暴走と後悔、新たな混乱
そして、今日を迎える。
アデラ姫の思惑どおり、大した混乱もなくバセニア皇国の首都マライへと到着した。
今までの戦闘に明け暮れた日々が嘘のような穏やかな日々だった。
名残を惜しむ旅芸人の一座と別れ彼女と共に中心部に程近い一軒の家の前に辿り着く。
彼女のそわそわと落ち着かない様子を訝しく思いながらも促され呼び鈴を押す。
やがて質素ながら優美な造りの一軒家に似つかわしくない、派手な足音がして扉が開き、品の良い衣装を身につけた女性が勢いよく飛び出した。
「この、凧娘っ!!」
「…は?え?」
「まあっ!!申し訳ありません、人違いですわ!!」
相手と視線が合う前に怒鳴られた。
そして合った瞬間、相手が慌てふためき謝罪する。
全く何が起きたのかわからないが、なんとなく凧娘というのがアデラ姫を指しているような気がした。そこでその凧娘とやらに視線を向けると、案の定、爆笑している。
確信犯だな、これ。
一国の姫が随分とやんちゃに育ったものだ。
そんなアデラ姫に怒りの視線を向けると女性はうっすらと涙ぐみながら言った。
「察して下さい。ある日置き手紙を残していなくなり、突然今日戻るとか伝えられた私の衝撃を。」
「察しますね。私の場合、置き手紙もなかったですから。」
その瞬間、アデラ姫の頭上に女性のげんこつが落とされた。
気持ちはとてもよくわかりますけど、一応、一国の姫ですよね?
驚きの表情を浮かべた私に、相手の女性は恥ずかしそうな表情を浮かべる。
『玄関先で長話もなんですから』と奥へと案内してくれた。
椅子に座りお茶をのみつつ彼女が問うままにここに至るまでの経緯を語ると盛大なため息をついた。
アデラ姫は、だんだん険しくなる女性の視線を頑張って受け流していたが、受け流しきれずに顔が完全に横を向いてしまった。
「お世話になった方に対して本当に申し訳ございません。」
一通り話し終わったところで、老齢の女性に再び謝罪をされる。
いきなりげんこつをくらわせるという行為に気性が荒い人なのかと警戒はしていたが、話してみれば心配性ではあるが温厚で面倒見の良い性格の人のようだった。
そんな彼女が日常的に豹変するなど、今まで何をやらかしてきたのですか?アデラ姫。
横を向いたままなのですが、それは言えませんがやらかしましたの意思表示と理解していいですね?
ちなみに彼女はアデラ姫の乳母で、五年前にやむを得ず職を辞してからはこの一軒家に暮らしているらしい。
やむを得ず、職を辞した。
その台詞に"処罰"という言葉が重なる。
間違いなく彼女一人の責任ではないのだろうが、姫が一人脱走…もとい、行方不明になって誰一人責任を問われないというのは組織としては問題があると考えたのだろう。
対外的に姫は病気とはしているが、裏では担当者が処罰されているということか。
「ちゃんと理解できてます?貴女のやんちゃの結果が多方面に影響を与えている事を。」
「うっ、わかってますよ…それは、その、ばあやが腰が痛いとか言うからそろそろ引退させた方がいいのかしらと思ったからで…。」
「それならそうと心穏やかに引退させてあげるべきでしょう?」
「ぐっ、そうですよね…ごめん、ばあや。」
思わずため息をついた。
聡明なのだろうが、思考が飛躍しすぎる。
たぶん現実に沿った軌道修正が必要なタイプだ。
…しまった、これについて十分な情報提供をしないまま報告書を帝に奏上してしまった。
女王蟻の印がついた文書は他者の精査なく帝の元へと送られてしまう。
彼女に振り回されるだろう常識に満ちた居所の職員を思い浮かべ、そっと涙を拭った。
心中穏やかでない私を他所に、私達の遣り取りをキラキラした瞳で見つめていた乳母の…サルマさんは大きく頷いて、ポンと手を叩く。
「貴女、良ければ姫様の侍女にならない?」
「は?」
「容姿は問題ないし、教養や立ち居振る舞いもそこそこ学んでいる。何より常識があってアデラ様を教え諭す理性と暴走についていける根性が素晴らしいわ!!これは決まりね!!」
「えっと、それはどういう…。」
「貴女、もしかして侍女教育も受けているのではなくて?」
「ええ最低限ですが。」
「侍女に推薦しましょう!!」
え、初対面の私を推薦?
