そして走り出す
バルフ公爵の行動は早かった。
僕が報告して十分ほどで、公爵家に隣接している訓練場に防衛部隊は集結した。
巨大な兵舎の隣に訓練場は存在している。
普段は兵達が訓練に勤しんでおり、日々掛け声が響いている。
僕もその訓練場に移動していた。
イストリアの人口はおおよそで五万程度。
イストリア兵の数は五、六千くらいらしい。
かなり多いが、実際に街に滞在している数は半分程度。
常にすべての兵を街に留めておけないからだ。
理由はいくつかある。
例えば、兵達の休暇。
長期の休暇を得ることは難しいが、それでも帰郷する機会を設けている。
ローテーションしているから、常に数百人程度は少なくなる。
そして最も大きな理由が討伐や近隣村々への支援を目的とした遠征である。
イストリア周辺にも小村は幾つもあり、リスティア国においては王都サノストリア以外では、イストリアが最も規模の大きい街だ。
それ以外は街と呼ぶには領土が狭く、数千人規模に留まる。
故に、イストリアからは周辺地域に多くの兵を派遣することがある。
特に最近では魔物の数が増えているため、討伐隊員も増強しなければならない。
そのためイストリア内の兵数は減少している。
つまり現状では街の防衛が薄いのだ。
本来、街の防衛にはできるだけ多くの兵を割くものだ。
それは他国、何かしらの組織の侵攻を警戒、そして街中の治安維持のためものだ。
しかしこの世界の情勢は安定している。
昨今では魔物数が増加しており、どこの国もその対応に迫られているという理由もある。
腹の中に一物抱えている当主もいるだろうが、まずは自陣の態勢を整える必要がある。
他国侵攻中に魔物に寝首をかかれては元も子もないわけで。
以上の理由から現在、イストリア内に滞在している兵は三千ほどしかいない。
内、すでに守衛として配置されているのが千五百。
つまり残りの千五百の内、すぐに防衛戦に参加できるのは千二、三百。
それが防衛部隊の数だ。
ちなみにこの数はあくまで戦闘兵の数であり、兵扱いではあるが戦闘ができない者は除外されている。
防衛部隊は有事に結成される部隊の名称らしい。
普段はそれぞれの役割を担っている連中が協力して防衛にあたるわけだ。
平時には、バルフ公爵に与えられた私兵達が各場所へ配置されている。
私兵はバルフ公爵が自分で雇った兵ではなく、あくまで国から与えられた兵であり、基本的にはバルフ公爵の裁量で指示を与えられるが、所属は国軍である。
基本的に領主個人が兵を雇うことは禁止されている。
反逆予防のためだろう。もちろん必要あれば、申請を経て完全な私兵を持つことはできるらしい。
ただそれは稀だろう。少なくも今のリスティアでは。
サノストリアからの指令、王の勅命がない場合は、イストリアに置いてはバルフ公爵が最高司令官であるため、兵達は命令に背くことはできない。
例え不満があろうとも、彼等は独断で行動すれば処罰の対象とされる。
しかし『最低限の命令に従えばその限りではない』ということでもある。
僕はその意味を目の当たりにしていた。
バルフ公爵の迅速な対応により防衛部隊は集結している。
しかし、それは兵達の行動が的確である、という意味ではない。
手を回し、情報を伝達し、指示を出すことが早くとも、指示を受けた側が能動的に行動しなければ意味はない。
訓練場に兵は集まっている。恐らく現在、集まれるほとんどの兵が。
でも集まっているだけだ。
隊列は全くできていないし、ぱっと見は鎧を着た野次馬達が何かを見物しようとしているかのような情景だった。
統率という言葉はこの場所には存在しない。
「第三親衛騎士隊! こちらに集合しろ!」
「そこ、だらだら歩くな! 隊列を成せ!」
隊長らしき人達が怒声を張り上げている。
しかし兵達の動きは鈍重だ。
訓練された兵の割にはお粗末だった。
堕落。
おそらくは慣れだろう。
イストリア街内では小さな諍いはあるが、大きな事件は滅多にない。
