魔物討伐 2
コボルトの生息場所は森の中が多いようだ。
開けた場所に、小規模の集落を築き、そこで数十体単位で住んでいるとか。
僕達はイストリアから西にある森に向かった。
イストリア周辺は平原が広がっているけど、少し離れるといくつも森が茂っている。
魔物の多くは平原よりも、森や洞窟、山岳地帯など、人が寄り付きにくい場所に住んでいる。
人間と魔物は水と油、必然的にそういうことになったのだろうか。
森へ向かう道すがら、父さんから注意事項やコボルトに関しての話を聞くことになった。
ちなみに徒歩だ。
馬で行くと、魔物に襲われてしまい、食われたりするので、近い場合は徒歩が基本らしい。
「まずはコボルトについてだ。
おまえ達はゴブリンのことを覚えているな?」
父さんの言葉に、僕とマリーは同時に頷いた。
マリーの表情は途端に硬くなる。
「知っているかもしれないが、ゴブリンに比べ、コボルトの方が個体の力は低い。
だがその分、コボルトの方が頭が回るし、集団行動をする習性があるため、厄介でもある。
それでもゴブリンに比べれば楽だし、対処のしようがある。
それに冒険者や剣士、傭兵にとっては、一番最初に戦う魔物でもある。
だから、今回コボルトを選んだ、ということだな?」
最後の言葉は、グラストさんに向けて言ったようだ。
グラストさんは返答をせず、肩を竦めるだけだった。
「魔物の中ではかなり弱い部類に入る。だが油断は禁物だ。
それなりに手練れの冒険者でも、コボルトに殺された、なんて話はざらだ。
気を抜けばやられる。相手が何であれ、常に注意を払い、警戒を怠らない。
これが魔物討伐における絶対条件だ」
正直に言えば、僕はあまり危機感を抱いていなかった。
一度、ゴブリンを倒した経験があるからだろうか。
どうにかなるだろうという思いがあったのかもしれない。
けれど、父さんやグラストさんの反応を見ていると、徐々に緊張感が増してきた。
しかし逃げるつもりはない。
僕達が成長するまで、魔物が襲ってこないとも限らないからだ。
だから、恐らく有効であると思われる魔法を習得した現時点で、魔物に効果があるのかどうかを試す必要がある。
ぶっつけ本番で、有効ではないとわかっては意味がない。
これは実験であり、実戦だ。
「コボルトは人間の子供くらいの体格で腕力は大人並だ。
こん棒や斧のような武器を扱い、俊敏性もそれなりに高い。
その上、連携をしてくる。複数いる場合は要注意だ。
だが、一体相手ならば、マリーでも勝てる。冷静に戦えば問題ないはずだ」
マリーはこくりと頷いたが、顔は強張ったままだ。
「なあに、私もグラストもいる。大丈夫。二人に怪我をさせたりはしない」
父さんが自信満々に笑顔を浮かべると、姉さんの肩の力が少し抜けた気がした。
「隊列は、私、マリー、シオン、グラストの順だ。
私が指示を飛ばす。グラストが周囲の状況を把握し、情報を伝えるから、聞き逃さないように。
敵と遭遇したら、私が先陣を切る。相手から襲ってきたら、個々に対処するように。
マリーとシオンは私かグラストの傍にいるように。いいな?」
「「は、はい」」
父さんとグラストさんはリラックスした様子で、かなり頼もしい。
この二人がいれば大丈夫だと思わせてくれた。
マリーも同じらしく、最初よりは緊張がほぐれているようだった。
しばらく話しながら歩いていると、森が見えた。
自宅近くの森に似ている。
規模は同じくらいだろうか。
それに、なんだろう。
何か胸がざわめくというか。
この感覚の正体はなんなんだ?
