僕は諦めが悪いんだ
十三日目。早朝。
徹夜をして治療をしたおかげか残りの患者達は1300人。
この調子でいけば、明日の昼には全員の治療が終わる。
いいぞ。
思ったよりもスムーズに進んでいる。
いけそうだ。
一瞬だけ意識が飛びそうになる。
睡眠不足に加えてかなり疲労が蓄積しているらしい。
あと少しなんだ。
頑張れ、僕の身体。
椅子に座りながら治療をしていたんだけど、眠ってしまいそうになっていたため、今は立ったり座ったりして治療をしている。
食事の時間がもったいないため、食べながら治療をしている。
僕は両手が塞がっているのでウィノナが食べさせてくれた。
僕は咀嚼しながらも治療を続けた。
感覚が鈍い。
時々、立っているのか座っているのかもわからなくなる。
動悸が激しくなり、視界がぐらつく。
半ば気合いだけで立っている。
「シ、シオン様……や、やはり少しお休みになられた方が。
時間配分を考えれば、す、少しは余裕があるのでは」
「……ダメだ。それじゃ間に合わなくなるかもしれない。
何があるかわからないんだ……できるだけ治療を進めないと……」
寝言のように呟く。
倒れそうだ。
吐きそうだ。
気絶しそうだ。
魔力はどうだ?
まだある。そうだとしたらこれは単純な体力不足と睡眠不足か。
だったらまだいける。
死にはしない。
諦めるな。
みんなのことを考えろ。
自分が体験したあの一年半のことを。
どれだけ苦しかったか。
どれだけ悲しかった。
どれだけ寂しかったか。
忘れるな。
今、患者達が抱いている感情は、あの時の僕と同じだ。
いや、治療方法を模索していた僕は希望を抱いていたけれど、彼等は絶望の中に希望を見出そうと必死だった。
僕よりもきっと辛いはずだ。
だから止まるな。
治療を終えるまで、後は突っ走るだけなんだ。
「シオン……様……」
ウィノナが僕を見つめる。
気のせいか、彼女の瞳は濡れている。
どうしたのか。
なんでそんな顔をして僕を見ているのか。
わからない。
頭が働かないんだ。
「うっ、ううっ……ど、どうして、そこまで……」
「シオン様……あ、ああ、シオン様……」
「あ、ありがとう、ありがとうシオン様」
患者の家族達、医師達、看護師達、ボランティアの人達も泣き始めた。
いや多分違う。
ずっと泣いていたのだ。
彼等の目も鼻も頬も赤くなっている。
そんな彼等の視線は僕に向けられていた。
どうして泣いているのだろうか。
わからない。
でも今は、そんなことを考える余裕はない。
患者達を助けると決めたんだから。
絶対にみんなを治す。
そう考えた時、プツンと何かが切れる音がした。
視界が揺らぐ。
上下の感覚が消失する。
どうなってるんだ、僕は。
そう思った時、僕の視界は突然、停止した。
しかしそれは一瞬だけのこと。
何か柔らかいものに、僕の身体は包まれていた。
「あ、れ?」
目の前に誰かの顔があった。
ラフィだ。
身体に人の感触が伝わっている。
彼女が僕を支えてくれているらしい。
ということは、僕はやはり倒れそうになっていたのか。
彼女は悲しそうな、悔しそうな顔をしていた。
「……どうして、ここ、に?」
「どうしても何もない。シオンが無茶をしていると聞いたからだ!