他国からの侵攻はないし、魔物が多いため山賊、盗賊の類も比較的減少している。
そのため基本的に人間の敵はほぼ魔物だけだ。
街は襲われない。人間が大量にいる街を襲う魔物はいないからだ。
そのため緩んでいるということなのか。
そうだとしたらレイスの件も納得がいく。
彼等にとっては自分の事のように感じないのだろう。
それは現実ではない。
その内、過ぎていく出来事なのだ。
平和ボケした人間が、戦争の恐ろしさを理解できるはずがない。
そして最も厄介なのが防衛にあたる兵達の質は、イストリア内ではおそらく最も低いということ。
魔物を相手に戦うこともなく、戦う機会もない彼等に切迫感はない。
討伐隊、遠征部隊に参加していた経験があれば別だろうが。
どうやらその人間は少ないようだ。
一部の兵は整列し、じっと時を待っているが大半は不平不満を口にしたり、眠そうにしている。
公爵、自らの命令なのにだ。しかも明らかに危険であるという情報も伝達されているのに。
「ったく、なんだってこんな夜に……」
「なんか見えない魔物? ってのが現れたんだと……ふああ、ねむっ……」
「一年くらい前に噂になってたやつ? あれは噂でしょ」
「またバルフ公爵のお戯れが始まったんか」
「雷光灯を集めろとか言い出したらしいぜ。あんなの使えねぇっての」
「ランプでいいだろ。ランプで……雨降ってないし松明でもいいしよ」
「早く帰りてぇな」
不安が広がる。
こんな人たちがレイスの急襲を防げるのかと思わずにはいられない。
しかし彼等がいなければレイスを駆逐できないだろう。
とにかくローンド部隊長に話をしなくては。
僕は兵達の視線を受けつつも周囲を探る。
まあ、こんな場所に子供が一人いたら怪しいとは思うだろう。
しかし声はかけられなかった。
事情を知っているわけじゃなく、面倒臭がっているような印象が強い。
夜中に起こされて、余計に面倒事に巻き込まれたくないという心情になっているのか。
部隊の正面にその男はいた。
妙に華美な鎧を纏っているくせに顔は平凡。
顔をしかめ、部隊員達の姿を眺めている。
一喝でもすればいいのに。
運動場に集まる学生に怒る体育教師の姿が浮かんだ。
どうして体育教師っていうのはあんなに偉そうなんだろうか。
偉そうにすることも大事なのかもしれないな。
子供はすぐ相手を舐めるし。
いや、この状態を見れば子供に限らず、人間は、とする方が正しいのかも。
教師の姿と部隊長の姿が重なったけど、僕はすぐに現実を直視した。
「失礼いたします。私はシオン・オーンスタイン。
バルフ公爵より部隊に参加するように指示をいただいたのですが」
ローンド部隊長と思われる男に声をかける。
月光を反射する彼の無駄に豪奢な鎧が目立っていた。
彼が身じろぎすると金属の擦過音が、鼓膜に届く。
小さな不快感が顔を出したけど、僕は表情を変えない。
「……怠惰病研究をしている子供か」
僕のことを知っているらしい。
医学界内ではそれなりに有名らしいけど、ローンド部隊長が知っているのは意外だった。
いや、兵達に雷光灯を持つように進言したのは僕だし、その事実を知っていてもおかしくはないか。
彼からしたら『面倒事を増やした貴族の息子』という風に思っても不思議はない。
僕のその推理はあながち間違いでもなかったらしく、部隊長はあからさまに顔をしかめた。
「また余計なことをしたらしいな。おかげで兵達は無駄に集まることなった。
存在もしない『見えない魔物』のためにな」
見えないのだから存在しないのもわからないと思うが。
なんて言ったら、反感を買いそうなので言わない。
無闇に争う必要はない。
僕は黙して次の言葉を待った。
「…………第七十五親衛騎士隊へ入れ。端の隊だ」
僕はピクッと眉毛を動かした。
第七十五親衛騎士隊。
それはラフィーナが所属している隊の名前だ。
そして何度も聞いた通り、その隊は雑務を担っている。
一応は戦闘部隊に所属しているが訓練はないらしい。