「どうかしたの、シオン」
「ううん、何でもないよ」
気のせいだろう。
魔物討伐という初めての経験に、心が上手く適応していないだけだと思う。
他に冒険者の姿はないようだった。
「今日は同業者はいないようだ。競争相手がいないのはある意味ではやりやすい。
では、先ほど言った隊列を組もう。道中は会話をできるだけしないように。
必要な場合は小声で、だ」
全員が了承の意を返す。
隊列を組み、森の中へ足を踏み入れた。
植物独特の青臭い香りが漂う。
森林浴をする暇もなく、僕達は草木を分けながら進んだ。
足音、木々の擦過音。
普段は清涼ささえ感じるはずの環境音は、なぜか不気味に思えた。
しばらく進む。
父さんが右手を上げると、僕達は立ち止まった。
屈んで、何かを見ているようだ。
呼ばれたので、近づいてみると、そこには足跡があった。
子供くらいの大きさだけど、指は三本しかない。
これがコボルトの足跡なのだろうか。
父さんは足跡を追う。
それから数十分歩くと、視界が広がり始める。
同時に、地底から聞こえるような、重低音の声音が聞こえる。
これは会話をしているんだろうか。
犬の呻き声に似た声。
それがそこかしこで生まれていた。
父さんがゆっくりと進み、そっと足を止める。
僕達も止まり、父さんの横まで移動すると、茂みの中から顔を出した。
いた。
コボルトだ。
数十体。
数が多い。
父さんの言った通りの姿をしており、顔は犬のようだった。
毛むくじゃらで、伸ばしっぱなしになっている。
そこはかとなく獣臭くなってきた。
目を凝らすと、魔物の身体はおぼろげに光っている。
ゴブリンと同様に魔力を備えているらしい。
しかし相手の数が多すぎる。
さすがにこれだけの魔物を相手にするのは骨が折れそうだ。
父さんは僕達に向かい、この場で待つように合図をすると、剣を抜いて、集落の中へ入っていた。
無造作に、何のためらいもなく、一人でコボルトの集団に向かっていったのだ。
僕とマリーは驚きのあまり、小さく声を漏らしてしまう。
思わずグラストさんに振り返ったけど、グラストさんは大丈夫だと笑うだけだ。
僕達は父さんの動向を見守ることしかできない。
父さんの姿に気づいたコボルト達が、突如として粗末な天幕に入ったり、近くに置いてあった武器を手にし始めた。
天幕から出てきたコボルト達の手には、同様に武器が握られている。
「ガガゥガッガッ!」
猛犬のような鳴き声と共に歯を剥き、コボルト達は父さんを取り囲んだ。
完全に逃げ場がなくなったというのに、父さんの表情に微塵も焦りはない。
硬直状態は長くは続かなかった。
すぐにコボルトの一体が、父さんへ襲い掛かる。
それを皮切りに他のコボルト達も地を蹴った。
四方八方からの攻撃。
避けることも、対応することも不可能。
普通ならば。
父さんはその場で姿勢を低くし、コボルト達の間を縫って、簡単にすり抜ける。
コボルトの包囲網を抜けると同時に、剣を振る。
その一撃で、数体のコボルトは絶叫と共に、地面に伏した。
コボルト達も僕達も何が起こったのか理解ができない。
しかし時間は停止しない。
父さんが動く度に、コボルト達は絶命する。
数十体いたはずのコボルト達は一分程度で殲滅されてしまった。
あっという間の出来事だった。
圧倒的な力量差だった。
僕達は知らなかった。
父さんが、これほどに強いということを。
魔物の気配は、ここにはもう残っていない。
全滅したのだ。
僕とマリーは呆気にとられて、あんぐりと口を開けたままだった。
「まったく、相変わらず化け物みたいに強ぇな」
グラストさんが呆れたように後頭部を掻き、茂みから抜け出た。
僕達も同じように、身を晒し、集落の中へ入る。
すべてのコボルトが一撃で屠られている。
素人の僕でもわかる。
並の腕ではないということを。
父さんは刀身の血を拭うと、鞘に剣を納める。
「これで安全だ」
安全ではある。
でも僕達の出番がまったくなかったのはどうなのだろうか。
目的が達成できないということに、僕は困惑した。
父さんは、苦笑を浮かべて口を開く。
「安心しなさい。きちんとおまえ達も戦わせるつもりだ。
ただあまりに数が多かったからな。減らす必要があった。
この時間、コボルトの一部は狩りに出ているだろうから、その内、戻ってくる。
そいつらと戦いなさい。数もそう多くはないだろうからな」
よかった。
父さんは色々と考えてくれていたみたいだ。
まあ、さすがに何も考えず、コボルトを討伐するようなことはないと思っていたけど。
……本当だよ?
