焦るな
夕方前、僕はグラストさんの家に戻った。
いつもは鍛冶場から鉄を打つ音、炭や木のすえたニオイがしたのに。
閑寂で動きのない空気がただそこに充満している。
一階には誰もおらず、僕が足を踏み入れても迎えの声はない。
グラストさんは別店に引っ越し中。
時折姉さんや僕達の様子を見に来てくれるし、たまに姉さんの看病をしてくれる。
グラストさんにも生活があるのにありがたい。
僕は二階に上って、部屋に入った。
「あら、おかえりシオンちゃん」
母さんはベッドに寝ている姉さんの横で世話をしていた。
ずっと椅子に座り、傍にいたようだ。
やはり疲れがあるようで、笑顔に力がないし、目の下にはクマができている。
僕や父さんがいない間、ずっと姉さんの世話をしてるんだ。
そうなって当然だし、その心労は理解できる。
父さんは領主だ。領民の世話をする必要があるし、長い間、留守はできない。
そのため二、三日に一度こちらへ来て、また村へ帰るということを繰り返している。
大きな問題は赤い光のカーテンが出たあの日から、出現するようになった夜の魔物、レイス。
そして昨今、魔物の行動が活性化しており、数が増えている。
そのため戦える上に、すぐに指示ができる父さんの存在は大きい。
イストリアでは比較的安全だけど、村の方は自分達で対策を練らなければ危険だ。
衛兵なんて存在はいないし、地方領主である父さんには私兵がいない。
何が起きても基本的には村の人間で対処し、手に余る問題が起きた場合は、イストリア領主であるバルフ公爵に救援要請しなければならない。
自治地区であり、父さんがいなければ、村人達は不安に駆られ、魔物が出れば下手をすれば殺される人が出るだろう。
元々、父さんはそんなことを想定し、村人達に自立を促すために色々なことを任せて、独自な仕事を与えたり労働環境を作ったりしていた。
だからと言って、父さんがいなくても回るというわけでもない。
僕と母さん、姉さんがイストリアへ一時的に移住すれば特に、村人達は困る。
そんな理由から父さんは僕達のことを心配しつつも村に戻り、村人達の世話、領主としての仕事をしている。
そして数日に一度、数時間かけてイストリアに来て、また舞い戻り仕事。
大変だと思う。
母さんも同じだ。
辛いだろうに表情に出さないようにして、僕に心配をかけないようにしてくれている。
そして、
「大丈夫? 辛かったら、休んでいいのよ」
と言うのだ。
自分は大丈夫だと言わんばかりに笑顔を浮かべて。
僕はそんな母さんと父さんを見ると、胸が締め付けられた。
「ううん、全然疲れてないから。母さん、長いこと休んでないでしょ?
寝ていいよ。夕飯時になったら起こすから」
「でも……」
「僕は夜、十分寝たし、合間に休憩したりしてるから。大丈夫。寝て」
「…わかったわ。ごめんね、シオン」
「謝らないでよ。誰も悪くないんだから」
「そう、ね。誰も悪くない。誰のせいでもないのよね」
母さんはちらっと姉さんを見ると、悲しげに目を細める。
しかしそれも一瞬で、母さんはすぐに笑顔を浮かべた。
「それじゃ、お願いね。さっき身体を動かしたらしばらくは大丈夫。
食事もさせたし……身体も拭いたから、二時間くらいしたら身体を動かしてあげて。
それとお母さん、隣の部屋で寝てるから、何かあったら起こしてね」
「うん。わかってるよ。安心して休んで」
母さんは笑顔を作っていたが、やがてその表情が歪む。
今にも泣きそうなほどに悲しげに。
そのままに母さんは僕を抱きしめた。
「ごめん、ごめんなさいね……シオン。あなたにばかり苦労をかけて。
あなたはまだ子供なのに、こんなに頼って、ごめんね。
もっと自由に生きてもらいたいのに……こんな」
