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意外な贈り物と女王蟻の名


椅子に座りながら今までの出来事を思い浮かべる。


怒涛のように対応を迫られる、そんな日々だった。

時刻はもう昼を過ぎている。

空腹を覚えたところで窓から誰かが近づいてくる気配を感じた。


コン、ココン、コン。

聞き慣れた音は合図。

視線を向ければ窓の硝子越しに紫家で共に働いた仲間の姿が見えた。

鈴麗は片手で合図を返し、窓を開ける。

アデラ姫は"部屋の扉は開けるな"と言っていたが窓から侵入される事までは想定していないのだろう。

するりと滑り込んだ仲間が荷を下ろし死角に身を隠す。


「久しぶり、青海せいがい。」

「おい、姐さん。本当に辞めちまうのか?」

挨拶を通り越していきなり聞き難いことに切り込んでくる。

相変わらずの仏頂面だが、変わらない態度に思わず笑みがこぼれた。

顔面が武器と言わんばかりに悪目立ちする顔立ちをしており、この印象に残りやすい顔のせいで内偵には向かないが、見た目に反し気のいい男で腕も立ち、仲間からの信頼も厚い。

人は本当に見かけによらないものだ。


「今回は指示を仰がず独断で動いた認識はあるからね。」

「だが単独行動を許されるとはそういうことだろう?」

即ち単騎であっても場を切り抜ける腕と、変わらぬ忠誠を認められたということ。

それは"判断を仰がずとも最善の結果を出せる"と信頼されている証でもある。

だから確かに私は単独行動において自身の判断で動いてよいとされているのだが。

「私はそうでも杏は違う。単独行動を許されていない彼女を断り無く連れ出したのは私だ。」

しかも彼女は私がこの国に入る前に別行動をとっている。

彼女が組織に戻る前に事件や事故に巻き込まれ命を落としたとしたらそれは私の責任だ。

責任の取り方は人それぞれ。

アデラ姫はナディアを巻き込んだ責任を取るために、他国へ彼女を連れて行こうとしている。

それが彼女なりの責任の取り方だ。

そして私は杏を巻き込んだ責任を取るために与えられた役目を手放す。


「思い切りがいいのは姐さんのいいところだが、今回は良すぎやしないかい?」

「そうかな?貴方を紫家の守りの要に指名した時点で、充分に任を果たしたと思っているが。」

「主様はどうするんだ?」

「どうするも何も、求められたのは紫家への忠誠。それ以上でもそれ以下でもない。」

「…あの人、今無茶苦茶機嫌が悪いんだよ。」

「機嫌が悪い?まあ、たまにはあるだろう、あの方だって人間だ。」

「あれからなんだよ、姐さんが女王蟻の印を押して寄越した手紙を読んでからだ。」

責任をとり、職を辞すというくだりからか。

ひっそりとため息をつく。

だが青海はひとつ勘違いしていた。


「そもそもこの任務を受けるとき、終わったら暇をいただきたいと申し入れている。」

「なんでだよ?!」

「正直思うところがあってね。すまないな、わがままを言ってしまって。」

「あの人には姐さんが必要なんだ、それは気付いているだろう?」

彼からもそう見えるのか。

だがそれは勘違いだと思い知らされたばかり。

それに…。


「引き止められなかったんだ。」

「何をだ?」

「暇をいただくと申し上げた時に、"考えておく"と言われた。」

思い上がりを見透かされたような気がした。

そしてそれは役目を果たしたら不要、と言われたようにも思えた。

青海は目を見開き、盛大にため息をついた。


「…ったく、拗らせやがって。」

「ん?なんだい?」

「なんでもない!!とにかく主様からの差し入れだ。」

そう言って彼は荷を開く。

女性用の高価な服といくつかの装飾品、それから化粧品に菓子。

今のアデラ姫に必要な物だ。

「助かりましたと主様に伝えて。」

「本当は謁見の儀の前に渡す予定だったんだが、思いの外釣れた魚がデカくてな。間に合わなかった。」

「かまわないよ、なんとか格好はついたから。ああ、この髪留め、短い髪に合わせたものだね。アデラ姫によく似合いそうじゃない。」

きっと彼女が付けてたら主様が喜ばれたに違いない。

今頃、謁見の儀に臨んんでいる彼女が髪飾りを付けていない事を残念に思われているだろう。

私の言葉に青海が僅かに首を振った。

「これは全部、姐さんにだ。姐さんのために、主様が選んだ。」

「だが髪は…。」

今は(・・)短いだろう?」

華奢な造りの髪留めについた淡い紫色の玉飾りが揺れる。

なんで、こんな事を。

今更私に?


