噂には尾ひれはひれがつくもので
十日後。
険しい山岳地帯を抜け、魔物達を退け、ようやく僕達は王都サノストリアに到着した。
長かった。
期間的にはそれほどでもないんだけど、一日一日が長く感じた。
ほとんどの時間を馬車内で過ごしたからだ。
おかげで僕は精神的に疲弊していた。
「見ろ、シオン! 王都が見えたぞ! ほら、元気を出せ!」
「み、見えてる……うん、見えてるよ……」
僕は窓から、斜め前方を眺めていた。
げんなりとした状態から一転、心に活力が生まれる。
隣でラフィが嬉しそうに僕の肩をポンポンと叩いた。
「よかったな! これでこの生活から解放されるな! な!?」
「う、うん……よかったよ」
心の底からそう思う。
ゴート隊長や護衛部隊の人達は良い人達だったんだけど、融通が利かず、僕は窮屈な生活を強いられた。
僕は重要人物らしく、護衛のためという名目で半ば軟禁状態だったのだ。
悪意はなく、彼等には彼等の事情があることを理解していた僕は、さりげなく自由を貰えるように提案したものの、却下されると受け入れるしかなかった。
ということで、この十日は大変だったのだ。何もなさ過ぎて。
ああ、王都が見える。光って見える。
あれが僕の希望の都市なのだ。
僕は憧憬さえ抱きつつ、王都を見つめた。
「シオン様、王都が見えました! もう少しで到着いたします!」
遅れて、ゴート隊長が扉を叩き叫んだ。
その野太い声を聞く時は、嫌な予感ばかりがしたけれど、今日に限っては嬉しい報告だった。
普段は「シオン様! 外は危険です!」から始まり、最後は「馬車から出ないでください!」で終わるのだ。
今日はその悪習……もとい慣習がなくなった。
もう馬車は嫌だ。帰りは一人で帰りたい。
そんな願いは口には出さず、王都が徐々に近づく状況を楽しみながら僕は時間を費やした。
そしてやってきた。
大門。
それが目の前にそびえ立っている。
周囲は人で埋められている。
なんて数だ。
この場だけで千人程度はいるんじゃないだろうか。
彼等は大門を通って出入りをしており、門衛達の審査を受けている。
かなりの数だが、門衛もまた百人を超えている。
入国審査のペースは早く、迅速に済まされているようだ。
僕達も列に並ぶのかと思ったけど、馬車は止まることなく人々を追い越していく。
「あれ? 並ばないのかな?」
「並ぶわけがないだろう。この馬車は上位階級だけが乗車が許されている送迎馬車だぞ。
一般人と同列に扱えるはずがない。並んだら隊長が罰せられるぞ」
「……僕は上位階級じゃないんだけど」
「同じくらい重要な人物、ということだろう。
女王様の指示なのだから、異論は誰もないだろう」
女王の指示、か。
バルフ公爵の話では、女王が王都に僕を送れという指示をしてきたとか聞いたけど。
治療のために他国の人間に治療方法を教えるように言ってきたらしい。
もちろん、僕は事前にそれを知っている。
まあ、色々と思うことはあるけど、今はいいだろう。
僕自身、僕の立ち位置は多少は理解してる。
今のところ僕だけがまともな魔法が使え、僕だけが怠惰病治療ができる。
魔族は魔法がないと倒せないし、怠惰病は魔法がないと治せない。
つまり僕が死んだり、僕に何かあれば魔族も倒せないし、怠惰病も治せない。
これは再三言われていることだ。
だから僕が重要人物として扱われることも、こうやって王都へ招かれることもおかしなことではない。
これから何をすればいいのか、漠然としかわかっていないけれど。
まあ十日以上もあったわけだし、僕もある程度の予測はしていたから多少は準備はしている。
問題は『僕の思っている通りの結果になるかどうか』だ。
やるしかない。
「お、おいあれって」
「あ、ああ、初めて見た。あれ、噂の」
「……あの噂って本当だったのか」
「イストリアの奴だろ。じゃあ、あれに乗ってるのか?」
外から声が聞こえた。
なんだ?