戦闘なんて他の隊以上にしていない。
ラフィーナは自主鍛錬によって、相当な腕前に到達しているが、彼女は特殊だ。
異議を申し立てても意味はないか。
「承知いたしました」
僕はローンドの蔑むような視線を無視して、踵を返す。
部隊の端、そこに集まっている数人は、なぜか部隊から少し離れて整列していた。
「シオン! どうしてここにいるんだ!?」
ラフィーナがこちらへ手を振る。
そりゃもう嬉しそうにブンブン振っていた。
飼い主を前にした犬が尻尾を振っているように見えて、僕は思わず笑いそうになる。
ラフィーナは、ハッとした表情を浮かべて慌てて手を下ろすと表情を繕った。
「ラフィーナ。ローンド部隊長に第七十五親衛騎士隊に入れって言われたんだけど」
「何!? シオンも!? しかし、シオンは軍属ではないだろう」
「魔法しか効かないレイスが相手だからね。協力を申し出たんだ。
それに……この状態だし」
僕は視線を他の兵達に向けるだけで意図を伝える。
ラフィーナは渋面を浮かべた。
「討伐部隊以外はこんな感じだ。
こんな緊急招集自体珍しいんだが、それでもまだ気が抜けたままらしい。
その理由もわからないでもないが」
「見えない魔物を誰も信じてないから、だろうね」
ラフィーナはコクリと頷く。
「ああ。一度、雷光灯で対策を講じた後、何も起きなかったことが起因しているだろうな。
人間は一度思い込むと、簡単には考えを改めない。信じたい方を信じる。
彼等にはレイスなど存在していないというのが当たり前で、早く眠りたいというのが本音だろう」
予想はしていたが、ラフィーナから聞くと現実がのしかかってきた。
思ったよりもまずい状況なのかもしれない。
しかし僕が声高に危険性を説いても白い目を向けられるだけだし、むしろ悪化しそうだ。
バルフ公爵の命令は受けているのだから、最低限の行動はするはず。
とにかく現状を把握しないと。
「他の隊員は?」
「いるぞ。そこに」
僕達に背中を向けて二人の兵士が佇んでいた。
彼等が振り向くと顔が見えた。
「お? おまえ、さっきの」
「すんごい飛んだ子なんだな!」
道中であった二人の巡回兵だ。
高身長で細い男と、小柄で肥満体の男だった。
「俺はヒューイ。さっきはありがとよ!」
「僕はデーブなんだな。みんなはデブって言うんだけど、デーブって呼んでくれると嬉しいんだな。
君のおかげで助かったんだな! ありがとなんだな!」
「僕はシオン……です。よろしく」
「しかし、なんで子供が?
さっきの化け物を倒したのはわかってるから、強いんだろうけど」
「バルフ公爵に言われまして。今回は参加させてもらうことになりました。
レイス――さっきの見えない魔物は、普通の攻撃は当たらないので、僕がいた方がいいかなと思いまして」
「レイスだっけか、あの魔物に触って倒してたな。なんかからくりがあんのかい?」
「まあ、それは後々……」
「何があるにしても、今は信じるしかないんだな。
本当に見えない魔物はいたんだな」
二人はレイスを見ている。
だったら二人が報告してくれれば、他の兵士達も信じるのでは。
「あの、レイスのことは報告してくれました?」
「した。けど信じてくれなかった」
「僕達、第七十五親衛騎士隊は見下されてるんだな。
騎士隊は七十四隊まで、と言われてたりもするんだな……」
「雑用係だからな」
二人は苦虫を噛み潰したような顔をした。
事前に、少しは聞いていたけど第七十五親衛騎士隊は損な役回りをしているようだ。
しかし部下の報告を無視するとは。
バルフ公爵と同じことを言っているのに。
信じないだけでなく、調べも警戒もしないとは。
上官としては簡単に情報を鵜呑みにできないかもしれないが、それにしてもこれは酷い。
この防衛部隊にはあまり期待はできないかもしれない。
少なくとも今の段階では。
「あの、他の隊員は?」
「いない。元々は十人いたのだが、今はこの三人だけだ。
そして、先日な! 私が! この私が! 隊長に昇進したぞ!
