経過報告 11日目
対面に座るバルフ公爵の表情は硬い。
無言であれば威厳ある公爵そのものなのだけど。
「はあああああ、もうやってられないのぉ……もう誰かやってくれんかね……」
情けない言葉を吐きつつこれ見よがしなため息を漏らすバルフ公爵。
直接会うのは二度目だけど、インパクトが強すぎて忘れられない人だ。
怠惰病集団発症から十一日目。
バルフ公爵と初めて顔を合わせてから丁度一週間。
僕と父さんは報告のために、公爵家に足を運んでいた。
以前と同様の客間。
そこで僕と父さんはバルフ公爵に報告をしているところだった。
「――という感じです。怠惰病治療に関して、少しは進んだかと思います。
特にエッテントラウトの魔力反応の結果は大きかったかと」
結局トラウトは魔力に反応して炭化はしなかった。
これは大きな発見だと思う。
「うんうん、それはありがたい。シオンは優秀だの!
シオンに任せてよかったと思う。さすが儂!
しかし医学界は結構複雑でな、簡単に手を出せんのだ。
特殊な力を持っておるからの。商業ギルド同様に医学界はありがたくも頭の痛い存在なのだよ。
ああ、もうやだやだ……ってことでの、今のままやってくれんかね」
これはつまりこっち側からできることはこれが限界だよ、ということらしい。
僕のイメージでは領地の人間に命令をすることなんて簡単だと思っていたけど。
そういうものでもないのか。
僕が内情を知ることはなさそうだ。
軽度の怠惰病患者をアルフォンス医師の診療所へ転院させて欲しかったんだけど、無理ならしょうがないか。
「わかりました。ではこのまま続けます」
「うんむ! いやはや医師達からは進捗報告がほとんどなくての。
聞いたこともない薬草を投与したり、治療方法を試したりしたら少しばかり体調が良くなったなどという報告はごまんとあるんだがね」
「それは進捗があるということではないんですか?」
「ないのぅ。何もしてない、何の進捗もないと報告したくないだけだのぅ。
医師達はプライドが高いからの。まったく面倒だと思わんかね。
大事なのは問題を解決すること……そして現状維持すること!
何も問題なく、平和に暮らせればそれでいいじゃない! ね!?」
ね! ね! みたいに僕に視線を投げかけてくる。
優秀なのかダメな人なのかわからないな、この人。
でも考えは賛同できる。
「はい。僕も怠惰病を治せるように尽力します」
「いいね! ガウェイン殿の息子は優秀だの。十歳とは思えんくらいに」
「……恐縮です」
がははと豪快に笑うバルフ公爵に対して、父さんは慇懃に首を垂れる。
反応は上々のようだ。
この人、なんか話しやすいというか、素を出してしまうというか。
人との距離感が近いんだよね。
公爵ってもっと偉そうな印象があったんだけどな。
「怠惰病に関しては以上です。
魔物に関しては、イストリア近辺で強力な魔物がぽつぽつ現れています。
それ以外には特に異常はないと思います。夜の赤い光も十日ほど前から一度も現れていませんし」
「ふむぅ……やはり、そうか」
バルフ公爵は顎髭を弄りながら答える。
「やはりとは?」
「昨日、サノストリアへ送った伝令が戻ってきたのだ。
どうやら王都の方でも怠惰病患者が大量に発症したらしい。それは近隣諸国も同じだった。
しかし、レイスのような魔物や見えない魔物に攻撃されたという報告はなかったそうだ」
「イストリアだけの現象、ということですか?」
「今のところはそうだの。世界中には同じような現象が起こった場所もあるかもしれん。
しかし、今のところはイストリアだけ。
しかも初日以降は一度も同じような現象は起こっておらんのだ。
まだ『一応』は雷光灯を持たせて歩かせてはおるがな、少しずつ不満が出ている。
雷光灯は便利だが脆く、持ち歩くには気を遣う。
松明やランプの方が扱いなれている者が多いからの」
雷光灯はレイス対策のために配布された。
それが効果的ではない、あるいは対策が必要な魔物がいないとなれば、全くの無駄になる。
雨の中では松明は使えないが、雷光灯はケースがあるため問題なく光源として利用できる。
そういう利点はあるが、扱いづらいという意見が出るのもわからなくはない。
元々、据え置くために作ったものだし。
「ですが次にレイスが現れた時、一方的に殺されてしまいます。
杞憂でしたらまだいいですが、備えをせずに襲撃され、殺されては元も子もないのでは」
「う、うむぅ、わかってはいるのだが証拠がそなた達二人の意見と、見えない何かに攻撃されたということだけではな。
