表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/198

怠惰病

 外には、豪雨と雷が絶え間なく注がれていた。 

 僕はベッドに横たわり微動だにしない姉を見て、放心状態になる。


「領主様へ使いの者を出しましたんで。すぐにいらっしゃるかと」

「あ、は、はい、ありがとうございます」


 白髪で妙に鋭い眼光を放っている老人、彼はこの村の村長テッドさんだ。

 ローズの父親の割にはかなり高齢だけど、他人の事情に口を挟むつもりはない。

 そんなことよりも僕の頭の中には姉さんのことで一杯だった。

 見た目、何か異常があるようには思えない。

 ただ寝ているだけ、と言われたら信じてしまうくらいに落ち着いている。


「姉さん……一体、どうしたんだ」


 僕はマリーの手を握る、顔をこわばらせた。

 現代のように医者がそこら中にいるわけじゃない。

 医師はとても希少で、大きな街にもそんなに多くはいない。

 当然、こんな寂れた村にいるはずもない。

 外は嵐になっていた。

 その上、すでに日は落ちている。

 夜は魔物が凶暴になり、外出は極力控えるというのがこの世界の常識だ。

 つまり今からイストリアへ向かい医者を呼ぶのは非常に危険ということ。

 少なくとも現時点ではイストリアへ行くという判断はできない。

 焦燥感が僕を苛んだ。

 今すぐにでもイストリアへ行きたいと思ってしまった。

 とにかく姉さんは一刻を争うほどに危険な状態なのか、そうじゃないのか。

 それがわかれば少しは安心できるのだが。

 部屋の中には僕、マリー、ローズ、マロン、レッドがいる。

 マロンとレッドは心配そうに僕達を見ていた。

 対してローズは表情を歪ませて、マリーを観察している。

 と、マリーがゆっくりと目を開けた。

 僕は反射的にマリーに声をかける。


「姉さん! 姉さん、大丈夫!?」


 喉が思うように動かない。

 声は上擦って、自分の声ではないようだった。

 姉さんはうっすらと目を開けて、天井を見上げている。

 僕の声に反応する様子はない。

 僕を見もしない。

 返答もない。


「ど、どうしたの? 姉さん」


 じっと天井を見て、ぼんやりとしているだけだった。

 意識はある。

 でも心はここにないかのように。

 僕は激しい動揺を抱きつつも、姉さんに声をかけ続けた。

 しかし結果は変わらなかった。

 一体、どうしたんだ。

 僕がただただ狼狽えていた時、ローズは僕の隣に移動して、マリーの顔を覗きこんだ。


「怠惰病、かもしれないですわ」

「怠惰病……?」

「さっき途中まで話しましたわよね。流行り病が蔓延していると。

 その病こそが怠惰病なのです。突然糸が切れたように無気力になり、何もしなくなる。

 意識はあるのに反応がなく、ただぼーっとしてしまう病気ですわ」

「そ、それに姉さんが罹ってる?」

「わかりません。ですが症状は似ている気がします。

 怠惰病は最近見つかった……流行っている病ですわ。

 身体に大きな異常は見られないらしく、命に別状はないかもしれませんが」

「す、すぐに医者に見せた方がいいのかな?」

「どうでしょう……。

 怠惰病に関しては不明な点が多いらしいですし、私も詳しくはありませんから。

 早めに見せた方が、もしかしたら回復の糸口が見えるかもしれませんし、そうじゃないかもしれませんわ」


 怠惰病。

 名前通り、無気力になり何もしなくなる病気。

 今の姉さんはその名の通り、ただ天井を見上げているだけ。

 まるで別人だ。

 さっきまで明るい笑顔を見せていたのに。

 これでは感情のない人形のようだ。

 声をかけても手を握っても、揺すっても姉さんは僕を見ようともしない。


「な、治るの?」

「……少なくとも、私が聞いた限りでは回復したという例は知りませんわ。

 原因も不明ですし、何もわからない、と」


 嘘だ。

 それじゃ不治の病だってことじゃないか。

 姉さんがこのまま?

 死ぬまで?


 優しい顔も。

 困ったような顔も。

 拗ねるような顔も。

 怒った時の顔も。

 恥ずかしそうにする顔も。

 嬉しそうに笑う顔も。


 もう見られないということ?

 話せもしないって?

 嘘だろ。

 嘘だ。

 こんなのは信じられるはずがない。

 だってさっきまでいつも通りにしていたんだ。

 いつも通りに、笑顔で、楽しそうに。

 それなのに、どうして。

 姉さんがどうしてこんなことに。

 不幸は誰にでも突然やってくる。

 そんな言葉を何度も耳にしても、僕には関係ないと心の底では思っていた。

 だから何かがあった時、誰しもが思う。

 どうして自分が家族が友人が恋人がこんな目に。

 その現実が押し寄せ、僕は無理やりに理解させられてしまう。

 これほどに理不尽なことはないと。

 ああ、僕も知っているじゃないか。

 何もしていないのに、何も予兆はなかったのに、突然死んでしまった過去があるのだから。

 死は、時間は平等だって?

