作り出した別環境へ同期させることを可能にするのがSGR筐体、Synchronous Ghost Replicatorだったかな。
SGR筐体はよっぽど特殊な環境で育っていない限り、今の時代なら中学生以上であれば一人一台は必ず国から配布されているものだ。というのも非登校日のオンライン授業などで使うから。桂の言った通り、もちろんわたしも持っているし、中学生になったばかりの恵も持っている。
「それで、VRMMOはSGR筐体を利用しているから、ゲーム内で自分が自分の意識した通りに、自由に体を動かすことが出来る」
自由に?
ぴくり、と自分の肩が動いたのが分かった。
正面に座る桂の顔を見ると、彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。わたしがどこに反応したかちゃんと解っているのだろう。ちらりと右隣の恵を見やると、こちらはどこか複雑な表情を浮かべていた。
「……続けて」
「あいあい。で、どういったゲームかというと、プレイヤーはある大陸への入植者となって、開拓を進めていくのさ。モンスターを倒して未知のエリアを見つけたり、畑を作ったり、お店を構えたり、開拓のために何をするかは自由」
わたしは桂の説明の中で気になったことがあり、右手を挙げた。
「はい優里くん、何ですか」
「モンスターって? 怪物が居るの?」
「そう、この世界には怪物が居ます。自衛のために大陸への入植者は必ず武装しています。プレイヤーである君は最初に何か武器を選ばされるのだ。そのリストの一部がこれ」
何故か芝居がかった口調でそう言いながら、桂がぺらりと次のページをめくると、そこには多種多様な武器の紹介があった。
「わっ、凄い種類。わたしも武器は詳しい方だと思うけど、見たこと無いものがたくさんある」
そう、わたしは西洋の武器と日本刀についてはそれなりに詳しいのだ。それでも知らない武器がたくさん描かれている。何だろうククリって。
興味を引かれたわたしが流し読みしていると、ふと一つの武器に目が留まった。
「………………」
「ん? あー…………」
目ざとく桂が、わたしが何を気にしているのか視線から読み取ったらしい。彼女はぺらりとページをめくってそれを隠した。
「恵は武器じゃなくって魔法を使うのかな? やっぱ」
「うん! 恵は魔法使う!」
「昔っから魔法少女モノが好きだったもんねぇ」
微妙な空気を払拭するために、桂が恵に新たな話題を振ってくれた。まったく、本当に心の機微を読み取ってくれる幼馴染だ。
ん? 魔法?
「先生」
「はい優里くん、今度は何ですか」
「魔法って? 魔法があるの? この世界は」
桂に質問をすると、彼女は無言で開いているページをトントンと指さした。そこには魔法の解説と、その種類とやらが色々書いてあるようだった。何だろう、神聖魔法、精霊魔法、暗黒魔法、うんぬん……。
「そりゃーあるでしょお姉ちゃん、ファンタジーだし。モンスターが居たら魔法もあるでしょ」
「そ、そういうものなの?」
「そーゆーもんです」
動揺するわたしに、説明していた恵だけでなく桂も真面目な顔をして頷いた。どうやらわたしの非常識は彼女らの常識だったらしい。さすがファンタジー、なんでもありなんだね……。
「何の魔法にしよっかなー?」
「回復系なら神聖魔法、攻撃系なら精霊魔法、妨害系なら暗黒魔法、便利系なら念魔法、バフ系なら強化魔法か付与魔法だね」
「だったら精霊魔法かな? 火、水、地、風があるのかー、うーん」
完全に二人はゲームをプレイする気満々らしく、真剣に自分のプレイスタイルとやらを選んでいる。
っていうか、桂ってばこのゲームに詳しすぎないか?
「お姉ちゃんは? お姉ちゃんも魔法使う? 使っちゃう?」
キラキラとした瞳で小柄な恵がわたしを見上げてきた。うん、可愛すぎてお姉ちゃんも何か魔法を選びたくなっちゃうね。
……というかわたしもこのゲーム、やるんですか?
「恵たちは兎も角、わたしもゲームすることになってるの?」
「「え? しないの?」」
「何言ってんの?」といった顔をする二人の声がハモった。ホント、桂はもう一人の姉みたいだな、くそう。
「こういうゲームって買うと高いんじゃないの?」
「まぁ、月額基本料金はそんなでもない。どちらかと言うと課金要素とかにかかるお金の方が高いんだけど、そっちに手を出さなきゃ恵のお小遣いの範囲でも十分足りるよ」
淡々と説明する桂の言葉に、恵もうんうんと頷いている。へえ、そんなにお手頃なんだね。
「まあそんなに高くないのは解ったけど……うーん……」
パズルゲームですら私の肌に合わなかったのに、こんなレベルの高そうなゲーム、出来そうな気がしないんですけど?
……とわたしが渋面を浮かべていると、ん? なんか正面の桂がくいくいっと指で恵に何か指示を出してる。何をさせる気だ。
「ねーお姉ちゃん。恵、お姉ちゃんとも一緒にこのゲームしたいなぁ」
恵が滅多にしない必殺おねだりポーズのまま、わたしの豊かに育った胸にぽすんと埋まり、上目遣いに「ね?」と訴えかけてきた。
あ、あ、あ。
わたしの理性とやらがガラガラと崩れていく音が、あ、あ、あ。
「お姉ちゃん、やる。このゲーム一緒にやっちゃう!」
「わーいやったぁ!」
鼻息荒くわたしが立ち上がると、恵がバッと諸手を挙げて万歳し、喜びの声を上げた。
うん、後の事はどうなろうが知ったことか。妹のおねだりを無視してしまって何が姉か!
「このシスコンめ」
桂は、はんっ、と口の端を吊り上げて「してやったり」といった表情をしていた。
桂の策略に嵌った気がしないでも無いけど、わたしは妹のためにこのゲームをやるんだから、そこんとこ間違えないように。
次回
第一話その2「掌の上の優里」
です。