それから、まだほんのりと温かい包を渡される。

「これは杏からの差し入れ。」

「杏から?」

「今は俺達と合流している。もちろん任務扱いだ。」

別れた後、商人と同行していた杏と連絡を取り、現在は仲間と共に使節団の警護を担っているという。

ずっと気にしていた彼女の安否。

仲間と共にあり安全は確保されたと言っていいだろう。

「ありがとう、感謝します。」

「お礼は主様に言うといい。」

「主様に?」

「なあ、なぜ俺達が簡単に杏へ接触できたと思う?」

「それは…確かに。」

「姐さんが杏を連れて旅立つ前に一報入れただろう?あれで主様が姐さん達の援護を最優先とするように俺達へ指示を出したからだ。」

追いついて以降、陰ながら私達の動向を見守っていたという。

そして私達に危険な場面があれば即時介入を指示されていたそうだ。

「姐さんの身に危険が及んだら格好良く登場して鮮やかに救出、なんて場面を夢みてたのに。」

「悪かったね、危なげがなくて。」

「隙なさすぎだよ、姐さん。」

不満そうな表情も見慣れてくると可愛らしく思えてくるから不思議だ。

そのままの流れで彼の報告を聞いていると、なぜか主様…鄭舜様の現況が付け加えられた。


「姐さんが髪を切りアデラ姫になりすまして単独で入国したと聞いて怒り狂ってたな。」


速やかに消息を掴むよう鬼のような形相で指示を出したという。

いや本当に怖かったと思い出したように震え、遠い目をした青海。

思わず口元に笑みが浮かぶ。

青海がそんな弱々しい表情をするなど珍しい。


鄭舜様は基本怒りを顕にしない。

大抵は想定の範囲内と受け流すだけ。

…ということは私の行動が想定外だったのか?

見るからに怒り、それを相手にぶつけたのは藍の一件の時に見たきりだ。

あの時は間に合わないと思っていたから、あの場面に彼が居合わせた事に驚いた。

そして人前で黄蟻の名を呼んだのも、たぶんあれが初めて。

「俺もどれだけ姐さんの存在に甘えて来たのかがよくわかったよ。」

「そんなことはないだろう?私は後から加わった新参者、来た時にはすでに皆役目を果たし、紫の裏は機能していたじゃないか。」

「だが在り方が変わったのは姐さんが来てからなんだよ。」

「私が?」

「確かに私兵は紫家の裏を守る存在として機能はしていた。だけどそれは個としてであって、ひとつの組織として機能していたとは言い難い。正直なところ、俺は私兵の誰か生きようが死のうが大して気にならなかったんだ、今までは。」


彼はずっと思っていたのだという。

仲間とは任務をこなす時だけ共に戦う、少しだけ親しい他人だと。

だからそんな存在が命を落としても『奴には運がなかった』と思うだけ。

「それが姐さんが来てから格段に"命を失う者"が減った。初めは反発していた者もそれに気付いて姐さんについていくようになる。誰だって死にたくはないからな。その恩恵の前で誇りなど些細な問題だ。」

青海は初めて黄蟻に会った日を思い出す。

『黄蟻と呼んで。今日からよろしく。』

素っ気ない挨拶と共に、するりと入り込んだ彼女。

女性から見れば平均的な背丈だが、体格の良い男性からすれば小柄でひ弱そうに見える彼女が第一線となる先頭に立つ。

最初はずいぶんと任務を舐めてかかっていると思い、お手並み拝見とばかりに手出しをせずに成り行きを見守れば、きっちり仕事をこなすだけでなく片手間のように仲間の命を救う。