母さんの身体は少し震えていた。
親の立場はわからない。
でも大人の気持ちはわかる。
子供に頼ること。子供に苦労を掛けること。子供が不幸になること。
それを真っ当な大人は嫌う。
かわいそうだと、憐れだと、申し訳ないと思う。
僕も逆の立場ならそう思うだろう。
僕は落ち着いた心のままに、母さんの背中をぽんぽんと叩いた。
「僕はまったく辛くないし、苦労なんてしてないよ。本当だ。
気を遣ってるわけでもない。ただ自分にできるのなら頑張りたいだけなんだ。
姉さんの母さんの父さんのためなら、僕は何でもしたいから。
……大丈夫。全部上手くいくから。大丈夫だよ。母さん」
子供をあやすように穏やかにゆっくりと語りかける。
そんなことをすれば母さんの心をかき乱すかもしれない。
不安を抱きつつも、僕にできることはそれしかなかった。
数秒を経て、やんわりと身体を離した母さんの顔は泣いてはいなかった。
「ありがとう、シオンちゃん……」
母さんは自分を卑下しない。
親が子供の前で自虐的になれば、子供が余計に傷つくことを知っているからだ。
だから母さんはそれ以上、何も言わずに僕の頬に触れた後、部屋を出た。
母さんの背中はいつもよりも小さく見えた。
親の弱った姿ほど、胸を締め付けるものはないと、僕はその時、初めて気づいた。
僕は椅子に座り、姉さんの顔を眺める。
「僕が絶対に助けるから、安心してね。姉さん」
彼女は反応を見せない。
手に触れても冷たい体温が返ってくるだけ。
うっすらと目を開け、天井を見上げるだけ。
彼女の身体には魔力がない。
僕はほんの少しの魔力を手に集めた。
姉さんの手に魔力の光が触れる。
しかし何の反応もなかった。
軽度の怠惰病患者とは違い、今の姉さんには魔力がない。
だからか魔力反応がなかった。
見えないだけか、それともまったく反応がないのか。
どちらにしても魔力10程の接触では、姉さんには効果がなさそうだった。
少しずつ、着実に研究を進め、治療をする。
焦るな。
結果を求めすぎるな。
魔法を開発した時の経験を思い出せ。
渇望しつつも、予断を許すな。
欲しいものがあるなら、近道はないと知れ。
僕は知ってる。
だから同じ道を歩むだけだ。
小さく震え始めた手を強引に抑える。
不安を忘れるしかない。
足を止め、ふとした時に考えてしまう、最悪の未来を振り切る。
そうしないと僕は前に進めないんだから。
●○●○
母さんとの夕食を終えた。
少し長めに寝かせておいたので、遅い夕食となった。
この世界は光源が少なく娯楽がない。
そのため夜になると早い内から就寝する。
以前、僕はこの時間を魔法の鍛錬に使ったりしていたが、大半はそのまま寝るようになっている。
母さんと別れて、僕は客室に移動すると、ベッドに潜り込んだ。
窓を眺める。
そのまま眠たくなるまで目を開けておく。
それはこの五日間で習慣となっている行動だった。
夜の空。
四日の間に、その空が赤く染まることは一度としてなかった。
●○●○
「どらああああっ!」
荒々しい気勢と共に刺突を繰り出すラフィーナ。
彼女の剣戟は凄まじく、視認することさえ困難だ。
しかし彼女の剣閃は攻撃ではなく、回避と受け流しのために生み出されている。
相手はウォーコボルト。
ゴブリンウォーリアー並に強いコボルト種。
体躯の小さいコボルトの中でも、巨躯の戦闘種である。
左右の手には赤く錆びた鉈を握っている。
口からだらしなく唾液を垂らしながら、暴れ回っている。
一撃受ければ致命傷は逃れられない。
だがラフィーナはそのすべての攻撃を避けている。
やはり鎧を着けなくなったことが彼女の俊敏性を高めている。
初日に比べて三日後の今日は、ラフィーナの防具は軽くなっている。