他のコボルト達が帰ってくる前に、討伐したコボルトの耳を削ぎ落として、皮袋に入れた。
これも冒険者としては必要なことらしいが、あまり気分のいいものではない。
そうしていると、父さんが森の方に視線を移す。
「帰ってきたようだ」
僕達も視線を向けると、そこには六体のコボルトが立っていた。
明らかに激昂しており、僕達を威嚇している。
しかしいきなりは襲ってこない。
姿勢を低くし、唸りながら、武器を構えている。
「狩りをするコボルトは、他のコボルトよりも戦闘能力が高く、警戒心が強い。
私達が遠距離武器を持っていないから、距離を保っているようだ。
マリーとシオン先頭へ。それとシオン……奴らは遠距離攻撃がないと踏んでいる。つまり」
「魔法が効くってことだね」
僕は腰に携えていた雷火をはめて戦闘態勢になった。
先頭に移動し、両手に魔力を編む。
相手はあまり動かない。
ならば、発動が遅い魔法から試すべきだろう。
僕は右手の指を慣らし、魔力に火を着け、フレアを生み出す。
突然、生まれた炎を見て、コボルト達の間に動揺が走る。
しかし即座に放たれたフレアに反応できない。
奴らの目前に到達したフレアに、左手に編んだ魔力を放出して当てる。
青い炎は魔力を帯びた酸素に触れ、爆発した。
轟音と共に、コボルト達の身体を吹き飛ばす。
中央にいた、二体のコボルトの半身は吹き飛んで、血肉を木々に飛ばした。
ボムフレアだ。
この威力。
予想以上だ。
僕は高揚を胸に抱きながらも、次の段階へ思考を移す。
魔力を再び放出するには三秒はかかる。
奴らは爆発の余波を受けていた。
二体は吹き飛ばされ、二体は慌ててその場から逃げはしたが、動揺しているのは間違いない。
僕は即座に魔力を両手に集める。
しかしコボルト二体は、僕に標的を定め、すぐに地を蹴った。
経過時間、二秒。
あと一秒足りない。
連続使用ができないのが、魔法の最大の弱点であることは明白だった。
コボルトの斧が僕に届く――前に、姉さんが僕の前に移動した。
キンという鋭い金属音が聞こえると同時に、姉さんの身体が僅かにブレる。
「シオンには触れさせないんだから!」
コボルト二体の攻撃をいなしていた。
コボルトの膂力の方が上だ。
それに加えて、相手は二体。
それなのに、姉さんはコボルトの攻撃をほぼ同時に弾いたのだ。
これは力ではない、技だ。
あまりの早業、その剣技に僕は驚きを隠せない。
しかしやるべきことは驚くことではない。
両手に集めた魔力を合体させながら、僕は横に移動した。
瞬間、手のひらには電流が走る。
そして両手を押し出しながら魔力を放出させた。
ラインボルト。
相乗魔力により、威力が向上したボルト。
高電圧がコボルト二体を襲う。
赤い雷は真っ直ぐコボルトに向かう。
接触するとまばゆく明滅し、跳ねるような鋭い音が響く。
「ガルゥゥアアァッ!」
コボルト達が断末魔の叫びを放つ。
しばらく痙攣していたが、焦げた臭気を昇らせながら、その場で倒れた。
死んだ、のか。
ボムフレアもラインボルトも、これほどとは。
恐らく、ただのフレアやボルトでは、精々が火傷程度しか負わせられなかっただろう。
魔力の合成によって、これほどの威力を叩きだしたのだ。
仲間を四体も殺されたコボルトは、恐れおののいていた。
しかし逃げる様子はなかった。
奴らの視線は父さんやグラストさんに向けられていた。
圧倒的な強者を前に、逃げることはできないと悟ったのだろうか。
奴らは僕達に襲いかかってきた。
恐らくは捨て身。
だけど、僕にそれは有効だった。
魔法使用後の硬直状態。
そこに丁度、奴らの攻撃が重なったのだ。
僕は即座に、背後に飛び退く。
まるで攻守交代するかのような行動だったが、僕の退避と同時に姉さんが再び、僕を守るように前に出る。
彼女の横顔は必死で、恐怖さえ見え隠れしている。
しかし、それでも前に出て戦おうとしている。
マリーに向かい、コボルト達が武器を払う。
しかしマリーは、表情とは裏腹に冷静に対処する。
姿勢を低くし、攻撃を掻い潜ると、コボルトの足を切り払う。
姿勢の悪い状態の攻撃だ。
相手に致命傷は与えられない。
