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歴史に関連する作品

家族の歴史を語り継ぐこと   記憶にあるたった一度の父とのふれあい

作者: 恵美乃海

これも以前運営していたホームページに収載していた文章です。

  04.2.5~2.6記


1.


 中国の歴史は、天皇家が連綿と続いてきた日本と違って、禅譲の場合、放伐の場合とケースは異なっていても王朝が交代していく歴史であった。


 ひとつ素晴らしいと思うのは、新王朝は、必ず、前の王朝の歴史を編纂するということが不文律として続けられてきた、ということである。

 ゆえに、中国の正史は途切れることなく、書き継がれていった。  


 さて、これをひとつの家族の歴史に当てはめてみるのはどうだろうか。

 すなわち、子供は、自分の両親の生きてきた人生を聞き取り書き継ぐということである。  

 これが慣習となれば、あらゆる家族が、その家の連綿として続く歴史を持つことになる。

 子供がそれをしなければ、その前の世代の記憶は、そこで途絶える。


 両親の青年時代のこと、幼少時代のこと。そして、両親の記憶にある祖父母の世代のこと 曽祖父母の世代のこと。  


 書くという作業は、大変な作業だ。

 しかし、聞くこと、そして聞いたことを 次の世代に引く継ぐこと。

 これは、それぞれの世代が行うべきことなのではないだろうか。  


 例えば、ノンフィクションライターは、自分の興味にそった対象について、取材する、ということから始めると思うのだが、その興味の対象が自分の両親の人生であれば、その取材は容易であるし、何より、喜んで話をしてくれるであろう、と想像する。  


 さて、私は、そう思いつつ、ずっと実行しなかったのだが、3年位前に機会があり、 母からは、生まれてからの記憶にあることは聞き取った。

 私が少年時代に、よく分からないままに行っていた親戚も、どういう関係だったのか、かなり分かった。聞いた時間は3時間くらいだったと思うので、概略のみ。

 そして母の人生の中でも20歳までのこと(母は20歳で結婚した)であるが、 それでもノートに数ページ記録した。  


 母は昭和6年生まれだから、私が物心がついた昭和37、38年まで、まだ10年ある。

 母の20歳以降のことは、まだ残っている。  


 父については断片的には、これまでも聞いてきているが、何時間かまとまって聞く、ということはこれまでしてこなかったので、やはり未実施ということになる。  


 が、なかなか機会がない。両親の家は、我が家から、ドア to ドア で30秒くらいのところだから、いつでも聞けそうなものだが、実行していない。  


 西宮に帰ったときは、息子の相手をするのがメインということもあるし、 何より、自分の親にあらたまって、送ってきた人生を聞く、というのは気恥ずかしい心持ちもある。    


 父は、近年、関係する同窓誌に、自分の引き揚げ(戦後、満州から一家で引き揚げた)の時のことを 書いている。  


 文章を書くことはいや、というわけではなさそうなので、私が聞きとるより、自分史を書いてくれないかな、と期待している。

 その希望は、ちらっと伝えたとは思うのだが、さて、どうでし ょう。  


 父が生まれた山口県周防大島の久賀。


 新天地の夢を描いて、一家で暮らした 満洲の本渓湖。


 引き揚げたあとの時代。


 そして、居を定めて昭和38年1月8日、33歳まで暮らした岡山県久米郡柵原。  


 そこには、昭和ひとけたの時代の瀬戸内海西域の島の風景。  


 王道楽土、五族協和の理想を掲げて建国された新しい国における庶民の生活。

 旅順工科大学に行きたいという夢が破れ、若くして一家のために働かざるをえなかった青年が、 21歳で結婚し、徐々に家族が増えていく中における家庭と仕事。

 そしてその暮らしを包む、 活況を呈した美作の南部に位置する鉱山町の姿。


 そういうものが描かれるはずだ。  


 私の父方の、実の祖父、正一は、若くして事故で亡くなっている。そのとき、 父は3歳になったばかりだったようだが、 事故当日の騒然とした情景は記憶に残っているそうである。


 父は男ばかりの3人兄弟の2番目である(兄は、満洲の地で戦死している。命日は終戦の日の 数日後にあたる。祖母は祖父の死後、祖父の弟と結婚した。今度は女の子ばかり4人生まれた。 この、血縁関係では私の大叔父にあたる祖父。もちろん、小さい頃は、本当の祖父だと思っていたし、 私のこともすごく可愛がってくれた。先に書いたことを私が知ったのは高校生のときだった)。  


 私の実の祖父は大工だった。祖父の生前、父が祖父とふたり、横に並んで座っていると、 祖父が、父の頭をなでて

「儂の後を嗣いでくれるのは彰だ」

と嬉しそうに言ってくれたそうだ。


 父は器用だったから、祖父は、自分の仕事を次男に伝える、そういう未来を思い描いていたのであろう。


 それが、父の記憶にある唯一の祖父の姿だそうだ。


 横に並んで座る、若い祖父と2歳の父。

 この情景を思い浮かべると、私はいつも静かな気持ちになる。


2.  

 

 以前、こういう小説を構想したことがある。


第1部 父の少年時代をモデルとして書く。


第2部 母の少女時代をモデルとして書く。


第3部 家内の父の少年時代をモデルとして書く。


第4部 家内の母の少女時代をモデルとして書く。


第5部 父と母がめぐり合って長男が生まれるまでを書く。


第6部 義父と義母がめぐりあって次女が生まれるまでを書く。


第7部 第5部で生まれた長男が22歳になるまでの家族の歴史を書く。


第8部 第6部で生まれた次女が20歳になるまでの家族の歴史を書く。


エピローグ その長男と次女が初めて出会ったシーンを書いて 完。


 いつもと同じで、構想だけで、書くことはできないのですが、 書くことのできる自分であれば、良かったのに、と思います。 


3.  


 私については、このホームページが残れば、自分の子供に対しては、これで充分と思っている。

 私の人生の中で印象が強かった多くの出来事を書いたので。


 将来、興味を持って読んでくれるかどうかは、お任せしなければいけないであろう。


このあと、父が22歳くらいまでの自分史を書いてくれました。

ホームページに収載しておりましたが、今は、私のFacebookのノートのところに収載しました。


ホームページがネット上からも来春消えるという通知が来ましたので、今、せっせと文章をこのサイトに投稿している次第です。

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