失敗を反省したのかあれ以降、重そうな鎧を着ることはなくなっている。
その代わり、騎士然としているかどうかは微妙なラインだ。
彼女が纏っているコートは、騎士へ配給されたものに違いない。
そのおかげで小奇麗な恰好に見える。
戦いに挑む恰好かと言われれば首を傾げずにはいられない。
式典に参加しそうな格好だ。
それでも華麗に戦う姿には、殺し合いの泥臭さはあまり感じない。
一撃も受けていないからだろう。
そのおかげか、彼女の服には一粒のシミもなかった。
敵はすでに二体しか残っていない。
ラフィーナが相対しているウォーコボルト。
それと僕が戦って『いた』ウォーコボルト。
こっち側はもう終わっている。
「ガルアァ!」
苦悶の悲鳴を発するウォーコボルトは、涎をまき散らす。
僕はそれに構わず、魔物の腕に魔力を流した。
魔物は敵。同情の余地はないが、それでも痛めつけているような気分になり、不快だった。
魔物は高圧の電流のせいでまともに動けないようだった。
動けないようにするためにアクアボルトを与えておいたからだ。
一度では効かなかったので『連続魔法』で三度ほど直撃させた。
さすがの大柄な魔物もこれには抵抗できなかった。
地面に横たわるウォーコボルトの腕を掴み、僕は徐々に魔力を流す。
「10、15、20、25」
感覚的な魔力量を口に出して、その反応をブリジッドに記録させる。
彼女は魔物に詳しいため、明らかな異常や異変にはいち早く気づくはず。
それに彼女の知識があれば何かに気づくかもしれない。
「30、35,40」
叫ぶコボルト、冷静に数字を口にする僕、真剣な表情で魔物を観察するブリジッド、奇声を発しながらもう一体のコボルトと戦うラフィーナ。
傍から見れば異常な状況だろうが僕達は真剣そのものだ。
ちなみにラフィーナがなぜコボルトを倒せていないのかというと、わざと手を抜いているからである。
彼女は相当に強く、僕よりも真っ先にコボルトを倒せるだろう。
しかしそれでは生体実験ができない。
ということで時間稼ぎをしてくれているのだ。
無理をしない程度にと言っておいたのだが、彼女にはまだまだ余裕があるらしい。
「45、50」
コボルトの腕が変色する。
ぶすぶすと煙を上げ、やがて腕は火に燻されたように灰色となった。
「ググルゥア、ガルグゥウゥッ!」
悲鳴。
後に、コボルトの腕が炭化していく。
コボルトはさらさらと消えていく身体の一部を視認する。
それからは一瞬。
腕の付け根まで侵食した魔力は、そのままコボルトの半身を蝕む。
そのまま絶命すると、コボルトは地に伏した。
身体の半分を残し異臭を発していた。
臓腑から込み上がる血なまぐささが鼻をつく。
しかし僕とブリジッドは意に介さない。
「50か。普通のコボルトやゴブリンは30くらいだったから、やっぱり強さによって必要魔力量が違うみたいだね」
「……うん。それに魔力を……接触か注ぐかすると……少量でも火傷を負うみたいに、皮膚が炭化していく……みたい。
まったく同じ症状……じゃないけど……。
シオンの言う通り……『浄化』みたいな……感じ?」
「人に対しての反応と違う、かもしれないね」
「……もう少し多めの魔力を……人に試せばわかるかも……だけど」
「怪我を負わせる可能性は高いからね」
魔物相手とは違う。
人間相手に強い魔力を与えた場合、同じ症状が出るとは限らないのだ。
もしも20ほどの魔力を与えて、触れた部分が魔力に浸食され、腐り落ちたりしたら。
あり得ない話ではない。
そう考えると人間と魔物では魔力反応は違うのだから、無意味なのではないかと思うかもしれない。
しかしモルモット実験があるように、できるだけ近い存在で実験するのは必要なことだ。
