グラストの頼み 1
自室。いつも通りの風景だけど、だからこそ落ち着く空間だ。
僕はベッドに座りながら、じっと床を眺めていた。
現状、魔法の研究は頓挫している。
完全な行き止まりではなく、何か掴めそうで掴めないという感じだ。
魔力には無限の可能性があるように思える。
けれど僕は無知で、発想力も乏しい。
もっと色々とやりようがあるような気もするけれど、今の状態は数日続いている。
世の発明家は、きっとこんな懊悩を何度もしていたのだろう。
彼等は努力をし、才能ある人間で、僕のような一般人とは違う。
僕は才能がないのだから、才能ある人間より苦悩して当然だ。
むしろこれまでとんとん拍子すぎた。
あまりに事が上手く進みすぎていた。
世界が僕に魔法を開発させようとしているかのように錯覚するほどに。
でも、最近は遅々として進んでいない。
「問題は……雷魔法……か」
雷鉱石に魔力を接触させる形で発生させても、実用性がない。
フレアは携帯火打石があれば使えるけど、雷魔法を使用するには色々と条件が必要だ。
それに思い通りの結果も得られない。
今のやり方だと厳しいかもしれない。
着眼点を変えよう。
魔力をどうこうするのではなく、道具の方をどうにかした方がいいかもしれない。
雷鉱石を、火打石のように思い通りに使えることができれば。
雷鉱石は断続的に電気を発生させており、僕が意図するタイミングで電気を発生するわけじゃない。
もしも意図的に電気を発生させるような道具ができれば、悩みはすべて解消するんだけど。
さすがに道具を作る技術はない。
そんなことをここ数日、考えている。
と、コンコンと扉が叩かれた。
ノックするということは父さんだろうか。
扉を開けると、そこにいたのは予想とは違う人だった。
「よう、シオン」
グラストさんだ。
イストリアで武器防具屋を営んでいる鍛冶師。
父さんの旧友で、姉さんの剣を作ってくれた人だ。
僕は一瞬だけ驚いたけど、すぐに表情を繕った。
「グラストさん、こんにちは」
「あ、ああ、こんにちは。対応力がすげぇな、おまえ」
僅かにたじろいだグラストさんは咳払いをすると、一拍置いた。
色々と聞きたいことはあるけれど、部屋の前で立ち話するのはグラストさんに悪い。
「中へどうぞ?」
「いや、居間に来てくれるか? 話があんだ」
「話、ですか? わかりました」
何の話だろうか。
雷鉱石を手に入れた時、以来、グラストさんとは会っていない。
僕は雷魔法の研究にかかりっきりだから、父さんが街に行く時も、僕は同行しなかった。
姉さんと母さんが一緒に行くことはあったけど、僕は留守番していた感じだ。
そういうことから、グラストさんが僕に要件があるとは思えなかった。
まあ、別に後ろめたいことはないし、気にする必要はないと思うけれど。
僕はグラストさんに続いて、居間へ向かった。
そこには父さん、母さん、姉さんの全員が集合していた。
椅子に座って、談笑している。
空気はいつも通りなので、やはり問題のある話をするわけではないらしい。
ただ、なぜかグラストさんに向けられている父さんの視線は、呆れが混じっていた。
グラストさんは顔を逸らし、素知らぬふりをすると椅子に座った。
座り位置は僕と姉さんが隣合わせ、対面に母さんと父さん、その隣にグラストさんが座っている。
僕は姉さんを一瞥した、何の話なのか、という疑問を含ませる。
姉さんはそれを察知してくれたのか、首を軽く横に振った。
彼女もわからないらしい。
「あー、それで話なんだけどよ……」
グラストさんは横目で父さんを見る。
これみよがしの嘆息を漏らし、父さんが話し始める。
「シオン。雷鉱石を採取したことは覚えているな?」
「うん。覚えてるよ」
「うむ。実はな……あの後、このバカはシオンの知識を利用し、雷鉱石を採取したらしい。
今まで、雷鉱石を運搬することはほぼできなかったからな。
持ち帰り、商売にしようとしたらしい」
グラストさんは天井を仰ぎ、誤魔化そうとしていた。
ただまったく誤魔化せていないけど。
「ということでな……おい、グラスト。言うことがあるだろう」
呆れと苛立ちをグラストさんに向ける父さん。
そこまで言われては反応しないわけにはいかなかったのか、グラストさんは気まずそうに僕を見ると、鼻頭を掻きながら口を開く。