狼狽える私の手をサルマさんが握った。
「薄々は察していらっしゃるでしょうが、アデラ様は高貴な血筋を受け継ぐお方。ですが授かった才と気質がこの国に馴染まず姫と呼ばれる身分でありながら不当な扱いを受けてきました。彼女を支えるはずの侍女もこの方の考え方を理解できないと次々と辞めていき、挙げ句妹姫の方へと採用されてしまったのです。だから私はいつまでもこの方の傍らを離れられなかったのですが、幾多の困難を経てもここまでついてこられた貴女ならお任せできると思うのです。どうかよろしくお願いいたします。」
しかもお願いまでされてしまった。
だが私は小さく首を振る。
確かに彼女は理解不能な行動をするがそれは彼女なりの基準があってのこと。
それを除けば、気遣いのできる優しい人だ。
彼女を主とすれば慌ただしくも穏やかな日々が送れるだろう。
だけど私には無理、なぜならば。
「すみません、私には別に主と呼ぶ方がいるのです。」
その主との関係も間もなく失われるだろうが、それでも私は彼女に仕えるわけにはいかない。
決して短くはない期間、何も知らないふりをして彼女を騙し続けていたのだから。
「私は貴女が皇国の姫であることを承知していました。承知して、…情報を得るために近付いた。」
私もアデラ姫の情報を流す側の人間。
そこには彼女に対する情などなかった。
だから彼女達が私を信頼するなどあってはならない。
アデラ姫とサルマさんへ不遜と思えるだろう表情を浮かべてみせる。
二人の表情はあまり見えないがきっと落胆していることだろう。
彼女に話した時点で任務は失敗、私はやはり責任を取るべきだ。
…本当はこのまま姿を消すつもりであったが、そうもいかないか。
失敗したと、きちんと報告しなければ。
あの方に、鄭舜様に失望されるのは何より辛いが仕方がない。
それでもアデラ姫を無事に彼の元へと送り届ける手伝いくらいはしなければ名が泣くというもの。
私が愛した、彼のために。
それを認めるまでに、こんなにも時間がかかってしまった。
手に入るわけがない甘い夢を見て、翻弄されて。
その結果失われてしまうのなら、やはり愛など要らないわ。
きちんと終わらせよう。
私は席を立ち、礼の姿勢をとる。
「不愉快な思いをさせたこと、お詫びいたします。それではこれで失礼いたします。」
「このまま一緒に城へ行ってはいただけませんか?」
「今更同行できる立場にありません。」
「ですが今は貴女しか信頼できる味方はいないのです!!城下にはそれなりに味方がいるのですが、城内は信頼できる人物がいないのです。最悪、命を落とす可能性もあります。」
真っ直ぐに私の目を見てアデラ姫は言った。
故国にありながら、他国の間者しか味方がいないと言うのか?
彼女の冗談にしてはあまりにも真剣な眼差しに、暫し逡巡する。
それから苦笑いを浮かべた。
「そういう状況であれば、城へ同行いたしましょう。」
秘密裏に護衛した場合でも入城するまでは見守るつもりではあった。
いつもの手筈では使節団の到着前に情報収集を目的とした者が城内に放たれているから、彼らに次第を伝え、彼女を引き渡し、警護してもらおうと思っていたのだが。
城内でとなれば、必然的に彼らと縄張りが被ることになる。
線引きは難しいが、アデラ姫の護衛に徹すれば何とかなるだろう。
算段をつけ、顔を上げると先程とは違い晴れやかな表情を浮かべる二人と視線が合う。
なぜ二人は私の事をそこまで信じるのだろう?