しかし確実に傷を負わせたことで、コボルトの姿勢は僅かに崩れる。
その隙を見逃さず、姉さんは攻撃を加えたコボルトの横に即座に移動。
そうすることでもう一体のコボルトの攻撃可能範囲から逃れた。
「このぉっ!」
回転しつつ、コボルトの首に一閃。
見事な軌道を通り、コボルトの首は地面に落ちた。
同時に血飛沫が舞い、視界が悪くなる。
マリーは初めて魔物を殺したはずだった。
しかし命を奪ったことへの葛藤や後悔は彼女にはなかった。
その証拠に、動きを止めず、即座に残っていたコボルトへと向かったのだ。
舞いのような剣技は、二体目のコボルトの心臓に届く。
「はあ、はあ、はあっ!」
荒い息を吐きつつ、姉さんはコボルトから剣を抜いた。
姉さんは警戒を緩めない。
父さんがコボルトの死を確認する。
「死んでいる。よくやったな、シオン、マリー」
父さんの声に、ようやく姉さんは力を抜いた。
僕もほっと胸を撫でおろす。
終わった。
僕達は何とかコボルトを倒せたようだった。
しかし、この疲労感。
たった数体と戦っただけで、ものすごい緊張感だった。
それに、戦ってわかったことも多い。
魔法は発動までの時間が長く、再発動までもまた長い。
一撃の威力は高いが、相手が複数、または直撃せずに倒せなかった場合、僕は無防備になる。
姉さんがいてくれて、その欠点は補えていたけれど、一人だったなら間違いなく死んでいた。
僕はまだ興奮した様子の姉さんの肩を叩いた。
「ありがとう姉さん。助けてくれて」
「シオンを守るのは当たり前よ。それに……シオンがいてくれたから、戦えた。
あたしもありがとね。少しだけ自信になったわ」
「すごかったよ。本当に」
「ああ、二人とも初戦にしてはよくやった。マリーは恐怖に立ち向かい、冷静に力を発揮した。
シオンは魔法の効力を見せつけた。予想以上に、強力な武器になることがわかったな」
「しっかし、魔法ってのは本当にすげぇな……。俺も魔力の素養があったらなぁ」
グラストさんは悔しげにつぶやいた。
僕が見た感じでは、大人で魔力を持っている人はいなかった。
多分、グラストさんも使えないだろう。
というか今のところ、僕以外の人が魔法を使えるかどうかあまりわからないんだよね。
姉さんも使えはするけど、フレアが限界で実用性はあまりない。
他に使える人がいるのか、多いのか少ないのかは、今は判然としないわけだ。
今のところはローズが魔力の素養がある、ってことはわかっている。
ただ最近はあまり話せてない。
ゴブリンの一件以来、微妙な距離感が出ているというか。
それはマロンやレッドも一緒だ。
父さんに口止めされているというのもあるだろうし、まあ、あんなことがあっては、どう接していいかわからないんだと思う。
とにかく魔力の素養、魔法の汎用性については今のところは考えなくていいだろう。
大事なのは、今だ。
実戦でわかったことは多かった。
たった一戦。
それでも戦った経験があるとないとでは、まったく違う。
この経験を元に、魔法の改良も必要だろう。
さて、帰ったらそこら辺も考えないと。
なんて考えていたら。
「では耳を集めた後、次の棲み処に向かうぞ」
「「え?」」
僕と姉さんの考えは同じだっただろう。
一階戦ったし、初日だし、もう帰ると思ったのだ。
でも父さんはまだやる気満々らしい。
「私もグラストも普段はあまり時間が取れず、こんな機会はあまりないからな。
丁度いい。できるだけ実践を体験しておくべきだろう」
それはそうかもしれないけど、初めての戦いで疲労が著しい。
自分でも驚くくらいに、もう帰りたかった。
しかし父さんの顔を見て、僕達は諦める。
絶対に何を言っても、続けるつもりだ。
「さあ、行くぞ! さっき、他の足跡も見つけておいたからな!」
父さんが意気揚々と先に進む中、僕とマリーの肩をグラストさんが叩く。
「諦めな。ああなったら、無駄だからな……」
グラストさんは父さんの長年の友人だ。
家族である僕達同様に父さんのことはよく知っている。
過去に色々あったんだろうな。
僕達は諦観のままに乾いた笑いを浮かべ、嘆息すると、父さんの後に続いた。