「あー、なんだ。その、すまんかった。おまえの知識を利用した。
許可も得ず勝手に、雷鉱石を運んで、儲けようとした。悪かった」
父さんは何度も頷きながら話を聞き、母さんは困ったように首を傾げていた。
グラストさんは視線を泳がせ、居心地が悪そうだった。
隣の姉さんを見ると、難しい顔をしていた。
僕は考える。
考えてはみたが、よくわからない。
結局、思った通りの返答をするしかないらしい。
「別に問題ないと思うんですけど」
そういうと、グラストさんはあんぐりと口を開け、父さんは一瞬だけ驚き、小さく嘆息した。
「い、いや、おまえの考えを利用したんだぞ、俺は」
「まあ、そうなるんですかね? でも別にいいのでは」
「しかしだな、誰も考えもつかなかった方法をおまえは思いついた。
それを俺はおまえに何も言わずに利用したんだ。
文句の一つの二つあって当然だし、金をよこせって要求も当然の権利だぜ?」
言われてみればそうなのだろうか。
確かに、商売のアイディアを渡したということになるのかもしれない。
でも、僕は別に雷鉱石でお金儲けがしたいわけじゃないしなぁ。
それよりも気になったのは別のことだった。
「儲かったんですか?」
グラストさんは苦虫を噛み潰したような顔をしてしまった。
あまり芳しくなかったみたいだ。
「小遣い程度にはなったな……ただ、労力と現状を考えると、割に合わなかったぜ。
雷鉱石は灯りに使うには不便だし、危険だ。
最初は物珍しさに買う人間もいたけどよ、すぐに客足が途絶えちまって……」
あらら、いつものグラストさんと違い、しゅんとしてしまっている。
乾いた笑いを浮かべて、テーブルを眺めている。
目に光がない。
もしかして、あの日から今まで、雷鉱石で商売するために、時間と労力を割いたのだろうか。
本業を放っておいていたりしたんだろうか。
まあ、そこまでは突っ込まなくてもいいか。
「じゃあ、僕は別に何もいりません。ものすごく儲かったのなら別ですけど。
あまり、その……好調だったようには見えないですし」
これでグラストさんの要件は終わりのはずだ。
僕は謝罪を受けて、別にかまわないと返答したのだから。
けれど複雑な空気は変わらず、グラストさんの態度も変わらない。
一体どうしたのかと父さんを見ると、再びの嘆息を漏らし、口火を切った。
「実はな、問題はそれだけではない。先ほども言ったが、こいつは雷鉱石を運搬した。
あの日から今まで、雷鉱石の運搬と商売に時間を費やしたらしくてな。
大量に在庫が余っているらしい」
嫌な予感がした。
というかしていた。
それが的中してしまったような感じだ。
「在庫が余ってる、ということは雷鉱石を倉庫かどこかに保管してるってことですか?」
「あ、ああ。最初は、数個だけだったんだけどよ、それなりに売れ行きがよくてよ。
それなら一気に運搬した方が、効率がいいってんで、最初期にまとめて運んだのよ。
倉庫を借りて、そこに置いてるんだけどよ」
「いくつです?」
「百個、くらいだな」
「小さめですか?」
「比較的大きめだな……」
具体的な雷鉱石の大きさは知らない。
だけど僕が見た感じ、僕の身体と同じくらいの大きさの雷鉱石があった。
つまりそれ以上の雷鉱石を百個も集めて保管してしまっているかもしれないということだ。
地球であればエネルギーとして扱えるし、多様性もあるだろうから、かなり儲けることができそうではある。
ただ、それは電力を活用できる科学力があっての話だ。
中世、江戸時代あたりで、電気があっても、それを扱えるような道具なんてないわけで。
そうなるとただピカピカ光る置物にしかならない。
僕は電気を使った何かを作る技術も知識もない。
つまり、グラストさんはその置物を百個も抱えてしまっているというわけで。
妙に憔悴しているが、何となく察してしまった。
結構なお金を使ってしまったのだろう。
倉庫代も馬鹿にならないだろうし。
鉱山から雷鉱石を運搬する際のお金も積み重ねればそれなりの額になる。
それがすべて無駄となれば、むしろ邪魔でしかない状態ならば、こうなっても仕方ないか。
事情はわかった。けれど、どうして僕に話すのだろう。
グラストさんはまるで、僕の心情をくみ取ったかのように、的確な話を始めた。
「そこで、おまえに頼みがあるんだ。雷鉱石をどうにか売る方法を考えてくれねぇか?