「貴女は私を探る側の人間で、害しようと思えば機会などいくらでもあった。だけど貴女が側にいた間、私をどうにかしようとする人間達に襲われた事が一度もなかったんです。その意味するところに気付かない程、私は愚かではありません。」
「人当たりが良いから勘違いされる方もいらっしゃいますが、この方は信頼できると判断するまで、とことん相手を疑ってかかる面倒な方なのです。その方がこれだけ短時間で貴女を信頼されているのですもの、乳母の私に疑う余地はありませんわ。」
「面倒って何よ。」
「あら、いつもみたいに聞こえてないかと思いましたわ。」
どうやら表情に出ていたようだ。
アデラ姫とサルマさんの会話が疑問の答えになっていた。
二人の言葉の応酬はまるで母と娘の会話のよう。
この気安さがアデラ姫の望みであれば淑やかさを求められる城ではさぞ暮らしにくかっただろう。
年若く柔軟性のある侍女には好まれそうな気質だが、そういう者は姫から意図的に遠ざけられたに違いない。
あっという間に彼女達を手懐けて、しかもどう使われるかわからないものね。
彼女は本人が望まずともそういう危険性を感じさせる、つまり油断ならない人なのだ。
そのせいで危険と認識され周囲から忌避されたのかもしれない。
わかりやすく言うなれば、アリフィナ姫を善とし、対となるアデラ姫は悪。
放蕩姫という嫌な呼び名をつけたのは、排除されたとしても不自然さを感じさせることなく悪者であれば致し方ないと人々に認識されるからなのだろう。
つまり悪役を押しつけられたというわけか。
あとはそれを誰が、どんな理由でそう思われるように仕組んだか、だ。
こちらの追求をはぐらかすように、アデラ姫はにこりと笑う。
「それじゃ、鈴麗さん。城へ行く前に着替えましょうか。」
先程の身ぐるみはぐような苛烈な着替えを思い出して、ため息をつく。
確かに城へ向かうために着替えるのは当たり前といえば当たり前のことだが、目的がそれだけでないと感じさせるのはなんででしょうね?
例えばいきなり掴まれたこの手首のせいですか?
身体が一瞬反応しそうになったのを無理やり抑え込む。
体術を嗜む人間に対し気軽にそういう行為をなさらないで欲しい。
そういう意味でも本当に油断ならない人だ。
「…私もですか?」
「その衣装も素敵なんですけど成安国から来た者の雰囲気がしますよね。それではちょっと設定に困るんです。なのでこちらの衣装を着てください。」
渡されたのは正服とされるバセニア皇国の衣装。
それを動きやすいようにアレンジしたデザインのようだ。
「それからもう一つお聞きしたいのですけれど。」
「なんでしょうか?」
なんでだろう?
今以上の厄介事に巻き込まれそうな嫌な予感がする。
「馬、乗れますよね?」
ーーーーーーーー
バセニア皇国、皇帝ラティフ・テオ・バセニアは使節を迎え入れるため謁見の間へと移動する。
長く戦いを繰り広げた敵からの使者。
それ故に粗相があってはならぬと余念なく準備に時間をかけた。
そして傍らに美しく装った妹のアリフィナを伴い、さらにその後ろには、わずかばかり皇室と血が繋がった娘…正直、血のつながりが薄すぎて、歳や背格好が似ているからと選んだだけの名も知らぬ女を従え回廊を歩く。
その女と視線を合わせた。
「いいか、今から君は"アデラ"だ。無事に代役を務め上げれば家への資金援助を約束しよう。」
「わかりました、努力いたします。」
もちろん一時的な代役だ。
使節の前に健康であり且つ大人しい振りをして立っていればいいだけの役どころだ。
所詮は末端の貴族に辛うじて引っ掛かるような程度の娘。
さすがに王族の教育を受けたアデラに成り代わるのは無理というもの。
今は国内に戻ったとされる彼女を兵が必死になって探している。
あの出来損ないが出奔などと、とんでもない事を仕出かすからこんな面倒なことになった。
自身の考えに従わず、しかも反論までする忌々しい妹。
自分とそしてこの従順なアリフィナとも血が繋がっているなど正直信じ難い。
だがそれは自らの母の不貞を疑う事になるため口にはしないが。
「いっそこのまま彼女に苟絽鶲国へ嫁に行ってもらえばいいのでは?」
傍らから聞こえた無邪気な声に思わずため息をつく。
アリフィナは確かに可憐で従順な愛すべき妹だ。
だが思慮が浅く、他人の考えに流されやすい。