イストリアの? って。
噂?
噂になってるのか?
いや、待てよ。おかしなことじゃない。
僕が怠惰病を治療したことや、魔族を撃退したことはイストリアでは周知のことだ。
目撃者以外には噂程度の認識だろうけど。
あれから結構な時間が経っている。
イストリアから王都へ情報が伝わってもおかしくはないくらいには。
正確に他国へ情報が渡っているのかはわからないけど、王都の市民に情報は伝わっているだろう。
それから周囲がざわめき続ける中、僕はといえば。
「どうした、シオン? 顔が青ざめているぞ?」
僕は思い出したように震え始めた。
手足がぷるぷると痙攣している。
なんということだ。
僕は忘れていた。
本当に思い出してしまった。
僕は『人見知り』なのだ。
怠惰病治療の研究の時、医者や色んな人に注目され、色々と言われたけど、それは大して気にしてなかった。
なぜなら彼等は僕を嫌っていたからだ。
自分を嫌うような人に好かれようとも思わないし、どんな評価をされても気にしない。
だって自分にとってどうでもいい人だから。
それに僕は姉さんや患者さんのために治療することで頭が一杯だった。
だからそんなことを気にしている余裕がなかった。
その後、赫夜の時、更に注目された。
でもあの時は必死だった。
そのため今みたいな心に余裕がなかった。
その後の、治療もみんなを治したいという思いと、早く治さないといけないという義務感と焦燥感の方が強かったため、人見知りを発揮する時間も余裕もなかったのだ。
ここまで聞くと、別に人見知りじゃないだろうと思うだろうか。
違うのだ。
人見知りには二種類があって、いつでもどこでも人見知りするタイプと、条件が揃った時だけ人見知りするタイプがいるのだ。
時と場合と人によるのだ。
僕の場合は『好意的に接せられる時』と『相手に好かれなければならないと思った時』に強く人見知りが顔を出す。
現在の僕はどうか。
周りの人達は赤の他人。
でも彼等に嫌われてもいいやとは思わないし、むしろ新天地なのだからできるだけ印象を良くすべきだろうと思っている。
なんせこれから僕は多くの人達と関わるのだから。
そんな意味の分からない圧迫感によって。
結果。
僕はいつも以上の人見知り能力を発動してしまった。
「シオン!? か、身体がガタガタ震えているぞ!?」
「やや、や、やだな、ラ、ラフィ。ぼ、ぼぼ、僕が、ふ、震えている、なんて。
そ、そそそ、そんなこと、あ、あるわけ、な、ななななななな」
「め、目が血走ってるぞ!? し、死ぬのか!? シオン! おまえは死ぬのか!?」
死ぬわきゃない。
しかしラフィは僕のあまりの状態に動揺し、僕は注目されすぎたことで動揺した。
車内は騒然としてしまう。
ラフィは僕の肩を掴むと、前後に激しく揺すった。
吐いちゃう。
吐いちゃうから!
「だ、だずげで」
「死ぬな! シオン!」
死にそうなのは、あなたのせいなんだけども!
