試合
僕は庭の端に移動して、二人の戦いを見守ることにする。
見慣れた光景だ。
最初の頃、僕は剣術の稽古をしないため、常に走って、筋力トレーニングをするだけだった。
それが功を奏して、今は体力が十分にあるし、瞬発力もある。
まさかこんな風に戦うことになるとは思ってみなかったけど。
人間、色々とやっておくと、後々役に立つっていうのは本当だな。
とにかく、そのおかげで今の自分がある。
それは姉さんも同じで、彼女はずっとたゆまぬ鍛錬を続けていた。
その結果が今なのだろうけど。
僕は固唾を飲んで見守る。
双方、木剣を握り、流麗に構える。
と。
転瞬、数メートルの距離が詰まる。
瞬きさえ許さない互いの身体能力。
木剣が生み出したとは思えないような轟音が辺りに響く。
ちなみに姉さんの木剣はすでに二十代目だ。
それほど、彼女の膂力に耐えきれないのだ。
剣戟は絶え間なく聞こえた。
毎回、僕は二人の試合を見物している。
だから何とか目で追えるが、常人には彼等が何をしているか正確に把握できないだろう。
僕は十歳、姉さんは十二歳。
忘れてはならない。
僕達はまだ子供で、まだ身体ができていない。
なのに。
「むっ?」
姉さんの剣速は父さんを凌駕している。
それを父さんはすべて受けている。
これがまずおかしなことだ。
圧倒的な実力差があれば、弾くなり、いなすなり、避けるなり、受け流すなりする。
そしてその後、相手はバランスを崩し、その隙を狙い一手を繰り出し、倒す。
これが基本的な剣術の流れだ。
もちろん泥臭くすべてを受け、力任せに攻撃を繰り出すこともある。
剣術の基本は相手の攻撃を受けず、こちらの攻撃を当てることだ。
隙を突き、隙を作らない。
つまり父さん程の実力があれば、敢えて受けるという時以外は、いなす方が一般的だ。
だが、父さんはそれをしない。
いやできないのだ。
姉さんの剣閃は明らかに、剣士のそれだった。
僕は、姉さん以外では父さんかグラストさんしか剣士を知らない。
正確には本当の実力を知らない。
僕は魔法使いだから、他の人と一緒に魔物討伐ができないからだ。
父さんとグラストさんの実力は圧倒的なので、姉さんの実力を推し量るのは難しいが。
それでも子供であるマリーがここまでできるのは、普通ではないと思う。
僕の思考とは裏腹に、姉さんの猛攻は続く。
「やあああっ!」
縦横無尽に繰り広げる剣の嵐。
それを父さんはすべてを受けている。
見るに余裕はある。
しかし圧倒的な実力差があると言えるかは微妙だ。
大人と子供、新兵と熟練兵のような大差はないように思えた。
――やっぱりおかしい。
そうおかしいのだ。
幾らなんでもこれはおかしい。
父さんはマリーの攻撃をすべて受け、合間に剣を振るい、また受ける。
それを父さんはひたすらに続けていた。
手加減をしていることは明白だが、あしらっているという感じではない。
と、マリーは突然、その場から跳躍し、父さんに向かって木剣を振り下ろす。
漫画とかではよくジャンプするが、あれは一撃必殺の技で、賭けだ。
避けられれば圧倒的に不利になる。
そして動作が大きいため、まず避けられてしまうのだ。
相手が父さんのように腕利きの剣士ならば余計に。
それを姉さんがわかっていないはずがないのだが。
父さんは瞬時に姉さんの攻撃を半身になり避ける。
ギリギリの回避。
それは父さんのよく見せる回避術だった。
姉さんは着地をする――かに見えたが、何と空中で横に回転し、二撃目を繰り出したのだ。
猫を思わせる身体能力。
通常、空中で二度の攻撃を繰り出すことは可能だ。
だが姉さんの場合、凄まじい点は二つある。
一つは、剣を扱っているということ。
空手で三段蹴りのように、空中で何度も蹴りを繰り出すという技は存在する。
だがそれは回転方向を統一した状態での回し蹴りか、或いは二撃に留まる。
武器を空中で二度繰り出した、と聞くと大概の人間は回転方向が一緒の斬撃か、突きを連想するだろう。