そんな彼女の存在が煩わしいと、大切な任務中に嫌がらせをするような者は『役立たずは不要だ』と冷たい一言と危険に晒した仲間達からの証言と共に鄭舜様へと引き渡す。

そして紫家内の対立する親族から差し向けられた自身への刺客は背後関係を暴き大人しく証言するようになった状態で鄭舜様へ引き渡していた。

全ては紫家のために。

その行為が古くから紫家に忠誠を誓う裏の人間達の心を動かさぬ訳はない。


青海は思っていた。

淡々と鄭舜様の地位を固め、仕事がしやすいようにと命懸けで働く彼女に、主であるあの方の心が動かぬ訳はないじゃないか。

そのことに、当人だけが気付いていないことがとても腹立たしい。

だが黄蟻は青海の心中を知らず、彼の言葉を耳に留め小さく口元を歪めた。


皮肉なものだ。

誇りのために家は滅んだというのに、彼らは命の前に瑣末な事とする。

やはり最後まで生き残るは命に執着する者ということか。

生者の心臓は罪を重ねながらも強く輝く。

私には眩しいくらいだ。

「姐さん、あの陶家で働いていたんだってな。主様が教えてくれた。」

「そうだね、それが?」

「姐さんはあの家で裏の仕切り方を学んだのか?」

「ああ、そうだよ。」

「だからしぶとく強かなのかな。あの家の裏の人間の心臓には毛が生えているのかと思うよ。」

「ふふ、毛が生えてはないかな。彼らも悩んだり傷ついたりするからね。」

ただあの家の者はしぶとく強かでなければ生き残れなかったから、皆がなんとなくそう育った。

だから紫家の裏で生きる者にもそうであって欲しい。

願ったのは、ただそれだけ。


「とにかく、これから裏を守るのは貴方達だ。」

「なあ姐さん。いなくなる前に一度、主様と話をしてくれ。」

「そのつもりではいるけど、なんでだい?」

「主様に、『裏を仕切る覚悟があるなら"黄蟻"の名を継げ』と言われた。」

ひゅっと息を飲む。

そして怒りに身が震えた。

青海がしまったという顔をするが、もう遅い。


確かに立場を返上するとは伝えた。

だが黄蟻の名を捨てたつもりはない。

あれは私のもの。

私が積み上げた実績そのものだ。

弟の遺体が眠る苟絽鶲国から追い出しただけでは足らず、私から名まで奪おうとするのか。


「姐さん?」

「無理だな、今はその気になれない。」

「いや、だから落ち着けって!!」

その瞬間、部屋の扉を叩く音が響く。

青海に合図を送り黙らせると、音を立てずに扉の側へ近づく。


『お客様、何かございましたか?』

続けて再び扉を叩く音がする。

開けてはならない指示だから、聞こえないふりをしてそのまま無視しておく。


『声がしたからお目覚めかと思ったのだけど、違うようね。』

『仕方がないわ。それならこちらへ招待状を差し入れておきましょう。』

しばらくして、扉の隙間から紙が差し入れられた。

表面の文字を視線で追い、驚きに目を見開く。

これはまた面倒なお招きじゃないか。

扉の外の気配が消えるのを待ち、再び青海と向かい合う。

「だからな、あの方は姐さんを…。」

「そんな事はもうどうでもいい。それよりも主様にこれを。」

招待状を手渡す。

腹立たしいが任務は任務。

途中で投げ出すのは性に合わない。


「アデラ姫にアリフィナ姫から茶会の招待が届いた。」

「なんだって?!どうする、彼女は受けるか?」

「断る理由がない。最悪の場合、速やかに城を出立する。今から手配しておくよう伝えて。」

命を奪われる危険があるなら彼女を即刻城から連れ出す必要があった。

不敬とか、そのあたりの雑事は国の偉い人同士の会談とやらで落としどころを探ってもらおう。


「…なら、黄蟻として姐さんが指示してくれ。」

「名を奪われそうな人間に今更何を指示しろと?」

「姐さんだって知っているだろう。あの人は冷たく見えて情に厚い人だ。今回の事だってあの人なりの判断があってのことだと思う。」

「そうかもしれないが、何の説明もなければ情があってもなくても同じ事としか思えない。」

察しろというにはあまりにも残酷な仕打ちだ。

贈り物だけで絆されると思うなよ。

青海がビクリと肩を震わす。

「姐さん、顔がコワイ…。」

「…そうだ、青海。"黄蟻"を継ぎたいのなら貴方が指示しなさい。」

「俺が?でもこの状況は流石に」

「自信がないというなら全て私が仕切る。その代わり主様がなんと言おうが"黄蟻"の名は渡さない。」

「くっ!!」

「"女王蟻"の名において命じる。これは"試し"よ。覚悟があるなら私から奪ってみなさい。」

誰だって最初は責任の重さに躊躇う。

…私だって本当は怖かった。

だけどそれを乗り越えて今の私がある。

その重みと痛みを知らない者に名を渡すわけにはいかない。


やはり私は命のためと誇りを捨て生きていくことはできないのだ。

だって私は誇りを守るためだからこそ、しぶとく強かに生きてこられたのだから。

青海が視線を上げた。


「わかった、望むところだ。」

「いい覚悟だ。ならば合格したらこれをあげよう。」

目の前で女王蟻の印を軽く空へと放り、再び握り込む。

青海はニヤリと笑う。

「約束だからな。」

「もちろん。その代わり手に余ると感じたら"女王蟻"の名を使う事を許す。権限と使える人数が格段に上がるはずだ。」

バセニア皇国の裏側を相手にするのだ、それがなければ対応できない局面もある。

紫家の裏の要という役だけでは荷が重い事もあるだろう。

それだけ女王蟻の名は重い。

与えられた紋章は、帝の許しを得たという証でもあるのだから。

「こう言った以上は私が責任をとってあげるよ。」

「…本当男前で嫌になる。」

「なら越えてみればいい。貴方ならできるよ。」

ニヤリと笑い返すと青海は顔を顰めた。

窓を開け様子を伺いつつ欄干を乗り越え姿を消す仏頂面を見守る。 

邪魔になりそうな人間は眠らせておいたから誰にも見つからずに主様の元へたどり着くはずだ。


眠らせておいた片付けものはまだ夢の中かな?


部屋を出て、別の部屋に眠る男の様子を確認し、燻らせた香を仕舞う。

あと一時間もすれば目覚めるだろう。

眠り薬の調合が特殊だから目覚めても意識が飛んだように思えるだけ。

だから誰がやったかはわからない。


そして部屋に戻ると懐から杏が渡してくれた包を取り出す。

ほんのり温かい握り飯が三つ。

思わず笑みが浮かんだ。

食事など出されても怖くて食べられないから丁度よい。


程なくして謁見の儀が終わる。

つつがなく調印が済めばアデラ姫は苟絽鶲国のもの…たぶん鄭舜様のものとなる。

そうなれば彼女のお茶会での護衛を済ませれば、私はお役御免だ。

簡単なことと思っていたから想定すらしていなかった。


まさか調印の場面で一波瀾が起こっているという事を。



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