「は、はなじで!」
「はっ!? す、すまん。だ、大丈夫か!?」
僕は深呼吸をして何とか落ち着きを取り戻そうとする。
「な、何とか」
「す、すまない。つい、取り乱してしまった……」
「だ、大丈夫だから。気にしないで。ただちょっと離れて? 今だけ」
シールドがあるから攻撃には強いんだけど、まさか身体を揺さぶられるのに弱いとは。
それはそうか。
魔力は別に僕の身体を自然に守ってくれるような便利な力じゃないんだし。
気を付けないといけないな。
とにかく落ち着こう。
今までこれくらい注目されることはあったじゃないか。
白い目で見られて、後ろ指をさされ、それでも気にせずに生きてきた。
それなのに。
「あ、あれにイストリアを救ったっていう英雄が?」
「ああ、間違いない。俺は噂で聞いたんだ。
長身で、この上なく美形な男らしい。
何やら危険な魔物を倒し、怠惰病患者を治療したと言われている英雄が乗ってるんだ!」
「俺も聞いたぜ。すげぇ美しい方だってな」
「私は女性だって聞いたけど」
「は? 違う違う。筋骨隆々の屈強な戦士だって聞いたぜ。
なんでも数分で魔物数千体をぶっ殺したとか」
ああ、噂がおかしくなっちゃってる。
情報を伝えるのはいい。
せめて正しく伝えてよ!
周りの期待が高まりすぎていることを感じ、余計に緊張感が増してしまう。
隣でラフィが心配そうに僕を見守っている。
彼女は僕の心境を理解はしていないみたいだけど、僕の様子には気づいている。
あまり動揺するとラフィに心配をかけるし、しっかりしないと。
そんなことを考えていると馬車が止まった。
「イストリア第二親衛騎士隊隊長改めイストリア護衛部隊隊長のゴート・ファルスだ!
ミルヒア女王の命によりあるお方の護衛を担い、こちらに参った。
こちらはその書状だ。王都入場の許可を願う」
窓から眺めると、何やらゴート隊長は懐から紙を取り出し、門衛に見せていた。
なんか、話がどんどん大きくなっている気がする。
いや最初から大きかったのかも。
僕が実感を持ってなかっただけで。
ああ、なんか怖くなってきた。
けどもう後戻りはできない。
「はっ! お、お待ちしておりました! どうぞお通り下さい」
再び馬車は進んだ。
僕達は並ぶ人たちを置き去りにして、大門を通る。
情景が広がる。
王都内の街並みはイストリアと変わりはなかった。
同国だから、文化は同じだし、それはおかしなことではない。
ただし人が多い。
人が圧倒的に多いのだ。
道は人で埋められており、馬車が通るのも大変だった。
露店がずらっと並び、どこもかしこも通行人で塞がれている。
イストリアの人口は五万程度。
王都であるサノストリアの人口はその三倍、十五万ほどいるらしい。
リスティア国の人口が約四十万ほどと言われており、半分近くがサノストリアへ集結している。
それに加えて、他国の旅行者や交易人やらがいるわけで。
現代に比べてもそん色がないくらいの人数だ。
道を進む馬車。
新天地に足を踏み入れたというのに、なぜか緊張感が増してきた。
自分でもこの緊張の理由がよくわからないけど、多分、不安なのだろう。
新しい土地、新しい出会い、そして自国の女王との謁見。
それが一番最初の関門だと言えるだろう。
バルフ公爵みたいにフランクな人だったら緊張もしないんだろうけど。
それはないだろうなぁ。
一国の当主だもんなぁ。
今まで考えないようにしていたけど、やはり緊張はするもので。
とにかく気を抜かないようにしないと。
何があるのかわからないのだから。
そして僕の考えが間違っていないとすれば。
決して楽な未来は待っていないだろう。
「大丈夫か? 気分は良くなったか?」
「うん。もう大丈夫」
緊張はあった。
不安もある。
頭の中で、人見知りの僕がちらちらとこちらを見てきてもいる。
でも。
心臓の鼓動は少しずつゆっくりになっていった。
時が近づくにつれて、僕の中で覚悟が決まりつつあった。
馬車は正面奥にある城へと向かっていた。
真っ直ぐではない道は、僕の歩むだろう道程を思わせる。
それくらいでいい。
簡単で、わかりきった未来ほどつまらないものはないのだから。
とりあえず……この状況から解放されるのなら、なんでもいい!
心の中で悲鳴を上げつつ、僕はじっとその時が来るのを待ち続けた。