こっちはこっちで王都での任務でてんてこ舞いでな。
すぐに会いに行こうとしてたんだが、思ったよりも自分の時間がなかったため足を運べなかった。
やっと暇ができたと思った時、シオンの話を聞いてな、飛んできたというわけだ。
まったく! いつもいつも無茶をする! こんなことをしてたら本当に死ぬぞ!」
「は、はは、これくらいじゃ死なないよ」
「死にかけているだろう! バカか! おまえは! ほんっとにバカか!?」
ラフィが悪態をつきつつも、僕の身体をゆっくりと動かして、椅子に座らせてくれた。
まずい。
足が動かない。
これは本格的に、限界間近だったのだろうか。
「少し休め、シオン。このままだと先におまえが参ってしまう」
「……いや、ダメだ……休めない」
僕が言うと、ラフィはくしゃっと顔を歪ませた。
それは怒りではない。
僕への気遣いがあふれ出ている。
「ここで休んだら、た、多分一日以上、寝てしまう……途中じゃ、起きられない。
その後……治療を始めても、間に合わない……。それじゃ、ダメ……なんだ。
治さないと、いけない……治さないと」
僕はうわ言のようにそう言った。
すすり泣く声が部屋中に響く。
部屋にいる人達が泣いていた。
そんな中で声を張り上げる人物がいた。
「も、もういいではないですか!」
ウィノナだった。
普段とは違い、怯えた態度は鳴りを潜めていた。
苦しそうな顔をしながら、僕の目の前で膝を曲げ、視線を合わせてきた。
泣きそうなそんな表情だった。
「もう……いいじゃないですか……ここまで頑張ったんですっ!
もう誰も、シオン様に何も言わないですっ! 患者さん達もわかってくれますっ!
ここまでやってくれたんですから。きっと理解してくれますっ!」
もういい。
もう十分。
そう思ったことは何度もあった。
確かに頑張っただろう。
やれることはやったのかもしれない。
無茶をしても大した意味はないのかもしれない。
もしかしたら治療できない人たちも、ここまでしなくてもいいと思っているかもしれない。
数ヶ月くらいなら待つのは苦じゃないと思っているかもしれない。
治療をしてくれるとわかっているのだから、大丈夫だと思っているのかもしれない。
でも。
そんなことは関係ない。
僕がやると決めたんだ。
僕が放っておかないと思ったんだ。
僕が納得できないと、そう考えたんだ。
だから無茶をしても、馬鹿らしいと思ってもやり通すと決めたんだ。
「……僕は……諦めが悪いんだ……。やめない。続ける」
立ち上がろうとした。
でも足に力が入らない。
衰弱していることは間違いなかった。
ならばと椅子に座ったまま、僕は患者達に手を伸ばす。
手が震えてまともに動かない。
大丈夫だ。魔力供給は問題なくできる。
手さえ触れれば。
しかし途中で力尽き、僕は震えた手を下ろしてしまう。
だが。
途中でラフィが僕の手を掴んでくれた。
すると、そのまま患者の胸元まで手を移動させてくれる。
「ほら、これでいいのか?」
「ラフィ……」
「勘違いするなよ、シオン。私はこのまま治療することには反対だ。
しかし、シオンのことはよく知っている。私や周りが何を言っても、意見を覆さないだろう?
おまえは頑固で真っ直ぐで意地っ張りでわがままだからな」
呆れたように言うラフィを前に、僕は精一杯の笑みを見せた。
ラフィは嘆息する。
その態度にはどこか親しみを感じさせた。
「まったく面倒な奴だ、おまえは。だが、それこそがシオンだからな。
満足するまでやればいい。私が最後まで手伝ってやる」
「ありがとう……ラフィ……」
「わがままな友人を持つと大変だ、こっちは」
ふっ、と笑ったラフィの横顔はいつも通り、頼りがいのある騎士そのものだった。
普段は抜けているところもある彼女だけど信頼できる人だ。
僕は、いい友人を持った。
「さあ、始めるぞ。倒れたらさすがに休ませるからな。気絶するなよ」
「ふふっ、無茶を……言うね。でも、わかったよ、頑張る」
さっきよりも気力がわき上がってくる。
ありがたい。
彼女の存在は僕を励ましてくれた。
僕は治療を続ける。
まだ身体は動くのだから。
「どうして……どうして、そんなに……」
ウィノナは戸惑った様子のままだった。
けれど彼女の様子に気を割く余裕は僕にはなかった。
今はただ患者達を治す。
それだけを考えて、僕は魔力を流し続けた。