今の言葉もきっと侍女の誰かの台詞をそのまま話しているだけだろう。
アデラを自由にした結果、手に負えない出来損ないが育ってしまった。
だからアリフィナは従順で淑やかな女にと育てたのだ。
付き合いのある国の王族が求めるのは、そんな女性であり、彼女への縁談は降るほどにあった。
だがなぜこうも愚かで思慮の浅い娘へと育ってしまったのか。
それでも婚約話があるだけアデラよりも役に立つ。
アデラとの婚約話は大抵、当初は相手方も乗り気になるのだが、しばらくすると断りを入れてくる始末。
皆アデラより従順で愛らしいアリフィナに夢中になるという理由だ。
彼らを繋ぎ留める努力を怠ったアデラが悪い、ラティフはそう判断している。
だからアデラは他国とこの国を結ぶ具にはならぬとして、捕まえ次第、国内の位の高い貴族にでも降嫁させようと思っていたのだが。
「まさかあのじゃじゃ馬に苟絽鶲国から縁談とは。」
しかも帝の正妃の座に、我が国への食糧支援がついてくるという破格の申込みだ。
この縁談は是が非でも成功させねばならない。
例え苟絽鶲国を欺いたとしても、だ。
そう考えると最悪の場合、替え玉の娘を嫁に出すことも考えておいていいかもしれない。
アデラは五年もの間、表舞台に顔を出していないのだ。
例えば歳を重ねて顔も変わり、病のせいで今までのように話せなくなったとでもすれば、顔や声が違ってもバレる可能性は低いだろう。
相手国の帝が求めるのは国同士の繋がりや第一姫としてのアデラの地位だけだ。
ならば立場さえ保証してやれば誰でも良いのではないか。
それならもっと容姿の美しい者を選ぶべきであった。
片側を歩く女は醜いとは言わないまでも平均的な容姿をしている。
自分や美しいと評されるアリフィナと並ぶと、どうしても見劣りがして違和感を拭えない。
生意気な性格が容姿ににじみ出ていてもアデラの見た目は極上の部類に入っていた。
こんな平凡を絵に書いたような女は早晩飽きられる可能性が高く、寵愛されるなどあり得ぬ。
それでも。
「帝の正妃の座と、それに集まる情報。それさえあれば苟絽鶲国は手に入れたも同じ。」
此度の戦の結果、周辺国に対し苟絽鶲国は頭ひとつ抜き出た。
それを外側から打ち破るのは困難を極める。
特に帝の弟である南陵関を守る狼はいまだその地位にあり厄介だ。
だが正妃の権限で彼を中央に呼び寄せることはできるはずだ。
その隙に南陵関を攻め落とすことができれば豊かな穀倉地帯が手に入る。
後はそれを切っ掛けとして真綿で首を締めるように国力を削いでゆけばよい。
そのためにはある程度犠牲は致し方ない。
…いっそ言いなりにならぬアデラ本人を殺すか。
本物がいなければ、より確実だろう。
国のために死ぬ、それこそが国を統べる一族の姫として生まれた者の務めというもの。
「アデラも国が栄えるための礎となるのなら本望であろう。」
そんなふうに思索を巡らせていたせいだろうか。
反対側から近づいてくる人々の気配に全く気が付かなかった。
そしてそこに想定外の人物が含まれているということにも。
「全くもってそのとおりですわ、兄上。」
「まあ、お姉様?!いつお戻りになられたの?!」
想像もしていなかったアリフィナの台詞に我へと返る。
目の前に立つのは相変わらず気の強そうな表情を浮かべたもう一人の妹。
今までに積もり積もった怒りが爆発する。
「アデラっ?!お前は今まで一体どこにっ!!」
「あらお忘れになったの?バセニア皇室は城に使節を迎え入れる際、城の外まで迎えに出るのが務め。ですから私が皆様をお迎えに上がったのですわ。」
しらっとした表情で務めを果たしたのだと言い切った。
なんと務めを放棄するように髪を短く切ったお前が、私にしきたりを教えようというのか。
しかもこちらが反論できない状況にあることを見越して、五年間の放浪生活と我々の苦労を全てをなかったことにしようとしている。
なんと恥知らずな行い、本当に忌々しい。
だがアデラが示した先には恭しく頭を垂れた使節団の一行が控えていた。
国を表す正服を着ているのがその証。
彼らの姿に膨れ上がった怒りを無理やり抑え込む。
「確かに迎え入れる役目は務めの一つだが、それはアリフィナの仕事だろう。」
「お姉様、それはいつも私の役目と決まっているでしょう?それを横取りされるような真似をなさって…存在を蔑ろにされたようで悲しいです。」