もちろん人間を治療するなら人体実験する方が確実に研究は進むだろう。
だがそんなことをできるはずもない。
そういうことならば安全性をできるだけ確かめるべきだ。
軽度の怠惰病患者に対して魔力反応をさせたけど、あの時の魔力量は10。
つまり姉さんが問題なかった量に留めている。
いつかは人で試さないといけない。
しかしその前に確かめられることはできるだけ確かめないといけない。
失敗確率を少なく、成功確率を高くするために。
「とりあえず、後は根拠とできるだけの前例を作るだけ、かな」
「……一杯、試すって、こと……だね。同じだとは……思うけど……」
「できることはしておかないと。不安要素は潰しておきたい」
石橋は叩きすぎれば壊れる。
問題はどこまで叩くか、だ。
僕にとってはその『どこまで』は時間にあたる。
調べ過ぎれば、もしかしたら間に合わないかもしれない。
怠惰病に罹った人間はまだ少ない。
発症して数ヶ月の新たな病なのだ。
つまりこれから容態が急変する可能性もあるし、今の状態が続くとは限らない。
だから悠長にしている暇はない。しかし焦ると危険。
その間を常に行ったり来たりしている。
大事なのは把握すること。
状況をきちんと理解し、最悪と最高とその中間の状況を想定し続ける。
考え続け、動き続け、自分のできることを全力でこなす。
それが僕に与えられた使命であり、僕の願いを叶えるための唯一の手段だ。
「おい! そっちで悠長に話してるんじゃない! もう倒していいのか!?」
「あ、ごめん。倒して」
多少の申し訳なさしかないのは、ラフィーナの強さを理解しているからだ。
彼女は強い。ちょっとバカっぽいけど、強さは間違いない。
手伝ってくれる人をバカにするべきじゃないな。
ラフィーナにもブリジッドにもコールにも、手伝ってくれているみんなにも感謝しないと。
ラフィーナは見事な一撃でコボルトを倒した。
剣を納めると喜色満面でこちらに歩み寄ってきた。
「ふふん、どうだ。これが私の、ぎにゃっ!?」
こけた。
それは見事にこけた。
足元を見ると、何もなかった。
木の葉が地面に敷かれているだけだ。
足を引っ掻ける場所はなかったんだけど。
僕とブリジッドは手助けもせず、その場でラフィーナを眺めていた。
薄情と思うだろうか。
しかしこの状況はすでに五回目である。
最初は助けていたけれど、さすがにもう助けようとは思わない。
ラフィーナは何事もなかったかのように立ち上がり、黙したまま身体についた土を払うと、腰に手を当てた。
「ふ、ふふん! まったく、コボルトの罠がこんなところにもあるとはな!
彼奴等、中々に頭が回る! おまえ達も気を付けるのだぞ!」
誤魔化すのが下手すぎるが、僕達は何も言わない。
何を言っても無駄だからだ。
足元に何もないと言っても「見えなくなっているだと!? 奇怪な罠だ!」とか「良く見ろ、ここにあるではないか、ほら、この石!」とか言いながら小石を見せてくる。
コールと違い、ラフィーナは思い込みが激しく、説明したり、筋が通っていることを言ったりしても聞く耳を持たないのだ。
だから面倒なので放置することにした。
「さあ! 行くぞ! 次こそは、罠にかからず完勝して見せよう!」
大股で先を進む。
「変な人……」
ブリジッドの呟きに「君もね」と言いかけて、僕は口をつぐんだ。
おかしな人達だけど協力をしてくれているし、悪い人達ではない。
できればもう少しまともな人がよかったんだけど、贅沢を言ってはいられない。
なんだか姉さんからツッコミをされそうな感じがしたけど。
きっと気のせいだよね。
先行く二人の背中を見て、僕は小さく頷いた。
このまま続けていれば必ず、道は開ける。
そう信じて二人の後に続いた。






