試験合格から1年後、事務所を持ちました
試験合格から1年経った。
以前まではノース区の安宿で生活し、専属契約していた郵便局で仕事をしていたのだが、今ではセージュ区の小汚いマンションの一部屋を事務所兼自宅として使っている。
どうやら代筆士というのは儲かるらしい。郵便局から満額の100万イエンを受け取っていたのだが、返済期限を待たずに完済することができた。
そして優待措置で手に入れた国立図書館の利用権、これがこの国、この世界を理解するのに役立った。また1年間の郵便局での代筆士の仕事、これも予想以上に役立った。
この世界は元の世界と同じような部分が多い。自分のいるこの国はヤート皇国という名前で、元の世界の日本と同じ位置に存在する島国である。皇国という名前からわかるように、帝が統治する君主制の国であるが、議会が存在している。
議会は庶民院と貴族院に分かれており、君主の力が弱い国なのかと思うのだが、そこは前の世界と違い、帝の力は相当強いようだ。例えば、法律一つ作るには、議会の場合だと庶民院と貴族院のそれぞれで過半数の賛成を得る必要があるのだが、帝の場合は帝の一存で法律を作ることができる。
法律といえば、私がこの国に来た時は相当危ない状態であったらしい。この国は何らかの身分証明を持たない人に厳しいらしい(代筆士の試験後に局長から代筆士証票というカードをもらったのだが、これが身分証代わりになるらしい)。浮浪罪というものがあり、自分の最初の時のような不法入国者の浮浪者は死罪となるらしい。代筆士試験に合格する前に衛兵に捕まってしまったら実はアウトだったのである。
ではスラムの人間はどうなるのかという話だが、スラムに衛兵は来ないようなのだ。スラムはスラムでギャング達によって独自に管理されており、国は必要悪としてスラムを放置しているらしい。
また都の出入りは相当厳しいらしく、身分証明のない人間は都に入ることも出ることもできないらしい。最初に見た壁は都と外を分ける壁であったらしく、その壁は都全体を囲っているらしい。
出入り口は三箇所のみで、関所が設置されているらしい。壁の上と下には魔法の結界が張られているようで、結界か壁に物が触れた瞬間、警報が鳴り、都の衛兵がすっ飛んでやってくるという仕組みになっている。
壁の内側にいた自分は相当ラッキーだった。ちなみに壁の外側はモンスターがいるらしく、普通の人間だと5分も持たないと言われている。
またラッキーなのはそれだけではない。自分の最初の格好はスーツだったのだが、スーツは基本的に貴族か大商人と言われる人しか着ないらしい。それに自分のスーツはこの国だと割と上等な代物であったようで、周りからはどこかの位の高い貴族だと思われたらしい。道理で周りの人の口調が丁寧だったわけだ。
そんな位の高い貴族が代筆士試験を受ける。郵便局で職員がギョッとした顔になったのはそれが原因だったらしい。普通貴族にとって代筆士になるということは、この国では文字の読み書きしかできない無能と思われるらしい。そのためプライドの高い貴族は代筆士試験を受けるぐらいなら死んだほうがマシだと思っている人も多いようで、実際それで死んだ人間もいるとか。
貴族の資格を有する人間が代筆士試験を受けることは原則ありえないらしい。貴族の資格は、たとえ家を勘当されたとしても残るみたいで、勘当によって身分証上の貴族の家名が消えたとしても、貴族の資格は残るらしい(ただし勘当された元貴族が結婚して子供が生まれたとしても、配偶者や子供に貴族の資格は付与されない)。
この国には身分証と言われるものがいくつかあるのだが、自分の持つ代筆士証票以外にも、冒険者証票や商人証票、貴族証票、庶民証票というものがある。どんな人間でも庶民証票か貴族証票が生まれた時に与えられる。
そんな見るからに高貴族の人間が身分証すら見せずに試験を受けさせてくれと言ってくる。職員も道理で困ったわけだ。局長に事情を説明しに行ったのも、そのためであったようだ(本来試験監督は局長でなくても職員であれば誰でもできるらしい)。そんなワケありの人間を前に局長もよく頑張ったと褒めたい(貴族のゴタゴタで殺される事件は割とあるらしい)。
そして気になる魔法についてだが、この世界には二種類の魔法がある。属性魔法と固有魔法というものだ。誰でも魔法の適性を有するらしい。
属性魔法とは火属性・土属性・水属性・風属性に分別される。まあ名前の通り、火を出したり、土を出したり、水を出したり、風を出したりできるというわけだ。
一方の固有魔法は属性魔法以外に該当する魔法のことを指し、強化魔法や変身魔法などがこれにあたる(闇魔法や光魔法なんかもこれに当たるらしい)。一見すると、固有魔法の方がよさそうに見えるが固有魔法は相当使いにくいというのが相場らしい。
例えば強化魔法の場合、3分しか持たないというものとか、コーヒーを飲まないといけないとか、夜しか発動しないとか、無条件で発動するものが少ないらしい。
また属性魔法といっても単純に火や風が出るわけではなく、結構応用が利くらしく、足を液体に変化させて、ホバーのように移動する水魔法や、手を石に変化させて強化魔法と同じように運用できる土魔法というものもあるらしい。
そのため使い勝手としては属性魔法を持っている人の方が固有魔法を持っている人よりも使いやすく、兵士の採用要件なんかを見ると、属性魔法を多く持っている人の方が固有魔法を多く持っている人よりも好待遇で採用される(属性魔法も固有魔法も複数持つことはざらにあるらしい。例えば強化魔法と火魔法の両方を持っている人など)。
まあ、魔法についてはこれぐらいにしておいて、自分の魔法について語っておこう。自分の魔法は衛兵の事務所で調べてもらえる。その結果、自分の適性は翻訳魔法一つのみだった。
これは珍しいらしく、大体の人は属性魔法を少なくとも一つは有しているのだが、自分は一つもなかったので衛兵に驚かれた。自分の魔法は常時発動型のもので、どんな言葉・文字でも自分の母国語で理解し、使うことができるというものだ。
例えば、この国の言葉はヤート語というのだが、ヤート語の言葉や文字を日本語で理解し、ヤート語を使って文章を書いたり、会話することができる。ただし人以外の言葉は理解できず、動物の言葉などは理解できない。
発動時のリスクはないのだが、発動したら止められない。そして翻訳魔法以外の魔法は使えない。そういったスペックらしい。
ここまで聞くと良い能力に思えるのだが、翻訳魔法を使える人は多いらしい。例えばイーランド語という言語があるのだが、イーランド語のみ無制限に翻訳できる翻訳魔法や5時間までならどんな言語でも翻訳できる翻訳魔法というのもあるらしい。翻訳なんて常時発動しておく必要もないし、もっと言えば翻訳魔法なんて使わなくてもその国の言語を学んでしまえばいい。
翻訳魔法一本で給料の高い仕事(外交官など)に就けるわけではない(実際この国の外交官は言語だけではなく政治的なセンスや家柄も要求されるらしい)。そんなわけで自分は今でも代筆士として仕事をしているわけだ。
こんなことを思いながらソファで煙草を吸ってポケーっとしていると玄関の呼び鈴が鳴る。
さあ、仕事の時間だ。