しかし彼女は縦斬りの後に横に回転して横なぎの攻撃を放ったのだ。
途中で軌道変更するなんてことは人間業じゃない。
そして一撃目はフェイントではなく、殺気を込めたれっきとした攻撃だったということ。
その証拠に、父さんの顔は驚愕に満ちていた。
全力で放った攻撃の後、空中で軌道修正し、別方向から二撃目を放った。
この異常さは、一目見ればわかるだろう。
驚きのままに父さんは姉さんの二撃目をすんでのところで躱した。
そして姉さんが着地したと同時に、返す刀で姉さんの肩を打った。
「あうっ!」
苦悶の表情を浮かべ、姉さんは膝を折ると、木剣を地面に落とした。
その時点で姉さんの負けだ。
長い戦いは、一瞬にして決着がついた。
しかし勝者である父さんの表情は硬い。
渋面を浮かべて、姉さんを見下ろしている。
「また負けちゃった……あたし、一回も勝ててないわ。
シオンは結構勝ってるのに……」
悔しそうに顔を歪ませて、マリーは誰に言うでもなく呟いた。
「シオンとでは条件が違う。マリーは剣士だから、同条件での試合だからな。
私に勝つにはまだまだ時間がかかるだろう」
「はぁ……あたしもお父様にはまだまだ及ばないとは思ってるわよ。
でも一回くらい勝ちたいなぁ、って思う」
「焦るな。大丈夫、勝てるようになる。近い内にな」
「そうだといいんだけど」
姉さんは難しい顔をしたまま、視線を落としていた。
落ち込んでいると言うよりは、先程の戦いを思い出して、反省点を挙げているのだろう。
真面目だからなぁ、姉さん。
でもそれくらいじゃないと強くはなれない。
むしろ強くなりすぎだと思うけど。
姉さんが一人で木剣を振り始めている中、父さんは僕の隣に座った。
無言の中、僕と父さんは姉さんを見守る。
さぼっているわけじゃない。
僕の魔力がかなり減っているからだ。
魔力がなくてもできることはあるけど、今はちょっと休憩しておこう。
父さんの横顔を見れば、何かあることはわかった。
しかし父さんは何も言わない。
昔から、父さんは僕と姉さんに稽古をつけてくれた。
だから一番、成長具合を理解しているはずだ。
そして恐らくは僕と同じ疑問を持っている。
「姉さんはどう?」
「……大したものだ。
齢十二にして、一般的な剣士の中でも相当な上位に位置するほどに、腕を上げている」
「それって大人の中で、だよね?」
「大人の、世界中の剣士の中で、だ」
やはりという思いと、まさかという思いが混濁する。
姉さんと僕はシルバーランク。
シルバーランクの子供は、まずいないらしい。
大人でもそんなに多くはなく、それなりに熟練の冒険者や剣士がなれるランクだ。
僕達もそれくらいのレベルに到達しているということ。
だけど僕と姉さんは違う。
僕は魔法を使っている。これは裏ワザのようなもので、子供である僕も戦える理由だ。
みんなが剣や槍で戦っているのに、僕だけはハンドガンや手りゅう弾を持っているようなもの。
根本から条件が違い、圧倒的に僕が有利だ。
だからシルバーになるのもおかしくはない。
でも姉さんは剣士で、武器は剣だけだ。
それなのに大人顔負けの実績を残しているのだ。
姉さんが天才だから、という理由もあるだろう。
努力もしている。
でも才覚があり、努力をして、環境も整っていても、限界がある。
少なくとも大人、しかも相当な腕利きの大人相手に膂力勝負をしかけて、拮抗できるはずがない。
剣技には限界があるし、身体能力も同様だ。
姉さんはそのすべてを明らかに逸脱している。
「……マリーの筋力は大人並だ。その上、身体能力は人間離れしている。
もちろん、私には遠く及ばないが、十二の子供として見れば、すべてがちぐはぐだ」
「努力でどうにかなるレベルを超えてる、ってことだよね」
「ああ。これは私の経験則も踏まえてのことだが、間違いない。
マリーのような剣士は存在しない。神童と呼ばれる者でも、マリーには及ばないだろう。
技や身のこなしは、才能や努力でどうにかなる場合もあるが、筋力はどうにもならん」