「そうだぞ、アデラ。お前は姉として妹に譲ってあげるべきだ。」
ここぞとばかりに姉妹の礼節を説き、外見上はアデラをやんわりと嗜める。
本当は怒鳴りつけたいところだが、他国では私の事を『下々に優しい温厚な人柄』と評しているそうだから、今この場でその印象を悪くするわけにはいかない。
そして傍らで悲しみを顕にしうっすら涙を浮かべたアリフィナの様子は、月下に咲く花が如く儚げで庇護欲をそそられる。
アデラの心象が悪くなる代わりに、控えめなアリフィナが好ましく思える展開。
これでまた新たに可憐なアリフィナを贔屓にする国が増えた。
そう思ったのだが使節団の者は頭を垂れたまま何の反応も示さない。
「ごめんなさいね、アリフィナ。でもたまにの事だし、よいでしょう?」
アデラはにこりと笑った。
視線を奪う鮮やかな微笑みにラティフは目を見張る。
暗い顔をすることの多かった妹が、こんな風に明るく笑うようになるとは。
まじまじと観察すれば、彼女の肌はほんのりと焼け、アリフィナの透けるような白い肌とは雲泥の差があった。
そしてかさついた髪は相変わらず嫌味のように短い。
アリフィナの長い髪は美しく整えられ、光輝くばかりの光沢を放っている。
これならば彼らもまた美しいアリフィナを選ぶだろう。
アリフィナを望むなら他国を引き合いに出して、更に有利な条件を追加させてやればいい。
そして最後は理由をつけてアデラを押し付けてしまえば一気に面倒事が片付くというものだ。
そう算段をつけてアデラをみれば皇国の正服とはいえ、乗馬用の服を着たまま。
「アデラ、その服のままでは使節の方々に失礼だろう。急ぎ着替え謁見の間に来なさい。」
「はい、そのようにさせていただきます。」
礼の姿勢をとり、引き下がるアデラ。
振り返った彼女の視線の先には同じ形の服を身に着けた女が立っていた。
視線の先をたどったアデラが笑みを浮かべる。
「私の客人ですの。」
小柄ながら、すらりと伸びた美しい肢体に、涼やかな目元。
整った顔立ちを飾る黒髪は品よくまとめている。
典雅な雰囲気に、相対する野性を内包する女性。
古代都市に打ち捨てられた女神像が持つ、光と影のような稀有な存在。
こんなふうに危険な魅力を感じさせる女性は今まで見たことがなかった。
妹の客人だと?
あんな美しい娘が知り合いにいたか?
貴族の娘の顔は一通り頭に入っているが、ああいう女性はいなかった。
アデラの視線を感じたらしい彼女が、ふと柔らかな笑みを浮かべる。
咲く花がほころぶが如き、刹那の緊張。
途端、心の臓を鷲掴みにされた気がした。
あの優美な微笑みを自分だけのものにしたい。
彼女が、欲しい。
なぜか不機嫌そうな表情を浮かべているアデラは、二人の間を割って入るように視線を遮ると、代役に仕立てようとした名も知らぬ女へと声を掛ける。
女は先程から予想外の展開に戸惑い、息を殺すようにして立ち尽くしていた。
「貴女もこちらへいらして。よろしいでしょう?兄上。」
「ああ、構わん。」
いつもなら不快に思うアデラとのやり取りも彼女の存在があるから気にもならない。
視線をアデラから彼女のいた方向へと戻すがすでにその姿はなかった。
いつの間に姿を消したのだろう?
その時、我々が未だ到着しない事を訝しく思いった者が様子を伺いにきた。
廊下へ控える使節団一行を謁見の間へと案内する事を指示したその傍らで、声を潜めたアリフィナが話しかけてくる。
「お兄様、お姉様が連れた女性の方が気になるの?」
「ああ。」
「それならば良い考えがございますわ。お近づきになれるよう侍女にお茶会の準備をさせます。そこに彼女をご招待いたしましょう。お姉様のお客様は私達からしてもお客様ですもの。その場でお兄様がご挨拶なされても不思議ではありませんわ。」
「そうか、お前は本当に兄思いの優しい妹だ。だから侍女達もお前の方を選ぶ。」
「謁見の儀が終わるまでに手配を完了させるようにいたしますね。」
褒められた喜びから無邪気に瞳を輝かせるアリフィナの頭を一撫でする。
そして花開くような微笑みを浮かべた彼女の姿を思い出す。
彼女が手に入るかもしれない。
いや必ず手に入はいると、そう思った。
だがこの時、彼らは気づかなかった。
使節団の一角から不快感を含んだ鋭い視線が注がれていることに。
そして、とある人物の口元が歪に弧を描いたなど知る由もなかった。