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「私は見ただけでその人のことがわかる」

作者: 川本 純

ニコニコしながら近づいてきて他人を害する人間と不愛想だが誠実に自分のことを為す人間

どちらが怖いだろうか

大勢の人たちは言う

私は見ただけでその人がどのような人物であるかがわかると

私は驚く

見ただけでその人がどのような人物であるのかが分かるのかと

大勢の人たちはうなずく

私たちは見たら大体相手のことが分かると

・・・・ではなぜこの世の中は悲劇に溢れているのだろうか

自身が選んだ相手とつき合い、結婚し家庭を持ち、選んだ相手と生活を楽しむ

理想的な生活だ

しかし、なぜ自身が選んだはずの人間と関係が続かず、破綻するのか

ある家庭は子供を虐待し、またある家庭は不倫が原因でバラバラになり、

またある家庭は身内で嫌悪し合い、最悪の場合死人が出る

おかしいではないか

見ただけでその人となりがわかるのであれば、なぜそのようなことが起こるのか

愛し合っていたのではないのか

友好を結んでいたのではないのか

信じあっていたのではないのか

私は思う

人に価値を置いて悲劇を生む人間と、自身の価値を信じて進む人間

どちらが大勢の人たちにとって無害なのかと

人々は言う

あの人は何を考えているのかわからないから怖いと

ある人は言う

あいつは自身ばかりを見て傲慢だと

確かにそうかもしれない

それは大勢の人たちにとって怖いことだろう

何を考えているのかがわからない人間ほど怖いものはない

だが、人とコミュニケーションを取るのが苦手な人間もいる

寡黙だからといって危険な人物であるというわけではない

コミュニケーションを積極的に取らないからといって悪人であるというわけでもない

人の悪口を言い、人の頑張りを笑い、自身より優れている人を貶し、他者の失敗を

あげつらい、他者の不幸を見て嗤う人間

私はそういう人間が大嫌いだ

改めて私は問う

コミュニケーションとはいったいなんだろうか

自分が良い思いをさせてもらうことか

自身の自尊心を満たすことか

相手の主導権を握って自己優越に浸ることか

別にそれが悪いとは言わない

それもコミュニケーションの一種であることに間違いはない

だがコミュニケーションとはお互いを高め合い、励まし合えるものではないだろうか

私は問う

なぜ大勢の人たちはコミュニケーションを取っているといいながら、苦しそうなのか

コミュニケーションとは苦しいものなのか

自身の尊厳を傷つけ、摩耗させるものなのか

それははたしてコミュニケーションなのか?

私は言う

自身の負を他者に強要するなと

自身の重荷を他者に背負わせようとするなと

自身の不幸を子供たちに引き継がせようとするなと


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