雷鉱石の運搬をするための発想と知識がおまえにはあった。
だから、おまえなら何とかできるかもしれねぇと……思った……んだけどよ……」
あー、自分の情けなさに自虐的な思考に陥っているなこれは。
段々萎縮して、視線が落ちていっている。
普段は気の強い性格の人って、案外打たれ弱かったりするし。
それに、子供に頼みごとをして、プライドが傷ついたのだろうか。
わからないでもない。
大人が子供に、頼みごとをするのは難しい。
自分でできることを頼むならばいいけど、本当に困っているから助けて欲しいと言うのはかなり厳しい。
大人にはプライドがあるからね。
それがわかる分、何とも言えない気持ちになった。
そしてそこまで追い詰められているのだろうと。
ここまで足を延ばしたんだ、結構困っているんだろう。
父さんも母さんもどうしたものかと顔をしかめている。
グラストさんが、雷鉱石の運搬を手伝ってくれたのは事実だ。
それに父さんの友人だし、放っては置けない。
心情的には手伝いたいけど、安易に受けるのもどうだろうか。
引き受けて、結局何もできませんでした、ではグラストさんに悪い。
何か算段があってのことであればいいけれど。
少なくとも今の段階では、何も案は浮かんでいない。
けど。
「わかりました。僕にできることなら、やってみます」
「い、いいのか? こんな勝手な話なのによ」
「ええ。でも、何か案があるわけじゃないので、あまり期待はしないでください。
できるだけのことはしますけど、内容が内容ですし、簡単ではないので」
「あ、ああ、それでいい。ありがたい、本当に助かる!」
グラストさんは光明を得た、とばかりに笑顔を見せた。
そこまで期待されても困るけど、僕は子供だ。
さすがに全幅の信頼を置かれているわけでもないだろう。
多分、どん詰まりでどうしようもない状態だったので、藁にも縋る思いで尋ねてきたんだと思う。
少しの希望があれば、多少は心が前向きになるものだ。
結果がどうなるにしろ、さすがに放っておけない。こんな状態の人を。
それにちょっと考えていることもある。
ああ、商売のことじゃない。魔法の研究のこと。
僕の目的とも重なる部分もあるかもしれない。
親切心と打算と妥協から、僕はグラストさんの力になると約束する。
「いいか、グラスト。あくまでシオンは手伝いだ。
それにこれはおまえが勝手にしたことに対して、シオンが手を貸すだけ。
わかっていると思うが、もし結果が思い通りでなかったとしても、シオンを責めるなよ」
「ああ、わかってるさ。当然だ。引き受けてくれただけでもありがたいと思ってんだ。
悪いなシオン。面倒事を背負わせちまってよ。
おまえなら、って考えちまって……なんせおまえは」
「グラスト!」
グラストさんが何か言おうとした時、父さんが突然、大声を張り上げた。
居間の空気が張り詰める。
何が起こったのかわからず、僕と姉さんはただただ言葉を失っていた。
「い、いや、すまん、なんでもねぇ。忘れてくれ」
今、グラストさんは何を言おうとしたんだろうか。
僕が? 僕が何なんだ?
その疑問を口にする寸前で、僕は飲み込んだ。
父さんの横顔が、今まで見たことがないほどに険しかったからだ。
だからに何も言えなかった。
と、パンという乾いた音が鼓膜に届く。
「ささっ、話はまとまったみたいだし、昼食にしましょうねぇ。
今日は海鮮シチューですよぉ」
母さんが手をならし、間延びしたいつもの声を聞かせてくれた。
それだけで空気が弛緩する。
母さんがとことこと台所へ向かっていく。
今さらながらに気づいたけど、美味しそうなニオイが漂っていた。
料理をしている最中だったようだ。
不穏な雰囲気に気圧されて、そんなことにも気づいていなかったらしい。
父さんとグラストさんは少しだけ気まずそうにしながらも、姿勢を正した。
「ではまずは昼食にしよう。シオン、その後はどうすればいい?
考えがあるのならば、聞かせてくれるか?」
厳粛ながらも優しい声音が聞こえた。
いつもの父さんだ。
隣のグラストさんはまだ居心地が悪そうにしているけど。
時間が解決してくれるだろう。
何の話だったのか気にはなるけど、聞かない方がよさそうだ。
僕は強い疑念と好奇心に蓋をして、いつも通りの顔を見せた。
「まずはイストリアに行って、現状を把握したいかな。
その後のことは、その時に言うよ」
正直に言うと、あまり考えはない。
けれど少しずつ、ぼんやりと目的は見えつつあった。
父さんは鷹揚に頷くと、小さく笑みを見せた。
「わかった」
と短く言うと、それからは普通の会話を始めた。
食事をし、談笑をすると次第にグラストさんも元気を取り戻していく。
お腹を満たして、休憩し、家を出たのはそれから一時間後のことだった。