がはは! どうだシオン! すごいだろう! 褒めろ褒めろ! 私を褒めろ!」
自慢げに笑っているラフィーナだったけど、ヒューイとデーブの顔は引きつっている。
ヒューイが僕に耳打ちする。
「他の七人は除隊したんだ。大半は、こんな隊にいられないって言ってな。
隊長は胃痛で倒れて、除隊した。俺とデーブが隊長なんてやりたくないっていたら、ラフィーナが率先して隊長になるって言いだしてな」
「本人は幸せそうだから、言わないでくれると嬉しいんだな」
僕達三人は何とも言えない気持ちになり、生暖かい視線をラフィーナに向けた。
と。
「静まれ! これより各隊へ指示を与える!」
ローンドが、しゃがれた声を張り上げる。
一応は静まりかえったが、僅かに小声が聞こえた。
本当に学生みたいだな。
「第一から第十五親衛騎士隊は東地区全体を。第十六から第三十までは中央、第三十一から第四十五までは西、第四十六から五十までは東防壁、第五一から第五十五までは北防壁、第五十六から第六十までは西防壁、第六十一から第六十五までは南防壁。
第六十六から第七十四までは各倉庫で雷光灯を受け取り、各部隊へ支給しろ。
雷光灯を受け取った隊は各担当場所へ移動し、巡回、目標を見つけた場合は即時、排除しろ。
以上だ。迅速に動け。二時間ほどで問題なければ撤収する!」
ため息が漏れる中、最後の一言が彼等の気持ちを何とか動かしたようだ。
朝まで、ではないらしいとわかったのは大きかったのだろうか。
ぞろぞろと部隊が動く中、ラフィーナはローンドの下へ走り寄る。
「ローンド部隊長! 私達第七十五親衛騎士隊はどこへ参ればよろしいでしょうか!?」
忌々しげにラフィーナを睨むローンド。
しかしラフィーナはそんなことを気にした風もなく、自信満々な笑みを浮かべている。
この娘、本当に肝が据わっているというか、すごい神経だな。
褒めてるんだよ。本当に。
「貴様らは好きにしろ。帰宅して寝ていても構わんぞ?」
「いえ! このような事態で休んでなぞいられません!
粉骨砕身、すべてを以て、解決にあたりましょう!」
ビシッと敬礼するラフィーナを前に、ローンドは舌打ちをして立ち去っていった。
あいつ僕達に命令違反をさせるつもりであんなことを言ったのだろうか。
もしもローンドの言葉を真に受けて帰宅しようものなら、命令違反、職務放棄とみなされて、解雇されそうだ。
ローンドが言っていたと僕達が答えても、彼は決して肯定しないし、誰も僕達の言葉を信じないだろうし。
まあ、ラフィーナは気づいてもいないだろうけど。
「よし! では行くぞ! 三人共!」
「い、いや隊長。行くにしてもどこに行くんで?」
「四人でできることも限られてるんだな。支援するにしても邪魔になると思うんだな」
「むっ、確かにその通りだな! どうしような!?」
ラフィーナはこれは本当に困ったとばかりに首を傾げる。
やはり何も考えていなかったようだ。
やれやれ、ここは僕がどうにかするしかないようだ。
すでにこれ以上ないほどの回答を僕は出している。
僕はしたり顔で三人に言った。
「よし、走ろう!」
ラフィーナは首を傾げ、残りの二人は何言ってんだこいつ、というような顔をしていた。
「走る? どこに向かうつもりだ?」
「走りながら説明するよ。三人は騎士の訓練をしているだろうし、体力はあるよね?
ということで行こう! 時間がないし!」
「そうか! よし! わかった! じゃあ、おまえら行くぞ!」
「え? お、おう!? マジで走るのか!?」
「わ、わかったんだな!? 走るの苦手だけど頑張るんだな!」
そして僕達は走り出した。