 違う。

 世界は理不尽でできている。

 正しく生きていても若くして死ぬ人間もいる中で、悪行の限りをつくしても長生きする輩もいる。

 そんな不平等の上に成り立っている。

 それを僕は知っていたはずなのに。


 冷たい。

 姉さんの身体は冷たく、体温をほとんど感じなかった。

 雨に濡れたからじゃない。

 雨を拭いて、こうして手を握っているのに、触れている部分さえ冷たいのだ。

 これでは本当に人形のようだ。

 僕は強く姉さんの手を握る。

 体温を少しでも感じようと強く。

 そうしていると、玄関からけたたましい音が聞こえた。

 ドカドカと足音が響き、僕達がいる部屋へ入ってきた。


「シオン! マリーはどうした!?」

「シオンちゃん! マリーちゃん!」


 母さんと父さん、それと数人の村人達が立っていた。

 僕は両親が来てくれたことで、安堵感を抱いた。

 父さんと母さんは僕の隣に来て、すぐにマリーの顔を見た。


「……これは、怠惰病か」

「街で流行ってる病のことね……マリーちゃんが、どうして……」

「わからん。原因不明の病だ。命に別状はないだろうが、悠長にしていいわけでもない。

 早い内に医者に見せた方がいいかもしれん。エマ、マリーの服を」

「は、はい」


 母さんは鞄から姉さんの外套を取り出して、姉さんに着せた。

 父さんも母さんも外套を羽織っている。

 雨避けのためだろう。


「私はマリーを連れ、急ぎイストリアへ向かう。

 シオンはエマと共に家に戻りなさい」

「ま、待ってよ、父さん! 僕も行く!」

「わがままを言わないでくれ。シオン。おまえは聞き分けがある子だ。

 状況を見れば、自分がすべきことはわかるはずだ。

 夜の移動は危険を伴う。魔物が活発化する道中は、腕の立つ戦士でも命を落とすこともある」


 確かに父さんの言うとおりだ。

 それは僕も理解している。

 だから今まで、夜に外を出歩いたことは一度もない。


「シオンちゃん……明日、朝になったらお母さんと一緒にイストリアへ行きましょう」


 母さんが僕の肩にそっと触れた。

 その優しさに甘えたくなる気持ちを抑え、僕は一歩前に踏み出る。


「わがままじゃないよ。父さんは一人で姉さんを抱えてイストリアへ行く気でしょ。

 父さんが強いのは知ってる。

 でも一人で、姉さんを守りつつ馬を走らせて、イストリアへ行くのはとても危険だよ。

 魔物が襲ってきたら? 本当に大丈夫だって言える?

 父さん一人なら大丈夫かもしれないけど、姉さんも馬も守りながら戦うんだ。

 父さんだけじゃなく、姉さんも危険な目に合わせるかもしれない」


 僕はできるだけ頭を冷静に保ちながら、言葉を紡いだ。

 姉さんと離れたくないという思いもあった。

 でもそれ以上に姉さんを助けるために最善を尽くすという意思の方が強い。

 父さん一人ではできることが限られている。

 馬が倒されれば移動するのに時間がかかるし、無駄に時間を費やす。

 当然姉さんを守らないといけないし、馬上では魔物に襲われた場合対処しにくい。

 誰か護衛が必要だ。

 この村で戦える人間は父さん、マリー、そして僕だけだ。

 他の大人の中で、魔物を倒した経験がある人間がいても、それは大人数で囲んで駆除しただけ。

 正しく魔物討伐をしたことがある人は僕達以外にはいないはずだ。


「……シオン、おまえは」

「僕は子供だよ。でもできることはある。

 それに馬での移動なら、僕がいた方がいいんじゃないかな?」


 魔法使いなのだから。

 父さんは剣以外の武器も扱える。

 しかし剣ほどの腕前ではないし、何より姉さんを抱え、馬を操作しつつ扱える武器は少ない。

 その点、僕は魔法が使える。

 遠距離攻撃が得意で、一応は近距離魔法も使えるので臨機応変に対処できる。

 それを父さんはわかっているはずだ。

 父さんは僕の目をじっと見つめ、そして諦めるように嘆息した。


「わかった。エマ。シオンに外套を」

「…………ええ」


 母さんは何か言いたげだったが、ぐっと堪えたらしい。

 心配そうにしていることはわかったので、胸が痛かった。

 姉さんがこんな状態なのに、僕まで何かあったら。

 そう考えたのだろう。

 でも今回ばかりは僕の考えは正しいと、僕は確信している。

 僕は母さんから外套を受け取ると羽織った。


「テッド。馬をシオンに貸してやってくれ」

「へい、わかりました。すぐに用意しますんで」


 村長さんが慌てた様子で馬小屋に向かうと、父さんは姉さんを抱え上げる。

 そして、そのまま部屋を出ると僕に振り返った。


「行くぞ。イストリアまで気を抜くなよ」

「うん。わかった」


 父さんの顔は寂しげで、どこか達観しているようだった。

 僕の言動が父さんの重荷になったのだろうか。

 でもそれならばきちんと断れるはず。

 だったらどうしてそんな顔を。

 そんな疑問は村長であるテッドさんの呼び声で霧散した。

 どうやら馬が用意できたようだ。


「シ、シオン、気を付けてな……」


 レッド、マロン、ローズからの気遣いを感じる。

 大丈夫とは言えない。

 だから僕に言える言葉は一つしかなかった。


「行ってくるよ」


 声は少しだけ震えていた。

 恐怖ではない。

 ただただ姉が、無事なのかという不安に襲われ続けた。

 その恐ろしい邪念を振り払うように、僕は足を踏み出した。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コミック版『マジック・メイカー -異世界魔法の作り方- 2』発売中です!
html>
公式サイトはこちら

書籍版『マジック・メイカー -異世界魔法の作り方- 1』発売中です!
j88wcdw1cv9pyfhldba5kdi5hoj_y1p_ci_hs_9ufx.jpg;
公式サイトはこちら
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