「と、なると……」
僕は思考している振りをして、すでに出していた答えを口にした。
「――魔力か魔法のせい、なのかな」
「どうだろうな。可能性はあるかもしれない。
だがシオンは一般的な子供よりも多少優れている程度だ。
別の要因も考えられるし、魔力の用途を考えれば、飛躍した考えのように思う」
魔力は魔力自体では効果がない。
魔力を纏った状態で壁を殴ってしまったことがあったけど、あの時、僕は身体能力が向上してもいなかったし、普通に痛かったはずだ。
魔力にはそういう、筋力を向上する力はないという証拠でもある。
でも魔力や魔法に関しては不明瞭な部分が多い。
一概に大丈夫とも、問題があるとも言えない。
しかし間違いなく、姉さんの状態はおかしい。
「今のところは問題ないんだ。気にする必要はないと思うがな」
父さんは穏やかな笑みを僕に向けた。
その言葉は間違いなく、父さんの本音ではないだろう。
内心では不安だろうし、魔力や魔法が関わっているのではと思っている。
だけどそのせいだと言えば、僕に責任があるということになる。
だから曖昧なままにしたのだろう。
でも父さんからすれば、姉さんの状態は気になるし、一番魔法に詳しい僕に探りを入れたという感じだと思う。
……空気が重いし、話題を変えよう。
「ところで、最近は三人とも、来ないね。もう来ないのかな」
「ああ。マロンとレッドは家の仕事が増えているらしいからな。
十歳を境に与えられる仕事量も増える。剣術の稽古は後回し、という感じだろう。
なに、二人は剣の基本は教えた。また訓練すれば多少は戦えるはずだ」
「ローズは? ローズも来てないよね」
「彼女は、別の意味で立て込んでいるようだ。だが、また来る、と言っていたぞ」
「そう……」
ゴブリン襲撃以来、三人とは距離が開いている。
一度、微妙な距離感ができると、修復するのは難しい場合もある。
ちょっとしたきっかけなのに、疎遠になるなんてことは珍しくもない。
特にマロンとローズは僕がゴブリンを倒したところを見ている。
それを父さんから口止めされているのだから、気まずさは余計に感じているはずだ。
みんなと視線が合うと、微妙な空気になってしまう。
別段喧嘩しているわけでも、嫌っているわけでもないけれど。
それに僕は魔法の研究やらで忙しく、最近は村へ仕事の手伝いに行くことはない。
姉さんも剣術に執心しているから、同じだ。
子供の頃には、村へ手伝いに行く必要があると父さんは考えているようだった。
しかし必然だとは思っていないらしい。
それに最近は別の部分に力を入れていることを知っているため、何も言ってこない。
畑の手伝いよりも、魔物討伐をする方が、村にも町にも有益だからかもしれない。
この村では戦える人が少ないから。
「すまないな。私が村人に口外するなと釘を刺したことで、おまえ達に対して気遣いが生まれてしまった。
以前のように、親しく話せればいいのだが」
「ううん、いいんだ。僕は姉さんと父さん、母さんと、魔法があればいいから」
父さんは苦笑して、僕の頭を撫でる。
「家族や趣味も大事だが、友人も大事だぞ」
「グラストさんみたいに?」
「……そうだな。あいつは軽薄で調子乗りだが、悪い人間ではない。
長い付き合いだが、だからこそ助かる面もあるし、助けられる面もある。
友人を得れば、打算ではなく、心情的にも支えになることもあるはずだ」
「……友達、か」
浅い広い付き合いはあった記憶があるけど、それは生きていく上で必要最低限の付き合いだ。
別に過去を思い出すつもりはないし、悔いることもない。
ただ僕には必要だとは思わないし、必要不必要で得るものでもないだろう。
自然と、そういう関係が築けることがあれば、それでいいだろう。
今は、別にいいかな。
……人見知りだから、あんまり交友関係を広げたくもないし。
そんなことを考えながら、僕は姉さんの横顔を眺める。
その光景を見ているだけで、他の考えはすべて消えてしまった。