何かに攻撃された、というのも最初は魔物仕業かもと考えるだろうが、次第に別の理由だったのではないかと考え始めるもの。
雷光灯を持たせ続けるのも、難しくなるやもしれん」
僕がジト目を送ると、ものすごい勢いで目を逸らした。
あ、この人、誤魔化そうとしてるな。
しかし公爵の話もわかる。
僕達の証言や原因不明の怪我だけで、雷光灯を持たせるのは厳しいだろう。
哨戒兵、門衛、騎士。
彼等には仕事があり、毎日続けなければならない。
そんな中で、無駄な業務はできるだけ排除したいと考える。
「それと、強い魔物が増えているというのは以前から言われていた。
先の一件前からのことだからの、その事実により雷光灯の必要性を説くのは難しいだろうの」
「となると、雷光灯は」
「今のところは何とか持たせておる。ただ数週間が限界だろうの。
お主らの言葉を疑うわけじゃないが、しょうがない部分ではある。
…………本当に疑ってないからの!」
明らかに疑っている。
しかしここで憤って、意見を通そうとしても無意味だ。
そもそも下級貴族の息子でしかない僕が公爵に御目通りして貰えているだけでありがたい。
僕の力じゃなく、父さんの紹介によるものだけど。
父さんって、何者なんだろう。
なんで公爵と伝手があるんだろう。
それにどうして僕の話をしていたんだろう。
公爵もなぜそれを信じ、受け入れていたんだろうか。
…………とにかく。
レイスのことは気になる。
あれ以降、出現していないこともおかしい。
絶対にまた現れるはずだ。
対策はわかっているのに、また元通りの手法に戻ってしまうと危険だ。
しかし問題が起きてない内に、問題になると叫んでも誰も信じない。
先の一件、見えない敵に攻撃されたという話も、いずれ噂となり、虚言と判断され、そして何事もなかったかのように日々が過ぎ去る。
そうなったらおしまいだ。
備えなければ人は弱い。知恵と道具と技術が人間の強みなのだから。
「……できるだけ、少しでもいいので雷光灯を持たすようにしてください」
「うむ。できるだけはしておこう。できるだけはの」
確約はしないぞ、ということか。
当然だろう。バルフ公爵は単純に僕達の忠告を聞いてくれただけに過ぎない。
それなのにここまで対応し、助力してくれていることがおかしいくらいだ。
「バルフ卿。サノストリアの方では対策をしておりますか?」
「……いやあちらではしておらん。見えない魔物による被害者がおらんからの。
儂も、どうやら雷光灯により姿が見えたらしい、などという出所不明の発言を元に、雷光灯を持たせるには手回しが必要だったからの。
怠惰病に関してはイストリアと変わらん。
あっちの方が、医師達の内輪もめが苛烈化しておるらしいがの。
村の方は、どうしておる?」
「雷光灯を絶やさぬようにしております。今後、問題がなくとも慣習としていくつもりです。
村々では光源が少なく、危険ですから丁度いいですので」
「イストリアほど広いと難しいがの……雷光灯はシオンが作ったと聞いた。
そっちを作ることはできるのか?」
僕は少しだけ考えて答える。
「できます。ですが雷鉱石の加工はそれなりに時間がかかります。
魔法が必要なのは着火工程だけですので、僕はそんなに時間は取られませんが。
え、えーと……鍛冶に明るい人がいれば可能かと思いです」
グラストさんのことを教えるべきか迷ったけど、僕は何も言わなかった。
父さんが公爵に雷鉱石のことを話しているのなら、必要であればグラストさんのことを話しているだろう。
「ふむ……生産させるべきか。商人ギルドへの流通制限も後を考えれば愚策。
シオンに負担がかからないのであれば、王都や他国へと輸出を考えて、生産ラインを構築すべきかの。
うむ、では一工程部分にはシオンは参加してもらおう。
それ以外の部分はこちらに任せて構わんからの。他に問題は?」
「ありません」
「よし、では引き続きよろしく頼む。うん、ほんっとに頼むからの! シオンが頼りだからの!
このままイストリア住民が全員怠惰病になったりしたら、もう終わりだからの!
頼むぞ! 頼んだからの!」
バルフ公爵が立ち上がり、僕の肩を掴んで揺らした。
それはもう必死の形相だった。
僕は一も二もなくただ「わかりました、わかりました!」と答えるしかなかった。
一進一退。
怠惰病治療に関しては少し進み、魔物対策に関しては下がった気がする。
それでも継続するしかない。
僕にできることは多くはないのだからだ。






